side B ヒトとリコ
「ここに居て良かったんでしょうか? 恐らく気がついていると思いますが」
「なあに。君のことはブレインズも知っている。どうせ何も話す気はないだろうしね」
クライトン副艦長が恐る恐る口を開く。
アンダーソン艦長はさっきまでの苛立ちが嘘のような表情で返すと、クローゼット下の冷蔵庫から冷えたペットボトルのお茶を二本取り出した。
「風情がなくて申し訳ない。さて、本題に入ろう。昔の話ではあるが」
アンダーソンは副艦長にペットボトルを渡す。そして用件を切り出した。
「君のお父上であるハワード・コリンズ上級作戦統制官は私の元上官であり、八年前に消失した一課第二アストレアの艦長でもある。……そして『我々の共犯者』でもあった。言葉は悪いが。ここまで言って何の話か分かるかね」
そう言うとペットボトルを開け、一口付ける。
僅かに困惑しつつ、意を決したクライトンは口を開いた。
「すべて終わった話だと認識していますが……」
「構わんよ」
アンダーソンはふと何かを思い立って、個人端末の電源を落とす。
周りをしばらく見回した後、左の掌を上に向けて副艦長に差し出した。
続けて、の合図だ。
「父が例の、二十年前のあの事件、トーキョーロストに関わっていたのは知っていました。ただ、厳しい人でしたので私には……」
言葉の途中で言い篭る。ペットボトルには手を付けない。
「君が例の事件が起こる前から横田基地に勤務していたのは知っている。君自身は全く蚊帳の外だった、とは思っているがね」
「超演算思考体反抗ネットワーク、『名も無き賢者』…… ですか」
「そう、我々がかつて騙っていた名だ。君の父、ハワードと私、ブレインズ、そしてドクター・ミナミは同志でもあった訳だ。ハワードがそうだと知ったのは、割と最近だが」
アンダーソンは遠い目をする。
伏せ目がちのクライトンは普段の鬼軍曹っぷりは微塵もない。
「トーキョーロストはナノマシン開発企業タウ・ディベロップメント。その三拠点に置かれた全く新世代の人工知能、流体型演算思考体フェーズv11同士の議論の結果がもたらした大災厄とも言える」
アンダーソンは先のブレインズと同じ口調で淡々と続ける。
「秘密裏に予見されていた超常知性構造体の襲来。人類は奴らを制御し回避するのか、または人類は制御し奴らとの融合を目指すのか。その議論を三体のイレヴンは何年も続けていて……」
クライトンは静かに次の艦長の言葉を待つ。
「結果、一体のイレヴンと一部の狂信者が、抵抗勢力を一掃する為に選択した手段が核攻撃、即ちそれがトーキョーロストだ。他は阻止できたが、日本だけは間に合わなかった」
何らかの想いが過ったのか、一呼吸置いた。
「たかが個人の排除のために核を使うなどと、もはや人の発想ではない」
「…………」
「当時、我々が東京に拠点を置きながら、お互い顔も知らぬ分散した個人の集合であったがため…… つまり、事件の責任は少なからず我々にも有る。軽く言うことではないが」
最後は罪悪感、懺悔と取れなくもない言葉だ。
艦長室の空気はただ重くそこに停滞しているのみである。
「六百万人もの犠牲。多くの同志も失い、正直言って忘れてしまいたい過去だ。だがここへ来てトーキョーロストに所縁のある者が、四人もこの艦に集まってしまったことになる」
「イオ・ミナミ分析官ですか」
「そう。もう一人は…… まあアストレアの方が近いが」
「それは、八年前のあの事件も……」
クライトンは口に出しかけた言葉を飲み込んだ。
トーキョーロスト、メタストラクチャー襲来、そしてアストレア消失事件が一本の線で繋がっている。事件の当事者ではない自分が関与することか、と躊躇したからである。
アンダーソンは副艦長の表情を見極めるように続ける。
「三体のイレヴンのうち、デトロイトにあった一体は即時解体、東京の一体は核攻撃により消滅、モスクワは不明だ。運命などと非科学的な言葉は信じてはいないが、演算思考体によって既に予見されている未来はあるやも知れぬ」
