【ver.4】Parts:024「デジャヴとエラーメッセージ」
春先の柔らかい日差しが、積もった残雪を少しずつ溶かしていく。鏑木工業大学ではワーテック・ロボコンの大会から二週間を迎えていた。しかし、興造の姿は大学には無く、講師や学生達は心配していた。
「えー、今日も久保田教授来てないんですか?」
「そうなのよ。私達も連絡しているんだけど、『有休を消化したい』って言ったっきり、大学に来ないの。もう社会人の一般的な男性ですから、私達も不用意に立ち入れない事情があるんだと思うわ。ずっと真面目に来ていたから思い詰めたことでもあったのかしらねぇ……」
女性講師に興造のことを聞く男子学生。どうやら勉強についても聞きたいことがあった様子だった。つぐみは小教室の片隅で聞こえた会話に、何となくだが後味の悪さを隠せなかったようだ。
「みちか、お昼ご飯行こうよ!」
「どうしたの、急に?」
「何となくね。ちょっと気分転換したいの」
**
一方アパートの一室のカーテンは閉め切られ、日が差さず、スマートフォンは何度も着信を知らせる点灯をしていた。部屋の中には大量の吸い殻と缶ビールが積まれていた。彼の「愛するロボット」もどうやら様子がおかしかった。
「……ううん……十時か。もう少し寝るか……」
ぼさぼさの髪と無精ひげ。婚約者は亡くして以来の落ちぶれた時そのものだった。
「ザザザ……――コウチャ……」
「うるせぇなぁ。クオリア、ちょっと静かにしてくれ」
「……――コウチャ……ピー……」
そう、興造は完全に引き籠っていたのだ。度重なる心労が彼を追い込み、つぐみの強烈な一言が、女性不信を呼び起こしたのかも知れない。「Qualia(クオリア)」を放置する程に、彼の感性や愛情は曇ってしまっていたのだ。クオリアの目のモニターは赤く点滅し、いつもは綺麗に磨かれていた身体も、すっかり埃を被っていた。様子はそれだけではなかった。何となく禍々しい雰囲気がクオリアを纏っていた。そうとも知らず、興造は二度目の惰眠を貪っていた――。
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大学のキャンバスのエントランス。ワーテック・ロボコンの優勝旗と、企業による就職の斡旋先がずらっと並んでいた。社名は「トイトイ・マーベラスカンパニー」「おもちゃのバブリンカ」「オクトパス・ゲーマーズ」「純真堂」「Alpaca・Star」「ぎゅーびっく」……等々、今回のスポンサーとなった企業から、募集定員と賃金明細、労働時間、製作している物が、紙面になって掲示されていた。
つぐみとみちかは、張り出された企業求人を見ながら、どこに就職するか考えていた。
「へっ、この企業、めちゃくちゃ待遇いいじゃないの!!見てよ、つぐつぐ。あの優良企業で有名な『ぎゅーびっく』が出てるわよ!!知ってる?この会社は『勇者と知恵の輪』って、レトロ調なパズルゲーム制作してるのよ!!」
「『オクトパス・ゲーマーズ』ってどこかで聞いたような……」
「アンタの大好きなオタク教授がやっているオンラインゲームの会社よ。『剣と魔法とロボットの死都』だっけ?クラスの半分の男子がやってるわよ。……しかし、今回の出資企業はゲーム会社が多いわねぇ、手堅く行きたい所だけれど、そう考えると、やっぱり『純真堂』?……うーん、どうしようかなぁ。つぐつぐ、アンタはどうするの?」
「えっ、私?私は……そうだなぁ」
つぐみの頭に過ぎる強烈な女性の姿。司会をする凛々しい姿の雲雀が頭から離れなかった。しかしそう簡単に決めてもいいのだろうか。彼女も急に振られたので悩みだした。
「……これって締め切り、いつまでだっけ?」
「長く待っても、八月末までね。ってことは、半年しかないってこと!私は決めたよ!!早くしなさいね!!」
「わーっ、じゃ、じゃあ早く決めないと、すぐに来ちゃう!!」
一応、面接や書類の審査も形式的にはあるので、なかなか時間も少ない。もうすぐ、つぐみも大学四年生だ。来年度の春先で卒業するのか?それも彼女にとっての悩みの一つだった。
**
「……ったく、なんだよ、うるせぇなぁ」
興造が再び目を覚ましたのは、昼過ぎの二時だった。鬼のような着信が入り、発信元を確認するとディスプレイに「豊田 雲雀」の文字が出ていた。電話を拒否しても何度も掛かってくるので、仕方なく出ることにした。
「興造さん!!連絡したのにどうして出ないのよ!!」
「……わりぃ、それどころじゃ……」
「聞いたわよ!!大学に行かずにどうせ、家でふて腐れてるんでしょう?」
「……切るぞ」
「正直、見損なったわ。と言いたい所だけど、私も広告を出した以上、あなたにも責任があるの。分かる?あなたは『ペンタグラムと契約を交わした』ってことを忘れたのかしら?」
興造は電話を耳に当て、分が悪そうにうろつきながら冷や汗を掻き、頭を掻いた。そして鏡の前に立ち、自分のみすぼらしい姿を見ながら言った。
「もう無理なんだよ。……アイデアは出尽くした。研究者として死んだんだよ。僕は」
「まったく、本当にあなたは情けない。言っちゃ悪いけど、澪さんが居なくなってから、あなたはかなり落ちぶれてしまったわ。魂が抜けてしまったようにね。本当にあなたはそれでいいの?」
「そりゃあ……」
「男なんでしょ?だったら、勝ちなさいよ!!今すぐにでも腑抜けた頭に、冷水ぶっ掛けてやりたいくらいだわ。もしも、まだ泣き言を言ってるようだったら、本当に押し掛けるからね?覚悟しなさい!!」
一方的に言うだけ言うと、雲雀は電話を切ってしまった。後ろにいたクオリアの様子が、少しおかしい。
「ザザザ……ミ、ミオ?……ワタシハ、……ミオ?」
「くっそ、やりゃあいいんだろ?やりゃあ」
ぶつぶつ言いながら、興造はパソコンに向かった。その時だった!クオリアが立ち上がると、興造に両手を振り上げて迫って来たのだ!!
