side B 小さな囁き
「このまま〔一番目のイレヴン〕を放置すれば、人類がメタビーイングに抗う術はない」
それはヘパイストスクルーの全員が認識している事実である。
「彼らの唯一の『誤算』は、私達〔三番目のイレヴン〕がメタスクイドと対話をして得たものを読み切れなかったこと。だから私達にはまだ状況をひっくり返す勝算がある」
アルヴィーが言う選択。
彼ら演算思考体とて100%の未来が予測できる訳ではない。
「伸るか反るか、座して死を待つか。そういうことだね」
アンダーソンは呟き、アルヴィーと同様にクルー一同を見渡した。
「現時点での私達との実力差なら、〔一番目のイレヴン〕は良くて刺し違え。私達もメタビーイングとの対話を目的にしている以上、彼らは接触を急ぐしかない。でも、今の私達は言わばメタビーイングの同胞、仲間を撃つことができない。残念ながらメタビーイングは暴走状態でその限りではなく、結果として私達は単独では超空間接続ゲートに近寄ることができない」
「故に、ヘパイストスの協力が必要、と」
クライトンが短く言葉にすると、アルヴィーは頷いた。
「仮にシュペール・ラグナ撃破を優先すれば、〔一番目のイレヴン〕は持久戦を選ぶ。生身の身体を持たない彼らは待つことを恐れないし、跳躍弾頭もアップデートが進んで私達もいずれ手に負えなくなる。時間とともに不利になるの」
「つまりメタビーイングと〔一番目のイレヴン〕、我々は同時に対峙するしかない訳だ」
「は、ハードルたけえっ…… でも、彼らはすでに向かってるんじゃ?」
艦長の遠慮がない要約に対する、ヒライは独り言と疑問。
「だから先回りするの。彼らがメタビーイングと渡り合うための切り札、跳躍弾頭はまだ完成したとは言えない。彼らはごく限られた範囲でしか超空間接続ができない。でも私達にはそれ以上が可能なの。メタビーイングの力で」
最後の切り札、確信を口にする。
「彼らが私達の破壊に拘ったのも、まだ完全に超空間接続を獲得できていない証拠」
メタストラクチャー地球侵攻中継地点。超空間接続ゲートは月の裏側、ダイダロス・クレーター。本体であるメタビーイングはその向こう側だ。
アストレアは先行して超空間接続ゲートを潜り、メタビーイングと回避のための対話。
ヘパイストスはアストレアを護衛し、通過後に超空間接続ゲートの破壊。
そして〔一番目のイレヴン〕の撃破を目指す。
***
ヘパイストス、イオの自室。〔三番目のイレヴン〕二つのコアの統合を開始するイオとアルヴィー。先の共有で各々の状態確認は済んでいる。
ベッドに横たわるイオは、胸部のNDポート露出のため上半身だけ下着姿である。
アルヴィーはその左側、同じベッドに斜めに腰掛け、イオの顔に向いている。
間接照明は、二人の姿だけをぼんやりと浮き上がらせている。
「あと、二時間ほど掛かるけど我慢してね、イオ」
イオのNDポートから出た無数の銀糸が、アルヴィーの左掌に現れた『光点』に吸い込まれていく。ブリーフィングで金糸が現れた場所である。
解れた糸が、するすると巻き取られていくかのように見える。
ただじっとして、その様子を見つめるイオ。
「本当はね、全部は取り出せないの。セカンダリコアを完全に取り出せるまで修復するには、あと四ヶ月ほど足りない。私達はあなたが三回目の試験も落ちてくれると想定していたから」
その言葉はまるで、子どもに寝物語を聞かせるかのよう。
〔三番目のイレヴン〕は、イオがヘパイストス乗艦後に受けた健康診断で〔一番目のイレヴン〕に進捗を知られたため、行動を前倒ししたのである。
「アルヴィーもおじさんと同じこと言うのね……」
がっかりしたように呟く。
「もしかして、私が二回も試験に落ちたのは、セカンダリの所為かと思っちゃった」
イオは少し戯けて舌を出す。
だが、アルヴィーから口から出る言葉はつまり、全否定である。
「え、えーと、それはごめんなさい。私達もそこまで器用じゃないの。身体を借りるのも一回じゃ上手くいかなかったくらい」
二度の試験不合格は、イオ自身の大雑把な性格に起因し、〔三番目のイレヴン〕の介入ではない。有り体に言えば只の実力不足である。
「え、あは、あはは、いやその、そこまではっきり……」
想定外のダメ押し。恥ずかしさのあまり顔をアルヴィーから背ける。
ふふっと笑って話を戻す超常の彼女。
「それだけ十年前のイオの怪我は大変だったの。それにあと四ヶ月あれば脚も治せた」
「うん、それは……」
イオは口篭り、ベッド横の両親と弟達の写真に視線を送った。
「でも、たとえ忌まわしい経緯で生まれたものだとしても、ニューメディカにナーヴス、そして私達、演算思考体を嫌わないでね。それは現在の人類にとって有益なものには違いないのだから」
イオのNDポートに視線を移し、アルヴィーは諭すように言う。
一瞬、ヒトの顔を連想するイオ。
――― え? ちょっと待てったら私っ! 脳内再生するものが間違ってるよっ!
