第三話 イオ・ミナミ

side A 全裸以外の何者でもない

 二一一一年。某日深夜、制御不能に陥ったとされる演算思考体ATiのハッキングにより、某国製長距離核弾道ミサイル三発が発射され、また目標となった地域の防衛システムをも撹乱する前代未聞の無差別核攻撃テロが発生した。


 内一発が日本国東京に直撃し、東京都千代田区を中心に半径およそ十キロメートル圏内が一夜にして消失する、人類史上最悪の大規模ATi暴走事件『トーキョーロスト』が起こる。

 当時の東京は首都移転途上だったとは言え、犠牲者数は行方不明も含め六百万人を超え、その甚大な被害は日本国内のみならず、世界にも大きな衝撃を与えた。


 その後、事態の深刻さを重く見た人類は、事件の原因を『行き過ぎたATi開発』と断定し、ATi新規開発及び運用を即時制限。国際条約、ATi operation world order 〈ATiワールドオーダー〉として世界規模で厳格な規制が行われた。


 しかし、その被害規模にも関わらず、事件の詳細は完全解明に至らないまま、未解決事件として扱われることになる。


 超常知性構造体〈メタストラクチャー〉が襲来する五年前のことである。




***




 イオは今まで何かと言い訳して逃げ回っていた健康診断を受ける。イオの受診履歴を見たヘパイストスの常駐ドクター、リウ・ロン医療管理官からの要請である。


 メディカルルームはヘパイストス2F居住区の前方に向いて右側、格納庫寄りに位置するブリッジの隣で、センター通路を挟んだ向かいは食堂である。

 だだっ広い簡素な部屋で、ニューメディカ普及のおかげで大掛かりな検査機器は見当たらない。

 いくつかの収納と医療ロボット、四つのベッド、端末一体型デスクが二台。奥にはガンナーが神経メンテナンスで使用するリクライニングチェア型の装置が三台ほど見える。


 神経メンテナンス装置の奥に手術室の入り口が見えるが、扉の前には物が置かれている。つまりそれが長らく使われていないことを意味している。

 メディカルルームにそこはかとなく流れるピアノ曲はリウ医療管理官の趣味だ。

 因みに今日はラヴェルの「水の戯れ」である。


「こりゃ、驚いた。八年もアップデートを放ったらかしている子は初めて診たよ」


 リウは検査機器を片付けながら、呆れたように呟いた。


「診断スキャナにエラーばかり出るからおかしいと思った」

「アレ、気持ち悪くなるからいやなんですよねえ。特に何にも困らなかったし。てへっ」


 イオはウインクをして、ちょろっと舌を出して戯けて見せた。

 年寄りにはあざといぐらいが丁度いいとOL時代に培った処世スキルを発揮する。


「てへ、じゃないよ君。いいかい? 総合医療ナノマシンシステム『ニューメディカ』は基本的には健康管理が目的なんだが、ちょっとした怪我なら治癒を早めてくれるし、鎮痛機能もある」


 リウは回転式のチェアごとイオに向き直り、お小言を続ける。


「癌とか厄介な病気も早期発見、抑制してくれる優れ物なんだよ。簡易の心肺蘇生機能まである」


 イオの処世スキルは見事に散った。

 心肺蘇生は先日お世話になったばかりである。


「え、ええ……知ってます、知ってます」

「ニューメディカのおかげで社会保障費も圧縮されて、一昨年からようやく保険料も下がったくらいだ。ある意味国民の義務だよ。ちゃんと給与明細見とるかね」

「はぁ……」

「毎年ちょっとずつ便利になってるしな。次のアップデートは……えっと、なんだっけ? 余分な脂肪分を分解するとか何とか」

「えっ、ホントですか? 何気に凄いことになってすねえっ!」


 イオはこの手の話には俄然食いつく。

 問診の脇で医療履歴の更新を行なっている看護士の女性が笑っている。


「まあ、さすがにお嬢ちゃんの脚やワシの薄毛は治してくれんけどな。あっはっは」


 ――― そういう返答に困るジョークはほんと勘弁して欲しいなあ。


 と、イオはリウの生え際をチラ見しながら困惑する。


「それにしてもおかしいねえ、アップデートが八年前。インストール後の初回更新だけど、本当に何も困らなかったのかい? 体調を崩して熱が下がらないとか。アラートも出るはずだが」

