side C アストレア
「ぎいぃーやぁあああああああああっっ!」
帰艦後、血まみれのイオを見たアレサが卒倒する。
メディカルルームは混んでいると聞き、後回しにした結果である。
「イオ・ミナミ分析官、あなたは本当に女の子なのか?」
クライトンの一言にイオはぐうの音も出ない。
こっ酷く叱られた後、ヒトに付き添われメディカルルームへと向かう。
――― 失礼だな、女の子以外に何だと言うのだ。まさかおっさんとでも?
その通りだが。
治療はリウ医療管理官がリコに付きっきりのため、医療ロボットが代行する。
ニューメディカ—— イオのそれは〔三番目のイレヴン〕だが、体内のナノマシンは傷口を塞いで出血を抑えるが、その効果は限定的なため大きな裂傷には向かない。
但し、鎮痛機能は優秀で、先のイオの無頓着さもこの機能に依る。
医療ロボットは高さ二メートル、幅三十センチくらいの四角柱で白い筐体を持ち、普段はメディカルルームの隅にコンパクトに纏められている。
起動すると四角柱の一面が開き、数本のアームがATiの指示に沿って治療する。
以前イオがメディカルルームに訪れた時は五体あった医療ロボットだが、今は全て出払っており、ようやく一台割り当てられたのは一時間ほど待たされた後だ。
——— ああ、随分とやられてしまったんだな……
ヘパイストスも被弾して数人の負傷者が出たため、メディカルルームは蛇腹カーテンの仕切りが増え、あっという間に狭くなっている。
現在そのカーテンの一画で、イオは細長い施術用チェアに横たわっていた。
——— 六歳年下にしのごの言っても始まらない、か。
ヒトも居る手前だが、血だらけのガンナースーツを脱ぐ。
バックウェアは実質ほぼ下着である。だが、やむを得ないと居直った。
実はある理由で一時的にヒトを遠去けかったが、それを彼に『拒絶』と誤解されたくなかったため、何らかのポーズが必要だと考えたからである。
「リコの方、気になるんでしょ。あっちの方が大怪我だもん」
ロボットが傷口の消毒中、頃合いを見計らって言う。
あの無愛想なヒトが、目に見えて逡巡している。
彼は責任を感じているからこそ、この場を離れられないのである。
よく見ると、顔色もすこぶる悪い。
イオが三号機撃墜を知ったのは帰艦後のことだ。
リコは怪我は左腕と左足首を骨折、いくつかの挫創と火傷。着水の衝撃でガンナープラグが千切れ、NDポートが破損。命に別状はなく意識もはっきりしているが、NDポートは深刻でヨコスカ基地に戻らなければガンナーとしての復帰は叶わない。
待ち時間の間、カード端末でリコの治療情報を共有サーバから取得をしていた。
手術室の方をチラ見した時には、セリとニュクスが治療の終了を待つ姿も目撃している。
「ほら、私のは『自爆』だから。さっさと行ってきなさいよ」
「ごめん」
ヒトは一言だけ口にするとカーテンの外へ出て行く。
『自爆』——— そうでも言わなければ、ヒトがこの場を離れそうになかったからだ。
ある理由とは、イオ自身が三号機撃墜に気づかなかったことが釈然とせず、ヒトに気不味さを感じていたからである。
――― ああ、私、色々と酷いことを言ったような気がするなあ。
無我夢中だったから覚えていない。
そういうことにしておきたいイオである。
結果としてアストレアがシュペール・ラグナを追い払って事態は好転した。
あのままヒトが暴走を続けていれば、ヒト自身の肉体は神経接続の過剰負荷により多大な影響が及んだ可能性がある。
だが、イオ自身も三号機撃墜に気づいていれば、同じくパニックを起こしてヒトを止められなかったかもしれない。そう考えて身震いをしているのだ。
――― それにしても、ヒトは益々顔色が悪くなってない? それにあの時、降ってきた血はなに? もしかしてリミッターをバイパスした影響?
