side C NERVES〈ナーヴス〉

 二号機ヒト・イオ組、三号機リコ・ニュクス組の順で帰還する。

 ヘパイストスでは全長の前1/3を占める格納庫より後方がブリッジほか居住区となっている。艦上部の突起部分、1F展望室を基準に下方向へ2F、3Fと続き、全部で5Fある。

 因みにブリッジは2Fの中央管制室を指し、要するに『艦橋』とは便宜上の呼称である。


 格納庫からブリッジに、ヒトとイオ、ニュクスとリコの順で向かう。

 真っ先にブリッジに向かうのは作戦の経過確認と終了の承認を行うためである。それが終わればメディカルルームで行う神経メンテナンスが待っている。

 通路の先に待ち構えていたのは、細く長い腕を大きく前に伸ばしたセリだ。


「みんな、おっかえりなさーいっ」


 セリは先頭のヒトに駆け寄るが、差し出した両腕は虚しく空の弧を描いた。

 ヒトはバックステップを踏んで軽くセリを躱したのだ。

 もちろん無言。


「ちょっとヒトっ、いい加減逃げないでよっ、もうっ!」


 イオは先日、平手打ちをヒトに躱されたことを思い出す。


 ――― ああ、彼はこういうの躱し慣れているんだ……


 次にセリはイオを飛ばしてニュクスとハイタッチ。

 続いてリコを背後からしがみつき、首に左手を回して右手で髪を弄ぶ。

 リコは嫌がっている様子はない。

 イオは調律を成功させて緊張も解け、ようやくそれを伝える気構えができた。

 意を決して先を行くヒトに声をかける。


「あ、あのさ、杖。見つけてくれたの、ヒト君、だよね?」


 あの時、イオの杖は持ち主もろとも海に落下していたはずである。


「もう、失くさないことだ」


 にべもないヒト。朴念仁っぷりは相変わらずだ。


「えっ、ああ、うん……」


 続く言葉を飲み込み、その場で立ち尽くしてしまうイオ。

 空気を読んだのか、ニュクスはイオの肩を叩く。


「アンタやればできるじゃーんっ」

「え、ま、まあ……」


 すると、後ろでリコの髪を弄んでいたセリ。


「あら、できて当たり前よ。ヒトが優秀なだけ」

「ちょっとセリっ」


 抑揚がない少し鼻にかかったハスキー、小鳥の囀りのようなメゾソプラノ。

 嫌味なのか、思ったことを口にしただけなのか、イオには区別がつかない。


 ――― きーっ、美人は何を言ってもサマになるのが腹たつっ!


