第17話 縮まる距離
時は少し戻りーー雛が学生寮に帰った矢先のこと。
「お帰り、ヒナ」
「ただいま、ユイちゃんっ! ごめんねっ、遅くなって……」
同室に住む者同士、『ただいま』『おかえり』は当然の挨拶。
ユイは、雛が
「ううん、気にしないで。それで、なにか嬉しいことあった? ヒナ、ニヤニヤニヤニヤしてる」
「そ、そんなことないよっ!? う、うんっ!」
「また、ニヤけた」
「に、ニヤてけないよぉ……っ!」
ーーと、ユイの言った言葉を否定し続ける雛だが、表情には素直に出てしまう。
実際、雛の頰の筋肉は緩みっぱなしなのである。だが、それは当然のことでもある。
雛はさっき、大好きな人が飲んでいた缶コーヒーに口を付けたのだから……。
捨てるという理由を作って、翔にバレないように間接キスをしたのだから……。
「実はね、ヒナがこの時間に帰ってくること、ユイには分かってた」
「な、なんで……?」
「ユイが夜空を見てた時、丁度ヒナが帰ってきたから。……ユイ、見てたよ。ヒナが男の人と一緒に帰ってるとこ。あれがヒナちゃんの好きな人、なんだね」
「……ん゛!?」
それを聞いた瞬間、雛の背中には冷たい汗が流れた。一体、どこまで見ていたのだろうか……と。一瞬か、それともずっとか……。
「ヒナ、デレデレだった。周りにハートマークが飛んでるの、見えた」
「そ、そ……それは……」
否定することなど出来ない。何より、ユイはあの現場を見ていたからこその感想を言ってるのだ。それはどう足掻いても、どう誤魔化しても意味という証明。
雛に残された道は一つ。素直に白状するだけだった……。
「間接キス、美味しかった?」
「なっ、ななななぁっ!? そ、そこまで……そこまで見てたのっ!?」
「あんなところでしてたら当然。……ヒナ、一回だけじゃなくて六回もしてた」
「そ、そそそそんな多くしてないもんっ! よ、四回くらいだよっ!!」
「ううん、六回」
「ぅ、ご、五回だけだもん……」
『六』という数字を絶対に譲らないユイ。そして、二度目の言い分で数字を一つあげた雛。どちらが数を誤魔化しているのか、どちらが正しいのかはもう明白であった。
「それに、最後の一回は長かった」
「ほっ、本当にどこまで見てたのっ!? も、もしかして……最後まで見て……た?」
「ヒナが寮に入るまで、ずっと見てたよ。ヒナが幸せそうにしてたから。見てる方も幸せになった」
「う、ううぅぅぅ……! み、見てるなら言ってよっ!」
「だから、今言った」
「み、見てる時にだよっ!」
理不尽なことを言っているのは間違いない。しかしそれは、照れ隠しから言っていることで、誰のから見ても分かること。
雛が顔を赤くして、『動』でも伝わるようにブンブンと腕を振りながら訴えている状況を見ればもう確信的だ。
「ヒナ。そのくらい好きなら、奪えば良かったのに……唇。そっちの方が絶対に美味しいよ」
「そ、それが出来たら苦労しないよぉっ!」
雛は当然考えた。……キスをする方法を。間接キスよりも、唇と唇のキスの方が絶対に良いのはもちろんのことだから。
しかし、雛は考えるだけで行動には移せなかった。
一番の問題は恋人で無いから。……一途で順序を守る純粋な雛だからこそ、この引っ掛かりがブレーキの役割を果たしていたのだ。
「ヒナ、一つ良いこと教えてあげる」
ユイは、雛が男の人、翔と帰って来ているところを見ているのだ。雛だけでなく、翔のことについて思うことももちろんあった。
「相手の人、ヒナのこと確実に一人のオンナとして見てるよ」
「えっ!? そ、それはない……と思う」
「ヒナがそう思うのも無理はない。緊張を隠す。平常心を装う。雛の好きな人はそんな行動をしてただろうから。でも、見ている側には分かる」
ユイが言っているのは、雛を喜ばせるためではない。ただ、自身が思ったこと打ち明けているだけなのだ。