「それでその……私にどういったことを?」
クライトンの疑問に、艦長はその言葉を返す。
「これは何かの予兆であることは疑いようがない。老兵の心残りと言ってしまえばそれまでだが、君には君の最良の選択を願いたい」
アンダーソンはペットボトルの残りを一気に飲み干した。
「恐らく、そう遠くない日に我々は……」
***
見えるはずがない、爆けるナーヴスの兄弟の姿がフラッシュバックする。
ヒトはあの日、へピイATiの指示を無視し、僅かにトリガーを引く瞬間を遅らせた。
絶対の自信があった。軽い気持ちで己れの力を誇示しようと思った。
メタスクイドに追われる兄弟機を救うため、真上から亜音速で降下してギリギリのタイミングで右プラズマガンを撃つ。
だが、射線はIVシールドの異重力収束点を逸れ、兄弟機のコクピットを直撃した。
見たのは兄弟の遺体だけだ。その瞬間を見たはずがない。
だが、目の前に現れるのは、兄弟の右半身が焼け、蒸発していく姿だ。
そして、猛烈に漂う死肉が焼ける匂い。
悪夢にうなされ、汗だくで目を醒ます。
身体を起こし右手の包帯を解く。ベッド横カウンターの引き出しを開けて、隠してあった小さなナイフを取り出した。
左手に持ったナイフの切っ先を右腕の上に滑らせ、傷が無いところを探す。
そしてゆっくりナイフを手前に引く。
ふつふつと膨れ上がる血の玉を見つめながら、時間をかけて息を吐き出す。
キオ・ソヤギミ。それが兄弟の名前だ。
痛みが消えれば、また、キオの夢を見る。
眼差しは傷口に止まったままだ。
***
イオは目を醒ますと、そこは自室のベッドの上だった。
時計を見ると平時の時間より早い。
目を擦りながら昨日のことをぼんやりと思い出す。
――― 確かホテルでナンパされた後、睡魔に襲われて…… その後、なんだっけ?
寝返りを打つと違和感。
やけに背中がスースーすると思ったら、何も身につけてないことに気がついた。
何度も自身の身体を触って確認する。下肢装具はもちろん、下着の「シ」の字もない。
――― え? もしかしてまた夢遊病? やらかした私? いや、やられちゃった私?
一瞬パニックに陥るものの、気を取り直して注意深く辺りを見回す。
衣類はきちんと畳まれ、下肢装具は傍らで充電中。杖は壁に立て掛けられている。
――― きっと、誰かが送ってくれたに違いない、自分で脱いだことを覚えてないだけ。
そう自分に言い聞かせ、イオは出勤することにした。
ヘパイストスの食堂でニュクス達を見つけ、空いている席に着く。
すると、アレサ哨戒管理官がテーブルに突っ伏して何やら物騒なことを呟いていた。
「据え膳食わぬは男の恥だろ、あんにゃろう。次会ったら絶対ブッ●す……」
――― ああ、ここにも大変だった人が居たんだ……
イオが不幸仲間の存在に共感していると、ニュクスが衝撃的な言葉を口にした。
「あっ、そうそう、昨日アンタおぶって帰ったの、ヒトだからね」
――― は、はあああーっ?! ちょっ、ちょっとぉっ、えっ? どういうこと?
再びパニックに陥り、思わずテーブルを叩いて立ち上がった。
驚きのあまり、ぱくぱくと口だけ動いて思うように言葉が出ない。
「あ、ごめんごめん。着替えさせたの、リコとセリだから」
ニュクスはイオの狼狽に察してフォローを入れる。
イオは落ち着きを取り戻すが、それでも腑に落ちない顔をする。
「ええっ、着替えって、その、マッパ、でしたけど……」
「は? ちょっとセリ、マッパって、イオが起きたらびっくりするじゃないっ!」
セリは今日も変わらない美しさで、口元を押さえながらクフフッと笑う。
「あら、ごちそうさまでした。眼福、眼福ぅ」
――― え? 眼福?
リコはセリの隣でニコニコと笑っている。
――― ああ、昨日この子、私のために頑張ってくれたんだよな……
少しずつ昨晩のことを思い出す。
「えと、ごちそうさまでしたっ、イオ、いいにおいっ!」
――― って、えぇっ! ふ、二人して私を弄んだに違いないっ! もうヤダこの職場っ!
