side B Girl meets downer boy

 リコ・ニュクス組のアーメイド三号機はメタスクイドと交戦を開始した。

 だが、一課第三と同じく追い駆けっこを繰り返す羽目に陥っている。

 都市戦闘は高層建築物が邪魔をしてアーメイドが得意とする機動速度まで出せず、三号機はバイブレードの間合いにそれを捉えることができない。

 一方、メタスクイドはまるで三号機を嘲笑うかのように逃げ回っている。

 銛状触手を器用に路面に打ち込み、振り子の要領で鼻先を曲げる。

 少ない労力で方向転換する方法を学習したようだ。


 崩壊するビル群、大音量の衝突音、続く爆発、振動。

 まるで横須賀市街全体が混乱に震えているよう。

 外部マイクが拾う様々な損壊音、警報のサイレン、そして怒号にも似た悲鳴。

 メインモニタには、避難に遅れて逃げ惑う人の群れが映る。

 高度を上げてプラズマガンで狙撃すれば一瞬で片付くが、それでは下の人々が高密度プラズマに丸焦げにされてしまう。

 焦り始めるリコ、呼吸が荒い。


「落ち着いてリコ。向こうもへばってきてるわ、慎重にね」

「うん、わかってる、わかってる、けど……」


 ニュクスは前席のリコに穏やかに声をかける。

 ガンナーの精神状態に配慮し、冷静を取り戻すことも異重力分析官の仕事だ。

 対するリコはゴーグルに阻まれ表情は見えないが、その返答から余裕の無さが窺える。

 次にメタスクイドが方向転換した先には、着艦ドックに佇むヘパイストスの姿があった。

 追走劇を続けている間に、目視可能な距離まで近づいていたのである。


「あっ!」


 リコは即座にヘパイストスに視線を向ける。

 アーメイドのレーザーカメラがリコの視線を追尾し、ニュクスは視界同期ゴーグルを通じて同じ視界を共有する。動作の遅延は限りなくゼロだ。

 メタスクイドは傷だらけの巨体をヘパイストスに向け、怒涛の進撃を開始する。

 胴体後端から生え出る銛状触手二本を路面に突き立て、弓の引く要領で加速に勢いを付けた。

 それを自らの敵と理解するかのように。


「あーっと、これは不味いっ、リコッ!」

「ニュクス、フル加速、備えてっ」


 思わず叫ぶニュクス、それに応えるリコ。

 三号機の加速スラスターの出力を上げ、大爆音を背に猛追をかける。

 ヘパイストスは現在、イ重力制御エンジンの重整備のためヨコスカ基地に寄港しているため、火器管制システムは通常稼働域に達していない。

 つまり、迫り来る脅威に何の対処できないのだ。


 メタスクイドは暴風のごとくヘパイストスへと突き進む。

 全開加速で追うリコとニュクスの三号機。

 果たして、セリ・エリック組の一号機出動は間に合うか。




***




 イオはヘパイストスの着艦ドックへと続く最後の橋を渡る。直下は海だ。

 予想外に上がった気温のため、汗にまみれて不快感が増している。

 息も上がって潮の香りどころではない。


「へげっ!」


 ――― もうやだ、私、変な声出た。


 その瞬間、周りに人が居ないか辺りを見回す。

 安堵した気の緩みか、ヘパイストスを前にまたしても転んでしまった。

 今度は受け身を取れたが、右手から離れた杖が軽い音を立てて目の前を転がっていく。

 やれやれ、と四つん這いのまま杖に手を伸ばしたその時、左側から不規則な音程を刻む重低音。

 横須賀市街で暴れていた『烏賊擬き』ことメタスクイドである。

 正面から見て六本の銛状触手を蠢かす姿は、まるで髪を振り乱して迫り来る亡霊のよう。

 背筋に滑り落ちる悪寒。


「ええっ、うわああああああああーっ!」


 ――― しっ、失敗した、女の子なら『きゃあーっ』ではないだろうか?