その時、カーテンの向こうでセリとニュクスの声が上がる。リコの治療の終了である。
胸を撫で下ろす反面、ヒトが傍らに居ないことに僅かな苛立ちを覚える。
――― 自分で追い出しておいて、何を考えているの?
イオはつい首を傾げ、医療ロボットが抗議の警告音。
パネルには『動かないでください』と赤々と日本語で表示されている。
まるで、自分の勝手が咎められたように聞こえた。
***
アルヴィーは一糸纏わぬ姿である。だが、その表現は間違っているとも言える。
赤く長かった髪は黄金の輝きへと変貌し、緩く身体に纏わり付いて主人の身体を隠している。
それは規則性を保ちながら揺らめき、金色のドレスがたなびいているようにも見える。
隙間から覗く左手と両脚は、金色のそれと同質のものに変わり果てていた。
「あの、ごめんなさい…… 服を、貸していただけないかしら?」
アルヴィーはヘパイストスの搭乗口に姿を現した時、開口一番に口にした言葉だ。
一番に出迎えたエリックは再会の喜びもつかの間、驚きの声を上げる。
「え…… そ、その身体は?」
エリックは一先ず自分のジャケットを脱いで手渡す。
アルヴィーの身体は左腕は二の腕まで、右脚は膝下、左脚は腿の中辺りまでが人のそれではなく、金色の糸—— 接続触手の集積がその形を成していた。
アルヴィーは背伸びをしてエリックの顔を覗き込む。
研究室時代からの癖で当時は目が極端に悪かったからだが、今は眼鏡をかけていない。
「驚かないわけないよね。私、一度は彼らに取り込まれちゃったの」
「ええっ、と、取り込まれたって……?」
「彼らにね、メタビーイング。再生が間に合わなかった」
エリックの愕然とした顔を眺めながら、ふふっと笑うアルヴィー。
手渡されたジャケットを急いで着る気がないのは、二人が婚約する仲だからだ。
「今更だけど、降りろって言ったのは、この姿を見られたくなかったから」
アルヴィーは少し不満げに呟くと、エリックに背を向けてジャケットに袖を通す。
直前、纏りつく金色のそれが意思を持って身体から離れたように見えた。
「ご、ごめん……」
再びエリックに向くアルヴィー、その口から出た言葉はとびきりの意地悪である。
「そうやって乙女心を解せないから、いつまで経っても私に拘っちゃう」
「ええっ、そりゃ違うよっ! アルヴィー?」
「冗談よ、エリック。会えて嬉しいわ」
困惑するエリックにアルヴィーは明るく戯けてみせる。
そして二人は強く抱擁を交わす。
アルヴィーはエリックの胸の中で囁やくように呟いた。
「ずっとこうしていたいけど、時間がないから早くクルーを集めて欲しいの」
***
鏡を見ると、大きな絆創膏がほぼ左眉を隠している。
――― 我ながら酷い顔だなあ。嫁入り前の娘になんてことだ。
と、柄にもないことを思うイオ。
メディカルルームのカーディガンとスリッパを借り、リコのベッドに顔を出す。
カーテンを開けて踏み入れると、手前には蝉のようにリコにしがみつくセリが見える。リコを挟んで向かいに立つニュクス、そしてヒト。
複雑な視線をイオに向ける。
「セリったら、わたし、もう平気だから……」
リコはそう口にするが、イオの目にはどう見ても平気には見えない。
ブランケットとセリの所為で首から下が確認できないが、顔と右手指以外は包帯と絆創膏が覆い尽くしている。その姿はまるで例の事件のヒトのよう。
NDポートの破損の酷さは額に巻かれた包帯からも見て取れる。
リコの胸に顔を埋めて嫌々するセリ。
そしてぼそっと呟いた。
「リコと……ヒトを二人っきりにさせない作戦」
「んもうっ! セ……」
リコは怒って声を上げようとした時、イオの来訪に気がついた。
「あ、イオ、その顔、どうしたの?」
タイミングを推し量っている間に先に声をかけられた。
