第九話 お風呂回で困惑する。Bパート

 東京都の本州島側の南方海上287km、御蔵島の南南東方約75kmにある八丈島、その近海にヘパイストスは向かう。超対研ヨコスカ基地に帰還せず、ジェイムス・アンダーソン艦長の独断による単独行動となる。

 へピイATiは〔一番目のイレヴン〕の支配開始前に攻性ウィルスプログラムを仕込まれたことによって支配から免れた。だが、他課ATiはその限りではなく、現状では復帰が見込めない。結果としてヘパイストスは孤立無援となってしまっている。


 駿河湾のメタストラクチャー対応は巡回任務に入る直前だったため、ヘパイストスにはまだ余裕がある。〔三番目のイレヴン〕の提案に沿って艦とアーメイドの準備を終え、沼津市戸田沿岸を発つ予定時刻は翌日早朝四時ちょうど。〔一番目のイレヴン〕襲撃に備え、夜間での行動を避けた結果である。結果、クルー達にはひとときの猶予期間が得られた。



 イオの中の〔三番目のイレヴン〕はアンダーソンとの対話が終わると、直ぐイオに身体を返した。今度は対話中も意識があったので、イオは間の出来事を覚えている。

 前回乗っ取られた時はヒトの神経接続が強制切断され、その時の痛みが知覚共有システムを通してイオに伝搬してしまったからである。つまり意識喪失は〔三番目のイレヴン〕が意図したものではなかったのだ。


 ――― 状況はなんとなく把握した。でも経緯がさっぱり分からない。人類史上最上位の演算思考体、何故そんな大変なものが私の中にあるのか?


 イオはフライトレコーダーも、ヒライの自作キーボードの映像も全て確認した。通路の監視映像まで改竄されていたのはファインプレーだと胸を撫で下ろしたが、「何故私なのか?」というピースが埋められない。


 ――― ニューメディカをインストールしたのは十年前の事故の時。何かの間違いで世紀の大陰謀に巻き込まれてしまったのか? 父は確かに研究者だったが、エリックおじさんを見ればとても大それた研究をしていたとは思えない。自然出産が当たり前だった時代の「赤ん坊の取り違え」のようなもの? ……いや、うまい棒の中に金の延べ棒が混じっているようなものだ。


 イオの頭の中でぐるぐると回って離れない。

 喩えが一部おかしいのはイオがその昔、根っからの駄菓子っ子だったからである。


「私はその質問に答える立場にない」


 アンダーソンはそう言って頑なに口を閉ざす。

 イオはごねることもできたが、〔三番目のイレヴン〕が介入する可能性も考えた。また、先に殺害されたイ重研の開発トップ、アダム・ブレインズはイオにとっては雲の上でピンとこないが、アンダーソンとは旧い友人だったと聞く。


 ――― ここは一先ず日本人らしく心中察するべきだろうか。私の懸案は「わたくしごと」だ。いや待て、人類最上位の演算思考体が私事なのか? そうだ、大事なことを考えていない。そもそも私はこの怪しげな演算思考体と、これから先もずっと付き合わねばならないのか?


