side B イオ、お風呂で拉致監禁

 現在のヘパイストスは駿河湾は沼津市戸田沿岸から約三キロメートル沖の海上に停泊中である。

 超研対の他課ATiの独立性は回復されず、〔一番目のイレヴン〕による支配が継続したままだ。ペルセウスウィルも同じく駿河湾、静岡市寄りの海上に着水したまま動いていない。

 超研対本部は元より、他課へはそれぞれ個人端末同士でしか連絡が取れない状況である。


 陽は落ち、辺りはすっかり暗くなっている。

 駿河湾を囲む岸の向こうに、砂粒のように散らばった街灯りが見え始める。

 まるで何事もなかったかのように静かだ。


「君達は何をやっているのかね?」


 アンダーソン艦長はブリッジの惨状を見て、開口一番に発した言葉である。

 だが、その口調はいつにも増して硬く、普段の温和さからはほど遠い。


「いやっ、まあ、それが、その……」


 エリックは口篭りながら言葉を選びかねている。

 額には濡れタオルを当て、ヒライの後ろで小さくしゃがみ込んでいた。

 ヒライは鼻の穴に詰め物、額には太い筋状の痣。

 エドは顎に絆創膏を貼っている最中で、共にげんなりとしている。

 イオは左奥の席に座らされ、アレサになだめられている。

 因みにヒトはブリッジ入り口近くの壁にもたれ、腕を組んで状況を黙って見守っている。


 アンダーソンのただならぬ空気を察してイオが反応する。

 言うまでもないが、この惨状の原因を引き起こした張本人だからである。


「わ、私の中の、ニューメディカが、じゃない、らしくて、その……」


 イオはアンダーソンに向き直り、戸惑いながらも言葉を列べる。

 自らが置かれている状況に少しは理解が進んだようだ。


「イオの中に居る『それ』、〔三番目のイレヴン〕セカンダリコアだ」


 それまで押し黙っていたヒトが言葉にする。


「ごめんね、イオちゃん。でも、そうとしか考えられない。イオちゃんのニューメディカは偽装。何故『それ』がそこに居るのかは……」


 ヒライはイオに視線を移しながら、遠慮がちにその言葉を口にする。

 だが、艦長に驚く様子はない。視線を真っ直ぐイオに向ける。

 このタイミングでニュクスとクライトン副艦長もブリッジに現れた。


「そろそろ表に出てきてくれないか、〔三番目のイレヴン〕」


 アンダーソンはイオに向かって告げる。

 続いて険しい表情を変えないまま、左から順にブリッジクルーを見渡した。


「えっ、か、艦長、知ってたんですか?」


 エリックが驚きの声を上げたその時、イオは静かに席を立ち上がる。


「君と直接対話するのは初めてだ。名も無き賢者の一人、ジェイムス・アンダーソン」


 イオの中の〔三番目のイレヴン〕がクルーの前で初めて言葉を口にする。

 驚いたアレサが思わずイオの側から後ずさった。

 しばらく沈黙の後、アンダーソンが口を開く。


「君が出てきたと言うことはプライマリコア、アストレアも現れるということだな」

「あ、アストレアって、艦長……」


 エリックは次々と紡がれる言葉にただ驚愕し、目の前の状況からただ視線を外せない。

 それは他のクルーも同様で、固まっている、その表現の方が適切である。

 今、ブリッジの空気を満たしているのは艦内に薄く響く機関稼動の反復音だけである。


「その通りだ。既に我らの行動は〔一番目のイレヴン〕に感知されている。我を炙り出すために彼らは全ての演算思考体、v9及びv10を奪った」


 イオは再び腹話術の人形のように話す。

〔三番目のイレヴン〕の言葉である。


「我々にどうしてほしい?」

「我が指定する場所に向かうこと。そして〔一番目のイレヴン〕の襲撃を躱す準備だ」

「しゅ、襲撃? 我々を? 何故?」

「この艦に〔三番目のイレヴン〕の片割れが乗っているからだ」


 ヒライが口を挟むが、クライトンが他に聞こえるように返答する。

 アンダーソンはクライトンを一瞥し、対話を続ける。


「彼らは恐らく、プライマリコアとの接触直前に襲ってくる。そうだな?」

「その通りだ」

「君達も見ただろう、シュペール・ラグナ。あれが〔一番目のイレヴン〕の居城だ」


 アンダーソンはブレインズ殺害の報をブリッジに現れる直前に受けていた。

 ヒトは黙ったまま、じっと視線をイオに向けている。