イオは心の中で、また泣くしかない。
と、そこへ、ヒトが何事もなかったのように現れた。
「今日、パーソナルデータの更新日だから、忘れないで」
もちろんヒトは、パートナーのイオに対して用件を伝えている。
だが、イオは昨日の今日で返事をする気にはとてもなれない。
ヒトは普段と変わらず、言葉を告げ終わると直ぐその場を後にした。
「イオ、もしかして、昨日ヒトと何かあったの?」
ムスッとむくれて明後日の方を向くイオを見て、ニュクスは再び察する。
イオはしばらく考え、昨日のことを切り出した。
「実は、昨日、その、ヒトと……」
その場の空気が変わる。
「ごめん、もうちょっと詳しく話しとけば良かった」
事情を聞き終えたニュクスはテーブルに手を突き、謝罪の言葉を口にする。
「ワタシ、その話キライだから」
セリは先までの上機嫌がすっかり抜け落ち、憮然とした顔で席を立つ。
リコは神妙な顔をして強張った。
アレサもいつの間にか気を遣って席を外していた。
訥々と話すニュクス。
ヒトの増長が原因で起った事故、ヒトの自傷行為。
その後、ヒトのパートナーが次々と代わるようになったこと。
三人目の分析官は無意識のうちに自傷行為が伝染ってしまったらしい。
イオは自問自答する。
――― ヒトが言った「ボクを気味悪がる」とはこのことだったのか。朝から重い話で気が滅入る。だが、どうする? 確かに彼はムカつくが、決して悪い人間ではないし、どうしても嫌いにはなれない。何よりヒトは弟達と一つしか変わらないのだ。
黙って両掌を膝の上に置く。
制服のスカートから覗く下肢装具に覆われた右膝、生脚の左膝。
遮るものがない左膝には僅かに熱を持った掌の感触。
――― 私が逃げてどうする。
***
リコは新しい射撃シミュレーションの合間に、階段を降りるヒトの姿を見つける。
ガンナースーツのままコクピットを降り、ヒトを走って追いかけた。
格納庫は下りとは言え、四階建ビルほどの深さがある。いくら十代のリコでも一気に駆け下りればスーツの重さで息が切れる。
最下層まで降りるヒト。
リコは肩で息をしながら左の手を伸ばし、ヒトの包帯だらけの右の手を掴む。
ヒトは一瞬だけギョッとするが、破顔してリコに合わせて身を屈めた。
「どうしたの?」
ヒトはふと気づく。右腕の包帯、昨晩つけた傷の辺りに薄く血が滲んでいる。
「ヒト……」
上がった息がまだ収まらないリコ。額には薄っすらと浮く汗。
「どうしたの?」
ヒトは同じ言葉を繰り返す。
何か言いたげなリコを遮り、ヒトは左の掌でリコの頭を撫でる。
リコはまだヒトの手を離さないし、ヒトは絶対にリコの手を振り解いたりしない。
「大丈夫だよ、何も問題はない。心配も、要らない」
ヒトはじっとリコの目を見つめながら、どこか空々しく、うわ言のように囁く。
「ボクは罰を、受けているだけだよ」
実はニュクスの話は初耳だった。
リコにとっては自分だけのヒト。だから誰にも聞けない。
ナーヴスの一人が事故で亡くなったと同じ兄弟達の噂話で聞いていたが、その加害者がまさかヒトだとは知る由もなかった。
ニュークシーでの養成期間を終え、運良く配属が決まったヘパイストス。胸いっぱいで来てみれば、そこにはリコが知るヒトは居なかった。
人一倍引っ込み思案だったリコを常に構ってくれたヒト。
シミュレーションが更新される度に上手に扱えなくて、夜通しでコツを教えてくれたヒト。そして、ようやく上手くできた時に褒めてくれたヒト。
自信に満ち溢れ、よく笑いよく戯けて何かにつけてリコに触れてくれたヒト。
今のリコが笑えるのは、全部ヒトのおかげだ。
ナーヴスの兄弟達はみんな優しかったが、リコにはヒトは特別だった。
何故ヒトが変わってしまったのか腑に落ちた。
でもリコは、自分はまだ子どもだからきっと何もできない、と考える。
「どうしたらいい?」
その言葉を、今この瞬間も飲み込んでしまう。
***
ヘパイストスブリッジにて残業中のいつもの三名、そしてエリック。
ヒライ機関統制官とアレサ哨戒管理官、各々のシミュレーションを黙々と繰り返している。
エド兵装統制官はフロア下に潜り込み、何やら物理メンテナンスの真っ最中。足下から絶え間なくガサゴソと音が聞こえる。
アレサはいつにも増して機嫌が悪い。そしてついにキレ出した。
「ああもうっ、来る日も来る日も、シミュとメンテの繰り返しっ、発狂しそうっ!」
今日に限ってアレサは自慢のお嬢様ヘアがクシャクシャである。
触れると厄介な地雷の可能性が高い。
「俺たちの仕事は戦術ATiの監視。シミュレーションが大きく違えば、それだけで査定に響く厳しーいお仕事なの。その努力の蓄積こそが人類の平和に繋がってるんだからさあ」
