第八話 三番目のイレヴン
side A イオとニュクス
イオがヘパイストスに乗艦して五ヶ月が経過した現在、一つ困ったことと言えば、大好物の『チーズ鱈』(チータラではない)の入手が難しくなったことだ。
密かに箱買いして艦内に持ち込んだが、あと一袋で尽きようとしている。それを手に入れるためには基地外に出る必要があり、通販は艦の検閲を免れられない。
――― 全く以ってけしからん、プライバシーの侵害だっ!
と、イオは理不尽にも憤慨する。
先日、綿密な計画によって大量確保を画策したのはチーズ鱈だった。どう考えても歳頃の女子が第一に好む食べ物ではない。発覚すれば『おっさん認定』間違い無しだ。
すでに『不審者認定』を果たしたイオにとって、ダブル認定は何としてでも避けねばならない懸案事項である。それを許せば女の子の看板を降ろさざる得ない。
――― 女の子に秘密はあって当たり前。それはソレ、これはコレだ。
だが、その性分が災いしてか、不都合な認定を避ける努力をする気は更々ない。
今更ながら凄く雑な女、それがイオである。
因みに、チーズ鱈を電子レンジで二分ほど加熱して水分を飛ばし、黒胡椒を振って頂くのが最近のお気に入り。ハチミツをかければスイーツとしても上出来。
閑話休題。
九月も中旬を過ぎ、秋の声が聞こえ始めた頃。
現在の一課第五ヘパイストスは巡回ローテーションを一課第三テーセウスと交代し、三日間のオフシフトに入っている。要するに非番である。
イオは最後のチーズ鱈一袋と同じく隠れて持ち込んだミニ発泡酒六缶パックを持って、誰も居ないはずの夜の展望室へと向かう。
だが、そこは予期しない人物に先を越されていた。
窓際で横須賀の夜景を眺めながら黄昏ていたニュクスである。
「あらーっ、いいもの持ってるじゃない。まさか一人で開ける気?」
ニュクスの視線はイオの手にぶら下がったミニ発泡酒に向けられている。
イオは渋々発泡酒を差し出した。チーズ鱈もパーティ開けせざるを得ない。
二人で小さな乾杯をして、それとなく質問を口にする。
「ニュクスはもしかして、昔に『猫』飼ってた?」
「分かるの? 昔ね、特別な猫って訳じゃないんだけど、子どもの頃に拾って」
「ははぁ、やっぱり。セリを見てるとそうじゃないかって」
虎の子のチーズ鱈の見返りとばかりに、イオは立ち入った話題を振る。
「やっぱりそう見えるんだ。確かにアレはアタシの影響だと思う。随分長い付き合いの猫だったんだけど、服役中に死んじゃって」
「えっ、えっ、ふ、服役中っ?」
予想外の返答に愕然とし、踏み込みが深すぎたと少しばかり後悔をする。
「ああ、むかしアタシって結構な札付きでさ。格闘技かじってたのと、側から言わせると当て感が強いらしくって、喧嘩とか早々負けたことなかったのよね」
異重力分析官にしては場違いなガタイ、と常々思っていたので腑に落ちる。
「それである時、えーと、深く聞かないでね。その、やり過ぎちゃってさ、で、服役」
やや自嘲気味のニュクスは一缶目を空ける。
もう一缶を咎める勇気はイオにはない。
「で、服役してる間に。人に預けてたんだけど、看取れなかった後悔もあるのかな」
「ナーヴスの『影響されやすい』ってこういうこと?」
「何も分析官自身に似るとは限らないけどねえ、セリの女の子らしさはアタシにないし」
謙遜ととるべきか否か、酷い葛藤に苛まれるイオ。
「たまたま服役中に受けた異重力知覚テストでA評価だったし、相手に賠償もあるから分析官になったんだけどさ、そこで初めて組んだのがセリ」
二缶目を空けたニュクスは饒舌になった。普段の彼女はこの程度では酔わない。
「最初は生っ白くてモヤシみたいなやつだと思ったら女の子でさ、オフの時もずっと一緒に居たら、日に日に女らしく変わっていくんだよね」
「さぁっすが、ニュクス兄貴っ!」
「あはは、知覚共有の副次作用。あんまりみんな言わないけどさ、パートナー同士惹かれ合うか、憎しみ合うかのどちらかなのよ。だからパートナーは定期的に交代すべきだと思う」
――― 憎しみ合う。それはこれまでのヒトのことを言っているのだろうか?
