第五話 隠されていたもの

side A Hidden things.

 イオはプールエリア内をしばらく探し回って、ようやくヒトを見つける。

 ヒトはラウンジ横の壁の隅にもたれ掛かり、ドリンク片手に突っ立っていた。特にこれといった表情はしていないが、さすがに超研対の制服は場に沿わないので着替えている。

 黄色の長袖Tシャツにデニムのハーフパンツ、サンダルである。


 ――― レンタルだと思うけど、誰が選んだんだろう? なんで長袖?


 よく見るとヒトの右手の袖から、包帯がほんの少し覗いている。

 ああ、成る程、と納得。


「やあ、お揃いだねえ、その黄色っ!」


 ――― 私、もっと小洒落た台詞くらいあるだろう? おばさんみたい。


 イオは声をかけてから、己れの言葉のチョイスに落胆する。

 プールエリアに流れるリバーブの効いたEDMが耳につく。間が開いているのだ。


 すると、二人の横を際どいビキニの女性が通り過ぎ、ラウンジの端末でドリンクを注文する。

 ハイビスカスの髪飾りと派手なアクセサリーの所為で、イオにはそれがアニメキャラのコスプレに見える。横から見るとほぼ裸だ。


 元々積極的に海やプールには行かないイオにしてみれば、ナイトプールなど端末ライブラリの中の話でしかなく、見るもの全てが珍しいのである。

 ふと思いついて口を開く。


「うわあ、今の凄くない? ……って」


 男の子が大好きなタイサイド、とイオは話を振ってみた。

 結果、ヒトは無反応である。


 ――― うーむ、セリやリコなんかと一緒に居ると一般人は眼中にないのかな?


 イオが考え耽っていると、ヒトはイオに向いて視線を落とした。


「それ、見せても平気?」


 ヒトは短く呟く。イオの右脚の下肢装具のことだ。


「えっ、これ? 平気平気。気に入ってるし、高かったから見せびらかしたいくらい」


 慌てて返事をする。現にイオは下肢装具を見せびらかしている。ヒトがもたれ掛かっている壁に手を突き、踏ん張って右脚を持ち上げてみせる。

 淡いブロンズカラーのそれは腿から足の甲まで、ぴったりと主人に寄り添っている。ヘアライン加工が施された表面に映り込んでいるのはラウンジのネオンだ。


「昔ね、事故に遭っちゃって、少し麻痺が残っちゃったんだけどね」


 ヒトは「ふーん」とばかりに会話が続かない。

 イオはお返しにヒトの右腕のことを聞きたいが、やっぱり怖くて聞けない。だが、弟達と一つしか歳が変わらないヒトとなんとしてでも打ち解けたい。

 しばらくの葛藤の後、イオは己れを奮い立たせる。


「私、双子の弟が居て、事故の時は小さかったんだけど、一生懸命支えてくれたの。おねえちゃん、おねえちゃんって」


 イオはぽつぽつと話し出す。

 セリと打ち解けたことが背中を押したかもしれない。


「お父さん、お母さんも亡くして、三人とも辛かったんだけど、お陰で頑張れたの。もちろん一番苦労かけたのは、叔父さん夫婦だけど」


 ヒトはイオの下肢装具と杖に視線を送る。


「だからその、この脚は正直面倒だけどね。弟達も真っ直ぐ育ってくれたし、私も頑張れたし、大事な絆だと思ってるから隠したくないの」


 ヒトは一瞬だけ眉を顰め、淡いブラウンの澄んだ瞳に暗鬱な感情の火が灯る。

 イオはそれに気づかない。気持ちが昂ぶると喉から言葉が溢れて止まらない。


「だから、私にとって、この脚も弟達もすっごく大事なの。それでその、私、やっぱりヒト君とも上手く……」

「ボクは、ボクの兄弟を、この右手で『撃ち殺した』」

「え……」


 ヒトは右の長袖を捲り上げ、包帯だらけの腕をイオの目の前に掲げてみせた。


「知りたいのは、これのことだろう?」


 ヒトは何物にも染まらない、どす黒い何かを露わにする。




「ごめん、言い過ぎた。キミには関係ないことだ」


 ヒトはイオをその場に置いて、足早に立ち去った。もちろん振り向いたりはしない。

 イオは言葉を失なったままだ。


 ――― え、なんで? 意味が分からない。情けない、悔しい、酷く悲しい。


 空気のように満たされていたEDMが全く耳に届かなくなる。

 煌びやかなネオンも、客達の歓声も、全てが遠い彼方へ消え去ってしまった。

 イオはただ茫然と立ちすくむしかない。


 ――― 今はこの場にしゃがみこんで、顔を覆って十分だけ泣こう。




***




 ヘパイストス艦長室。アンダーソン艦長は入口に背を向けてデスクに座る。

 艦長室右側には古い書籍が並んだ書棚、左側にはクローゼットとカーテンで遮られたベッドがある。書棚の前に置かれた椅子には、クライトン副艦長が手を膝の上で組んで座っている。