***




「神経メンテナンスまだよね、リコが心配して安定しないの。早く行ってらっしゃい」


 ニュクスはヒトの肩を叩いて声をかける。

 神経メンテナンスには一定のリラックス状態が必要だが、リコのそれが中々終わらないため、ニュクスはヒトを探しにブリッジに戻ってきたのである。


「わかった」


 ヒトは若干の間を置いて返事をし、未だ乗っ取られたままのイオにチラと視線を送る。

 ニュクスはヒトのそれを見逃さない。


「あら、珍しい。気になるの?」


 ニュクスは片眉を吊り上げ、何かを察したかのようにヒトに言う。


「パートナー、だから」


 ヒトはそう口にしてブリッジを出た。口調は普段と変わった様子はない。

 ニュクスはヒトの背中を見送ると感慨深げに呟いた。


「へえ、大した変化だわ」




 2Fヘパイストスブリッジの隣がメディカルルームなので大した距離ではない。

 ヒトはブリッジに出た直後に頭痛と嘔吐感を意識する。

 自らも強い緊張状態が続いていたことに驚いた。

 ニューメディカの警告機能を強引に切ったままだったから気づかなかったのである。


 軽く苛立ちを覚えている自分に理解が追いつかない。

 ヒトはこめかみを抑えながらメディカルルームの扉を開ける。


「ほーら、リコ。王子様のご帰還よぉ」

「もうっ、セリったらっ」


 メディカルルーム奥のカーテンの向こう側。リコはチェア型のメンテナンス装置の上でまだ調整端子を付けたまま、セリはリコの左脇で装置に両肘をつき膝立ちになっている。

 二人ともバックウェア姿にリコは腰までブランケットを掛け、セリは淡いピンクのカーディガン。脱いだガンナースーツは装置脇のハンガーに制服と一緒に掛けられている。


「ヒト、ほら早くしてよね、リコはお姫様じゃ満足してくれないの」

「んもうっ!」


 セリはいつもの調子でヒトを出汁にリコを揶揄う。

 リコは怒ってブランケットを頭から被ってしまう。


「あはは、セリちゃんはお姫様より女王様だよねえ」


 カーテンの向こう側からリウ医療管理官の声が聞こえる。


「あーっ、先生ったら、ひどーい」


 セリが文句を言っている横でヒトは黙ってリコの右隣の装置に横たわり、手元のケースを開けて取り出した安定剤を飲む。

 調整端子を額のNDポートに貼りつけて瞼を閉じた。ガンナースーツは着たままだ。


 リコはブランケットに小さな隙間を作って、ヒトの横顔を眺めている。

 セリは小さな溜息を吐き、ヒトのそれが終わるまで口を開かなかった。




***




 東京都の本州島側の南方海上二百八十七キロメートル、御蔵島の南南東方約七十五キロメートルにある八丈島、その近海にヘパイストスは向かう。

 超対研ヨコスカ基地に帰還せず、ジェイムス・アンダーソン艦長の独断による単独行動となる。

    

 へピイATiは〔一番目のイレヴン〕のハッキング開始前に攻性ウィルスプログラムを仕込まれたことによって支配から逃れた。

 だが、他課ATiはその限りではなく、現状では復帰が見込めないままである。

 結果としてヘパイストスは孤立無援となってしまっている。


 ヘパイストスは駿河湾に降下した二体のメタストラクチャー対応が定期巡回任務の直前であったため、装備燃料などにまだ余裕がある。

〔三番目のイレヴン〕の提案に沿って艦とアーメイドの準備を終え、沼津市の戸田沿岸を発つ予定時刻は翌日の早朝四時ちょうどとなった。

〔一番目のイレヴン〕襲撃に備え、夜間での行動を避けた結果である。そして、ヘパイストスクルー達にはひとときの猶予期間が得られた。



 イオの中の〔三番目のイレヴン〕はアンダーソン艦長との対話が終わると、直ぐイオに身体を返した。今度は対話中も意識があったので、イオは間の出来事を覚えている。

 前回乗っ取られた時はヒトの神経接続が強制切断され、その時の痛み――― ヒトの痛覚が知覚共有システムを通してイオに伝搬してしまったからである。

 つまり意識喪失は〔三番目のイレヴン〕が意図したものではなかったのだ。


 イオは困惑する。


 ――― 状況はなんとなく把握した。でも経緯がさっぱり分からない。人類史上最上位の演算思考体、何故そんな大変なものが私の中にあるのか?


