第34話 最終話。8年間の刻を経て……。

「……ひ、ひな……ちゃん……」

「…………」

 木陰からもう一人、ゆっくりと姿を見せた人物……。熟れたトマトのように顔を赤くした雛を見て、翔はタジタジになっていた。


「も、もしかしなくても……今までの会話、聞いてた……よね?」

「ご、ごめんなさい……っ! ぬ、盗み聞きするつもりはなかったんです……!」

「そ、そのことについては怒ってないから大丈夫なんだけど……、どうしてこの場所が分かったの……? 誰にも言ってないはずなんだけど……」

「ぐ、偶然です……。桃華ちゃんとこの道を辿ってたらたまたま目に入って……」

「じゃあ、さっき走り去って行った人は桃華さんだったんだね……。もう、変な気を遣わなくて良かったのに……」


『はぁ』と小さなため息を吐く翔だが、これは平然を偽るための演技でもあった。

 桃華が変な気を遣った真意……。それは、間違いなく雛と二人っきりにさせようとしたからだろう。玲奈との口論を聞かれたことにより、自身の気持ちを完全に悟られたからだと……。


 翔は言ってしまったのだ。……雛のことを『大切な人』だと。

 桃華が翔の気持ちを悟れば、隣にいた雛もその気持ちを悟るのは可能性としては十二分にあり得る話。


(は、恥ずかしいってこればっかりは……! も、もう取り返しがつかないじゃないか……!)

