side C 選択の余地
「じゃあ、ジャンケンしよっか? 右と左で半分こ、前と後ろの方がいい?」
イオの混乱に気を留めることなく、セリはリコに返事をする。
「え、え、えぇ……」
「イオ、ワタシの裸も全部見たでしょう? これでおあいこ」
セリはリコの泡をシャワーで流しながら、イオの耳元でクフフッと笑う。
仄かに赤みを帯びた柔らかな指先が、硬質なシャワーヘッドに妖しく絡みついている。
「いや、あのそういう、問題じゃなくて……」
「イオ、アンタ落ち込んでるかもしれないって、心配してたのよ? この子達」
ニュクスはイオの背に声をかけると、手にしたボトルに口をつける。
その赤ら顔を見れば、中身は推して知るべし。
「でも、不審者の濡れ衣(第四話参照)が解けて、良かったじゃなーいっ」
弄ばれているイオに視線を向け、アレサは揶揄うように宣った。
「ええ、ま、まあ…… そうですか。そうですねえ……」
イオはバスタオルも奪われると、すっかり抵抗する気力を失った。
「イオ、これなあに?」
不意にセリが尋ねる。
背中に伝うセリの指先の感触から、質問の意味を理解する。
「あ、それ、昔の事故の跡。まだ分かるかな?」
それはイオが十年前のビル火災事故で負った火傷の跡である。二十二世紀の再生治療により、普段は殆ど視認できないほど修復されているが、体温が上がると痕跡を露わにする。
当の本人もその存在を忘れる程度のものだ。
「へえ、そうなんだ。じゃあ大きいのはトドロキ大陸と名付けよう、小さいのはリコ大陸」
「ああ、セリずるーいっ! 自分だけおっきいの」
「分かった、分かった。じゃあこれも半分こ。小さいのはヒトにでもあげよう」
「あ、あの、人の背中を勝手に分割統治しないように……」
イオはそう言いかけて、ふと強い既視感に見舞われる。
事故のリハビリ中、弟達と交わした会話にそっくりだったからである。
小学校に上がる頃には、弟達は一緒にお風呂に入ることを躊躇するようになっていたが、入浴介助と称して無理矢理に背中を流させていたのだ。
こう書くと、割と酷い姉である。
――― こ、これが因果応報ってやつ? いや、あれは…… 私が一度盛大に風呂場で転んだ所為であって、弟達の愛の確認と言うか、その……
過去の行いを無理やり正当化するイオ。
無邪気に戯れているセリとリコ、振り向くとほろ酔いでご機嫌のニュクス、浴槽の縁に頬杖を突くアレサ。イオはそれぞれの顔を眺め、思いに耽る。
――― ああ、びっくりするくらい平和だ。どうして明日は平和じゃないんだろう?
「はぁ、明日どうなっちゃうんだろ。ワタシ達」
「残ったこと後悔してる? 鬼軍曹があんなに降りやすいよう、配慮してくれたのに」
溜息を吐くアレサ、浴槽の縁に溜まった水滴を突いて遊んでいる。
対するニュクスは空になったボトル越しにイオを眺めている。
明日からのヘパイストスの行動は、基本的には超研対の業務範囲外である。よって希望者には退艦命令が出ている。止むを得ず四名ほど整備クルーが退艦した。
イオは否応なく『当事者』とされたために選択の余地すらない。だが、そこは素直に受け入れた。相対する人類の脅威は変わらず、早いか遅いかの違いだけである。
そもそも危険は覚悟の上での職業選択であり、得体が知れない〔三番目のイレヴン〕の正体を突き止めるには、プライマリコアとの接触が不可欠だからだ。
セリとリコが「イオが落ち込んでいる」と心配していたのは、正にイオには「選択の余地がない」ことであり、それはナーヴス達とて同様だからである。
つまり、ナーヴス達も課せられた使命に、何らかの憂いを持っているのだ。
プライマリコアとの接触を断念すれば、〔一番目のイレヴン〕は襲ってこない。但し、世界中の高位演算思考体は掌握されたままであり、人類はメタストラクチャーに成す術がない。
〔一番目のイレヴン〕に対抗をするためにはプライマリコアとの接触が必要となる。
ヘパイストスのクルー全員に共有された認識である。
「あの人が残るって言うんだもん、ワタシだけ降りられない」
