第七話 不吉なフラグに困惑する。Bパート

 イプシロン・テクノロジー横浜本社ビルの最上階に近い社長室。役員会議を終え、ロベルト・ハスラーCEOの招きでアダム・ブレインズは社長室に通される。

 中には黒革のソファに座るハスラーCEO本人、そして黒いスーツ姿のトオイ・イブキが傍らに立ち、ブレインズを出迎えた。

 いくつもの絵画や豪華な調度品が並ぶ、絵に描いたような社長室である。窓には横浜市街の美しい夜景が広がっているが、その割に寒々しさを感じるのは部屋の主の印象によるものだ。


 部屋の主、ロベルト・ハスラーCEOはオールバックの白髪にグレイのスーツを着た老人だが、血の気がない顔に痩せ細った身体の所為で蝋人形のように見える。

 隅に置かれた車椅子がハスラーの健康状態を物語り、一切の色がないモノトーンの空気がその周りを冷たくじんわりと満たしている。

 対するトオイは背筋を伸ばした美しい姿勢が育ちの良さを窺わせる。瞳と同じ淡いブラウンの髪が後ろで纏められ、髪の隙間からNDポートが覗く。


「ああ、そうだ。直接会うのは初めてだね。改めて紹介するよ、トオイ・イブキ君だ」


 ハスラーはブレインズが部屋に入るなり切り出した。


「はじめまして、トオイ・イブキです。お電話ではいつもお世話になっております」

「こちらこそはじめまして、イ重力研究科学局のアダム・ブレインズです」


 型通りの名刺交換。視線を落とすと、『伊吹 十一』と記されている。


「ほう、珍しいお名前ですね、『十一』と書いて『トオイ』と読む」

「私はナーヴス出身ですので、養成施設で付けていただいたものです。この名前、気に入ってるんですよ、誰彼も間違いなく覚えてくださるので」

「忘れないのは名前の所為、だけとは思えませんけどね」


 ブレインズは遠回しに世辞を言う。

 実際、トオイは印象深い佇まいをその身に纏う女性である。黒ずくめのお堅いスーツ姿だが、目元の小さな黒子が僅かな色気を醸し出している。


「そうそう、お茶をお持ちしますね」


 トオイはにっこりと微笑みながら部屋の給湯室らしき部屋に消えていった。淡いブラウンの瞳と髪、額のNDポートはナーヴスの主な外観的特徴である。つまり彼女も元は調整クローンだ。


「ああ、頼むよ……彼女は秘書としても優秀だが、この身体なんで色々助かってる」


 ハスラーはそう告げるとソファの対面にブレインズを誘導した。確かにその顔色から介助が必要な健康状態と見て取れる。


「さて、ウチの会議は退屈だったろう。五年くらい前から目新しい話題は何一つ出てこない」


 ハスラーは不平を口にするが、言葉の割にうんざりした様子はない。


「私共も状況はそんなに変わりませんよ、何しろ『頭』が打ち止まってますから」

「またその話か。よっぽど恐しい稟議を私に上げさせる気のようだな、君は」


 その話とは、以前の『記録に残せない』通話で交わした『跳躍弾頭』の話である。

 ここでトオイがお茶を持って現れた。

 ハスラーは早速お茶に手を付け、香りを確かめ始めた。


「それでは遅くなりましたがこちらが最終の……」


 ブレインズはブリーフケースから一枚の封筒、その中身の『紙の書類』を取り出す。予算申請の稟議書である。彼はイ重力研究科学局の人間だがハスラーの名で代筆をしているのだ。