「お互いの気持ち。これって本物なのか、最近はそればっかり考えてる」
窓の外に向き、遠い目のニュクス。
「ナーヴスは人と過ごす時間が長くなれば長くなるほど、普通の子どもに近づいていくの。そして近づくに従い能力が落ちるから、満二十歳の任期が決まっているのよ」
一息つき、ニュクスは寂しそうな顔をする。
「来年、一緒に退官するべきか。アタシは外に出れば前科者だし、賠償だってまだまだ終わらない。セリにアタシの人生を付き合わせちゃっていいのか」
「もしかして、時々喧嘩してる原因ってそれ?」
恐る恐る尋ねると、ニュクスはウィンクで返した。
ナーヴスはメタストラクチャー対策の為、退官後の国籍取得と手厚い待遇保障を引き換えに特例として社会に存在を認めさせているクローンである。
つまりアーメイドガンナーの任さえ降りれば、恵まれた人生が待っているのだ。
「アタシばっかりも何だから、アンタにも何か喋って貰おうかな? ヒトのこととか」
「べべべ、別に、私は何もないですっ、弟達の学費を稼がなきゃいけないし、六つも歳下だし、あんな根暗の無神経のドM……」
「あはは、アンタはヒトとは上手くやって欲しいけど、深入りすると色々厄介だから」
と、ニュクスは最後のチーズ鱈を口に放り込んだ。
「いや、まあ、その…… 何もないんで」
イオはチーズ鱈の空袋を見つめながら、同じ言葉を繰り返す。
***
「ああ、もうっ、艦内で中華が頂けるなんて信じられないっ!」
イオは興奮を隠せない。今日はリウ医療管理官が手料理を振る舞う日だからである。
鑑のメニューはパンチがない、と月一回だけ得意の腕を振ってくれるのだ。
ヘパイストスの食堂は半自動化されており厨房と呼べるものはない。食堂奥の給湯室に自前の調理器具を持ち込んで、ささやかに行われるだけである。
料理自体もパックに小分けして数食限定で用意するのみ。イオはいつもの面子の分まで確保するほど、この日を待ちわびていたのである。
因みに今月のメニューは「酢豚」だ。
「昔、イギリス領だった香港、その影響が強かった上海で、当時高級食材だったパイナポゥを使って欧米人の口に合うよう改良したのが始まりって、こらーっ、選り分けるなーっ!」
「中華なのにパイナップルなんて、あり得ないんだけど……」
不満気な顔をしてパイナップルを箸で突つくセリ。
イオが薀蓄を披露するも、セリの耳にはあまり届いていない。
「まあ、カレーにリンゴ入れるようなものよね」
アレサ哨戒管理官は粛々と肯定意見を述べ、早々と箸を付ける。
「へえ、程よい甘みと酸味で、ようやく温かいものを口にしようって気になるねえ」
ニュクスは気に入ったようである。
その隣でリコは恐る恐る酢豚に箸を伸ばし、一口頬張った。酢豚に向ける視線は真剣そのもの。怪訝そうな顔がみるみる綻んでいく。実に分かりやすい。
「イオ、おいしいっ!」
「君は絶対気に入ってくれると思ったよっ!」
上機嫌で黙々と食べるリコを見て、いたくご満悦である。
ヘパイストスに乗艦して半年近く、イオはすっかり周囲に馴染んでいた。
と、そこへレーション片手にヒトが通りかかる。
いつものことだが、彼はアーメイドの整備をしながら食事を摂るつもりなのだ。
リコは酢豚のパックをヒトの視線に入る位置まで持ち上げる。
「ヒト、おいしいよ、これ」
「あらリコ、そこはアーンして、でしょう?」
セリがいつもの調子で揶揄うと、リコは顔を真っ赤に染めて俯くしかない。
ヒトは僅かに表情を緩め、何も言わずリコの頭に手を置いた。
先日の怪我は随分と良くなり、袖から覗く右腕の包帯以外その痕跡は見当たらない。
歩き方はまだ本調子ではなく、若干の心許なさを残している。
「ヒト君、たまには落ち着いて、座って食事を摂ったらどうなの?」
――― 私、なにお母さんみたいなこと言ってるだろう?