 うまい棒から人類の危機まで、イオはあまりの振り幅の大きさに目眩を感じつつ、気持ちを切り替えようと入浴施設に向かう。

 明日の相手は、危なくなれば勢力圏外に逃げれば済むメタストラクチャーとは違う。


 ――― 最後の風呂になったらいやだな。


・・・


 ヘパイストスの入浴施設は最下層の5Fに有り、レクリエーションという名のジム施設の隣である。浄水設備が優秀なため、いつ入っても快適だ。

 イオ曰くヘパイストスは「食事はイマイチだが風呂は最高」。浴槽は四人も浸かれば罰ゲームなほどの広さだが、男性陣には内緒の檜風呂である。

 イオはその優秀な風呂を独り占めせんがため、いつも遅い時間に入りに行く。日頃のストレス解消には持ってこいである。


 イオは鼻歌混じりに服を脱いで下肢装具を外し、ロッカーに収める。脱衣室と浴室には其処彼処に手摺りがあるので、脚に不自由を抱える身でも大して困らない。

 バスタオル一枚で浴室に向かい扉の脇に杖を立て掛けると、何やら人の気配がする。轟々と唸る換気扇の音で気がつかなかった。

 この時間に先客? と浴室を覗くとそこにはいつもの女子チームが姿があった。見ればニュクスとアレサは湯船に浸かり、セリが洗い場でリコの髪を泡立てて洗っている。


「あら、イオ待ってたのよ」


 セリはそう言うと、すっくと立ち上がる。

 髪を後ろにまとめているので、薄く漂う湯気しか隠すものがない。


「は……」


 イオは染みひとつない肌と艶やかな曲線を描くトルソーに言葉を失った。

 するとセリはイオの腰に手を回して浴室に引き入れ、扉を締めた。扉の取っ手のパネルには『施錠』の二文字が浮かび上がる。檜風呂に合わせて明朝だ。


「ちょっ、え? ……なんで鍵、かけるの?」

「イオ、リコの後で、洗って、あ・げ・るっ」


 セリは問いかけを無視して呟くと、リコの隣の風呂椅子にイオを座らせた。

 湯気で曇った鏡にぼんやりとイオとセリの顔が並んで映る。


「え、ええっ、じ、自分で洗うよっ、というか人多過ぎだよねっ、出直すよ!」

「ダメよ、そのために待ってたんだから。逃さないわ」

「イオ、わたしも、あらうよ」


 リコは泡だらけのまま挙手、両の瞼は力を入れてぐっと閉じられている。

 セリはイオの背後から右手を伸ばしてシャワーの温度を確かめている。そして顎をイオの右肩に乗せているので、息遣いまではっきりと分かる。

 イオは密着されているので身動きができない。いや、身動きしたくないという理解できない不条理な葛藤に苛まれる。以前のプールの時とは違い、セリは水着を着ていないのだ。


「じゃあ、ジャンケンしよっか? 右と左で半分こ、前と後ろの方がいい?」

「え、えぇ……」

「イオ、ワタシの裸も全部見たでしょう? これでおあいこ」


 セリはリコの泡をシャワーで流しながら、イオの耳元でクフフッと笑う。

 その白く細い指先がシャワーヘッドの黒い持ち手に絡みついているのが見える。


「いや、あのそういう問題じゃなくて……」

「イオ、アンタ落ち込んでるかもしれないって、心配してたのよ? この子達」


 ニュクスはイオに声をかけると手にしたボトルに口をつける。中身はその赤ら顔を見れば、推して知るべしである。


「でも、不審者の濡れ衣が解けて、良かったじゃなーい」


 アレサは弄ばれているイオに視線を向け、物憂げに呟いた。

 イオはバスタオルも奪われて、すっかり抵抗する気力を失ってしまっている。


「ま、まあ……そうですか。そうですねえ……」

「イオ、これなあに?」


 セリは不意に尋ねる。

 イオは背中に伝うセリの指先の感触から質問の意味を理解する。


「あ、それ、昔の事故の跡。まだ分かるかな?」


 それはイオが十年前の火災事故で負った火傷の跡。普段は確認できないほど修復されているが、体温が上がるとその痕跡を露わにする。当のイオもその存在を忘れる程度のものだ。


「そうなんだ。じゃあこの大きいのはトドロキ大陸と名付けよう、小さいのはリコ大陸」

「あっ、セリずるーい! 自分だけおっきいの」

「分かった、分かった。じゃあこれも半分こ。小さいのはヒトにでも上げよう」

「あ、あの、人の背中を勝手に分割統治しないように……」


 イオはそう言いかけて、ふと強い既視感に見舞われる。事故のリハビリ中、弟達と交わした会話にそっくりだったからである。

 無邪気に戯れているセリとリコ、振り向くとほろ酔いでご機嫌のニュクス、浴槽の縁に頬杖を突くアレサ。イオはそれぞれを眺めて思い耽る。


 ――― ああ、びっくりするくらい平和だ。どうして明日は平和じゃないんだろう?