リコは目を見開いて驚くが、傷に触ったのか僅かに顔を顰める。
「ええっ、ああ……これは、えーと、転んだっ!」
そう返した瞬間、ヒトの片眉が吊り上がる。
セリも振り向き、その美しく端正な顔を激しく歪ませた。
その時、イオはある予感が閃き、身体を右に大きく一歩。
すると、両手を前に差し出したセリが、勢いよくイオの左側を通過する。
バサッと蛇腹カーテンに顔から突っ込んだセリ。
「ちょっとっ、イオったら、なんで避けるのっ!」
だが、セリは挫けない。今度は後ろからイオを羽交い締めにする。
どさくさ紛れにイオのうなじを目一杯「すぅーっ」と嗅ぐ。
「リ、リコちゃん、大変だったね。大丈夫…… じゃないよねえ」
イオは身体の自由を奪われ、困惑しつつもリコへの言葉を口にする。
セリはまだ「くんくん」と匂いを嗅いでいる。
いたく満足げだ。
「ううん、見た目ほど、いたくないよ。ニューメディカ、がんばってるから」
イオには強がっているようにしか見えない。
次に何を言おうかと考えを巡らせていると、背後のセリが口を開いた。
「さあて、イオも来たことだし、我々も撤収しようニュクス」
言い終えると、イオを羽交い締めのまま後退りを始める。
「へ? 私、今来たとこ、なんだけど?」
「ああ、そうね。ここから先は『王子様』と水入らずで」
イオの訴えにも関わらず、ニヤニヤと笑いながらセリに同調するニュクス。
ヒトは難しい顔をしているが、押し黙ったままだ。
「えええっ、にゅ、ニュクスまでっ!」
包帯の隙間を真っ赤にしたリコ、右の掌でぽんぽんとブランケットを叩く。
今の彼女にできる精一杯の抗議である。
「また来るわ、リコ。王子様とごゆっくりぃ」
「あはは、ご、ごゆっくりぃ……」
そう告げるセリとニュクス、為すがまま引き摺られていくイオ。
ヒトを残してリコのベッドを後にした。
「二人っきりにしちゃったら、中に入れなくなっちゃうから。ごめんね」
セリは羽交い締めを解いて呟いた。
イオのために時間稼ぎをしていたのである。
ヒトと二人っきりになってしまえば、リコは気を張っていられないと踏んでいたのだ。
すると、セリは「ふうっ」と小さく溜息、通路の真ん中にしゃがみこんだ。
「んん…… ワタシも、もう無理。ニュクス、肩貸してくれない?」
「ああ、いいよ」
ニュクスはそう返すと、セリの膝裏に腕を差し入れ軽々と抱え上げた。
セリの自称に合わせてお姫様抱っこである。
「ニュクス、それはやり過ぎ」
「あはは、イオ、十四時にブリーフィングルーム集合だから」
「りょ、了解……」
3Fの女性居住区まで降りると、そのまま二人はセリの自室に入った。
イオは自室に戻って時計を見ると、まだ午前八時前である。
目覚ましを正午の十二時にセットして、バックウェアのままベッドに倒れ込む。
疲れに襲われ、イオは考える気力を失った。
***
ヘパイストスのブリーフィングルームに残った二十二名のクルーと来客一名が集う。
壇上にはイスが三脚用意され、左からクライトン副艦長、アンダーソン艦長、そして超研対一課第五の制服を着たアルヴィーが座っている。
六人掛けの最前列には左からブリッジクルー三名、ニュクス、セリ、イオが右端である。イオの後ろにはエリック、そして右側には壁を背にするヒト。
以降は他が続き、リウ医療管理官と看護師一名にリコ他、負傷者四名はメディカルルームだ。
アルヴィーの左手と足先が目立たないように、ブリーフィングルームの照明は落とされ、幾つか間接照明が壇上に点けられただけである。
イオはもちろんアルヴィーとも顔馴染みである。
再会の喜びを分かち合いたかったが、状況を考え我慢することを優先した。
それはエリックも同じと考える。
「シュペール・ラグナ、〔一番目のイレヴン〕は私達の能力を正確に評価できているとすれば、再び襲撃を選択することは無いでしょう」