イオはそう思いつつヒトに声をかける。
当のヒトはセリとリコ、そしてイオの順に視線を移す。
「イオ、体重許容値、『超える』と面倒だから」
「ちょっと待てっ! その視線の移動はどういう意味だっ!『肥える』ってかっ!」
ヒトは憤るイオを横目にそそくさと立ち去った。
イオ、額に青筋。
ヒトはここ数日、しきりに視界に介入するニューメディカのアラートを煩わしく思っていた。
『要メディカルチェック』としていくつかの項目が候補に挙がっている。
全て『Later』にチェックを入れて格納庫に向かう。
***
九月下旬某日、早朝の午前五時二十分頃に重力震発生。地表到達予測時刻は同日午後三時前後、五百メートル級メタストラクチャーが二体同時に出現した。
彼ら二体の降下予測地点は静岡県駿河湾沖、静岡市と伊豆市のほぼ中間。二体の降下地点は一キロメートルも離れておらず、極めて陸に近い。
今回は静岡市側をA、伊豆市側をBと呼称し、狙撃権共にそれぞれ一課第四ペルセウスウィルと一課第五ヘパイストスの二課同時でこれにあたる。
へピイATiが出現を予測したメタスクイドはAB合計十八体。一課第五はフォワード二号機ヒト・イオ組、アシストは二号機セリ・エリック組、三号機リコ・ニュクス組の編成である。
直近のメタスクイド進化傾向を鑑み、今回は両課とも全機出動となった。
現在一課第五ヘパイストスは相模灘を南西に進み、熱海市上空を通過中で伊豆半島を横断後にアーメイド三機を出動させる。作戦開始タイミングは彼らの降下終了、着水直後の予定である。
偵察ドローンの映像で上空から確認したメタストラクチャーは、今回A及びBとも縦に長く頭を擡げるように途中で上に折り曲がっている。
「どう見ても、黒い靴下にしか見えないんだよなあ」
二号機アーメイドプラスの後席に座るイオの独り言だ。
前席のヒトをチラ見するも、相変わらずの無反応でピクリとも動いた様子がない。
順調に回復しているはずだが、イオには彼の顔色がカイの事件前よりも悪くなったように思えてならない。
さり気なさを装い、イオは前席に話しかける。
「ねえ、もしかして知覚共有中ってさ、私にも何か見えてるの?」
「そんなこと、気になる?」
――― よっしゃ、乗ってきたっ!
「え、だって、そっちはがっつり見えてるんでしょ?」
「…………」
実は以前から気になっていたことだ。
しばらく沈黙するヒト。
――― うーん、やっぱり愛する弟達かな? いや待て、エリックおじさん…… なワケないか。私が知らないセクシャリティとか暴かれたらどうしよう? まさかベッド下の薄い……
思わず口にしてみたものの、イオは話題のチョイスに後悔する。
何も己れに都合が良いことばかりとは限らない。
だが、好奇心には勝てなかった。
期待と不安が入り混じる。高鳴る胸が落ち着かない。
そして、ヒトは口を開いた。
「あれは…… ツマミ、かな? あと缶ビール」
「はあああああああああああっ?!」
がっくりと肩を落とす。と言うか、イオはたいがいおっさんである。
――― って、おじさんが言ったまんまじゃん。いいやもう……
「はぁーっ……」とイオは大きな溜息を吐く。
ふと思い出して、ついでにもう一つの引っかかりを口にした。
「そう言えば、随分前の話だけど、プールの時におぶってくれたの、ヒト君、だよね?」
その問いかけに、ヒトは僅かに言葉を詰まらせる。
「あれは、その、自分が蒔いた、種……」
ヒトにしては珍しく歯切れが悪い。
だが、イオはその言葉を決して聞き逃すことはなかった。
「えっ、なに? もう一回言って? ねえっ、お姉さん聞こえなかったっ!」
ヒトは再び沈黙する。
「ちぇっ、天の岩戸かよ、オイ」
イオは舌打ちする。
そこへ一課第四所属のアーメイドから通信要請が入る。
ヒトは訝しげにタッチディスプレイを操作し、音声回線のみをONにする。
オレンジに「1」と表記されたアーメイドアイコンがポップアップ。
通信の相手は一号機のカイだ。
「用は、なに?」
――― 良かった、いつものヒトだ。って良くない、か。
通信の相手を知り、イオの脳裏に先日の事件が過ぎる。
『キミのことを水に流すつもりはない。だけど任務は任務だ。そっちには怖いお姉さんが乗っているし、ボクはエルに殴られたくはない』
ヒトは黙って聞き流す。
――― ちょっと、怖いお姉さんって誰よ?
イオは少し引っかかる。
『余計なことはしない。ボクは任務に集中する。以上どわっ、い、痛いよエルッ!』
『二度と変なことさせないからっ、安心してねっ!』
最後にエル異重力分析官の声が割り込み、通信が切れる。
後席のイオからは、ヒトが僅かに肩を竦めているのが見える。
初めて出会った頃に比べ、少しは人間らしくなったように思えた。
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