「えええ、そう言われましても。インストール以来、脚以外は健康そのもので……」


 イオは言葉を濁らせる。

 アップデートを嫌って放置していたのは事実だが、アラートの件は追求されると困る。

 右脚の所為で外出が億劫なこともあったが、痛くも痒くもないのに更新センターまで行くのが単に面倒臭かっただけである。何気に行ったフリをしたことがあるのは内緒だ。


「じゃあ、今度こそちゃんとアップデート受けなさいよ」

「へぇーい……」


 イオが渋々返事をすると、リウは急に思い出したのか頼み事を口にする。


「ああそうだヒト、次はヒトを呼んできてくれるかな」




***




 メディカルルームのフロアから2階下った4Fがいわゆる男性居住区。格納庫側から見て右側一番奥がヒトに割り当てられた部屋である。

 イオは借りたジャケットを返す機会が中々なかったので、渡りに舟とばかりに引き受けた。

 3F女性居住区の自室に立ち寄ってから、もう一階下に降りる。

 何気にフロアが違うと気軽に立ち寄れないのがお互いの居住区である。


 ――― わぁ、男の子の部屋だ。


 と、イオは少しだけ心を踊らせてコールボタンを押す。

 間もなく開いたドアの向こうに現れたのは、タオルを頭にかけただけのヒトだった。

 なんと濡れたままの全裸だ。読んで字の如く首から下は一糸纏わぬ姿である。

 イオは順にヒトの顔から足の先まで視線を下げ、目を疑いつつも二回事態を確認をする。


 ――― どう見ても全裸だ。全裸以外の何者でもない。これは一体どういうことだ。


 イオは念のため、もう一回事態を確認した上で声を上げる。


「な、な、な、なんでっ、なんで素っ裸なのっ!」

「シャワー」


 ヒトはタオルで体を拭きながらイオに背を向ける。

 イオは後ろ姿も念のために確認すべきかと葛藤する。念のため、便利な言葉だ。


 ヘパイストスの居住区では男女共に部屋別の入浴設備を備えていないが、ナーヴスに与えられた部屋には特別にシャワーのみ備えられている。

 現在はアーメイド管制システムと神経接続を行う接続手段はNDポートで統一されているが、過去の仕様では繊細な接続端子が背中に露出していたためであり、要するにその名残りである。


「ちょ、ちょっとっ、服着るぐらい待つよっ、なーんで素っ裸で出てくるのよっ!」


 イオはそう言いながら、ちゃっかり入り口からヒトの部屋を覗き見る。

 ベッドと小さなカウンター、クローゼット。そしてヒトと初めて出会った時のヘルメット。

 確かにヘパイストスの個人居住区はあれこれ物が置けるほど広くはないが、余りにも物が無い。

 まるで引越し先の部屋を確認しに来たかのようだ。


 ――― ナーヴスの子達って、みんなこう、無執着なのかな?


 イオは一瞬、セリとリコの顔を思い浮かべて考える。

 合理を優先する彼らであれば、そうであってもおかしくはない。

 だが、他の二人もヒトとは違うようにイオには思えた。


「べべべ、別にっ、み、見慣れてるんだからっ!」


 イオは聞かれてもいない返事を口にし、ヒトから視線を背けるが動揺は隠せない。

 弟達のそれとは訳が違う、イオにとっては紛れもない異性の裸である。


 ふと、イオはヒトに視線を戻して初めてそれに気がついた。

 ヒトの右腕には無数の切り傷が隙間を埋めるかのようにびっしりと刻まれている。

 左腕に同様のものは見られない。


「あ、あのっ、その右の……」


 イオは見るからに痛々しく異様なそれを見て驚きの声を上げる。


「用は、なに?」


 ヒトは振り向いて呟くように言葉を返す。

 イオの疑問に全く答える気がない。


「え……リ、リウ先生が、健康診断に早く来いってっ……あとこれ、ありがとっ!」


 イオは憮然として用件を伝えると、借りたジャケットをヒトに押しつけ、踵を返した。

 背後でドアが閉まる音が聞こえる。

 威勢よく杖の音を鳴らしながら、急ぎ足でその場を立ち去る。


「もうっ、なにドキドキしちゃってるんだろう私、こんなイベント要らないっ!」


 イオはブツクサと独り言を呟き、ふと脚を止めた。

 ヒトと初めて出会ったあの日のことをもう一度思い出す。


 ――― そう言えば、あの時も確か、右腕に包帯……




***




 自室に戻ったイオは「ふうっ」とため息を吐いて身の回りを見渡す。自身としては最小限に留めたはずだが、ヒトのそれに比べれば物がある。

 クローゼット目一杯の服と自ら持ち込んだ収納ケース、小物用の小さなボックスにシューズラック。そしてベッド横のカウンターには両親と弟達、二組の写真立て。


 女の子なんだから当たり前、とイオは無理やり納得するも、どこか釈然としない。

 つい先日に乗艦したばかりのイオとは違い、ヒトは現在十七歳。ナーヴス養成機関でもあるニュークシーを出てヘパイストスに配属されてから既に三年以上が経過しているからである。


