第29話 ある者の本性と遠ざかる距離

「じゃ、ちゃんとコートを返すんだよ? 今日はウチ用事あるから影ながら応援してるね」

「ありがとう桃華ちゃん。行ってくるね!」

「行ってらっしゃい。頑張りーな」

「う、うんっ!」

 と、桃華にエールを送られながら翔の元へ向かった雛だが、そこには予想だにしないことが待ち起こっていた……。


「ようやく来たね、泥棒猫」

 雛がいつも通りのルートでお花屋カフェに向かっていた時ーー。

 コンクリートに寄りかかり、大きなサングラスをかけた赤毛の女性が吐き捨てるかのようにして雛に声をかけてきたのだ。


「……っ。ど、どちら様ですか……? い、いきなり悪口なんて……」

「アンタの敵。見て分からない? まぁ分からなくても問題ないけど」


 剥き出しの敵意を浮かび上がらせ、サングラスを外すその相手……。隠された容姿が明らかになる。


「て、敵……? え……。れ、玲奈れいな……さん……」

「へぇ、私のこと知ってるんだ。まぁ別に、アンタに知られてても何も嬉しいことはないんだけど」

「……あ、あの……。わ、わたしに何か用……です?」


 雛は困惑していた。現在の状況を理解出来るわけもなく、雑誌で見たことのあるモデル。初対面の玲奈に敵視され、悪口を言われっぱなしなのだから……。


 有名人に会えたという驚きよりも、何故……なんて疑問が勝ったいた。


「ウッザ。とぼける気? ホントウザいんだけど」

「とぼけるって……」

「別にいいや。時間の無駄だから率直に言うけど、アンタ……私の、、翔くんを取ろうとしてるよね。恋人繋ぎまでして……恋人ぶって。正直、許せないんだけど」

「ど、どうしてそのことを……。そ、それに取ろうとしてるって……」


 当然とも呼べる雛の質問だが、激昂している玲奈の前では無視をされる対象。その発言の通り、玲奈はこの時間が無駄だと考えている。早急に終わらせたいのだ。


「これだけ言わせてもらうけど、アンタ邪魔なのよ。消えてくんない? 迷惑だから」

「……!」

 雛はこの瞬間、目を見開いて今の状況を理解する。

 過去の記憶を辿り合わせたことにより、思い出したことがあったのだ……。


 ====


『ただ、アタシが言うのもなんだけど、うちの息子は手強いから気を付けてね』


『確か、とあるモデルさんも翔を狙って来てたかしら……』


『なにやら同級生らしくって、よく足を運んでくれるのよ』


 ーー8年ぶりに再会した翔の母との会話。

 そこで話題に出たモデル。このモデルが玲奈を指していたことに。翔を狙う女性の一人だということに……。


 ====


「そ、そんなこと……あなたに言われる筋合いはないですっ!」


 理解したからこそ、雛は強気になる他なかった。相手がモデルとはいえ、ここで負けてしまえば翔と結ばれる可能性が限りなくゼロになる。

 想像もしたくない結果が見えて、翔を取られるかもしれないとの現実を見て、弱気になるわけにはいかない。


 しかし、この発言こそ雛の勢いを一瞬でストップさせてしまう原因でもある。


「……は? あるんだけど。あるからわざわざここにきたんだし」

「えっ……」

 ーー次に発された言葉は雛の息を止めるほどに衝撃的なもの。


「私、翔くんの彼女なんだけど」

「……ッ」

 雛の呼吸が止まる。動きが止まる。瞬きも忘れるほどに頭が真っ白になり、ただただ玲奈を見つめるしかない。


「彼氏に手を出そうとしてるメスが入れば止めに入るのは当然でしょ。アンタだってそうするよね?」

「っ、か、彼女…………。う、嘘です……! だ、だって翔おにいちゃんは彼女さんは居ないって……!」

「それいつの話? アンタみたいなヘナチョコを翔くんがからかってただけじゃないの? 第一、アンタみたいなのが私の彼氏を落とせるはずがないし、高望みしすぎだっての」


「そ、それはそうかもしれないけど……翔おにいちゃんがそんなことするはずがないもん……っ! こ、こんなことで翔おにいちゃんはからかったりはしないですっ!」

 雛の言う通り、翔はそんなことでからかったりなど絶対にしない。雛をヘナチョコだと思ったりもしていない。

 全てにおいて玲奈の虚言。翔を自らの物にするために……。


「あのさ。アンタ翔くんのことばっかり庇ってるようだけど、翔くんのことを思ってるんなら私達の前から消えなって。アンタは私達の仲を壊そうとしてる邪魔者でしかないのよ。それとも、モデルの私から翔くんを奪えるとか思ってんの?」

「……」

「まぁ……奪うようなら、ただじゃおかないけど」

「……っっ」


 光のない闇の瞳で睨む玲奈。視線を合わせただけで伝わる恐怖。……雛は完全に呑まれてしまっていた。

 そもそも、雛と玲奈の歳の差はハチ。成人している相手からこんな圧力をかけられて正常でいられるはずがない。


「アンタがいつどこで翔くんと出会ったのかは知らないけど、本当に迷惑でしかないから。翔くんもそう言ってたし。……いつも付きまとってきて迷惑だって。早く消えてくれないかなってね」

「……ぅ、っ……し、証拠は……証拠はあるんですか……!」

「そう言ってた証拠はないけど、私が翔くんの彼女だっていう証拠ならあるよ。残念ながら」


 勇気を振り絞った最後の抵抗……。それも、とある写真を見せられたことで打ち消された……。


 玲奈は翔の彼女でもなんでもない。しかし、この写真を見ればそう勘違いしてしまうほどの一枚。

 ーーそれが、翔の頰にキスをしている写真。


 全てはこんな状況で強気に出られるために。そして一番は相手の気持ちを簡単にへし折るために。

 先を見通していたからこその、キス写真だったのだ。


「これで分かったでしょ? アンタは私達の邪魔な存在ってことにさ。……あ、これは私が翔に渡しておいてあげるから安心してね」

 スマホからその写真を見せ終えた玲奈は、翔のコートが入った布袋を力いっぱいに奪う。


「……本当に、玲奈さんは翔おにいちゃんと付き合って…………」

「そういうこと。んじゃ、アンタは消ーえーて」

「……ぐすっ」

 この女性、玲奈が翔の彼女だと錯覚した雛の瞳には、じわじわと涙が溜まっていく……。


「負け組ちゃんは、そこでシクシク泣いてな? 彼女持ちの男に手を出そうとした罰だから、コレ」

 そんな台詞と共に玲奈は雛の肩をドンッ! と目一杯の力で押し、尻餅をつかせる……。

 ニヤリと上から見下ろす玲奈に、涙が頬から地面へ流れ落ちる雛。


「それじゃあ、グッバーイ。……その汚いツラ、もう二度と見せないでね。お願いだから」

「っ、……っ……、ぐすっ……」


 そうして……雛から奪った袋を意気揚々とゆらゆらと揺らしながら、お花屋カフェに向かう玲奈であった……。

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