第二話 お姉さんはやればできる子
side A なーんにも関係ないんだけどさ
【イオのモノローグ】
もう色々大変なのよ、イ重研から超研対に移って。
私ね、超常知性構造体とかいう人類の脅威、それと戦ってるの。
もちろんお父さんも知ってるよね。
タワシのお化けみたいなやつ、黒くて、すっごく大きいの。
東京ドームの二個分かな? 信じられないでしょ。え、喩えが旧い?
と言っても、NERVESって子ども達のお手伝いしてるだけなんだけどね。
アーメイドっていうロブスターみたいな飛行機ロボットに乗って。
そうそう、ばーんって撃って、どーんっとやっつけるの。
え、大雑把過ぎるって? …… それ言ってるのお母さんでしょ。
いやいや、可愛い弟達のためよ。
叔父さん叔母さんにこれ以上世話かけられないしさ。
お金に目が眩んだって酷いなあ。
ま、ぶっちゃけそれなんだけどさ。
という訳で、私ことミナミ・イオは少しだけ婚期が遅れると思いまーす。
ねえ、ちょっと聞いてる?
そうそう、お盆には帰れるんじゃないかなあ。
ところでお父さん。
私になにか…… 隠し事してない?
◆◇◆
四月下旬某日、高度を上げ南西に進路を取る超研対一課第五ヘパイストス。
艦胴体に並ぶ大型イ重力制御エンジン、その先端に発生する光輪が煌々と輝いて見える。高い出力を維持している証拠と言えるが、快晴下ではここまではっきりと視認できない。
イオの二回目のメタストラクチャー対応は生憎の曇天となった。
静岡県駿河湾より南海上五十キロ付近に、六百メートル級メタストラクチャーの降下予測。通常より多数のメタスクイド出現が予測されるため、超研対一課第四ペルセウスウィルとの共同作戦となる。
本日早朝の午前四時頃に重力震が観測されたため、メタストラクチャー地表到達時刻は午後二時頃が予測される。今回はアーメイド一号機のセリ・エリック組が待機となる。
3F女子ロッカールームにて出動準備をするイオ。
初出動時は時間も無く敢えて無視したが、イオはアーメイド搭乗に義務付けられているガンナースーツの『ある部分』がどうしても気に入らない。
申告サイズに忠実に成型されたスーツは、身体にピッタリ過ぎるだけでも恥ずかしいのに、胸のカップ部分だけ不自然に生地が余っている。
「あの、やっぱりこれ、着ないとダメ?」
現在のロッカールームはイオの他にリコとニュクスの三名だけ。
念入りにセリが居ないことを確かめ、隣で着替え始めたリコに小声で話しかける。
「だめだよ、調律のじゃまになるし。さいあく、骨折しちゃうよ」
ガンナースーツには慣性制御に必要な反慣性繊維AIFが織り込まれており、アーメイド搭乗時には必ず着用しなければならない。
余計な負荷要素は慣性制御に影響し、正確な異重力マップ作成を阻害する可能性もある。
前回出動でアンチグラヴィテッド調律に失敗したイオには返す言葉がない。
灰色の薄いバックウェア姿のリコ、好奇心いっぱいの目をさらに開いて首を傾げる。
低い背丈と髪の短さも相まって、まるで小さな男の子のよう。
「え、足りないの? 胸」
「ええと、あの、それ、逆ぅ……」
躊躇なくそれを口にしたが、彼女に悪意がある訳ではない。
イオ、涙目。
「おかしいなあ。へピイ、サイズミスするなんて」
――― 実は盛りましたっ! ごめんなさい……
サイズ申告が合格通知の直後だったため—— 要するに浮かれていたのである。