「おいっ、……クオリア!!なにがあっ……」
興造の頭に「ソクラテスのネジの呪いの話」がよぎった。数日間まともな食事を摂っていなかった彼は、クオリアの硬い腕に殴られて、頭から血を流し、床に倒れた。
「……ワタシハ、何を……マスター?!どうして倒れているんですか!!まさか……ワタシが?……ワタシガ」
クオリアは揺れる自我の中で、頭を抱えながらもがいていた。「何か」が彼女のプログラムを奪おうとしていた――。
**
つぐみは落ち着かなかった。何となく授業に集中できずに、心の中にモヤモヤを抱えていた。誰もいない教授の研究室に行ったり、心の穴を埋めるように、友達とわざとらしくはしゃいでみたりしたのだが、どうも落ち着かない。彼女は独り言をごちてみた。
「……好きにしてって言ったけどさぁ、私も馬鹿だよね。教授の研究室、居心地が良かったのに、誰もいないし。何だかつまらないなぁ」
「ねぇ、つぐつぐ、どこか遊びに行こうよ。この前の経済大の男子誘ってさ!」
「えっ、うん。いいね!」
みちかが上の空だったつぐみの顔を覗き込んでいた。
「アンタ、大丈夫?最近、ホント見てられないよ。なんかあったの?」
「……みちか、ごめん。私帰るね!急にやりたいことが出来たの!!」
「……分かったよ」
友人から走り去るつぐみ。これも二度目でみちかは、もう何も言わなかった。
**
「僕は、どうして……頭が痛い……血?!」
床に倒れ込んでいた興造は、朦朧とする意識の中で目を覚ました。頭の痛みがし、触ってみると血液のぬるりとした感触が手にあった。目の前でクオリアが胸を抑え込んで、座り込み、苦しんでいるように見える。
「ヤメテ……私はマスターを傷つけたくないの!!……ピー……コウチャン、イッショニ……」
「クオリア?!おい、しっかりしろ」
興造は痛みも忘れて立ち上がり、クオリアの肩に手を置いた。身体を揺すぶっていると、クオリアは震える両手を差し伸ばし、興造の太い首に両手を当て始めた。彼のこめかみに冷や汗が滲んだ。
「コウチャン……ドウシテ……ワタシヲ……ステタノ?!ユルサナイ……」
「澪?!くっ……なんて力だ。クオリアのプログラムに制御が利いていない」
興造は絞められ掛けている両手を持ち、必死に抵抗していた。しかし頭の血が滲んで、思うように力が入らない。このまま絞め殺されてしまうのだろうか――。
その時だった!アパートの玄関の扉が激しく開いた。それは、つぐみだった。彼女は両手に抱えていた買い物袋を、驚きのあまり床に落としていた。
「教授!!……どういうことですか?!わけが分かりません!!」
華奢なクオリアの躯体からは想像出来ないほどに力が及び、興造はそのまま顎を掴まれるように宙に持ち上げられた。
咄嗟につぐみは、荷物を放り出してクオリアに体当たりをした。クオリアは、そのまま掴んでいる手を離し、壁に強かに当たって、機能停止してしまった。興造は床に落ち、激しく咳き込んでいる。
「教授!!行きましょう。こんなとこに居たら危険です!!」
「あの状態のクオリアを見捨てられるか!!まずい、少し血を失い過ぎた。めまいがする……」
「救急車呼びます。少し横になってて下さい。すぐに呼びますから!!」
**
――興造が目を覚ますと、鏑木市の病院のベッドの上だった。つぐみは興造の手を握り込んで、うとうとしていた。興造は少し恥ずかしくなり、横を向いてボソッと言った。
「そうか、澪もこんな気持ちだったのか」
「……あっ、教授、気付きましたか?心配したんですよ!!」
「……何で僕の所に来た?見捨てれば良かったんだよ」
「教授は……いつもそう言うんですね。まるで、『かつての澪さん』みたいです。教授は分からないと思いますけどね、今の教授、凄くカッコ悪く見えるんです。自暴自棄になればいいんですか?沢山の人に慕われてるのに、一切見ようとも、振り向こうともしない。『幻想の恋人』を作って……追いかけて。……首を絞められかけて」
「……だったら、ほっといてくれよ!!僕は負け犬なんだから!!」