 ――― はぁ……


 前回の出動から二週間ほど経過したが、メタストラクチャーに目立った動きはない。

 イオはアンチグラヴィテッドの調律シミュレーションとアーメイドのメンテナンス……と言ってもイオ自身が行う訳ではなく、ロボットが行うメンテナンスの承認作業、他に座学に艦の雑用と、それなりに慌ただしい日々が続いている。


 出向とは言え元が同じ組織なので、異重力分析官の仕事だけ取り組めば良い訳ではない。

 但し、アンチグラヴィテッド調律における異重力マップ作成は、正確性と速さが求められる特殊技能のため、日頃の反復訓練に多くの時間が割かれている。

 因みに座学というのは、過去十五年に渡る人類とメタストラクチャーとの戦いの歴史と、それに付随する組織の成り立ちを学ぶものである。

 だが、イオが研修中に学んだこととほぼ同じ内容であるため、さすがにそれを三回繰り返した身には苦痛でしかない。その座学も現在の受講サイクルで行けば、あと一ヶ月ほどで終わる。


 イオはヘパイストスに乗艦して最初の一ヶ月は無我夢中だったが、最近は慣れてきたせいか色々と考え耽るようになった。



 イオは回想する。自分はなぜ、ヘパイストスに乗艦することになったのか、と。

 今から十年前、十三歳の時に起こった古いビルの火災事故で、崩落したビルの直下に偶然居合わせてしまったのが、イオとその両親だった。

 まだ幼い双子の弟達を叔父夫婦に預けて、久しぶりに大学から戻っていた父と母との三人で、買い物に出かけた矢先の出来事だ。

 意識を取り戻した時には既に両親は亡く、泣くことしかできない弟達の姿だけはよく覚えている。幸い、イオは事故の記憶がほとんどなく、目覚めると世界の全てが変わっていたのである。


 食いしん坊で何処か抜けている父と、頭が良くて気の強い母。

 優しい両親だったが、ある日突然イオの前から居なくなった。葬式はもちろん出れず、入院して外出許可が降りる頃には二人とも墓の下だったから、実感など湧く訳がない。

 今でもイオは二人は失踪したのではないかと疑うほどである。その後、叔父夫婦に引き取られ、従姉妹と一緒に分け隔てなく育てられた。

 そしてイオが、弟達の学費まで世話になれないと考え、選んだ仕事が異重力分析官である。


 最初はイ重力研究科学局に一般OLとして入局したが、その時に受けた異重力知覚の能力テストで特Aだったことと、世間的に見ても法外な手当てに魅力を感じたからだ。

 だが、イオは資格試験に二回も落ちてしまった。結局、弟達の学費は叔父に助けてもらったが、半分意地で粘った結果が現在の分析官の立場である。


「なあに、五年も働けば返せる。分析官なんてマグロ漁船に乗ったようなものだ」


 ――― と、嘯いてヘパイストスに乗ったはいいが、そこで引き会わされたのが本当に『マグロ(のような奴)』だったのは一体何なんの冗談なのだろうか?



 異重力知覚。イオはエリックから初めて話を聞いた時、怪しげなオカルトかと思った。

 イカロス粒子発見によって人類に重力制御が可能になった当時に再発見され、メタストラクチャー対策で注目を浴びるようになった知覚。

 二十一世紀中頃までは実際にオカルト扱いされていた『霊感』と呼ばれていたものである。


 エリック曰く「元々誰にでも備わっていて、絵を描くとか速く走るとかそういった才能と同じ。人によって強いか弱いかだけ」。


 そうは聞いてもイオは幽霊など一度も見たことがなく半信半疑だった。だが、異重力知覚の能力テスト環境下では見るもの全てに『わなわなと猛烈に揺れる何か』がよく見える。

 見える――― という表現は適切ではないが、イオには見えた。かくして能力評価、特Aの元、異重力分析官の道を歩むことになった訳である。



 イオは自分の人生はついて、幸か不幸かどっちなのかと自問自答する。

 いつ果てるとも知れぬメタストラクチャー対策。イオにとっては不謹慎ながら、弟達の学費返済が終わるまで続いてもらわなくては困る仕事である。

 もちろん人類には放置が許されない絶対的な脅威には違いない。場合によっては命に関わることも承知している。そして返済が終わればイオは二十八歳である。


 ――― え、もう三十路じゃんよ、わかっちゃいたけど厳しいよなあ。


 いつもはイオの頭の中で、ぐるぐると巡っては弟達の顔を思い出して一区切りつくのだが、ここ最近は他に考えることが増えた。

 そう、ヒトのことだ。そして彼らNERVES〈ナーヴス〉。


 ニューメディカを開発した総合医療メーカー、エプシロン・テクノロジー傘下のニュークシーが『事実上の製造』と養成を手掛ける。

 高速狙撃機動兵器アーメイドに乗り、その超人的技能と神経改造により航空速度からの精密狙撃を可能とする、そのためだけに存在が許された調整クローン。


 ――― 見れば普通の子ども達、ひいては弟達と変わらないではないか。一体なんだろう? この後ろめたさは。


 と、イオがそう考えたところで、出動アラートが鳴った。




***




 五月中旬某日、午後三時二十分、千葉県鴨川沖南四十キロメートル地点に暴走メタスクイド三体の出現が確認された。半年前に討ち漏らして、長らく海中にて沈黙していたものである。