イオはこの時、人生X度目の己れの愚かさを呪った。
「ふぅーん……」
「あのっ、そんな、その、まじまじ見ないで……」
眉間に皺を寄せ、様々な角度からイオの『ある部分』の観察を始める。
イオは何とも言えない居心地悪さを感じていると、リコは何か閃いたのか手を叩いた。
「そうだ、テープ、テープで貼って、ひっぱるといいよ」
「は?」
リコは一番端の備品ロッカーから、スーツ用の補修テープを持ち出した。
そして、ベーっとテープを引き伸ばす音、顔には得意げな笑み。
無慈悲な反応。イオはこの上なく強い眩暈を覚える。
「はい、イオ。ばんざいして」
「え、えええっ、リ、リコちゃん、本気? ホンキなの?」
「前からぐるっと、せなかまで貼れば、剥がれないよ」
「いや、そう言う問題じゃなくて……」
リコは伸ばしたテープを手ににじり寄り、イオは思わず腕で胸を隠して後退りする。
すると、後ろから野太く低い声。
「エリックも苦労して絞ってるんだからさあ、着なきゃダメよーっ」
振り返ると、二人に背を向けて着替えるニュクスの肩が震えている。
必死に笑いを堪えているのは言うまでもない。
結局、イオのガンナースーツは他より横一本のストライプが増えた。
着用を終えたイオはヘッドセットを抱え、凹みながら格納庫へと向かう。幸い、テープはスーツの上に着る防護ジャケットで隠れたので、一目でそれと分からない。
手にしたヘッドセットを胸に押し当て、反発する感触を確かめる。
――― いや、分析官の仕事にはなーんにも関係ないんだけど。
アーメイド二号機の巨軀を見上げながら、長い長い溜息を吐いた。
誤解を恐れずに言うとすれば、イオのそれはリコのそれと大差がない。
差があるとすれば、将来性のみである。
——— ちぇ。(ぐすん)
***
フォワードの二号機ヒト・イオ組、アシストの三号機リコ・ニュクス組の体制で出動し、海上僅か数メートルの高さを亜音速で飛行する二機のアーメイド。
曇天による鈍い陽光の下、アーメイド後方には衝撃波が生む爆音と飛行高度より高さがある白い飛沫、そして遅れて後を追うヘパイストスの姿。
超常知性構造体メタストラクチャーの降下出現により、洋上には艦船の姿はない。
今作戦は一課第四ペルセウスウィルと共同で展開するが、初手のアンチグラヴィテッド狙撃権は一課第五ヘパイストス側で受け持っている。
それは一課第四ペルシイATiとへピイATiの演算思考体同士が協議した結果であり、初手で狙撃に失敗した場合は一課第四に狙撃権が移る。
今回の六百メートル級メタストラクチャーは進行方向に対して前後にやや長く、前回トーキョーエリアで撃破した五百メートル級と質量自体は大きく変わらない。
メタスクイドの出現予測は十二体。前回は先に東京湾で交戦した一課第三テーセウスが数を減らした結果の四体だった。
イオは前回アンチグラヴィテッド調律を失敗した身である。
初手を任されているのはヒトの実績から。だが、彼のパートナーはイオ自身だ。
おまけにメタスクイドの数は前回の三倍、明らかに成功難易度が上がっている。
一発一億円。その言葉が頭の中でぐるぐる回って離れない。
――― 楽な時に成功体験をしておけば良かった。なんで選りに選って私達が初手なのか。そもそも前回は条件が容易だったから、出動許可が下りたのではないか?