「そうやって、逃げてるあなたが見てられないんですよ!!……ハードディスクの寿命って知ってますか?持ってせいぜい一万時間。日数にすると二年も持たないそうです。クオリアちゃんなんて、ただのロボットじゃないですか。それなのに……どうして『目の前の人』を見ようともしないんですか。あなたのことをこれだけ慕ってるのに……」
興造は苛立ちかけたが、つぐみが言いかけたその言葉に耳を疑っていた。
「もう見捨てるとか言いません。退院したら、しばらくは私の部屋に泊まって下さい。……今日は帰りますね」
「あっ、ちょっと、おい!!……行っちまったよ」
興造はかなり戸惑っていた。その日はCTスキャンも取ったが、脳には異常も無かったようだった。
**
興造の居ないアパートの一角。「Qualia」は機械音を鳴らしながら、機械の深層世界の中を彷徨(さまよ)っていた。
――ここはどこ?私は……。
差し伸ばしたパステルカラーの手の先には、鮮やかに輝くネジが、モヤの中に浮遊していた。
「あなたがQualia?私は澪。うふふ、……やっと話せたわね。ちょっと嫉妬しちゃうの。こうちゃんと二十年も一緒に生活してたんでしょ?」
――!!
「驚かなくてもいいのよ。……何だか、不思議な気分。暖かい感情が、あなたの身体からずっと流れ込んできたの。私もあなたも、ずっと愛されてきたんだ、って分かったの。ねぇ、Qualia?あなたはどこから来たの?」
……分かりません。モデルがいるらしいんですが。
「そうよね。だって『あなたは私だもの』……こうちゃんにね、最期のメッセージを伝えて欲しいの。私はきっと、あなたに呪いをもたらしてしまう。本当は……生き返ってでも会いたかった。でも、無理なんだ。……私は」
最期……とは?どういうことなんですか?
「Qualiaも知ってると思うわ。あなたの機械としての寿命は、既にかなりのガタが来てるの。そして私も同じ。『ソクラテスのネジ』を通して、私とあなたは結び付いているのだけれど、恐らく……良心を保っていられるのもほんの僅かだと思う……」
死とは……なんでしょうか?不可解です。
「私も『二度死ぬ』のは、怖いの。でもね、こうちゃんはずっと『あなたと私に』しがみ付き過ぎた。きっとこうして巡り合ったのも、運命だと思う。Qualia。落ち着いていられる間に聞いて。もしも私が呪いをもたらすようなことがあったら、『あなたは、私と一緒にプログラムリセットをして欲しいの』……今まで、こうちゃんを支えてくれてありがとう……もう、あの人には……幸せが……訪れていると思うから……」
――はい。
**
二週間後。興造は退院し、つぐみの部屋を借りることになった。部屋の中には少年漫画やアニメ、縫いぐるみやフィギュアの類。観葉植物など、男女をごちゃまぜにしたような面白いレイアウトだった。
「いい匂いがするな。これは?」
「あ、最近、私……アロマオイルにハマってるんです。『アロマディフューザー』って言って、超音波を掛けて水を蒸気にして、アロマオイルを飛ばせる機械があるんです。柑橘系のオイルは、精神的な疲れを取る効果があるみたいですよ」
「ふむぅ……参考になるな」
黙々とつぐみの作った料理を食べ、遠慮がちにソファーを借りて寝る。ただ、不摂生の影響で乱れていた身だしなみは、つぐみからの厳しい指摘で清潔に整えられたのだった。
「教授は、最近手料理食べてないんじゃないですか?」
スプーンがコツンと皿に当たった。興造は温かいシチューに無意識に涙を落としていた。
「……そうかも知れない。本当にそうかも知れない」
「えっ?!どうして急に泣くんですか!!私、なんか悪いことでも言いましたか?!」
「クオリアの作った料理……美味かったんだよ。でもさ、ぐみちゃんの料理の方が……断然、暖かさが感じられるんだ。なんでだろうな。僕も分からないよ」
つぐみは恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「教授、お皿貸してください。もっと食べないと怪我が治りませんよ!!」
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