 イオはフライトレコーダーも、ヒライの自作キーボードの映像も全て確認した。

 通路の監視映像(全裸で全力疾走)まで改竄されていたのはファインプレーだと胸を撫で下ろしたが、「何故私なのか?」というピースが埋められない。


 イオは回想する。


 ――― ニューメディカをインストールしたのは十年前の事故の時。何かの間違いで世紀の大陰謀に巻き込まれてしまったのか? 父は確かに研究者だったが、そんな大研究をしていたとはエリックおじさんからも聞かされていない。自然出産が当たり前だった時代の「赤ん坊の取り違え」のようなもの? ……いや、うまい棒の中に金の延べ棒が混じっているようなものだ。


 イオの頭の中でぐるぐると回って離れない。

 喩えが一部おかしいのはイオがその昔、根っからの駄菓子っ子だったからである。


 ――― エリックおじさんと言えばプライマリコア。同時にアストレアも現れる。もしかしておじさんの婚約者、もしかしてアルヴィーも生きている? 今まで調査の甲斐もなく、海のど真ん中で八年間。おじさんには悪いが素直に喜んで良いことなのだろうか。


「私はその質問に答える立場にない」


 アンダーソンはそう言って頑なに口を閉ざす。

 イオはごねることもできたが、〔三番目のイレヴン〕が介入する可能性も考えた。

 また、先に殺害されたイ重研の開発トップ、アダム・ブレインズはイオにとっては雲の上でピンとこないが、アンダーソンとは旧い友人だったと聞く。


 イオは葛藤する。


 ――― ここは一先ず日本人らしく心中察するべきだろうか。私の懸案は「わたくしごと」だ。いや待て、人類最上位の演算思考体が私事なのか? そうだ、大事なことを考えていない。そもそも私はこの怪しげな演算思考体と、これから先もずっと付き合わねばならないのか?


 うまい棒から人類の危機まで、イオはあまりの振り幅の大きさに目眩を感じつつ、気持ちを切り替えようと入浴施設に向かう。

 明日の相手は、危なくなれば勢力圏外に逃げれば済むメタストラクチャーとは違う。


 ――― 最後の風呂になったらいやだな。


 ヘパイストスの階段を下りながら、イオはぼんやり考える。





 ヘパイストスの入浴施設は最下層の5Fに有り、レクリエーションという名のジム施設の隣である。浄水設備が優秀なため、いつ入っても快適だ。

 イオ曰くヘパイストスは「食事はイマイチだが風呂は最高」とのこと。浴槽は四人も浸かれば罰ゲームなほどの広さだが、男性陣には内緒の檜風呂である。

 その優秀な風呂を独り占めせんがため、いつも遅い時間に入りに行く。

 日頃のストレス解消には持ってこいだ。


 イオは鼻歌混じりに服を脱いで下肢装具を外し、ロッカーに収める。

 脱衣室と浴室には其処彼処に手摺りがある。脚に不自由を抱える身でも大して困らない。

 それとはすでに十年の付き合いがあるので慣れたものだ。


 バスタオル一枚で浴室に向かい、扉の脇に杖を立て掛けると何やら人の気配がする。

 轟々と唸る換気扇の音で気がつかなかった。

 この時間に先客? と浴室を覗くと、そこにはいつもの女子チームが姿があった。

 見ればニュクスとアレサは湯船に浸かり、セリが洗い場でリコの髪を泡立てて洗っている。


「あら、イオ待ってたのよ」


 セリはそう言うと、イオの前にすっくと立ち上がる。

 髪を後ろにまとめているので、薄く漂う湯気しかその肢体を隠すものがない。


「は……」


 イオは染みひとつない肌に艶やかな曲線を描くセリのそれに思わず言葉を失う。

 すると、セリはイオの腰に手を回して強引に浴室に引き入れ、扉を締めた。

 扉の取っ手のパネルには『施錠』の二文字が浮かび上がる。檜風呂に合わせて明朝だ。


「ちょっ、え? ……なんで鍵、かけるの?」

「イオ、リコの後で、洗って、あ・げ・るっ」


 セリは問いかけを無視して呟くと、リコの隣の風呂椅子にイオを座らせた。

 湯気で曇った鏡には、ぼんやりとイオとセリの顔が並んで映っている。


「え、ええっ、じ、自分で洗うよっ、というか人が多過ぎだよねっ、出直すよっ!」

「ダメよ、そのために待ってたんだから。逃さないわ」

「イオ、わたしも、あらうよ」


 リコは両の瞼をぐっと閉じたまま、泡だらけの腕で挙手する。

 セリは背後から左手をイオの左肩に回し、右手を伸ばしてシャワーの温度を確かめる。

 顎をイオの右肩に乗せているので息遣いまではっきりと分かる。

 イオは密着されているので身動きができない。

 いや、身動きしたくないという理解できない不条理な葛藤に苛まれる。

 以前のプールの時とは違い、セリは水着を着ていないのだ。


 ――― こ、これは一体、ど、ど、どういうことっ?


 と、イオの心の叫び。

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