 動転して場違いな思考が過ぎる。だが、それどころではない。

 危機的状況に理性が警笛を鳴らし始めるが、身体が固まって思うように動かない。

 気持ちだけが目一杯に空回っている。


 すると、今度は上空から接近する巨大質量の気配。

 メタスクイドとは明らかに異なるパルス矩形の重低音、アイドリング状態の加速スラスターから降り注ぐ熱気。

 ヘパイストスの死角から現れたのはセリ・エリック組の一号機だ。

 その一号機がメタスクイドの進行軸線上に割って入り、強引に体当たりを敢行。

 大質量同士が激突する轟音、両者は回転しながら大きく左右に弾き飛ぶ。

 メタスクイドは方向を見失い、橋を越えた市街側をバウンド。

 その瞬間、背後から追いついた三号機のバイブレードが捉える。

 時空歪曲防壁IVシールドが作り出す『像の揺らぎ』が最も薄い部分、異重力収束点。

 三号機は超高速で振動する白刃を突き刺し、一気呵成に両断した。


 硬いケイ素系物質、ガラスが軋みあげるような耳障りなノイズ。

 メタスクイドは銛状触手を四方にのたうち回らせ、二つに破られた胴体はおびただしい量の亀裂が走る。構造崩壊が始まった合図だ。

 最後には悲鳴にも似た高周波を放ち、粉砕そして四散した。


「え? ええええっ、おっ、落ちっ、うあぁっ!」


 だが、重力制御の巨大質量同士が激しく打ち合った結果、橋は煽りを受け大きく振動。

 イオは橋の上から海の中へ、真っ逆さまに滑り落ちた。


 実はイオ、事故に遭う前から泳げない。

 海中で必死でもがくものの、パニックのせいで上下の方向が分からない。

 肺の中の息が尽き、大量の海水が鼻や口に流れ込む。


 痛い、苦い、苦しい。そして暗い。

 時間にして一瞬の出来事が強引に引き伸ばされたような感覚。

 やがて、イオは力尽きた。


 ――― 嫌だ、私ここで死ぬのかな? 不味い、ベッド下の………


 薄れゆく意識の中でぼんやりと考える。暗転。




***




「ああーっ! イオちゃん、海に落っこちたっ!」


 アーメイド一号機のコクピットの中、エリックはヘパイストスの監視カメラが捉えたイオの転落する姿を発見し、盛大に慌てふためいていた。


「直ぐにヘパイストスに戻れないのにっ、あーっ、どうするどうするっ!?」


 と、その時。


『ボクが行きます』


 十代後半の少年と思しき通信が一号機のコクピットに入る。

 直後、黄色いモタード——— オン仕様のオフロードバイクが橋の袂に乗りつけた。

 黒々と路面にタイヤマークを刻んで停車すると、少年は白いヘルメットとコバルトブルーのジャケットを脱ぎ捨て、何の躊躇もなく海の中へと滑り込む。


 幸い、イオは打ち捨てられた古いロープに引っかかっていた。

 少年は僅かな時間で意識不明のイオを抱え、モタードが停まる橋の袂に引き揚げる。

 脱力している上に衣類はたっぷりと海水を吸っている。いくら女子とは言え、決して軽くない身体を抱え上げるのは容易くないが、少年は黙々と仕事をこなした。


 横たえたイオの呼吸と脈拍を確かめ、軽く頰を叩くが反応はない。

 次に上着を脱がし、首元や手首に『ある物』を探す。

 だが、その『ある物』は見当たらず首を傾げる。

 ふと見ると、透けたブラウスの胸元に三角形のプレートのようなものが見える。


「仕方ない、な」


 少年はイオのブラウスのボタンを外し、胸元をそっと広げる。

 正中線上の鎖骨の下十センチ辺りにそれはあった。

 直径二センチほどの角が丸い三角形のプレート、『NDポート』である。

 少年はイオの上半身を起こして頭を後方に曲げ、顎を挙げて気道を確保。

 そして、少年の額にある同じ三角形のプレートをイオのポートに押し当てた。


 NDポートとは総合医療開発企業ニュークシーが開発し、十二年前から国策で普及を開始したナノマシン型身体管理システム『ニューメディカ』。その管理用外部接触ポートのことである。