「う、うん。ところで、セカンダリが出たら…… 私、少しは痩せるかな?」
動揺を隠しをするイオ。
再び、ふふっと笑うアルヴィー。
――― 脚が治せるとを知ったなら、私はそれを選んだだろうか。
異重力分析官を目指したのは、偏に弟達のためである。
だが、脚のおかげでヒトと——
イオは天井を見つめながら考える。
***
およそ三十八万キロメートルの長距離ジャンプ、超空間接続の準備を進めるヘパイストス。
当艦は元々高度一万キロメートルの外気圏表面境界まで上がり、超空間接続直後のメタストラクチャー迎撃を想定して設計されている。
つまり、宇宙における真空中での運用自体は小規模の改修で事足りるのだ。
だが、復路の酸素供給問題や長期放置によるエアロックの動作不良を考慮し、3F以下の居住区は放棄されることとなった。
シュペール・ラグナの超空間接続ゲート到達予想時刻は午後四時時点で四十二時間後。艦内は改修作業の他に引っ越し作業が重なり、慌ただしい空気に満ち溢れている。
「ヒライさん、お願いが、あるんですが」
二号機のコクピットの中でヒトは声をかけた。
ヒライはインカムを付け、整備用端末をインパネに繋いで機能チェックの最中。
ちょうど今朝、イオが顔を打ちつけた位置にヒトは立っている。
ちなみにエドは、もう一機のアーメイドプラスの調整に回っている。セリの一号機を入れ替えるためだ。
「んーっと、もしかしてこれを戻せって話かい?」
ヒライは取り外したサードパーティーを掌に乗せ、肩の高さまで掲げる。
黙って頷くヒト。
「だーめだよ、こんな危険なもん、承服できねえ。ヒト君さあ、鏡見てる?」
ヒライはヒトの姿を一瞥し、再び端末に向く。
青白い顔に酷い隈。頰も痩せ細り、ヒトは既に正常な体調には見えない。
だが、眼の光だけは失っていない。
「確かに、シュペール・ラグナは、アストレアに任せればいい」
ヒトは一言一言、ゆっくり噛み締めるように呟く。
「だけど、超空間接続ゲートの交戦データは、前例がない」
「そりゃそうだけど、だからって自傷行為どころじゃない。次は君、死ぬよ?」
ヒライは振り返り、強い言葉を口にする。
普段の緩いおじさんの顔は成りを潜め、視線は真剣そのもの。
「メタスクイド、何体いるか見当つかない、リコも出られない。保険を掛けておきたい」
「…………」
超空間接続ゲートの保守防衛装置メタスクイド。
意図的にアルヴィーも艦長もこの問題を避けている。現場で観測するしかないからであり、超空間接続ゲートとの対峙に際して、唯一の不確定要素である。
しばらく沈黙するヒライ、そしてヒト。
「進んで人類の盾となるため、隣人を愛するようナーヴスは作られた。人類の都合で」
絞り出すように言葉を紡ぐヒト。
ヒライは作業を止め、腕を組みしてしばらく考える。
イオが、いやクルーの誰もが感じている後ろめたさの正体である。
ナーヴスは最初から他者を肯定的に受け入れるように調整されているのだ。
彼らは利他行為を行うことによって特殊な脳内物質が過剰分泌されるよう脳の報酬系—— 中脳の腹側被蓋野に改造が施されている。