 好きな相手である雛本人に『好き』だとバレている可能性が大の大だからこそ、心の中は穏やかではなかった。


「え、えっと……。僕、これからお仕事に戻らないといけないんだけど、お店に寄っていかない? ……寮まで送る時、ひなちゃんにどうしても聞いてほしいお話があるんだ」

「……わ、分かり、ました……」


 ぎこちなく話す翔が伝染したのか、雛も雛でぎこちなく返事をする。

 だが、翔は翔で覚悟を決めていたのだ。その覚悟とは、もちろん想いを告げることーー告白。


「ありがとう。それじゃあお店に行こっか……」

「う、うん……」


 気まずい雰囲気が二人を支配する中、互いに距離を保ちながらお花屋カフェに向かって歩いていく。

 特に翔は穴があれば顔を埋めたいほどの羞恥に襲われていた。


 翔は雛のことが好きだと間接的に伝えている。

 ーーそして、雛の気持ちを知っているのだ。

『雛っちはアナタのことが大好きで……』と、桃華が漏らしてしまった言葉によって……。



 =====



「も、もう休憩なんですか……?」

「ううん。今日はもうお仕事は終わりになったんんだ。昨日の労働時間が長かったから早くあげてもらえてね。……今日ばかりは本当に助かったよ」

 翔が私服姿でお花屋カフェを出たのは19時30分。普段なら休憩時間の20時に雛を寮まで送っていた翔だが、仕事は終了した関係で店を早く出る事が出来たのだ。


「き、今日……ばかりは……ですか?」

「言ったでしょ、ひなちゃんにどうしても聞いてほしいお話があるって。だから少しでも時間が欲しかったんだ」

「わ、わたし……嬉しいです……。翔おにいちゃんが早くお仕事終わって……。少しでも長く居られることが出来るから……」

「あ、ありがとう……。そう言ってくれて」

「う、うん」


「……」

「……」

 照れ臭さから訪れる無言。そんな状態でしばらく歩き続けること数分。翔は雛と共に広場に足を運んでいた。

 昼間夕方なら大層賑わうこの場所だが、現在は月が浮かぶ夜。

 人の気配は全くない、二人っきりの空間が勝手に作られる。


「……ひなちゃん。少し前に話を戻すけど、玲奈さんから聞かされたこと……全部嘘だって分かったかな?」

 これから先のことについて話すため、広場にあるベンチに腰を下ろす二人。……そこで聞いたことはコレだった。


「うん……。あの公園で話してたこと、全部聞いたから……」

「全部聞いたってことは、僕がひなちゃんのことを『大切な人』だって言ったことも聞いたんだよね?」

「……っ、そ、それは……」


 広場に備え付けられている灯と月明かりから浮かび上がる真っ赤になった雛の顔。

 そんな反応を見ただけで耳に入れたことは分かる。


「ひなちゃん。流石にそれはズルいんじゃないかなぁ。僕の気持ちを知るような言葉を直接聞いてさ……」

「……やっ、え、あ……っ、それは……」

「さっきから、『それは』しか言ってないよ?」

「うぅぅ……。な、なら翔おにいちゃんもズルいです……っ」


「ぼ、僕が……?」

「だ、だって……わたし、桃華ちゃんから聞いてるから……。わ、わたしが……わたしが…………翔おにいちゃんのことをーー」

「……ストップ、ひなちゃん」


 雛が最後までその言葉を口に出そうとした瞬間、翔は少し大きな声を出して続きを阻止する。

 翔が玲奈と話を着けていたあの公園で、桃華は雛に言ったのだ。

 昨日、翔にしでかしたこと自分のミス。そこで漏らしてしまった雛の気持ちを。


 結果、お互いがお互いに知ってしまっているのだ。相手の気持ちに。両想いであることに……。


「ひなちゃん。その言葉だけは僕から先に言わせてほしい」

「……い、いやだ」

「嫌!? ぼ、僕……今結構恥ずかしいこと断られたよね……!?」

「え、えっと、それがいやなワケじゃないです……。その言葉だけは……わたしが先に言いたいから……」


「……」

「……」

 両想いだと知ったからこそ、素直な気持ちが全面的に前に出てしまう。告白する前に相手の気持ちを確信しているなんて通常とは全く違う今の状況だが、この二人には丁度良いもの。寧ろ、一番良い状況なのかもしれない。この奥手過ぎる二人にとっては……。