 瞬く間にNDポートは接続を開始。

 少年は視界に介入するイオ側のナノマシン管理メニューを開き、緊急用個人コードを入力。

 続けて『強制心肺蘇生』モードを選択、起動する。


『どんっ』「げふっ」


 鈍い音と共にイオは瞬く間に蘇生した。

 身体をくの字に折り曲げると激しく咳き込み、同時に飲み込んだ海水を吐く。

 しばらく同じことを繰り返した。


「自分の名前、分かる?」


 少年はイオのそばに屈み込み、頃合いを見計らって声をかける。

 肩で息をするイオ、朦朧として声も出せない。

 強い頭痛と大量に飲んだ海水のせいで気持ちが悪い。

 鼻と喉の奥が強く痛み、口の中は苦さでいっぱいである。

 だが、体内のナノマシンが回復処置を開始し、身体をじわじわと正常状態に戻し始める。


 イオは視線を上げ、ようやく己れを助けた存在を意識する。

 スラリとした痩せ型で淡いブラウンの短かい髪、同じく淡いブラウンの瞳。

 弟達と同じくらいの歳頃に見える。

 ノースリーブの肩から露わになった腕、何故か右のみ隙間なく包帯が巻かれている。


「え……っと、ミ、ミナミ、イオ……」


 そう口にした時、初めてはだけられた胸元に気がついた。

 肌に合わせて擬色するマスキングポリマー製ブラ、インナーはそれしか着けていない。

 ブラの隙間から余分に盛ったパッドが無惨にその姿を晒している。


「えっ、な、な、なんなのよっ、これぇっ!」


 頭にみるみる血が上り、胸を隠すより先に手が出る。

 だが、少年は平手打ちを軽いスウェーで躱し、無言で自らの額を指差した。

 先の強制心肺蘇生で使用したイオと同じNDポートである。


 NDポートの装着位置は人によって異なり、大抵の人は手首や首筋を選ぶ。

 イオのポートが胸にあるのは、十年前の事故当時に初めてニューメディカをインストールしたことと、ほぼ無傷だったのは胸周りだけだったからである。

 つまり本人の意思ではないのだ。


「え………」


 今度は驚きのあまり、続く言葉が出ない。


「こっちの方が、早いから」


 少年はそう呟いた後、後ろポケットからカード端末を取り出す。

 どこかに連絡を済ませると脱ぎ捨てたヘルメットとジャケットを拾いに向かう。


「迎え、来るから、そこから動かないで」


 自分のジャケットを濡れ鼠のイオの肩に掛ける。

 茫然としたままのイオは、少年がモタードで走り去る音しか聞こえなかった。

 その場に一人残され、ようやく意識を周囲に向ける。すると、橋の向かい側に巨大な横腹を晒すヘパイストスが視界に入る。

 今度は青い顔をしたエリックが胴体横の搭乗口から現れた。

 ガンナースーツのまま搭乗橋を駆け下りる彼の姿が、まるでスキューバダイバーのように見える。


 ——— まさか、忠告を無視した皮肉? なワケないか……


 釈然としないながらも、身に降りかかった災難を振り返る。


「イオちゃん大丈夫かい? どこか怪我は? ホントにもうっ、君にもしものことがあったら、叔父さんに申し訳なくて云々……」


 心配するエリックの声が遠い。

 身の回りを確認すると、大事なものが見当たらないことに気づく。


 ――― そうだ、杖がないっ! 一緒に海に落ちたのかなぁ、最悪。


 散々過ぎる一日にげんなりのイオ、エリックの肩を借りヘパイストス初乗艦を果たす。

 ふと借りたジャケットを視線を向ける。

 襟の裾に小さく『NERVES』と刺繍があった。




***




 翌朝、イオはヘパイストス2Fのブリーフィングルームに集合する。

 一部を除き、同じ制服を着たクルー三十数名が一同に会した光景を見て、イオはヘパイストスに乗艦したことを実感する。

 自らも着る胸の超研対一課第五カラーラインが誇らしいイオである。

 超対研一課第五の制服はコバルトブルーをベースに襟や袖、肩口などにマットブラックをあしらった凝ったもので、男子は無論パンツだが女子はパンツとタイトミニが選べる。

 下肢装具を隠す気がないので、もちろん可愛い方を選んだ。

 失くした杖は止む得ずヘパイストスの備品を借りた。


 その部屋はヘパイストスの中で一番広い多目的ホールで、壇上には大型ディスプレイとマイクが一体となった操作パネルを備える。

 だが、壇上に立つ副艦長の声はマイクが要らないほど大きい。

 ミハル・クライトン作戦統制官・副艦長から本日行われる作戦の概要が説明される。


「昨日、東京湾は横浜市磯子区付近に降下した五百メートル級メタストラクチャーは一課第三テーセウスが対応するも突然沈黙。本日早朝に再び活動を開始した。川崎区付近から上陸後、現在は『トーキョーエリア』に入り、品川方面に向けて時速約十キロメートル程度を維持しながら移動中とのこと」


「現在、一課第三テーセウスは所属アーメイドの三機中二機が稼働不能に陥ったため、本日一課第五が代行出動し、これに対応する。ヘパイストス演算思考体が予測するメタスクイドは四体。これは昨日の一課第三との交戦で半数以下に減らされた結果である」