イオは先から後ろ向きなことばかり考えている。
頰でも殴って気合いを入れようと思い立つ。
が、視界同期ゴーグルが邪魔をして平手では上手く殴れない。
グーで殴ってみたら思いのほか痛かった。
殴ったことを少し後悔しつつ視線を上げると、ヒトが後付けのルームミラー越しに首を傾げている(ように見える)。
――― ああ、絶対アホな子だと思ってるんだろうなあ……
はあ、とため息を吐いて再び深く落ち込むものの、異重力マップボードと位相ホログラム成形素子が編み込まれたグローブトラッカーが目に入る。
OLを辞めてまで、何のためにアーメイドのコクピットに座っているのか。
一般には希少な資質、異重力知覚があるからだ。
そしてそれは愛する弟達のため——
――― 前回失敗の原因はパラメータの入力ミスと把握している。同じミスは繰り返さなければいい。今度こそ頑張ろう。
イオは気持ちの切り替えスイッチを探し当てた。
先行する偵察ドローンが六百メートル級メタストラクチャーと、主人の周りを泳ぐように周回する十二体の烏賊擬き—— メタスクイドの姿を捉えた。
通常、メタストラクチャーは着水した後に侵攻を開始する。だが、今回は海面には僅かに接触しておらず、足元に飛沫が上がる様子がない。意図は不明である。
北北東に向け、時速二十キロメートル程度で歩みを進めている。その巨大過ぎる体躯の所為でその場に留まっているように見える。
ほぼ真横からの映像なので、イオには前回と形状の区別が付かない。
「あれ、なんで海面と接触してないんだろう……?」
前席のヒトに反応する気配はない。イオの独り言だ。
『お魚さんはもう食べ飽きたんじゃない?』
メインモニタ下端に黄緑アイコンが表示され、ニュクスがジョークを言う。
メタストラクチャーが駿河湾に入り込めば、湾の奥行き距離分だけ本土に到達する時間が稼げる。だが、そこからの彼らの進路予測が難しい。
結果、避難勧告を伊豆半島を含む駿河湾に接する全地域に出さざる得ず、一時的とは言え経済損失も少なくない。何より上陸を許せば人的被害も避けられない。
彼らは地上のあらゆる生物、つまり『人も食らう』存在なのだ。
――― 決して笑えるジョークではないが、気を紛らわすには丁度いい。
頓知が利いた返事を考える。
「うーん、おすすめは桜エビかな……ってエビも海の幸か」
『あはは、あの辺りは海産物ばかりだから。静岡茶を勧めるのも変だよね』
お茶を啜るメタストラクチャーの絵面を想像し、イオは少し愉快な気分になった。
と、ここでリコが二人の会話に混ざる。
『お茶? おいしいの?』
「そうだなあ、私はお茶菓子次第かな。羊羹とか、御萩とか」
『ああ、アタシもお茶より先に饅頭が怖いね……って落語か』
ニュクスは他愛のない会話を続ける。イオに気を遣っているのだ。
すると、リコが再び口を開いた。
『こわい? お茶、こわいの? ニュクスがこわいのは、セ……
『あぁーっ! ゲフンゲフン、ええっと、そろそろお仕事の時間かなぁって』
「ん?」
普段の低く太い声が裏返る。ニュクスはリコの言葉を慌てて遮った。
不審に思うも会話はここで終了、イオがその理由を知るのはもう少し先の話である。
数分後、一課第四ペルセウスウィル所属のアーメイド二機と合流する。超研対一課第四及び第五、総勢四機のアーメイドによる作戦行動の開始である。
《アーメイド管制システムは各艦ATiからガンナーに動作優先権移行、神経接続開始、知覚共有システム起動、プラズマガンセーフティ解除承認、アンチグラヴィテッド専用電磁レールガン冷却開始、思考装甲射出展開》
へピイATiのアナウンスが終わり、コクピットのモニタ表示はピー音と共にブルー基調からアンバー基調に変わる。一課第四とそして第五アーメイドは攻撃態勢に移る。
――― また、あの感覚だ。
イオは訝しげに思う。再び右腕にザラついた感覚。前回と同じくヒリヒリと熱く感じていた部分、今度ははっきりと線状を成しているように思える。
胸のNDポートに繋がれた知覚プラグの接触不良を疑うも、カチャカチャと触ってみても感覚は変わらず。取り立てて接続関係に異常は見受けられない。
——— ちょっと、もうっ、なんなのこれ…… ?
だが、既に作戦は始まっている。
余計な疑念を振り払い、イオは己れの異重力知覚に意識を集中する。
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