「はぁ、明日どうなっちゃうんだろ。ワタシ達」


 アレサは溜息混じりにこぼす。浴槽の縁の水滴を指先で突いて遊んでいる。


「残ったこと後悔してる? 鬼軍曹があんなに配慮してくれたのに」


 ニュクスはボトルの中身を振りながら呟く。それ越しにイオを眺めている。

 明日からのヘパイストスの行動は基本的には超研対の業務範囲外である。よって希望者には退艦命令が出ている。やむを得ず数人の整備クルーが退艦した。

 イオは否応なく『当事者』とされてしまったために選択の余地すらなかったが、そこは素直に受け入れた。相対する人類の脅威は変わらず、早いか遅いかの違いだけである。

 そもそも危険は覚悟の上での職業選択であり、得体が知れない〔三番目のイレヴン〕の正体を突き止めるにはプライマリコアとの接触が不可欠だからだ。


 セリとリコが「イオが落ち込んでいる」と心配していたのは、正にイオには「選択の余地がない」ことであり、それはナーヴス達とて同様だからである。


「あの人が残るって言うんだもん、ワタシだけ降りられない」


 アレサはイオを一瞥した後、その言葉を囁くように口にする。


「へえ、あの人って誰?」

「ひみつ!」

「はーん、じゃ、この後よろしくするんだ」

「あはは、そんなんじゃないわ。でも名案かも」


 イオは成すがまま二人に洗われながらも、浴槽の二人の会話に聞き耳を立てている。


 ――― 私、そっちの方はご無沙汰だなあ。そんなこと考えている場合じゃないけど。私にとってヘパイストスはマグロ漁船だから。


 と、イオがマグロを連想したところで、セリがとんでもないことを口走る。


「こんなに楽しいんだったら、ヒトも誘えば良かったーん」

「それはダメだよセリ!」


 セリ除く一同。


・・・


〔三番目のイレヴン〕は自らとへピイATiが直接連携することで、〔一番目のイレヴン〕の主要機動兵器と予想されるAMD176ベースの自律アーメイドに対抗を提案。

 予想戦力差を考慮し、一号機セリ、三号機リコは機はヘパイストス護衛に専念、二号機アーメイドプラスのヒトは遊撃に回る。


 本来であれば、相手がメタストラクチャーではないため分析官は必要としないが、二号機には〔三番目のイレヴン〕の搭乗も提案された。

 二号機アーメイドプラスはヘパイストス搭載アーメイドの中では最大の機動力を誇るが、対シュペール・ラグナ、即ち艦船相手となると攻撃力、防御力、持久力に欠け、残存確率は決して高くない。だが〔一番目のイレヴン〕の裏を掻くために敢えて有効との判断が成された。

 最悪の場合、二号機単独でアストレアとの接触を図る。つまりヘパイストスを囮にするという意味である。結果、イオも二号機に搭乗する。


 イ重力制御エンジン先端の六つの光輪、そして海面に映り込むそれが目立つのは、まだ夜明けが始まったばかりだからである。

 ヘイパイストスは一路八丈島に艦首を向け、海上10mほどの低空を時速300km弱ほどで疾走している。高度を上げないのは海中からの襲撃可能性が低く、相手はヘパイストスと同型発展型の戦闘揚陸艦シュペール・ラグナだからである。

 左舷の空が白みを増し、少しづつ明るくなり始めている。このまま進めばあと三十分もかからないうちに目的地に着く。


 二号機アーメイドプラスのコクピットの中で、増設されたガンナープラグに繋がったイオはただ押し黙って待機するほかなかった。

 目の前のヒトが黙ったままなのはいつものことだが、今回は異重力分析官としての仕事がない上に知覚共有も行う予定がない。行動を開始すれば〔三番目のイレヴン〕セカンダリコアが仕事をするだけである。