 眉をハの字にして苦笑いのニュクス、「先に上がっといて」セリに一声かける。

 終始無言のヒト、不満気なセリと弄ばれるままのリコが立ち去るのを待ち、ニュクスは3F女子ロッカールーム横の自販機でドリンクを二本買った。


「ここへ来た時は明るくていい子だったのよ」


 ニュクスは手に持つドリンクの一本をイオに放り投げると、自販機横のベンチに腰を下ろしてボトルキャップを開ける。

 芳しいコーヒーの香りが一瞬だけ鼻についた。

 目の前を整備クルーと冷蔵庫のようなロボット達が通り過ぎる。

 女子ロッカールーム横のベンチは、格納庫を一望できるベストな休憩場所である。

 整備作業の騒音が増え、僅かに騒がしくなったが会話に困るほどではない。

 視線を一度イオと交わして、再びニュクスは口を開いた。


「と、その前に、あの子達『NERVES(ナーヴス)』、どんな子達か知ってるよね?」

「えーと、アーメイドガンナーとして、卓越した狙撃技能を持って生み出された調整クローンであり、圧縮学習による高い知能と、優れた任務遂行能力を備えた……」


 イオは研修で学んだ教科書の概要をそのままを口にする。

 三回も試験を受けたので流石によく覚えている。自慢できることではないが。


「そういうことじゃなくって、人間性のこと」

「人間性って、性格?」

「うんそう、性格。人格形成とか」

「極めて合理的思考であり、知的で落ち着きがあって従順……」

「そうなの、最初はみんなそう。でもね、賢くて素直なんだけど、それなりに個性があるのよ」


 いやいや、有り過ぎでしょ――― と、イオは思うも口に出すのは控える。


「でね、普通の人と過ごす時間が長くなると変わるのよ。元が真っ白だから影響され易いの。セリなんか最初は髪も短くて、男の子みたいだったんだから」

「へえー、それはちょっと意外かも」


 イオはニュクスの話に入り込み始める。

 ニュクスは格納庫の方へ視線を向けたまま、言葉を続ける。


「それとね、これはあまり研修では教えてないことなんだけど、あの子達って仲間意識がすっごく強いのよ、ホント血を分けた兄弟みたい」

「ああ成る程、それでセリはあんな風に……」

「多分これは他所でも一緒だと思う。で、ヒトのことなんだけど」

「昔はあんなに無愛想で、無神経で、根暗なヤツじゃなかったと」


 イオ、意外と根に持つ。


「あんまり悪く言わないで。あの子があんな感じなのは理由があるのよ」


 対するニュクスは、そのマッチョな容姿から想像できないほど大人である。


「ヒトはね、まだガンナーに着任して一年目の頃かな。仲間を自分のミスで亡くしちゃったのよ。どうやら今でも自分を責め続けてるみたいなのね」


 そう口にすると、過去の出来事を回想するかのように遠い目をした。


 ――― 本質的に嫌な奴ではないのは分かる。杖も探してくれたし、難しい歳頃だ。私の弟達と一個しか歳が違わないし。


 そう思い耽りながら、握っていたボトルを無意識に左腿の上で転がした。

 麻痺がない方の脚だが、ガンナースーツが遮って温かさが分からない。


「以来すっかり変わっちゃって、分析官とも上手くやれなくなって、アンタで四人目」

「はあ、何となく分かりました……」

「アンタに上手くやってもらわないと困るのよね」


 ニュクスは話したいことを一通り口にして、再びボトルに口を付ける。

 イオはボトルを開けるタイミングが中々掴めない。


「でもあの子、取っつき難いけど、結構モテるのよ」

「モテる? あの唐変木が?」


 重くなった空気を変えようと、ニュクスは違う話題を切り出した。


「リコの髪、実はあれヒトを真似してるの。セリがヘタクソだからアタシが切ってあげてるんだけど、恥ずかしそうに真似してくれって言ってきた時は、萌え死ぬかと思った」

「ほほぉ、それは興味深い……」


 と、そこへクライトン副艦長がブリッジから荒々しい靴音と共に降りてきた。


「さっさとブリッジに顔を出せっ! 二人共」


 腕を組んで凄む副艦長、見えないところで舌を出すニュクス。


「鬼軍曹きたこれ」




***




 ヘパイストスブリッジにて残業中の三名。

 各自が担当するシミュレーションの最中である。


 ATi及び運行機関管理担当、テルツグ・ヒライ機関統制官。

 兵器及び兵装システム管理担当、エド・ブルーワー兵装統制官。

 哨戒システム管理担当、アレサ・ケイ哨戒管理官。


 主任作戦統制官のジェイムス・アンダーソン艦長、副作戦統制官のミハル・クライトン副艦長は現在オフシフトに入って不在である。

 因みに、ヘパイストス基幹システム、へピイATiが提案する作戦計画の実行承認権を持つのは統制官だけであり、一課第五の任務はこの四名の統制官の合議を以って決定が成される。