 当該方面は超研対一課第三テーセウスの管轄エリアだが、同課は現在オフシフトのため一課第五ヘパイストスが代行対応する。

 一号機セリ・エリック組、三号機リコ・ニュクス組が出動。二号機ヒト・イオ組は待機だ。


 メタストラクチャー、メタスクイドの活動で目的がはっきり判明していないものの一つに『自閉形態』がある。それはある一定時間を活動すると突然停止し、再び活動を再開する。

 人類側は摂取したものの『咀嚼状態』と推測しているがいまだ定かではない。


 停止中はIVシールドを全方位に完全展開。つまり自らを穴がない『完全な歪曲時空』に丸ごとすっぽりと包み込んでしまうのだ。

 その姿は通常視認が不能となり、異重力知覚で感知こそ可能なものの、収束点狙撃も不可能となる。その代わり、彼らも何もすることができない。

 以前、東京湾に現れたメタストラクチャーが一時的に沈黙したのもこの自閉形態で、今回の暴走メタスクイドも例に漏れない。

 自閉形態の停止時間は個体差があり、数時間から数ヶ月と実に様々である。現在でも沈黙中のメタストラクチャーは北米やアフリカ方面でいくつか確認されている。



 それが五月病なのかは分からないが、イオはすっきりしない日が続いていた。報を受け、思わず張り切ってしまったが生憎の待機組である。

 暴走メタスクイドならアンチグラヴィテッドはお呼びではなく、出現場所は対応が難しい陸部ではなく海上である。へピイATiが予測する出動確率はゼロに近い。

 イオは意気消沈しながらガンナースーツを着用し、アーメイド二号機に向かう。


「ねえ、自分達だけ出ないのって、そわそわしない?」


 コクピットで待機中のイオ、用がなければ一言も喋らないヒトに痺れを切らし、人類を代表してマグロに対話を試みる。


「あの二人なら、すぐ終わる」

「へえ、信頼してるんだ」

「ボク達ナーヴスは、歳の差以外、みんな同じだ」


 ――― おお、珍しく食いついてきたな。


「あなたは違うって、みんな言ってるよ」

「キミと前任者ほど、差はない」


 ――― きーっ、なんてムカつく子っ! 履歴は見たけど、確かに前任者は優秀……


 イオは憮然としながら、狭いコクピットで腕と無理やり脚を組む。対するヒトはタッチディスプレイを備えた左右アームレストに腕を置き、足も組まず特別に姿勢を崩した様子はない。

 視界同期ゴーグルは二人共降ろしたままだ。

 メインモニタはいくつかウィンドウが開かれており、偵察ドローン、一号機、三号機の映像が映し出されている。


「えーえー、悪うございましたっ、どうせ私は他人の三倍かかったよっ!」


 ――― ちくしょう、弟達だったら問答無用で引っ叩いているところだっ!


 イオは息巻く。二十二世紀の瞬間湯沸かし器である。


「キミは、ボクのこと、気味悪がらないんだ」

「そりゃ、口が悪いのは弟達で慣れてるからねっ!」


 イオは勢いで口にしてから、ある違和感に苛まれる。


 ――― あれ? もしかして私、話、噛み合ってない?


「キミは『よく見える』から、撃ちやすくていい」

「それって、もしかして褒めてくれてるの?」

「あまり、自信を失くされても、困る」


 ――― もうっ、この子ほんと腹立つっ! ……って待てよ、気味悪がるって何?


 イオが次に何か言おうとしたところで、最後の暴走メタスクイドを三号機が片づけた。

 メインモニタ下端に黄緑のアーメイドアイコンがポップアップする。


『アーメイド三号機、リコ。さくせん終了、きかん、します』


 リコの少し辿々しい通信を聞いた直後、ヒトはヘッドセットに繋がれたガンナープラグを外してそそくさとコクピットから出て行く。イオは黙ってそれを見送るしかない。


 うーむ、とイオは考えて、別の違和感。


 ――― あぁっ、こいつシートベルトしてなかったっ!(考察時間三分)

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