アレサはイオを一瞥した後、その言葉を囁くように口にする。
「へえ、あの人って誰?」
「ひみつっ!」
「はーん、じゃ、この後よろしくするんだ」
「あはは、まだそんなんじゃないわ。でも名案かも」
成すがままに洗われながら、イオは浴槽の二人の会話に聞き耳を立てている。
――― 私、そっちの方はご無沙汰だなあ。そんなこと考えている場合じゃないけど。私にとってヘパイストスはマグロ漁船だから。
と、イオがマグロを連想したところで、セリがとんでもないことを口走る。
「こんなに楽しいんだったら、ヒトも誘えば良かったーん」
「「それはダメだよセリッ!」」
セリを除く一同。
***
〔三番目のイレヴン〕は自らとへピイATiが連携することで、〔一番目のイレヴン〕の主要機動兵器と予想されるAMD176ベースの自律アーメイドに対抗を提案。
予想戦力差を考慮し、一号機セリ、三号機リコはヘパイストスの護衛に専念。二号機アーメイドプラスのヒトは遊撃に回る。
本来であれば、相手がメタストラクチャーではないため分析官は必要としないが、二号機には〔三番目のイレヴン〕の搭乗も提案された。
アーメイドプラスはヘパイストス搭載アーメイドの中では最大の機動力を誇るが、対シュペール・ラグナ、即ち艦船相手となると攻撃力、防御力、持久力に欠け、残存確率は決して高くない。
だが、〔一番目のイレヴン〕を欺くため敢えての選択が成された。最悪の場合、二号機単独でアストレアとの接触を図る。つまり、ヘパイストスを囮にするという意味だ。
〔三番目のイレヴン〕は二号機を直接支援することで残存確率を嵩上げする。結果としてイオも二号機に搭乗することになる。
イ重力制御エンジンの先端に煌めく六つの光輪。海面に映り込むそれが目立つのは、まだ辺りは暗く、夜明けは始まったばかりだからだ。
ヘイパイストスは一路八丈島に艦首を向け、海上高さ十メートルほどの低空を時速三百キロメートルほどで巡行している。
高度を上げないのは海中からの襲撃可能性が低いからであり、相手はヘパイストスと同型発展型、イカロス・インダストリー製の強襲揚陸艦シュペール・ラグナだからだ。
左舷の遠空に明るさが増し、少しづつ夜闇は退き始めた。
このまま進めばあと三十分もかからないうちに目的地に着く。
―――とうとう、朝になってしまった。
二号機アーメイドプラスのコクピットの中、増設されたガンナープラグに繋がったイオはただ押し黙って待機するほかなかった。
前席のヒトが黙ったままなのは普段通りだが、今回は異重力分析官としての仕事がない上に知覚共有も行う予定もない。
行動を開始すれば〔三番目のイレヴン〕が仕事をするだけである。
――― ずっとすることがない。そわそわして落ち着かない。疑問は何も解決していない。
聞き慣れたイ重力制御エンジンの稼働音が、酷く煩わしく聞こえる。
――― 無性に居心地が悪い。何の役にも立てないのに私はアーメイドに乗っている。ヘパイストスが囮とはどういうことなのか。
昨日とは打って変わり、強い無力感に捉われていた。
正に事態の中心に居るのに、イオ自身は何をすることも求められていない。
——— これではただの容れ物ではないか。何故、私なのか……
と、その時、珍しくヒトが口を開く。
「イオ」
「?……え」
不意に声をかけられ、少し慌てる。
胸のNDポートに強引に取り付けられたガンナープラグが「カシャンッ」と小さな音を立てる。
イオはずっと俯いていたのである。
「セリと、リコが」
「え、え、なに? ど、どうかした?」
指で目尻を拭う。すると、少しだけ指先が濡れていた。
泣きそうだったのがバレるのは癪に触る。急いで平静を装った。
「お風呂、また一緒に入ろう。伝えてって」
「あ、あはは、昨日のことね」
「随分、気に入られたんだ」
ヒトの言葉は相変わらず抑揚がないので、会話の先が読み取れない。
「いや、まあ、その、オモチャにされただけのような……」
と、イオは昨日のお風呂でのことを思い出す。
