side C エリックとセリ
海底に沈む一号機セリ・エリック組のコクピット。
深さは定かではないが、アーメイドの計器上は水深二百メートル前後を指している。幸い、救出に厄介な相模トラフ下に落ちることだけは避けられた。
「エリック、このままでも二日は持つけど、省電力モードに移行したわ」
「しょうがないね、ちょっと暑いけど。ヘパイストスが僕らを見つけるのに、そんなにはかからないんじゃないかな」
二人ともヘッドセットと四点シートベルトは外している。遭難によるお互いのストレスを増さないため、可能な限り平静を装っている。
いくらアーメイドのコクピットが、海難事故を想定して堅牢に設計されているとは言え、外は海中の真っ只中だからである。
「それと、エリック、悪いけど脱ぐわね」
しれっと刺激的なことを口にするセリ。
「ええっ、ちょ、ちょっと待ってちょっと待ってっ!」
エリックの動揺にも意に介さず、決して広くないコクピットに苦労しながら、ガンナースーツをいそいそと脱ぎ始める。
前席より一段高い後席からは、その白く細い腕が艶かしく踊っているように見える。
「見ちゃダメよぉ。別に見てもいいけ……どっ」
脚をスーツから抜き、「ふうっ」と一息吐く。両膝を抱えて座り直した。
後付けのルームミラーにはセリの長い脚、グレイの薄いバックウェアが見え隠れしている。
「あのねえ、ここは自分ちじゃないんだから」
「下着じゃないから、恥ずかしくない……ってね」
「それ…… どこかで聞いたような気がするけど、気のせいかな?」
エリックはガンナーベストの胸ポケットから迷彩柄のバンダナを取り出すと、丁寧に折り畳んで細長い目隠しを作り、それを両目に当てがった。
その様子をセリはルームミラーで確認する。
「あら、エリック、信用してるのに。紳士なのね」
セリが揶揄うと、当のエリックは口をへの字に結んだ。
「そういう問題じゃないのっ! 君はもう子どもじゃないんだから、自覚した方がいい」
「信用してるのは嘘じゃないわ、だって色々『見えてる』んだから」
セリはいつもの調子でクフフッと笑う。
「時々だけどね。あの赤毛に青い瞳の女の人って、誰?」
エリックはしばらく沈黙する。そして、ゆっくりと口を開く。
「やっぱり見えるのか。知覚共有中は集中しているつもりなんだけどね」
「眼鏡と白衣。ソバカスが可愛い。よく陽が当たっていて…… 学校かな?」
「えーっ、そこまで?」
エリックは一瞬、信じられないという驚きの顔。
「しょうがないな。昔、同じ研究室に居た友人で、僕はアルヴィーって呼んでたんだけど、ロシア人のアルヴィナ……アルヴィナ・ブレインズ」
「ブレインズって、あのイ重研の偉い人?」
「そう、養女なんだけどね。元の姓はカレリナって言うらしい」
「へえ。でも、それだけ?」
セリは前席シートから身を乗り出して後席を覗くと、異重力マップボードなど邪魔な物はシート横へ逃がされ、狭いスペースで強引に腕と脚を組むエリックが見える。
「えーと、婚約者、だったんだけどね。八年前、アストレアに乗ってたんだよ。医療管理官として」
「ははーん、大体把握した。意外とロマンチストなのね、エリックって」
セリの言葉には相変わらず遠慮がない。
「いやいや、僕にはまだロマンじゃない。現実だよ」
「現実?」
「え、ああいや、ロマンチストでいいよ。それより君こそどうなの? ニュクスと」
エリックは組んだ腕を頭の後ろで組み直す。意地悪のお返しだ。
「え、愛してるけど?」
何の臆面も無く答えるセリ。
拍子抜けをしたエリックはしばらく言葉を失った。
「ワタシにも、何か見える?」
「分析官は『覗かれる』側だからあんまりないね。強いて言えば匂い、かな」
「女の子に向かって匂いだなんて失礼しちゃう。香りって言って」
イオに対しては散々な癖に勝手な言い草である。
「ははは、じゃあ香りで」
すると、セリの顔から戯けた表情が消え、真剣な面持ちになった。
エリックは目隠しをしているので分からない。
「ワタシは愛しているけど、パートナーが変わってから、ニュクスの気持ちが分からない」
「ごめんね、こんな『おじさん』で」
エリックは自らを指差して自虐する。