 デスク上にはあまり新しいとは言えないデスク端末。ディスプレイは斜めに彼に向けられていて、クライトンからは見えない。そしてそれに映るのは、アダム・ブレインズである。


 アンダーソンは各国のメタストラクチャーとの交戦データ、そしてアーメイドの更新履歴や分析官登録スケジュールなどを見比べながら、端末の向こうのブレインズに話しかけている。


「何故こうも、奴らとは一進一退、状況が釣り合うのかな」


 アンダーソンは強い口調で問いかけた。いわゆる『膠着状態』が何年も続いていることに、疑問を呈しているのである。


「奴らの都合が分からないのはしょうがないが、我々もそれに合わせて進歩を小出しにしているとしか思えない。データがそう言っている」

『我々は我々のホストATiの提案を協議した上で、できることをやっているだけだよ』


 ブレインズは端末のディスプレイの中で淡々と返す。


「先代の第二世代アーメイド、現行の第三世代の登場が予告された時と、今回の第四世代、アーメイドプラスとでは状況が余りにも酷似している。このまま行けば、奴らは一ヶ月以内にまた大きく手を変えてくる」


 アンダーソンは少し苛立ち始め、指先で端末をこつこつと叩く。

 ブレインズは相手の機嫌に気を遣う様子は見られない。


『小出しにしている、と言うのは確かに間違ってはいないがね。エプシロンもイ重研も大元は一企業に過ぎないし、メタストラクチャー対策は世界から委任を受けて代行している立場だ。我々のテクノロジーを何処か一国に偏って吐き出す訳にはいかない。ま、お互い『牽制』はしているよ』


 ブレインズは「ふぅっ」と溜息ともつかない息を吐く。

 アンダーソンの表情は硬いままである。


「それにメタストラクチャー、超常知性構造体の巣がいまだに特定できないのも腑に落ちない。エプシロンは本当は知っているんじゃないのかね」

『超常知性構造体を密かに観測していたナノマシン開発企業タウDは、トーキョーロストの責を負って『例の計画』もろとも解体されてしまった。今となっては痕跡の追いようがないが、裏でエプシロンのリソースが入っていたのは内々で確認が取れた。我々もそれは疑っている』


 アンダーソンは僅かに語気が荒くなっている。

 対してブレインズは一貫して眉ひとつ動かさない。

 しばらくの沈黙。


「トーキョーロスト、そして……例の『フューズド計画』。本当に終わったと思うかね」


 忌々しくその名を口にしたアンダーソンは、何かを諦めたかのように問いかける。


『人類は演算思考体の可能性に大きな縛りを課した。自分達には扱い切れない過ぎたものとして。それが二十年経っても、超常の存在に脅かされるようになっても、頑なに守られている。禁忌を破る気がない以上は、終わったとしか言いようがない』


 ブレインズはネクタイを緩めながら、変わらぬ口調で語り続ける。


『君も僕も若くないのだから、本当に終わったかどうかは若い人達が決めることだ』

「我々は『老兵』かね?」


 アンダーソンは自嘲気味に尋ねる。

 ブレインズは一瞬だけ考える。


『ただ消え去ってしまうのは無責任だが、友人として忠告するなら潮時と言っておく』

「久しぶりに話せて良かったよ。せっかくだが、記録に残せないな、これ」


 ブレインズは最後の最後で、口角を僅かに吊り上げたかのように見えた。




***




 イオはプールエリアの外の化粧室で顔を洗う。

 十分のつもりが三十分近く経っていた。鏡を覗き込むと目も鼻も真っ赤だ。軽く唇に色を付けるくらいで化粧はしない方だから、メイクで隠そうにも手持ちがない。


 メールを入れて先に帰ろう、そう決めてイオは化粧室を出ると、プールエリアへと続く通路で声をかけられた。振り向くと見知らぬ二人の男達。匂いと顔の様子から酔っているのが分かる。


 ――― 高い天井、豪華な照明、ふかふかのカーペット。ヘパイストスとは全然違う高級ホテルで、私は一体何をしているのだろう?


 イオはぼんやりと考える。


「ちょっとキミ、彼氏と喧嘩かい? どうしたの」


 ヒトと離れてしゃがみこんだ辺りから、男達は様子を伺っていたのである。

 不覚、とイオは自らの隙を悔やんだ。


「え、えーと、別に、彼氏じゃないんで……」


 イオはそう口にするも喉元で引っかかって上手く声が出ない。


 ――― 頭が今一しゃきっとしない。今日は一体どういう日なんだ。良いことと悪いことが両極端で酷く疲れた。おまけに眠くなってきた。全く以って面倒だ。


 イオは再びぼんやり考える。


「それじゃ、僕たちと飲み直さない? 外で楽しいお店知ってるんだ」


 男達の格好は場所柄に違和感がないものだが、あまり誠実な印象は受けない。その口調からイオは何となく基地の外の人だと思った。


「あの、そういうの、間に合ってますんで……」

「いやいや、このまま帰っても面白くないでしょ? 車で来てるし、ちゃんと送るよ」


 ――― これは不味い。ナンパは初めてではないが、今はとてもそんな気分ではない。


 イオは頭のスイッチを急いで入れ直す。

 すると、男に左側から腰に手を回され、もう一人に杖を取り上げられてしまった。


「えっ、あっ、ちょっとっ!」


 下肢装具を全固定モードのフルロック。力の限り抗ってみたものの、体育会系らしく絡まった腕はびくもしない。対する男達は思いのほか抵抗されてムキになってしまったようだ。


