side C 許せリコ、人身御供だ

 メタストラクチャーに対応したため、一時ヨコスカ基地に帰還するヘパイストス。

 食堂に集うアーメイドチーム、そしてアレサ哨戒管理官。


「えっプールなんて有るんですか? ここ」

「基地にそんな浮かれたものはないけど、近くのホテルにはあるのよ」


 目を丸くしたイオに、アレサは満面の笑みで返す。

 基地職員の利用は半額とのこと。ナーヴスは勤務二年目で同伴者が居れば基地外への外出が許される。実はイオが着任前に利用しようとして、余りのお値段に断念したホテルである。


「ここ、エグゼクティブしか使わないホテルだからっ、行くに決まってるでしょっ!」


 一気に捲し立てるアレサ。やや興奮気味で鼻息が荒い。

 エグゼクティブ…… ここで彼女の言う意味とは、要するに『セレブ』である。


「ヒト、アナタも来るのよ」


 セリはその妖艶な口元をさらに妖しく吊り上げる。命令口調だ。

 そして、リコの首に背後から両腕を回す。


「あら、お姉さんの言う事が聞けないの? アナタの可愛い妹が寂しいって」

「いもうと?」


 リコはキョトンとして、目の前のヒトと背後のセリを見比べる。


「わかった」


 ヒトは一考した後、了承する。


 ――― えぇっ、行くのっ?


「じゃ、じゃあ皆さん、楽しんでらし……


と、席を立とうとするが、今度はイオが背後から羽交い締めにされる。

ニュクスはドスの効いた声で耳元に囁いた。


「パートナーが来るんだから、アンタも来なよ」

「え、え、え、って、ちょっとま、本気っ?」


 助けてもらおうと辺りを見回すが、先まで居たはずのエリックの姿がない。


「お、おじさんの役立たず……」




***




 超研対ヨコスカ基地を後にし、ナイトプールに繰り出したヘパイストス御一行六名。ヒトはたった一人男の子だが、それを気にする様子は全くない。

 エグゼクティブ御用達のプールだが、基地の職員らしき顔も見える。学生など大声で騒ぐ若者の姿は皆無だ。総じて落ち着いた大人の空間である。


 イオは流石に水着は断った。

 だが、着替え終わった四人の姿を見て大いに凹む。


 セリとリコはレーシングバックのシンプルな競泳用だが、防水OEL繊維の動くグラフィックが水着に夏を映し出す。セリは果実でリコは金魚である。

 緩急折り重なったカーヴを描く見事なトルソー、すらりと伸びる白い四肢。対する小さな身体に併せ持つ少女の可憐さ、溢れ出ることが止まない瑞々しさ。

 セリの美しさは言うまでもないが、リコの愛くるしさも引けを取らない。


 ニュクスは胸元にレースのシースルーが入ったホルターネックの黒ワンピース。

 大人の意匠と豊かなバストの透け感がマッチョボディに良く映える。

 アレサも動くグラフィックが華やかなフレアビキニ。

 インパチェンスや向日葵、夏を彩る花々が音楽に合わせて切り替わる。


 ――― 私は売店の売り子か……


 対するイオは黄色い無地のTシャツにデニムのショーパン。

 電子制御ダンパーを内蔵したアシスト付き下肢装具は、遠目で見れば凝った柄のストッキングと変わらないので外していない。

 実はお洒落なメーカーロゴが飾る自慢のそれを見せびらかしたいイオである。


 リコは辺りを何度も見渡し、やけに視線が落ち着かない。

 水着姿が恥ずかしいのかと思いきや、実はヒトの姿を探しているのだ。


 ――― ははーん、水着を見せたいんだ。実に可愛い。キミはそうでなくっちゃ!


 イオは心の中でサムズアップ。


 昼間はフィットネスジムが使っている大プールは五十メートルはある。

 南側の壁面と天井の半分がほぼ窓。満天の星空を臨む空間は開放感に溢れ、ライトアップされたヤシの木とラウンジのネオン、気の利いたEDMがリゾート感を盛り上げる。

 ビーチチェアに荷物を置くと、セリとニュクスは一目散にプールに駆けて飛び込んだ。

 歓声と共に高く上がる水飛沫、アレサも続いて後を追う。

 二人は変わらず仲が良い。先の諍いは早くも片づいた様子だ。


 ――― 昼間は出動だったのに、なんでそんなに元気なんだろう?