「あら、ワタシはエリックのこと、おにいさんって思ってるわ。イオみたいに気が利かない女とは違うの」
「今更ゴマすってもダメだよ。それから、パートナーの交代はへピイATiの提案であって、ニュクスが言い出したことじゃない」
苦笑いのエリック。だが、語気はほんの少しだけ強めた。
怒っている訳ではない。セリの疑う気持ちも理解はできている。
「みんなそう言うから、納得はしてる……」
彼女にしては弱気な言葉である。
エリックは空気を読む。
「イオ、でもイオは面白いわ」
セリも同じく空気を読んで、話題を変える。
「そう、彼女なら。彼女なら彼を変えられるかもしれない」
***
結局、ヘパイストスが一号機を発見するまで一日もかからなかった。捜索に出たヒトが上空から発見し、救助用の潜水ロボットが手際良く一号機を引き揚げる。
メタストラクチャーの降下地点は今でこそ内陸や沿岸部に集中しているが、襲来初期は不規則に分散して海上での遭難も多発したため、救助に用いる潜水機器は充実しているのだ。
艦長、副艦長に報告を終えて、ヘパイストス食堂にて一息つくアーメイドチーム。
ヒトはヒライ機関統制官、エド兵装統制官と格納庫に戻ったので不在である。
「良かったっ! 一時はどうなることかと思っちゃったーっ、はっはっはっ」
ニュクスはやや上擦り気味に捲したてる。至って上機嫌だ。
「ホントに心配、してくれてたの?」
ニュクスの隣りで不機嫌なセリ。
人前でのニュクスの態度が気に入らないのである。
「ちょっとセリ、何が気に入らないっての? アタシャこれでも心配で心配で、ねえ」
ニュクスが大袈裟でわざとらしい言葉を重ねる度にセリの堪に触る。
アーメイドの損傷具合はへピイATiを経由しておおよそ把握できていたはずで、何より救出現場にニュクスが現れなかったことを根に持っているのだ。
エリックは「やれやれ」と言った顔。
「べっつにっ、どうせワタシは来年ここには居ない子っ!」
「アンタなに不貞腐れてるのっ、子どもじゃないんだし、あの話は納得したでしょう?」
「そんなの知らないわっ!」
「もういい加減になさいっ! アタシの都合もあるんだからっ!」
――― ああ、先日の諍いの種はこれか。
イオは全てを察する。
とは言え、救助の解放感からニュクスに甘えている、という見方もできなくもない。
普段はひとり大人びて自由気ままなセリだが、子どもっぽく拗ねる姿を隠す気がないのは、自らの意思で生きている証しとも言える。
彼らナーヴスに直接の親はいないが、やはり人の子なのだ。
リコは傍らで二人の様子をじっと見ていたが、不意に口を開いた。
「セリ、大丈夫だよ。ニュクスはセリのこと、だいすきだから」
揃って静止するセリとニュクス。
「だってよく見えるもの、セリばっかり。すごく近くて、やわらかくて、息があら……
『わあああああああああああああああっ!』
ニュクスは大慌てでリコの口を塞ぎ、セリは耳まで真っ赤にして俯いた。
事態を理解できず、きょとんとするリコ。
恐る恐るリコを解放し、ニュクスは周りを見渡す。
微妙な空気、沈黙する一同。
ニュクスは天井を見上げ、左の手の平で顔を覆った。
「え、言っちゃダメなの? セリ、うれしそうだよ?」
「リコちゃん、お姉さんと一緒に向こう行こうか……」
――― ああもう、こっちが恥ずかしくて聞いてられない。
共感性羞恥に耐えながら、リコを引っ張ってこの場を退場する。
***
ヘパイストスブリッジにて。報告書で残業中のいつもの大人三名。
「あれ、やっぱり久々の『進化』だよ。あの腐れイカ、いきなりプラズマガンだわ、へピイは予測を外すわ、ホントびっくりだ」
ヒライは悔しそうにぶつぶつと独り言を垂れ流す。
「イカくんがスルメになったっ!」
茶化すアレサ、だが、ヒライはつまらなさそうに聞き流す。
「前に形を変えてきたのは…… 確か二一二七年だから四年前か。イチロクサン(AMD163)からイナイチ(AMD171)に入れ替えたすぐ後だよな」
「オォッ、ジャパニーズスルーメッ! トゥースに挟まるから、ミー嫌いネッ!」
ヒライは意図的にエドも無視する。苛立ちを茶化す二人が気に入らないのだ。