ヒライは端末に向かったまま、鬱陶しそうに言う。
「はぁっ」と大きな溜息をつくアレサ。
「そう言えばさ、前に言ってた『ほぼ人間』ってどういうこと?」
「またその話? 例えば俺や君から見て、それが人間かATiか区別つかないってこと」
やれやれとばかりにヒライは応える。気晴らしの相手もチームワークだ。
「いまいち意味分かんない。それ観測側の話?」
「えっ、君の口から『観測』なんて言葉が出てきたから、おじさんビックリしちゃった」
「ヒドいなあ、一応大学は理系だったんだけど……ってなにその顔っ!」
「あ、あはは、そういや『驚く』とか『喜怒哀楽』の感情もないね。『半分人間』に訂正しようっ」
「ハヤくニンゲンになりたーいっ!」
エドの床下から響く声。どうやら手が離せないらしい。
「あいつよく統制官になれたな……そうそう観測側、客体の話、哲学的ゾンビみたいなもん。主体のATi側からすれば違うんだけどね」
「学習して、学習じゃ得られない『想像力』もある。他に足りないもの?」
アレサ、うーんと首を右に傾げる。
「意思……自由意思、ですかね?」
たまたまブリッジに居合わせたエリックが会話に割って入る。
彼は時折ブリッジクルーの雑談に混じっているが、決して暇な訳ではない。
「そうそれ。『これが好き』とか『あれは嫌だ』とか自由な意思。特定の価値観に依存すること。これで認知を統合する意識が存在すれば自我と言っていい」
「ミーはリコチャンがダイスキーッ!」
「ちょっとは黙ってろ、オモシロガイジン枠っ!」
「ジャァアアァァァァッッップッ!」
エドは雑談に混じりたくて仕方がない。
ヒライはエドの反応をちょっと楽しんでいる。
「まあ、そんなものまで獲得しちゃったら、『ほぼほぼ人間』と言っても言い過ぎじゃねえなあ」
「うーん、そうなったら……人権とか、発生しちゃうのかな?」
アレサはしれっと呟く。
エリックとヒライは顔を見合わせ、ギョッとした。
「いきなり凄い話に持っていくよね。そっちは色んな団体さんがややこしいからパスで」
「ははは、俺もパスで。でも、もし仮に自由意思を獲得したら……」
「人類が完全に手に負える代物ではなくなるでしょうね。まあ、現状でも人類が手に負えているとは言えないですけど」
エリックの言葉に、ヒライはディスプレイに視線を戻し、話の向きを変える。
「じゃあ今度は、当の彼らは自由意思なんか欲しがるのかって言ったら、また別の話だよねえ」
「自己保全する機能さえあれば、実質彼らは寿命に縛られない訳だから、より豊かにとか、より幸せにとか、経験として必要とは思っても、特定の価値観に依存なんかしないと思いますけどね」
「依存するとしたら……自らのより原初的な機能に基づいたもんじゃない? 合理の塊だもん、寄り道なんかしねーよってね」
ふーむ、と考えるエリック。ヒライも同様だ。
「でも実際、ATiが自由意思を獲得するなんて、実現可能な話だと思います?」
「うーん、人は脳の無意識領域に干渉する技術まで獲得したけど、意思が発生する仕組みはまだ解明できてないからね。実現しようにも意思の定義が定まらないうちは難しいんじゃない? でも、客体として、見せかけだったら直ぐにでもできるけど」
「恐ろしいことを言いますねえ。確かにそこに何者かの作為があっても、現在のATiなら誰も見抜けない。もし仮に自由意思が偶然発生したとしても、それを意思だと認定する術がない……」
エリックは思考の迷宮に陥って、結びがない言葉を呟く。
「ま、今となってはATiの不正を見抜くのもATiの仕事だから。ATiを作るのもATi。人間様はそのATiにお墨付きをあげるだけの簡単なお仕事…… ってね」
「それ、さっき言ってたことと違くない?」
「えぇ……って、そこ突っ込むの?」
ヒライが話をまとめに入るとアレサが噛み付いた。
そして再び溜息。
「あーあっ、つまんない。『ほぼ人間』だったら、オトコは別にATiでいいじゃんって」
「今日のイチバン恐ろしーい話ネ」
エド、床下から呟いた。
***
再び現れた例の人影。自室で一人、エリックはそれの来訪を待っていたようだ。
ぼんやりと宙に浮かぶそれは、ただ白くゆらゆらと揺れている。
「そうやって煙にまくのは君の悪い癖だよ、肝心なことは何も教えてくれない。一体、何を伝えようとしてるんだい?」
エリックは穏やかな口調でその人影に投げかける。
それは指先で何かを宙に描こうして、迷っているかのように止めてしまった。
そして寂しく、ふふっと笑った。
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