 鬼軍曹ことクライトン副艦長は説明を終えると、鎖付きの眼鏡を指で上へ僅かに持ち上げた。

 因みに鬼軍曹と言ってもご家族が居るご婦人である。


 水難から一夜明けたイオだったが、気遣うエリックの進言を払い除け、出向二日目にしてメタストラクチャー対応の初出動を申し出る。


 ――― 実機シミュレーションは人の三倍やった。異重力分析官の仕事はアンチグラヴィテッドの調律、異重力知覚をガンナーと共有するだけ。実際に撃つのはガンナーだ。


 自らを奮い立たせる。繊細さに欠ける分、一度腹を括ると豪胆なイオである。

 それにも増して、昨日のことを思い出すと腹の虫が収まらない。


 ――― 無駄に転ぶ、海に落ちる、杖を失くす、辱めを受ける、せっかくのハレの日が台無し。ほんっと腹たつぅ……


 もちろん、溺水事故から救われたことは感謝をしている。

 だが、他の選択肢もあったはず。

 その心の引っかかりが理不尽にもイオの機嫌を損ねている。


 ——— そりゃあ、人工呼吸の方が良かったワケじゃ、ないけど……




 ブリーフィング終了後、イオはエリックに改めてアーメイドチームに紹介される。

 昨日ヘパイストスのクルーには一通り挨拶を済ませていたが、アーメイドガンナーは出動後の神経メンテナンスの真っ最中で、要は不在だったからである。


「ええっと、はじめまして、イオ・ミナミです。異重力分析官としてイ重研から出向となりました。よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げ、一端の社会人らしく型通りの自己紹介をこなす。

 そして、改めて見るアーメイドチームの女性陣は壮観であった。


「アタシ、ニュクス。ニュクス・ジョーンズ。デカいけど怖がらないでね」


 ニュクス異重力分析官。二十七歳。

 ブロンドの巻き毛に褐色の肌、筋肉質でグラマラス。

 確かに大柄なその体躯は相対的にエリックを貧弱に見せている。


「あら、はじめまして。セリ・トドロキよ。ヒトをよろしくね」


 雑誌のモデルように美しいガンナーのセリ。十九歳。

 ストレートの長い髪に透き通るような白い肌。

 切れ長の目に整った顔立ち、手足も長く長身で明らかにこの場で浮いている。


「よろしくね、イオ。わたし、リコ・カシワギ」


 同じくガンナーのリコ。十五歳。

 ショートウルフの短い髪にくりっとした大きな目。

 小柄で舌足らず、おっとり口調が可愛いらしい。


 ――― あれ? この子達って、何処かで似た感じの……


 二人の少女を眺めているうちに、ふとイオはある共通点に気がついた。

 瞳も髪も同じ淡いブラウン、角が丸い三角形のNDポートも揃って額である。

 二人とも前髪を短く切り揃えているのでよく見える。

 すると、リコの紹介が終わった直後、背後から大きく野太いかけ声。


「「L・O・V・E ! らっぶりいーっ、リッコチャアアアーンッ!」」


 ――― は?


 振り向くと壇上近くに陣取っていた三名。

 昨日に紹介を済ませたヘパイストスのブリッジクルーである。


「お前さあ、恥ずかしいからそういうの止めろよ、どこで覚えたんだよ」

「エッ、ニホンの自己紹介のお約束じゃナイノ? 地下劇場のお友達だヨッ!」

「リコはエドのアイドルだもんね、本人大迷惑だけどぉ」


 呆れているのは一見バンドマン風のおじさん、テルツグ・ヒライ機関統制官。

 かけ声の主はアフリカ系アメリカ人、エド・ブルーワー兵装統制官。

 くすくすと笑っているのは、お嬢様風ミディアムヘアのアレサ・ケイ哨戒管理官。

 ちなみに、当のリコは眉をハの字にして苦笑い。


 ――― 私、大変なところに来てしまったのでは……


 一抹の不満を覚えるものの、気を取り直してアーメイドチームに向き直る。

 チームは既にガンナースーツを着用しているが、イオが研修時に着用した分厚くて重いそれとは違い、薄くタイトで如何にも軽そうな最新モデルだ。

 白地に淡い淡灰のツートン、右二の腕と左腿の白い部分にそれぞれ機体のストライプが入っている。リコとニュクスは淡灰&黄緑でエリックとセリは淡灰&青である。


「あの、ところで、私のパートナーって、どなたでしょう……?」


 そう口にした時、大柄なニュクスの影に隠れていた人物に気がついた。


「それと、彼がヒト。ウチのエース」


 エリックが手招きをすると、その人物はイオを一瞥する。但し、無言。

 最後に紹介されたのはガンナーのヒト・クロガネ。十七歳。

 ストライプは淡灰&黄色。

 憮然とした態度で視線を合わさない…… と、言うよりは上の空。

 イオに興味を示す様子は皆無である。


「イオ分析官は本日より、ヒトのパートナーとしてアーメイド二号機に搭乗すること」


 クライトン副艦長はその鋭い眼光のまま、ぴしゃりと冷たく言い放つ。


「え? これホント? って、え、えっ? なんで? なんでっ!」


 イオは激しく動揺する。

 目の前の少年こそ『ある不都合』を晒した張本人だからである。

 鬼軍曹はもちろん、昨日の出来事など知る由もない。


 アーメイドガンナー、NERVES〈ナーヴス〉。

 表に出ることが稀なため、教科書の中でしか知らない『造られた子ども達』。

 イオと彼らの初めての出会いである。

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