アルヴィーはインカムを付けて座ったまま語り始める。
「恐らく別のプランを実行に移すはず。それはある『究極の目的』のためメタストラクチャー襲来拠点、超空間接続ゲートに向かうこと」
静まりかえるブリーフィングルーム。
誰も口を開いていないことを確認し、アルヴィーは続ける。
「私達に時間は無いけれど、あなた方には選択して貰わなければならないの」
するとアルヴィーは、前列右端のイオに向いた。
「その前に、一旦セカンダリコアと共有するわ。イオ、くすぐったいけど我慢してね」
「え? う、うん……」
イオが頷くと、アルヴィーの左掌から一本の金糸が伸び始める。
呼応するのように、イオのブラウスの隙間から銀糸が一本だけ顔を出した。
するすると伸びる髪のように細い糸。
ナノマシンの集積が紡いだ〔三番目のイレヴン〕の接続触手である。
ふわふわと二メートル近い距離を漂って空中で交わり、両の糸が薄っすらと発光を始める。
アルヴィーのプライマリコア、イオの中のセカンダリコアの共有が始まった。
一瞬、イオは自らの身体に、小さな火が灯るような熱の感覚。
「先ずは今の私たち、一課第二アストレアがどういう存在か、お話ししますね」
アルヴィーは薄暗いブリーフィングルームをゆっくりと見渡す。
アンダーソンの咳払いをする音だけが響いた。
「八年前、ここよりさらに南八十キロほど先、超研対一課第二のアストレアはメタストラクチャー対応で出動し、一体の暴走状態のメタスクイドの鹵獲に成功したの」
抑揚がなく淡々として、だが耳触りのいいアルヴィーの声。
「そして当時、医療管理官としてアストレアに乗艦していた私、〔三番目のイレヴン〕はアストレアATiとハワード・コリンズ艦長とともに対話を試みた」
……… え、対話って、どうやって?
……… イカ野郎は独立した知性を持っているのか?
……… そもそも〔三番目のイレヴン〕とアストレアの関係は?
僅かにどよめきが起こる。構わず続ける。
「コリンズ艦長はある繋がりから、私の正体を知っていたの」
アルヴィーは艦長に一瞥し、艦長は浅く頷く。
構わない、という意思表示である。
「だけど、その対話は結果的にアストレアクルーもろとも『融合』という事態を招いてしまった。今の私たちはアストレア艦本体にクルーとメタスクイド、〔三番目のイレヴン〕の存在が同時に重なりあった状態とも言えるの」
再び静まり返ったブリーフィングルーム。
「その存在を維持したまま、量子状態まで分解されて混じりあった状態だから『融合』。その表現が適切とは言えないけれど、言葉としては一番近い」
イオは黙ってアルヴィーと二人を繋ぐ接続触手を見つめている。
隣に座るセリやニュクスも同様だ。
「つまり、あなた方の目の前にいる私は便宜上、アルヴィナ・ブレインズ個人を『窓』として形成しているけれど、アストレアクルーであり、メタスクイドでもある」
アルヴィーはここまで告げると、一呼吸置いて副艦長に向く。
「あなたのお父さんもここに居るけれど、『窓』は私に固定されているので、直接は会わせてあげられないの。ごめんなさいね、クライトンさん」
クライトンはその言葉にただ愕然とするしかなかった。
アルヴィーとは軽い自己紹介をしただけである。仮に父から聞いて親族だと知っていたとしても、姓が変わっているので直ぐにそれと気づくとは思えない。
イオの後ろに座るエリックもまた驚いている。
だが、これはまだ序の口である。
「でも、ここで立ち止まる訳にはいかない。ことの始まり。長い話になる」
アルヴィーはそう口にすると、再び一同に向き直った。
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