「ヒナの好きな人、露骨過ぎてたから。もちろん、そうなってしまったのはヒナが相手だからって理由だと思う」
「……そ、それって、わたしを意識してくれたってことなのかな……」
「腕を組んでも意識してくれなかったら、それこそ脈なし。腕を組んだら胸、当たる。自分の匂いも伝わる」
「む、胸っ!? に、匂いっ!? ど、どどどどどう言うこと……!?」
雛は腕を組むことでどういう状況になるのか、この時はまだ気付いていなかった。……普通は腕を組んだ段階で分かることだが、雛はアピールすることで必死だった。
襲ってくる羞恥。そして、振り絞った勇気。この二つでそれどころではなかったのだ。
「ヒナ、腕を貸して。これはやってみたほうが早い」
「う、うん……」
雛はユイの言う通りに腕を差し出し、慣れた様子でユイはしがみ付いた。……そして、ヒナがしていた通りの腕組みをして……問う。
「どう?」
「もっ、もの凄く……あ、当たってる…………。ユ、ユイちゃんのシャンプーの匂いも……」
「ヒナはユイより胸より、大きい。だからこれ以上に感じてたはず」
ずっと腕に捕まりながら、ユイはヒナに事実を伝える。『間違いなく感じていた』……と。
「どっ、どうして翔おにいちゃんは言ってくれなかったのかな……っ。 あ、当たってるって言ってくれれば…………。うぅ、恥ずかしいよぅ……」
「ヒナの気持ち、分かる。でも、それだと好きな人、可哀想」
「……えっ」
何故、翔はそのことを言わなかったのか。その理由をユイは分かっていた。いや、確信していた。ユイは組んでいた腕を離し、雛に目を合わせる。
「……ヒナはどう言う理由で、その人と腕……組んだの?」
「っ……!」
ーー途端、息を呑んで見開く雛。
「……良い人だね。凄く」
ユイはそう言って微笑を浮かべた。
雛はどうやって好きな人と腕を組んだのか。
超が付くほどの奥手な雛が、その時だけ素直に『腕を組んでほしい』なんて言えるはずがない。腕を組むためにありもしない理由をこじ付ける方が雛にとっての自然。
『夜道が怖いから、腕を組みたい』
これが違和感が生まれない最もな言い分。これに似たことを言うだろうと推察したユイだが、今の雛の反応を見ればコレが正解だと分かる。
「当たってることを言わなかったのは、ヒナのことを一番に考えてた証拠。……緊張を隠したのも、平常心を装ってたのも、ヒナを今以上に怖がらせないため。その人はオトコだし、
「……翔、おにいちゃん……」
翔のことを何も知らないユイが、その人格、性格に当てはまったことをズバズバと言い当てる。
反論など何も出ない。むしろ、ユイの言葉がスッと胸に収まった……。それと同時に、『気遣ってもらえてたんだ』という優しい翔の気持ちが伝わってくる。今まで以上に温かいものが胸に流れ込んできた……。
「ヒナ、今日はもう遅い。お風呂に入って寝よ? 今日のことは、また明日」
「……う、うん。そ、それじゃ……お風呂入ってくるねっ」
「あ、言い忘れてた……。ヒナに一つだけ忠告」
「な、なに……? ユイちゃん」
寝服を棚から取り出そうとする雛を制し、ユイはどうしても言いたかったことを伝える。
「ヒナの自慰……もう少し声を抑えないとダメ。えっちな声、廊下まで聞こえる」
「…………お、おおおおおお風呂入ってくるーーーーっっっ!!」
ユイからとんでもない報告を耳に入れてしまった雛。
40度ほどの熱が出たように熟れたトマトみたく顔を真っ赤っかにしながらお風呂場に走って行くのであった。
が、その早朝ーースマホに表示された一件の通知を見て、これ以上に顔を赤くするのである。
そこに表示されていたメール。
『雛っち、雛っち! 朗報!! 翔さんがね、彼女にするならヒナっちのような女の子が良いって言ってたらしいよー!!!』
ーーそれは、桃華からのメールだった。
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