「いや、それこそ僕が言うべきだよ。年上としてのメンツを保つ意味でもさ」

「そ、そんなのは関係ないと思います……っ。これだけはわたしが先なんですっ!」

「……ははっ。なんだろうね、このやり取りは」

「う、うん……。えへへ……」


 思わず吹き出す笑い。このやり取りだけでお互いの想いが通じ合っていることが分かる。その嬉しさから勝手に頰が緩んでしまう。


「……あのさ。僕、好きだよ。……ひなちゃんのこと」

「っ! ぁ、ぁああ……っ。さ、先に言わないでよ! わ、わたしが先って言ったのに……っ!」

「ひなちゃんの顔、真っ赤になった」

「はぅ……。み、みみみ見ないでよぉ……」


 不意打ちとも呼べる翔の告白に、両手でその真っ赤な小顔を隠す雛はふるふると首を振っている。


「ひなちゃん。顔を隠して返事をくれないのは卑怯じゃないかな? 僕、気長に待てるほど穏やかじゃないよ」

 翔の心臓は口から飛び出してもおかしくないほどに、ドクンと跳ね上がり続けている。それもその筈。これは翔にとって初めて想いを告げた日。初めての告白なのだから。

 今にも逃げ出したいほどの羞恥を我慢し、雛の返事を待っているのだから穏やかでいられるわけがない。


「もう一度だけ言うね。……僕はひなちゃんのことがーー」

「も、もう言わないで……。わたし、嬉しくて倒れちゃうから……」

「…………」

「…………」


 この状況が受け入れられないのか、気持ちの整理が付かないのか、はたまたこの場から逃げ出したいのか。

 当てはまっている心情が分からない翔だが、こんなにも弱々しく可愛い姿を見せられたのなら、自然とイジワルがしたくなってしまう。

 ここに来て、翔は好きな人をいじめたくなるという心理が働いてしまったのだ。


「…………大好きだよ。ひなちゃんが」

「っ!?」

『言わないで』と言われた言葉を耳元で優しく囁く翔は、雛の細い腕を包みこむようにしてギューっと抱きしめる。


「〜〜っ、……うぅぅう」

「今倒れても、僕が抱きしめてるから大丈夫だね」

「……ず、ずるいよ……。翔おにいちゃんばっかり……」


 翔の抱擁を嫌がるわけもなく、両腕も抱かれている状態の雛。自由に動かせる部位は顔だけ……。雛は彼の胸元に顔を埋めながら拗ねたような声で意義を唱えた。


「わ、わたしも……好きだもん。……大好きだもん……。翔おにいちゃんに負けないくらい大好きなんだよ……」

「僕も一緒。一緒だからこそひなちゃんの先を行きたいのかもね……」

「す、少しは譲ってよっ……!」

「それは出来ない相談だ」


 先を取られたくない。それはリードをしていきたいとの気持ちの表れでもある。

 雛より8歳も年上のだからこそ、その気持ちは大きく溢れてしまう。


「あ、あのさ……ひなちゃん。これは僕の勘違いかもしれないんだけど、高校進学に桜蓮を選んだ理由ってもしかしてーー」

 晴れて恋人になれた二人。この素敵な関係になれたからこそ、翔は疑問に思っていたことを口に出せた。


「……う、うん。翔おにいちゃんに逢いたかったから……だよ。わたし、ずっと翔おにいちゃんが好きだったから……」

「そ、それであの高校を選んだんだ……。ま、前から不思議に思ってたからさ。どうしてこの女子校高を選んだんだろうって……」


 その事実を知り急激に恥ずかしさが増してくる。唯一、翔が救われていること。それは雛を抱きしめている状態だからこそ、顔が見られていないという点だ。

 今の翔を見れば、照れていることが簡単にバレるほど顔に赤みが差していた。


「ほ、本当は諦めもあったんだよ……? でも、ずっと昔に翔おにいちゃんがくれたあの薔薇の花があったから勇気が持てた……」

「薔薇……。え、薔薇って8年前に渡したあの薔薇!?」

「だ、だって薔薇の花言葉は『あなたを愛しています』だもん……。翔おにいちゃんがあの時、宿題で出したから……わたし、告白されたって勘違いもしたんだよ……?」


「……で、でもあの頃は僕中学生だよ!? 当時、7歳だったひなちゃんにそんな想いを寄せてたらいろいろとマズーー」

「お、女の子はそんなものなんです……! し、翔おにいちゃんにはこれからしっかりと理解してもらうんですから覚悟してください!」


 ゴゴゴゴ……と、翔の腕の中でやる気に燃え盛る雛。……ここが良いタイミングだろうと見た翔はハグを辞め、お願いを一つ頼むことにした。


「ひなちゃん。なかなか言いにくいことを言うんだけど……一つ、ひなちゃんに変えてほしいことがあるんだ。世間体として……」

「うん……? せ、世間体……ですか?」

「直球で言うと、その僕に対する呼び名を変えないとマズいんじゃないかなって……。い、一応、僕はひなちゃんの彼氏になったわけでしょ……?」

「う、うんっ! わ、わたしは翔おにいちゃんの彼女さんになりました……!」


 それはもう嬉しそうに瞳を輝かせながら、嬉しそうにそうアピールをする雛。

(か、可愛いすぎだよ……本当)

 なんて、早速のノロケが出てしまうのは仕方がないことだろう。


「それでだけど……そんな関係になったからこそ、今の呼び名はマズいんじゃないかなって……。現状だと、彼氏が彼女におにいちゃん呼びをさせてるってことだから、それが噂として流れるのはなんて言うか……」

「そ、それじゃあ……なんて呼べば……」

「ひなちゃんに任せるよ。僕が無理を言って変えてもらうわけだから」


「……うー、うぅ……。じゃあ……翔さんでお願いします……」

「うん。ありがとうね、

「ーーッ! な、ななな……っ!」


 微笑みを浮かべながら、翔も翔で『雛』と呼び名を変える。これは狙っていたわけでは無く、雛を考えてのこと。その考えは間違っていなかったのだろう、アワアワとしながらもどこか嬉しそうにしている。