「…… 大きな進化の前に必ず行動に変化が現れる。先の空中静止もそれか?」
「スルメと言えばスルメスメル。そう言えばブリッジ、最近なんか匂わない?」
「え……」「オゥ……」
ハッと顔を見合わせるヒライとエド。
「なーにが膠着状態だよ、前だって滅茶苦茶だったんだぞっ、現場は苦労してんだよ。なあっ、アレサちゃんっ!」「ヘイッ、アレサチャンッ!」
「えっ? ワタシ、フツーのOLだからっ!(うわぁ、おっさんくせー)」
「あ、今、おっさんって思っただろ、ねえ?」
先日の酒盛りの露見を恐れ、ヒライはアレサにウザ絡みして誤魔化す。
「ひーっ、北米もヨーロッパもそれっぽい報告は上がってないから、多分ウチが初物っ!」
「一応、奴らヤル気あるみたいだな、今回もウチが凌いだけど。アーメイドプラス様々だわ」
「それにしても、随分のんびりし過ぎじゃないの? あの骨の親玉」
「ビッグボス・ボーンッ!」
「奴らはここ十年とか百年とか、そんなスパンで存在してる訳じゃないのは確かだからね、人類
の時間の尺度とは根本的に違うんだろうよ」
ヒライは缶コーヒーを手に取る。「あ、冷めてる」
「はっきり分かる変化があるってことは、何者かの意図が存在するってこと?」
「そりゃ超常『知性』構造体って呼んでるくらいだからね、いくら何でも突然変異にしちゃ都合良過ぎだわ」
「デウス・エクス・マキナッ!」
エド煩いよ、という視線を送るヒライ。
「知性って言うくらいなら、いつか人類とお話しできそうなものだけど……」
「学習して生存に生かすって意味で『知性』って呼んでるけど、犬猫にだって知性はあるからね。でも人類は犬猫とまともにコミュニケートできてるって言える? 『ゴハンをあげる』は理解してくれても『お昼にゴハンをあげる』は中々理解してくれないから」
「ニャーンッ!」「にゃーんっ!」
相手にしてもらえなくて拗ね始めるエド、真似をするアレサ。
「にゃー、あ、いや何者かに作られたものだとしてもさ、さっき言った時間の尺度も大きく違う可能性があるから、万に一つくらいなんじゃないかな、理解し合えるのって」
「うーん、それよく分かんない。どういうこと?」
「例えばの話、考える速度に極端な差があったら無理だよなって。人類が頑張って認識できる範囲ならともかく。何しろ奴らは、万年とか下手すりゃ億年スパンだ」
唇の下に人差し指を当て、眉をハの字にするアレサ。
「んんん? まだよく……?」
「えーと、そうだな、腐れイカ共はだいたい四年のインターバルで進化するけど、奴らにしてみれば明日明後日くらいの感覚かもしれないってこと。ドゥーユーアンダスタン?」
ヒライは言い終わると、冷めた缶コーヒーを一気に飲み干した。
必死に頭を捻りに捻ったアレサ。
「ううーん、じゃあ例えば、キッチンに現れたゴキブリさんは実は彼らなりのコミュニケーション手段で、一瞬のうちに色々訴えてるかもしれないってこと? 殺さないでーっ、帰ればお腹を空かせた子どもがーっ、家のローンがーっ、とか」
「ローンって君…… 嫌な発想をするよね。ま、尺度の違いってそういうことだけどさ」
「ヒィーッ! ミーはゴキブリ大嫌いネッ!」
アレサの喩えに引き気味のエドとヒライ。
「奴らからすりゃ人類は取るに足らない存在かもしれない。実際、俺たちが相手をしているのは、異星人の兵器なのか、それとも異星の怪獣なのか、未だよく分かってないしね……」
「ニャーン……」
「にゃーん……」
エドとアレサ、ハモる。
***
血の匂い。
そう気づいて右腕を見るヒト。今朝変えた包帯には血が滲んだ跡は見当たらない。
訝しんだヒトは鼻の奥に何かが伝う感覚、そして鈍痛で初めて理解した。
鼻血だ。
誰かに見られていないか、周囲を確認してトイレに駆け込む。
アーメイドプラスの過剰なフィードバック、帰還制御の影響である。過大な神経接続の負荷がヒトの身体に影を落とし始めている。
血を拭って顔を洗う。
鏡に映ったヒトの顔は、薄く笑みを浮かべていた。
「アーメイドプラスが、ボクを壊してくれる」
ヒトは鏡の自分に呟いた。
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