あんなこととか、こんなこととか。 ※もちろん割愛
「良かった」
「え、えっ、なに? なにがいいって?」
ヒトは再び貝のように押し黙り、イオは半端に終わった会話に困惑する。
ふと気がつくと、先の無力感は何処かへ飛んでしまっていた。
――― ちぇっ、マグロめ。どういう風の吹き回しだ。
イオは前席を左足でほんの少しだけ小突いた。
***
先に姿を現したのはシュペール・ラグナの方だった。高度一万メートル上空の雲間から顔を出しているのが目視できる。ほぼヘパイストスの真上だ。
ジャミング—— 欺瞞波電子妨害の所為でレーダー類は役に立たない。ヘパイストスは〔三番目のイレヴン〕の提案の通り行動を開始する。
アーメイド一号機と三号機を先に出し、艦から百メートル離れずに護衛させる。続いて、アーメイド用とは別の全ての思考装甲十二枚を艦の周囲に展開。高速旋回する思考装甲の輪が二重となってヘパイストスに付き従った。
へピイATiが持つデータベースを通して〔三番目のイレヴン〕が予測したシュペール・ラグナの自律行動アーメイド投入数は四機である。
これはパーツサプライヤからイカロス・インダストリーに納入される部品調達履歴を追跡した上で、シュペール・ラグナの公開諸元から推測されるアーメイド運用能力、ヘパイストス襲撃後の彼らの行動予測を加味して予測したものである。
アーメイドそのものの製造履歴を参照しない理由は、組み立てを全てロボットが行うため、幾らでも改ざんが可能だからだ。
アストレアが出現すればさらに四機追加が見込まれ、シュペール・ラグナ内には自律アーメイドがヘパイストスの倍、最大十機の搭載が可能と予測している。
「しっかしよくもまあ、こんなにイナロクを調達できたよねえ、どんな手を使ったんだ?」
「オカシイと思ったんだよネ、変に他所の入れ替えが進んでナイから……」
ヒライとエドはシュペール・ラグナの戦力予測を見ながら感心している。
因みにイナロクとは、ヒトも乗るAMD176アーメイドプラスのことだ。
「ウチのやつは、言ってみりゃロールアウト直前の広報モデル。よくそんなレアなもの調達できたよねえっ! エドちゃんっ!」
ヒライは口角を吊り上げ、隣の席に座席ごとスライド。バンッとエドの肩を叩く。
すると、エドは何故か小声で返答する。
「チョ、ちょっとヒライさん、ソノ、その話はココでは……」
大柄な彼が妙に縮こまっているのは、表沙汰になると困る話題だからだ。
「エドは趣味と実益兼ねてるもんねえ、だーれかさんと一緒だけどっ」
「誰かって誰だよ。俺しかいねーじゃん」
アレサが不貞腐れているのは、ジャミングに仕事をほとんど取り上げられたからだ。
ヘパイストスに限らず、超研対の艦船はメタストラクチャー対応に特化したため電子戦は不得手である。おまけに頼りの偵察ドローンも早々と落とされた。
「エド・ブルーワー兵装統制官、その話、事が済んだらゆっくり聞かせてもらおうか」
クライトンは音も無く背後に立つ。
右肩を掴まれ、ジワリと力を加えられるエド。
「ヒィーッ!」
「でも逆に、世界を支配する戦力としては控えめな気がするけど、こんなもの?」
アレサが首を傾げているのは、同じ戦力予測を見ての感想である。
「今の世の中全部、人間はATiがすることを承認するだけ。つまりその気にさえなりゃ、いつでも人間を締め出せるのさ。大袈裟な武器は要らないのよ、奴らは待つことを苦にしないんだから」
ヒライは座席を後ろに引き、エドの向こう側のアレサに丁寧に返す。
いつもの三名のお喋りに少しだけ付き合うクライトン。
「世界を支配する、彼らはそんな俗なことは望んでいない。邪魔者を排除したいだけだ」
やがて、ヘパイストスの上空一万メートルの高度から、シュペール・ラグナは紅く染まった自律アーメイドを四機、次々と夜明けの空へと放つ。
そして、猛禽類が獲物を狙う機会を伺うように、旋回待機を始めた。
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