ロボトミーとは違う、能動的な被隷従手段として。喩えるなら子を守る母親のそれと同種のもの。そしてそれが『調整クローン』と呼ばれる所以だ。
また、成長とともにナーヴスの能力が落ちる原因も、この効果が経験の積み重ねにより価値観に偏りが生じるためである。
彼らの同族意識が強いのも、生まれて最初に意識するのが同じナーヴスだからだ。
「人類の都合で、ボク達は縛られている、だからボクは死……」
「わーったっ! みなまで言うな。保険だからな。いつ覚えた? そんなオトナ語」
ヒライは足下のパネルを蹴飛ばし、そして開いた。
「ちぇっ、エドに散々文句言った後なのに。かっこわりーじゃん、俺」
文句を口にしながら、いそいそとサードパーティーを戻しにかかる。
「ありがとう」
「その代わり、約束してくれないか?」
「約束?」
「ちゃーんと分析官も連れて帰るように。後ろだけど、隣人だろ?」
パネルの奥に頭ごと突っ込んでいるため、ヒライにはヒトの表情が見えない。
「それとさ、ヒト君」
ヒライはそう続けた瞬間、「ごんっ」と頭を何かに打つ。
「えっと…… 誰かのためを想うことと、誰かを好きになることは別だから」
「どういう、ことですか?」
「ああーっ、まじ痛え」
***
ヘパイストスは3F以下は放棄されたので男性はブリーフィングルーム、女性は食堂でいわゆる「ざこ寝」をしなければならない。
本日の交戦による疲労を鑑み、作業は午後十一時を以って終了、明日朝七時に作業再開となっている。そして作業終了と同時に超空間接続を開始する。
開始見込み時刻は明後日の午前六時である。事が上手く運べば、シュペール・ラグナより四時間の先行が見込まれる。
イオは就寝前に最後の入浴を済ませ、こっそりとメディカルルームに忍び込む。
リコの様子が気になったからである。
目指すベッドは四つの仕切りの一番奥。ヘパイストスのクルー達は夕べに見舞いを済ませているので既に訪問者はない。今リコは眠っているはずだ。
膝を曲げた状態で下肢装具をフルロック。四つ足ついて匍匐前進を開始する。
イオは確かに歳頃の娘だが、女豹のような風情はもちろんない。
――― うーむ、消灯した廊下に四つん這いの絆創膏女ってどうなのよ?
イオは自虐的自己分析を試みつつ、リコのベッドのカーテンを静かに開ける。
「あ、イオ、こんばんは」
リコは囁くように呟くと、枕元の小さなライトを点けた。
「起きてたんだ。てっきり寝てると思ったのに」
残念そうに小声で呟く。何気に邪まな意図もなくもないイオである。
イオはリコの右側に静かに腰を下ろした。
「眠れないの?」
「うん、昼間はずっと、ねてたから」
「そっか」
薄明かりの中、リコの顔を見ると目元に腫れが残っている。
恐らく今朝、ヒトに思いきり甘えた所為だろう、とイオは思った。
「おふろ、入ったの? いいなあ、わたしも入りたい」
「ダメよ、お風呂は。その代わり、お姉さんが身体を拭いてあげるから我慢なさい」
優しく咎めているが、その顔に邪まな笑みが浮かぶ。
「え、やだ。わたしだけ。はずかしい」
と、リコは顔を顰める。
心の奥で「ズキューンッ!」と何かを撃ち抜かれるイオ。
――― ああっ、隅から隅まで拭けるとこ全部拭いてやるっ! んもう可愛い過ぎっ!