 はしゃぐ彼女達を見て、イオはそう思わずにはいられない。

 欠伸が出て少し眠む気。昨夜は昨夜で大して眠れなかったことを思い出す。

 何故に私はブリッジ前を歩き、食堂で目を覚ましたのか——

 と、ぼんやり考えていると、先の上機嫌がすっかり消えたアレサが戻る。


「ぐぬぬ、あの二人、目立ち過ぎだろ、ど畜生……」


 その容姿に似合わない汚い言葉。

 どうやらアレサは周囲の反応がお気に召さないらしい。

 だが、


「こんなこともあろうかと、セリに頼んでリコを拉致っといて正解だったわ」

「アレサ、なに?」


 アレサは状況をよく理解してないリコの手を掴む。

 要するに客寄せパンダである。


 ――― 成る程、そのためにヒトまで誘ったのか……


 ヒトが居ればリコは絶対に断らない。

 リコも行くならヒトは十中八九断らない。

 ならばと、セリ達は『先に』ヒトを誘ったのである。


「え、ええーっ? あのっ」


 もちろんリコは困惑しているが、それはヒトを見つけらないためである。

 流石にイオは気が咎める。


「ナーヴス、あんまり外の人と関わらせちゃダメじゃないの? それにリコは未成……

「目立てばいーのっ、リコは半分幼女だからっ、ここの人達はリコは対象外だよっ!」

「は、半分幼女って…」

「はんぶん、ようじょって、なに?」


 リコは小首を傾げながら、罪深いワードを口にする。


 ――― キミ、それ知らなくていいからっ!


「じゃ、イオも来る?」

「ええっ、それは、その……」

「なあに、いざとなったら、ヒトを呼ぶからヘーキヘーキ!」


 焦るイオを尻目に得意満面のアレサ、強引にリコを引き摺っていく。

 もちろんセリとニュクスが遊んでいる場所とは違う方向へ。

 ふと研修で教わったことを思い出す。


 ――― ナーヴスの並外れた動体視力と身体能力なら、並の一般人では太刀打ちできない。そもそも莫大な予算が掛けられた彼らだ。要人警護用と同じ護衛ドローンが隠れて張り付いている。心配が必要なのはアレサ哨戒管理官の方だろう。