「ねえっ、いいじゃん、僕らそんなに悪いやつらじゃないってっ!」


「「イオッ!」」


 その時、何処かからイオの名を呼ぶ声がした。聞き覚えがある鈴鳴りの声である。


「なに、やってるのっ、イオをはなしてっ!」


 ――― え、え? どこ? どこどこ?


 イオは辺りを見回して、ふと視線を落とすと、水着の上に白いパーカーを羽織ったリコだ。


「ちょっとっ! その杖もかえしてっ!」

「えっ、えっ、小学生? え? 何処から来たの?」


 ――― あ、今、さらっと酷いこと言った。


 イオは自らが置かれた状況から乖離して、どこか冷静だ。

 対するリコは、顔を真っ赤にして怒っている。


「んもうっ、イオの杖っ! かえしてったらっ!」


 リコは杖に手を伸ばすも、もう一人の男はリコから逃げるように杖を頭上に振り上げる。

 ピョン、ピョン、ピョン……と、いくら飛んでもリコは杖には届かない。


 ――― あっちゃー……その発想はなかった。


 そうイオが思った瞬間、リコの向こう側から全速力で向かって来るヒトが見えた。


「リコ、後ろに下がれ」


 ヒトはそう口にすると、壁の僅かな突起を蹴って高く飛び上がり、もう一人の男が持つ杖を奪う。そしてイオと男の頭上を飛び越え、後ろの床に一回転して着地した。


「は、はい?」


 リコを含め、目の前で起こったことに理解が追いつかないイオと二人の男達。


「お、お、おいっ、て、てめえっ!」


 男が頭に血が登って声を荒げたと同時に、ヒトは手にした杖の先端を頭上に向ける。


「これ、端末ライブラリで観たことくらい、あるよね」


 光学迷彩を解いて姿を現したのは、イ重研製ナーヴス専用の護衛ドローンである。ベンタブラックで塗られたそれは、まるで宙空にぽっかりと穴が空いたように見える。

 ヒトの頭上、五十センチくらいの位置で音もなく静止し、小さな赤い起動ランプがこの上なく邪悪な存在に見せている。


「キミたちは、テロリストに見えないから、銃撃はできない、けど」


 ヒトは抑揚のない口調で言葉を発する。

 言葉を失う男達。


 と、そこへ……


「はーい、そこまで。そこの二人っ、このまま大人しく帰ってくれると嬉しいな」


 ニュクスは水着のまま、ポキポキと指を鳴らしながら現れた。肩の筋肉がパンパンに張っている。その姿はまるで格ゲーのキャラのようだ。

 後ろにはリコとお揃いのパーカーを着たセリが手を振っている。


「お、おい、あれって昔、例の店を一人でぶっ壊したヤツじゃねえの?」

「きょ、狂犬ニュク……」

「おいっ、変な二つ名で呼ぶなっ! レディーに対して失礼だな」


 ――― は? 店をぶっ壊した? 狂犬? これって映画の中の話?


 不穏なワードがイオの頭の中でくるくる回る。


「は、は、あははは、し、失礼しましたはーっ」


 男達はイオを解放し、走って非常階段へと消えていった。あの調子だと、すっかり酔いは醒めてしまっただろう。そして、あまりの出来事の連続に、イオはその場でへたり込む。


「イオ、ねえ、大丈夫? ねえ?」

「イオ、ねえ、大丈夫? ねえ?」


 リコとセリ、ハモってイオに駆け寄った。

 ヒトは二人の後ろに立って、イオを見降ろしている。だが、通路の照明が逆光になって、イオにはその顔が見えない。


「災難だったわね。どうしちゃったの? イオ、捜したのよ?」

「う、うん、大丈夫。ごめんなさい。なんでもない、大したことない、です…」


 イオの意識が朦朧とし始める。言葉がおぼつかない。瞼に重りが付いたように重い。


「アンタがそう言うなら、それでもいいんだけどさ。それとヒト。ドローンなんか表に出して、ここも出禁になったらどうするの?」

「言いつけ通り、誰も傷つけて、ない」

「いやまあ、そうだけどさあ……」

「……」「……」


 イオは再び睡魔に襲われ、皆の声がどんどん遠くなっていく。


 イオ、暗転。

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