 ――― ずっとやることがない。そわそわして落ち着かない。昨日からの疑問は何も解決していない。居心地も悪い。何の役にも立てないのに私はアーメイドに乗っている。


 普段聴き慣れているはずのイ重力制御エンジンのアイドル音が煩わしく聞こえる。

 イオは昨日とは打って変わり、強い焦燥感に捉われていた。そして、悲しくなってきたところで珍しくヒトが口を開いた。


「イオ」

「?……え」


 イオは不意に声をかけられて少し慌てた。胸のNDポートに強引に取り付けられたガンナープラグが「かしゃんっ」と小さな音を立てる。ずっと俯いていたのである。


「セリとリコが」

「え、なに? ど、どうかした?」


 イオは指で目尻を拭うと指先が濡れている。急いで平静を装った。


「お風呂、また一緒に入ろう、伝えてって」

「あ、あはは、昨日のことね」

「随分、気に入られたんだ」


 ヒトの言葉には相変わらず抑揚がないので会話の先が読み取れない。


「いや、まあ、その、オモチャにされてるだけのような……」

「良かった」

「え、なに? なにがいいって?」


 ヒトは再び貝のように押し黙る。

 イオは半端な会話に困惑するが、ふと気がつくと先の焦燥感は何処かへ消えていた。


 ――― ちぇっ、マグロめ。どういう風の吹き回しだ。


 イオは左脚で前席をほんの少しだけ小突いた。


・・・

 

 先に姿を現したのは深紅の怪物、シュペール・ラグナの方だった。高度10000m上空の雲間から顔を出しているのが目視できる。ほぼヘパイストスの真上だ。

 ジャミング、欺瞞波電子妨害が効いているのでレーダーは役に立たない。ヘパイストスは〔三番目のイレヴン〕の提案の通り行動を開始する。アーメイド一号機と三号機を先に出し、ヘパイストスから100m離れずに護衛をさせる。

 そしてアーメイドとは別に、ありったけの思考装甲十二枚をヘパイストス周囲に展開させた。高速旋回する思考装甲の輪が二重となってヘパイストスに付き従っている。


 へピイATiが持つデータベースを通して〔三番目のイレヴン〕が予測したシュペール・ラグナの自律起動アーメイド投入数は四機である。

 これはパーツサプライヤからイカロス・インダストリーに納入される部品調達履歴を追跡した上で、シュペール・ラグナの公開諸元から推測されるアーメイド運用能力、ヘパイストス襲撃後の彼らの行動予測を加味して予測したものである。

 アーメイド自体の製造履歴を参照しない理由は組み立てを全てロボットが行うため、幾らでも隠蔽が可能だからだ。

 アストレアが出現すればさらに四機追加が見込まれ、シュペール・ラグナ内には自律アーメイドがヘパイストスの倍、最大十機の搭載が可能と予測している。



「しっかしよくもまあ、連中はこんなにイナロクを調達できたよね」

「オカシイと思ったんだよネ、変に他所の入れ替えが進んでナイから……」


 ヒライはシュペール・ラグナの戦力投射予測を見ながら感心をし、その横でエドが返す。

 因みにイナロクとは、AMD176アーメイドプラスのことである。


「うちのやつは言わばロールアウト前の広報モデル。よく調達できたよねえ! エドちゃん!」

「チョ、ちょっとヒライさん、ソノ、その話はココでは……」


 ヒライは揶揄うように言い、エドは小声で呟いた。その大柄な体躯が妙に縮こまっている。あまり都合が良い話ではないことが分かる。


「エドは趣味と実益兼ねてるもんねえ、だーれかさんと一緒だけどっ」


 アレサは不貞腐れたように言葉を口にする。ジャミングのおかげで自らの仕事をほとんど取り上げられている所為である。

 ヘパイストスに限らず超研対の艦船はメタストラクチャー対応に特化しているため、電子戦は不得手である。頼りの偵察ドローンも早々と落とされてしまった。


「エド・ブルーワー兵装統制官、その話、事が済んだら聞かせてもらおうか」

「ヒイッ」


 クライトンはエドの背後に立っていた。


「でも逆に、世界を牛耳る戦力としては控えめな気がするけど、こんなもの?」


 アレサが首を傾げている。同じ戦力投射予測を見ての感想である。


「今や世界のあらゆるものに対し人間はATiがやることを承認するだけ。つまり彼らはいつでも人間を締め出せる。大袈裟な武器は要らないのよ、彼らは待つことを苦にしないんだからさ」


 ヒライは座席ごとアレサの方に向き、丁寧に言葉を返す。


「世界を牛耳る、彼らはそんな俗なことは望んでいない。邪魔者を排除したいだけだ」


 クライトンはいつもの三名のお喋りに少しだけ付き合った。

 やがて、ヘパイストスの上空10000mの高度からシュペール・ラグナは深紅の自律アーメイドを四機、次々と天空へと放った。

 そして肉食の猛禽類が獲物を狙う機会を伺うように旋回待機を始める。

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