「ん、イオ、どうしたの? よだれ」
「あーっ、あーっ、なんでもないっ、暗いのによく見えるね、あはは……」
と、イオは慌てて口元を拭う。
ふと、時計を見ると午前一時を過ぎている。
「私、戻って寝るの面倒くさくなっちゃった。ここで寝ていい?」
「ほんと? いいよ、うれしい」
イオはそのままゆっくりと横になる。
リコも苦労しながら寝返りをうち、イオに向いて灯りを消した。
リコの息遣いが聞こえる距離。「すんすん」と鼻を鳴らす音。
「イオ、おふろ上がり、いいにおい」
「まーた、この子はもう」
「ねえ、イオ」
「なあに? リコちゃん」
しばらくリコは沈黙し、口を開く。
「ヒト、好き?」
しばらく考え、リコの腰に手を差し入れて引き寄せる。
イオの腕の中にある身体は小さく、今にも折れそうなほど細い。
「さあーて、どっちでしょう?」
「もう、いじわる」
「うん、いじわる」
イオ自身も誰かに甘えたかったのである。
「イオ、ヒトを、おねがい」
その小さな囁きを聞き、イオは優しくリコを抱き締めた。
***
「そりゃ、君が誰も選んでないなら、確かに人類の都合だけどさ」
ヒライとコクピットで交わした会話、その続きである。
先から何度も思い出しているが、混濁した意識の中で意味が理解できない。
目の前を慌ただしくクルーが右へ左へと動いている。
通路の隅に座り込んでしまったヒト。
先のサードパーティーの件で、自由に二号機を触らせてもらえなくなったのだ。
激しい頭痛と嘔吐感。
動悸も酷い、胃も喉も引き裂かれるように痛む。
ニューメディカの鎮痛機能は動作不全を起こしている。
しばらくあの夢を見ていない。
最後に見たのはいつだったかと考える。
思い出せない。
ヒトは重い身体に鞭を打ち、人の目が届かないトイレへと向かう。
個室に入り、ジャケットのポケットから掌サイズのケースを取り出す。
震える手で蓋を開く。
ラベルには手書きで『Morpheus』と書かれた無針注射器が入っている。
中身はモルヒネをベースにした合成鎮痛薬である。
過去、悪夢から逃れる手段として密かに入手し、望んだものとは違ったため放置していたものだ。手書きのラベルが示す通り、公けに流通しているものではない。
今更、何故こんなものに頼るのか、と自らを鼻で笑う。
約束なんかしなくても。
***
ヘパイストス展望室。二人っきりのエリックとアルヴィー。
深夜、午前一時を回り、超空間接続開始はあと数時間後に迫っている。
展望室の防護壁は解放されており、満天の星空と下弦の月が二人を照らす。
一部を除き、ヘパイストスのクルーは作業を終えて仮眠を取っている。聞こえるのはイ重力制御エンジンが囁く機関稼動音が遠くにあるだけである。
「君は八年前と変わらないね、僕はおじさんになったけど」
エリックは嘯く。やや声が硬いのは緊張している所為である。
二人の間には、緊張の分だけ僅かに距離を生んでいる。
「あら謙遜? イオには『おにいさん』って強要してるくせに」
アルヴィーは揶揄うように返すと、後ろ手に組み、エリックの周りを廻るように歩き始める。
超研対の制服はパンツなので接続触手の両脚は見えない。
黄金の長い髪が僅かな光を返しながら、歩調に合わせてゆっくりと揺らいでいる。
本物の髪より揺らぐ速度が遅いのは、重さを伴う接続触手だからだ。
「参ったな、イオちゃんの記憶を共有してるのか。いやまあ、そうは呼んでくれないけどね」
照れくさそうに言うえりっく。廻るアルヴィーを目で追いながら。
不意に面持ちを変え、その言葉を切り出した。
「あの、ところでさ、君はやっぱり……」
「聞きたいことは分かるわ、確かに私は最初から〔三番目のイレヴン〕。だけど、あなたに惹かれたのはクローンの方の私」
アルヴィーはエリックの正面で歩みを止めた。
「待って。確か私、根負けしちゃったのよね。初めての口説き文句、覚えてる?」
「えーと、あれ、そうだっけ?」
「月が綺麗ですねって、やだこの人、化石かしらって思った」
アルヴィーは頭上の月を見上げると、ふふっと笑った。
「ええっ、そんなこと、僕、言ったかな?」
エリックは昨日とは違う動揺に苛まれる。
「演算思考体なら根負けもしないし、あなたに逢いに行ったりもしない」
アルヴィーは背伸びをし、エリックの顔を覗き込む。
月あかりは決して明るくはなく、表情ははっきり見えない。
「君は人間だよ」
エリックは彼女を強く抱き締める。
アルヴィーもまた、自らの腕をエリックの背に回した。
接続触手の左手が月あかりに反射し、展望室の床に新たな煌めきを生む。
「アストレアもクルーも見てるから、ちょっと恥ずかしい」
言葉の割に背に回した腕を解こうとはしない。
意を決したエリック、ようやくその言葉を口にする。
「やっぱり、行かないといけないのかい?」
「ええ、私も〔一番目のイレヴン〕もそこは同じなの。でも行かなければ、メタビーイングを止めることはできない。止められないかもしれないけれど」
二人は再び沈黙する。
「でももう人間とも言えない。ダメよ一緒に行こうなんて考えちゃ。対話だって数年かもしれないし、数十年、数百年かかるかもしれない。あのメタスクイドだって三年かかった」
エリックは沈黙したままである。
「人間の物差しじゃないの。私を困らせないでエリック」
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