「いつも思うんだけどさ、このATiワールドオーダーってホント効率悪いよねえ。要するにATiがやることは全部人間様がケツ持てってことでしょ?」


 アレサは可憐な見かけとは裏腹に俗な言葉で不平を漏らす。


「ケツってあなた……それで生まれた雇用もあるんだし、我々だってシミュレーション手当、結構貰ってるんだから文句言っちゃいけないよ」


 ヒライはアレサに一瞥して、面倒くさそうに呟く。

 ヘパイストスブリッジの前列は入り口から見て右からヒライ、エド、アレサの順で並んでいる。つまり二人の会話はエド越しである。


「ま、ATiがやらかしたら誰の責任って、二十一世紀から続いてる議論だけどさ」

「それならもっといい格好しなさいよ。何そのヘビメタTシャツ?」


 不機嫌なアレサは理不尽な物言い。

 ヒライのワイシャツの下に「KING CRIMSON」の文字が透けている。


「ヘビメタじゃねーよっ、プログレッシブロックッ! クリムゾンはメタルの元祖だけど。ロックミュージックは大英帝国の偉大な遺産だっ!」

「ちっがーうヨッ、ロケンローッはアメリカ発祥ダヨッ、ジョニビグーッ!」


 エドは自席から立ち上がり、エレクトリックギターを掻き鳴らす振り真似。


「そう言えばジョニーBグッドは、二十世紀の宇宙進出時代に異星人へのメッセージとして選ばれた、唯一のロックミュージックなんだよな」

「その異星人で思い出したけど、あの骨の親玉(メタストラクチャー)、実際どうやって地球くんだりまでやって来るの?」

「なに藪から棒に。んなもん超空間接続でどっかのクッソ僻地からに決まってるだろ」


 アレサの唐突な話の飛躍にヒライは憮然として答える。

 エドのエアギターはまだ終わっていない。


「へえ、超空間接続ってワープみたいなもの? なんかSFって感じ」

「人類だって一応理屈の上では可能だよ。流行ってないけどね」

「えっ、人類にもできるの? じゃ、なんでやらないの?」


 アレサは意外とばかりに食いついた。

 ヒライは少し考えて口を開く。


「えーと、イカロス粒子のおかげで人類に重力干渉が可能になったのは知ってるよね」

「イカロス粒子の発見者が匿名を希望したから、小洒落た名前を付けたんだよね。イカロス粒子干渉重力、略して『イ重力』って」

「イカロスの神話って蝋の翼だろ? 意味深な名前だと思うけどねえ。んで、何らかの干渉力によって、性質が変えられた重力の総称も『異重力』って呼ぶんだから紛らわしい」

「異重力とイ重力、発音が一緒だもんね」


 いじゅうりょくといじゅうりょく、確かに紛らわしい。


「あ、話が逸れた。で、正しくは『異重力干渉制御』の延長技術が超空間接続なんだけど、凄く簡単に言うと、入口を開けるだけだったら出口が何処に繋がるか分からない」

「えっ、どゆこと?」


 アレサは大きく首を傾げ、それを横目にヒライは続ける。


「よく紙に点と点を描いて、二つに折って点同士を重ね合せるってやつ。あれを目を瞑ってやるようなもんだ」

「トンネル効果とか、空間歪曲型の原理の説明で出てくるやつ?」

「そうそう、要するに出入口の座標演算が大変なのよ。例えば静止してるようで地球は時速千六百キロメートルくらいで自転してるし、太陽の周りを時速十万八千キロメートルで公転してる。太陽系まで話を広げるとなんと時速八十六万四千キロメートルだ」


 ヒライは懇々と説明を続け、アレサは「ふーん」と話半分。

 エドはエアギターに飽きてリコとのツーショット画像を眺め始めた。


「別々に運動する入口と出口の座標、二つを割り出すのに膨大な演算が必要な訳。そもそも出入口の運動を正確に観測できなきゃ話にならないし、現状では何万キロメートルの誤差とか馬鹿過ぎるよ」

「えー、ワタシ達、そんなに動いてるの? メタストラクチャーって意外と凄いんだ」

「入口を開けるのに膨大なエネルギーも要るし、手間暇掛けた割に結果が芳しくなけりゃ誰も出資してくれない。だから流行らない」


 アレサは指先でクルクルと髪を弄び始める。


「そんな面倒な超空間接続なんだけどね、入口を基準にして、ちょっとずらすだけだったらなんとかなるらしいのよ、演算思考体ならね。五、六年前から噂に上っては消える『跳躍弾頭』ってのがこの技術の応用なんだけど、いまだ完成してないっていう……」


 ヒライ、そろそろ目の前の仕事に戻りたい。少し喋り疲れた様子だ。


「IVシールドを飛び越すんだから、収束点狙撃なんて要らないし、ナーヴスの子ども達も分析官も危険な仕事から解放されるんだけどさ」

「そしたらリコちゃんを独り占めできるナリッ! ワッハハーイッ!」

「せんせー、ここにロリコンがいまーすっ!」

「やだキモーいっ!」

「ワ……」




***




 深夜、午前零時頃。

 イオはふと目を醒ますと、自室前の通路で壁側に背を向けて丸まっていた。

 辺りを見回しても人の気配はない。

 平時シフトのため、この時間の通路は非常灯以外は消灯されている。

 艦内に遠く鳴り響く機関音以外は静かだ。


 ――― へ? なんで私……こんなところで寝ているの?


 目を擦りながら訝しんだが何かが分かる訳もない。

 硬い床の上で寝転がっていたので、身体が僅かながらに痛んだ。

 そのまま深く考えず、大きな欠伸をして自室に戻る。


 ――― ちぇ、なに? もう。


 何故そこに居たかは実は大した問題ではない。

 何故『それ』がそこに居るのか、である。




 同時刻、エリックは自室で一人、ノート型情報端末に向かって報告書を書いている。

 ふと横に向くと人影が見える。ゆらゆらと揺れて境界がはっきりしない。

 内側からほんのりと明かりを灯したように薄く光を放っている。


「こんばんはアルヴィー、今日もご機嫌だね」


 エリックはまるで旧い知り合いのように人影に声をかける。

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