「これだけは変えれんな。唯一これだけだ。本物は唯一でなくては」


 ハスラーは呟いた。紙の書類を手に取って感触を指で確かめている。


「一時はペーパーレスから回帰する風潮もございましたが、今はやはり希少かと」

「ま、私が退けば、後の者が変えるだろう……」

「あと件のシュペール・ラグナ、今週中にはお引き渡しできるかと。あれを通すには骨が折れました。何しろ掟破りの完全自律起動の艦、ですから」


 ブレインズはさぞ厄介事のように語るが、表情は変わらない。


「実際はまだ不完全ですが。法改正を見据えてのテストベッド、ということで」

「ほほお、そうか、そうか……」


 ハスラーCEOは目を細めて紙の書類をまだ触っている。


「ご自身はv10をお貸しくださらないのに、私共には違法紛いのことをやれと仰る」


 皮肉を付け足すブレインズだが、ハスラーは全く意に介していない。

 トオイはそのやりとりを聞いて笑っているように見える。

 ブレインズは初めてお茶に手を付ける、この会談がひと段落ついた、ように見えた。


「ところで、話は変わるが……」


 ハスラーは別の話題を切り出した。


「八年前に消息を絶ったアストレア、直前まで一体何をしていたか。君は知っているかね」

「超常知性構造体と交戦、のはずですが。与太話で良ければ……」


 ブレインズは一瞬だけ口角が上がるが、特に変わった様子はない。


「私も噂程度のものだがね。まだアストレアの捜索は続けとるんだろう、君のところは」

「はい。裏付けがない話ですので、私共としては与太話と」

「アストレアは奴らと『対話』を交わした。私が耳にしたのはな」


 ハスラーは一旦大きく息を吸って続けた。僅かだが言葉の調子が上がっている。


「本当にアストレアが奴らと対話できたなら、一体どうやって、何を用いて」

「演算思考体の話でしたら、私共よりは御社の方が、お詳しいかと」


 ブレインズは一語一語、言葉を確かめるように口にする。


「そうだったな。君は本当に食えぬよ。ま、噂話だ」


 何かを聞き出そうとして失敗に終わった自らを笑っているようだ。ハスラーは手招きをすると、トオイは印が入ったケースを持って差し出した。


「本物は唯一でなくてはならん。一つでいい。そうだな? トオイ」


 ハスラーは書類に印を加えながらトオイに同意を求める。

 トオイはにっこりと微笑んだ。


・・・


 イオは買い物リクエストの品を皆に配り終えて一息つくと、再びメディカルルームに向かった。治療を終えたヒトがそこで寝かされているからだ。

 リウ医療管理官によるといくつかの骨にヒビが入っているものの、大事には至っていないとのこと。ナーヴス特有の治癒能力とニューメディカの相乗効果で、通常の半分の期間で回復が見込めるが、それでも最低一週間は安静と命じられている。


「イオちゃん、ヒトなら意識が戻って話せるよ。大変だったね」


 階段で会ったエリックは既に見舞いを終えており、それを告げると階下に消えていった。

 メディカルルームに足を踏み入れると、リウの趣味であるピアノ曲、今日はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が部屋の空気を満たしている。