「許せリコ、人身御供だ……」


 イオ、何気にヒドい。




 二人を見送った後、イオはビーチチェアにやれやれと腰を下ろす。


 ――― 身体能力と言えば、軽量級のボクサーみたいな身体だったなあ。


 と、ヒトの全裸を思い出す。

 何しろ三回も確認したので、脳裏に焼き付いているのは言うまでもない。


「イオ、何を惚けているの? よだれ出てる」


 一息入れに戻ってきたセリである。

 イオの右隣に腰を下ろすと、水に濡れた白い脚が下肢装具に触れる。

 装具のセンサーは持ち主にその感触を正直に伝えた。


「え、え、何でもないよ! あははは、や、やだなあっ」


 全力で恥ずかしい妄想を打ち消し、急いで口元を拭う。


「イオ、遊ばないの?」


 濡れた髪が纏わりついた顔は妖艶さを増し、僅かに左に傾けてイオを覗き込んでいる。

 遅れて戻ったニュクスも三人分のドリンクを抱え、チェアの反対側に腰を下ろした。

 流石に三人は重いのか、ビーチチェアは不満げに軋み音を立てる。


「やっぱり不味かった? 除け者にしたくないし、浸かるぐらいなら平気かなって」


 ニュクスはドリンクをイオとセリに手渡す。

 セリだけ色が違うのはノンアルコールだからである。


「えっ、あ、いや、学生時代はずっと見学してたと言うか、これ幸いと言うか……」

「ん、これ幸い?」


 イオは事故に遭う前から『浮き輪が要る人』。

 もちろん恥ずかしくて言えない。


「……脚、気にしてるの?」


 セリの白魚のような指が、イオの右腿にそっと触れる。

 下肢装具の縁に沿わせながら、装具ではない柔らかい部分を優しく指で押し下げた。


「え……」

「あ、この子ね、馴れると見境いなく触りたがるから、嫌ならイヤって言ってね」

「え、あー、うーん……」


 セリは美しい顔のまま、眉をハの字にしてイオをさらに覗き込む。

 切れ長の目に透き通る虹彩の瞳、仄かに上気した頰、果実のようにぽってり紅い唇。

 焦るしかないイオ。動揺。動揺。


「い、いや、別に、その、女の子だし……」


 そう言った瞬間、セリはイオの両腿に薄い身体をペタンと折ってしがみつく。

 はしゃぐセリの濡れて冷えた水着、見た目よりふくよかな胸。


「やたっ!」

「え…… っと、あの、その、えぇ……」


 セリに嫌われてないことが判明したものの、言語化できない奇妙な気分に苛まれる。

 本来イオはべたべたする側で、その被害者は弟達だったからである。


 ドリンクを飲み干したセリとニュクス、再びプールへと駆け出した。

 ありがとね、とセリの小さな囁きが聞こえたから、悪い気分にはなれそうもない。

 既視感? と考えて、猫のそれだと気がついた。


 ――― ところで、ヒトはどこだ?




***




 一方、ヘパイストスブリッジにて、残業中の男性陣。

 いつものヒライ機関統制官、エド兵装統制官。あと、何故かエリック。


「ゥァアアアアァァァァァーンッ!」

「うるせえよエドっ!」


 ヒライ、本日五回目の怒声である。


「ミ、ミーもプール行きたかったナリーッ、リッゴヂャーンッ!」

「予想した通りの展開……」


 苦笑いのエリックだが、実はアレサの席に座らされているのだ。

 ブリッジの前列三席、入口から見て右からヒライ、中エド、左がアレサの席である。


「静かに大人のトークしようと思ってたのによう! うるさくてかなわん」

「あはは、僕もあの子達を上手く躱したと思ったら、仕事を押しつけられちゃって」

「艦長も、クライトン女史も、アレサもいねーんだぜ? 羽根伸ばそうよ」


 エリックは背を丸めて端末に向かうが、時々慣れない指先を宙に泳がせている。

 すると、ヒライは鍵付きの引き出しから小さな酒瓶と紙コップを取り出す。

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「クスン、しょうがないナリ、アレサ工作員からの秘密のフォトメを待つナリ……」


 テーテーッ、テケテ、テッテーッ♪ と着信音。※惑星大戦争のテーマ


「キタッ」

「ちょっ、おいっ、待てっ!」


 早々と離席し、エドのカード型モバイル端末を覗き込む他二名。

 しーん。一瞬静まり返る一同。


「んぉほおおおおぉぉぉぉぉっ!」

「リッコチャーンッ、ベェリィーッキューッッ!」




 席に戻ったエリック。やれやれという顔をする。


「そう言えば今回、へピイATiは珍しく『イカくん』とか色々外しましたよねえ」

「我々のシミュレーションも同じ結果でプランを承認したんだから『我々も』だよ」


 ヒライは酒瓶の中身を紙コップに注ぎ、次にツマミの『いかくん』を取り出す。

 こちらも空いた紙コップに開ける。いかくんの匂いに満たされるブリッジ。


「いやまあ、久しぶりにウチから思考装甲を買ってくれるんだから、毎度アリなんですが」

「あー、やだやだ。人類の平和を守る公務員の中にセールスマンが居るよ」


 エリックの出向元であるイ重研は、元は超研対への兵器供給を担うイカロス・インダストリーの研究機関であり、現在も人・組織共に協力関係が続いている。

 つまりエリックが言う『ウチ』とはイカロス・インダストリーを指し、思考装甲の調達先は同社以外にも存在することを意味する。


「ヘパイストスは他に比べて、しみったれな方だから、こんな時こそ頂かないと」

「それ、優秀ってことだろ」

「そうそう、優秀な公務員に、優秀なサラリーマンッ!」

「ゼニカンジョウしてるうちは立派な経済活動ネ、ウォーマシンじゃないヨッ!」


 自ら頂くいかくんを確保し、ぶつぶつ呟きながら席に戻るエド。

 ヒライはいかくんを咀嚼する音を隠さない。女性陣が居ないからお構いなしだ。


「奴らがやって来た時、こんな悠長なこと言ってる場合じゃなかったけどなあ」


 ヒライは酔いが少し回り始める。


「ところで銭勘定って死語ですね、今二十二世紀なんですが」

「しみったれはもっと死語だよ、出向者が出向先に対してケチだなんて酷いよなあ」


 そして、暑苦しい男どもの夜は更けていくのである。

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