「僕だけ呼び方を変えさせたら、絶対に『ずるい』って言うと思ったから。……嫌じゃなければ、このまま呼び続けたいんだけど……良いかな?」

「い、いやなわけないです……。す、凄く嬉しいです……。……し、翔さん」


 今の呼び名を呼ぶにも、慣れるにもかなりの時間はかかるだろう。しかし、その時間は間違いなく苦にはなることはない。


「……ありがとう。じゃ、もう時間だし帰ろっか」

 あれから時間は過ぎ、現在20時10分になった。寮生には門限がある関係でこれ以上の長居は出来ないのだ。


「えっ……。ま、まだしてないこと……ある……。そ、それをするまでは帰りたいくないよ……」

「し、してないこと……? そんなことある? 雛」

「もぅ……。し、翔さんはそこで待機しててっ!」

「え、あ、うん……」


 可愛らしく怒った雛は、翔を座らせたまま自分だけが立ち上がる。

 ベンチに座った翔と、立ち上がった雛の身長差は大してない。

 ……雛がどうしてもしたかったこと。それは、翔との身長差を埋めなければ出来ないことだった。


「し、翔さん……。う、動いちゃだめだよ……? そこから絶対に動いちゃだめだから……」

「……」

 一歩、また一歩近づきながらフリのような台詞を言い続ける雛。


「そ、そのまま……そのまま……」

 ーー距離は縮み、雛の小さい両手が翔の肩に置かれる。ゆっくりと顔を近付ける雛が翔に目を瞑らせようと声を発しようとした瞬間だった。


『ーーちゅ』

 月明かりに伸びた二人の影がゼロになる……。『動かないで』と言われ続けた翔が自ら動いたことによって……。


「んんっ!? んっ……ぁ、翔……さん……」

「さ、流石に分かったよ……。雛が何をしようとしてたのかくらい……」

「ぅ……うぅぅ……、な、なんでぇ翔さんはそんなことをするの……。こ、これだけはわたしからするはずだったのに……」

「さ、さて……。これで用も済んだことだし……か、帰ろっか」


 翔だってこんなことをして平気でいられるわけがない。何せこれが人生初のファーストキス……。

 初めての感触に、体験に……、たったの数秒しかしていないキスだが、雛に顔を合わせられないぐらいの羞恥が襲いかかってきた。


 これ以上はマズい……と、膝に手を起いて立ち上がるモーションを見せた翔ーーこれが、雛の行動を促進させてしまうなど、気付くはずもない……。


「翔さんっ! んっ……!」

「ーーッ!? んっ……。ひな……。……っ」

 唇を強引に押し付ける雛は、翔の後頭部に手を回して力を込める。

 そう、いきなりのキスから逃れようとする翔の逃げ道を完全に防いだのだ。


「……ちゅ、っ……んっ……。んぁ……ちゅっ……。翔、さん……」

 30秒……いや、1分近くにもなる長いキス。さっきのキスとは比べものにならないほどの時間に、翔の理性は崩れかける……。


「よ、よよよよ良し。……今日のところはこれで許してあげます……っ」

「ご、強引にって……」

「ぅ……。だ、だって翔さんが先を譲ってくれないから……!」


「じゃあさ……雛。もう一回する? また、雛からで良いからさ」

「えっ……も、もう一回……!? もう一回して……良いの?」

「冗談。雛はもう許してくれたみたいだから」

「なぁっ! じゃあ許してません……っ!」

「ダーメ」


 これ以上、雛からキスを受ければ、、、、、、、、、、理性が崩壊してしまう。そんなことは自分自身が一番分かっていた。

 雛に嫌なことをさせないためにも、ここは翔が自重するべきところなのだ。


 ーー優しい雛は、自分が嫌なことでも翔のために我慢してしまうことを知っていることだから……。


 翔はこれ以上雛にキスをされないためにも立ち上がって、彼女にゆっくりと向かい合う。


「雛……」

「は、はい……」

「……慣れないことがたくさんあるから、いろいろと迷惑をかけるとは思うけど、愛想尽かされないように頑張るからさ。これからもお願いします」

「あっ……う、うん。……こ、こちらこそ……末永く……お願い、します……」


 翔が小さく頭を下げたと同時に、雛は大きく頭を下げる。

 どれほどのお願いの強さかは、雛が頭を下げるには長い秒数……10秒したことで分かる。


 何故そこまで正確な時間が翔には分かったのか……。

 それはーー

『ちゅ』

 翔は雛が頭を上げたと同時にした、触れるだけの軽いキス。

 そう、翔は頭をすぐに上げて待っていたのだ。……雛も頭を上がる時……、キスを狙って。


「ま、また翔さんからしたぁ……」

「あははっ、ごめんね」


 お互いに初めてのお付き合い。


 行き当たりばったりな部分がどうしても出てくるであろう二人。だが、この先……沢山の子宝に恵まれながら幸せな家庭を築いていくのは、明るく優しい満月の光が証明していたのである……。




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