 カーテンで仕切られたヒトのベッドを覗く。ベッドを挟んで左のパイプ椅子に座るリコ、同じく椅子に座る対面側のセリ、セリの隣りで腕組みをしたニュクスが立っている。

 リコはヒトの右手を握り締め、ベッドに半身を預けて眠っている。緊張が解けて安心した所為だ。長いまつ毛にふわふわの柔らかい髪、亜麻色、と呼ぶには少しだけ深い。


 ――― うーむ、包んで持って帰ってしまいたいほど、可愛いい。


 と、発想が犯罪すれすれのイオの感想。


 対するもう一方の亜麻色、セリは細くて長い腕も脚も組んで「つーんっ」としている。

 肝心のヒトはと言えば、普段から包帯巻きの右腕の他にもあちこち包帯と絆創膏だらけにされている。まるで漫画のミイラである。


「流石に四人で囲んじゃうと、ヒトに尋問してるみたいだから引き上げるわ」


 ニュクスは大きな溜息をついて言う。


「あ、そうそう、彼はどうせ動けないんだから、言いたいこと言っちゃいなさいよ」


 ニュクスはウインクしながらメディカルルームを後にした。

 やれやれ、とイオは若干の疲れと安堵を覚える。


「ん、んふんっ」


 イオは軽く咳払いをして、口を開いた。


「余計なこと、とは言わせないよ。私、パートナーなんだから困るに決まってるでしょ。それに……現に実害も、無くはなかったし」


 イオは『ある物』のことも何気に根に持っている。

 ヒトはイオに一瞥した後、天井に視線を向けながら、ぽつりと一言だけ呟いた。


「面倒、かけた……」


 ヒトにしては弱々しいトーンだ。

 イオはその昔、まだ小さかった弟達が外で喧嘩して、傷だらけで帰ってきた時のことを思い出す。もっぱら謝りに奔走するのはイオの役目だったが。


 ――― 面倒な弟が増えたみたいだ……


「我が弟がここまで愚かとは思わなかった。こんなになるまで抵抗しないなんて」


 それまで押し黙っていたセリが口を開いた。ヒトに覆い被さるようにベッドに両手を付き、その美しい顔をヒトに寄せる。


「まあ、いいわ。いつものように逃げられるものなら、逃げてごらんなさい」


 セリはそう言うと、顔を横に向けてヒトの胸の上に「どすんっ」と上半身を載せる。

 ヒトは小さく呻き声を上げる。


「ヒト、痛いの大好きでしょ? このくらい我慢なさい。ちびヒトが起きちゃうじゃない」


 セリはそう呟いて不敵な笑みを浮かべる。ヒトの胸に横顔を預けて満足げだ。


「セ……」

「なあに? ヒト」

「セリ、重『どすんっ』


 ヒト、再び呻き声。

 弟がドMなら姉はドSである。


 ――― 『面倒な弟』は撤回しよう。この姉弟達とは混じれない、まじ無理。


 結局、カイのことは誰も触れなかった。


・・・


「どうだね、直に会った感想は?」


 ブレインズを帰した後、ハスラーCEOは傍らに立つトオイを見上げて尋ねた。

 トオイは一瞬にっこりと微笑んだが、社長室の窓に視線を移すと笑みは消えた。


「イ重力研究科学局、開発統括責任者アダム・ブレインズ。そして名も無き賢者の首魁」


 トオイはハスラーの肩に手を乗せて淡々と呟いた。

 視線は美しい夜景が広がる窓の外ではない。窓を見つめたまま微動だにせず、瞬きひとつしない。そこには二人の姿が映し出されている。


「収集した情報と寸分違わない。改めて語るほどの感想はない」

「そうか、彼にはもう興味はないか」


 トオイは念を押す。その口調には何の感慨も含まれない。


「『もう一人の『我』が動き出した今、彼はこれ以上、『我々』に何ももたらさない」

「それもそうだな、〔一番目のイレヴン〕」


 トオイは納得したようにその言葉を口にした。

 ハスラーだったものは、糸が切れたように項垂れている。


・・・


 ぼんやりと宙に浮かぶそれは相変わらずゆらゆらと揺れているが、以前より鮮明さを増している。内から仄かに発光し、長い金色の髪が何も纏わない身体を柔らかく包み込んでいる。


 エリックは自室に現れたそれの行動を、ただ座って見守るしかない。

 それは髪の隙間から覗く白い指先で、宙に何かを書こうとしている。


『 G E T O F F 』


 それは時間をかけ、ゆっくりと丁寧に指先で書いた。

 エリックは困惑の表情を浮かべ、静かに問いかける。


「降りろ? 何から? もしかしてヘパイストスを降りろってのかい?」


 それはこくりと頷き、いつもと同じように、ふふっと笑う。


「どうして? 何が起こる? ヘパイストスが危険なの?」


 それは一呼吸置いて首を振った。何かを迷った上で意思表示をしている。初めて具体的なメッセージを伝えようとしているが、意図がまるで掴めない。


「僕だけ降りる訳にはいかないよ、イオちゃんも居るから」


 首を竦めて言う。今のエリックは不本意ながら、自らの責任のみでヘパイストスに乗艦している訳ではない、少なくとも本人の中ではそうだ。

 それは困ったように首を傾げる。そして何かを言葉にしようと唇が動いたその時、再び境界が曖昧になり、やがて消えた。


「もう、訳が分からないよ。アルヴィー、一体何が始まるの?」


 最後の唇の動きは『IO』と発音したかのように見えた。

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