【ver.2】Parts:010「命の砂時計」



 翌日のテレビでは「ワーテックロボコン」の報道が一日中流れていた。地方局が密着取材して、かなりの白熱した報道になっていた。私は食事をゆっくり摂っていたのだけれど、なかなか空腹が治まらない。口の中がとても痛いので、固形物が食べられず、ゼリーで食事を済ませていたからだ。今回は「鏑木工業大学」が優勝したらしい。学生達に斡旋された就職口も五社が名乗りを上げたようで、その中に「トイトイ・マーベラスカンパニー」と「純真堂」が入っていた。少し悔しい気持ちだった。


 


 「虹ヶ崎さん、体調はどうですか?」


 看護師の方が病室の備品整理をしながら私の体調を窺うように聞いてきた。私は引きつった笑いを浮かべながらと笑いながら、「大丈夫です」と答えた。




 そして出て行った看護師の方と入れ違いに、父の晴輝(はるき)と母の紗霧(さぎり)が息を切らし、青い顔をして病室に入って来た。時間は午後一時を過ぎていた。


 「み、みみ、澪っ、こ、こうちゃんから聞いたわよっ。辰雄さんもかなり取り乱してた。本当に大丈夫?風邪じゃないの?熱は無い?」


 「食事はちゃんと摂ってるか?睡眠は……ああ、こんなことを言っても仕方ない。どうしてだ。どうしてなんだよ!うちの大事な一人娘を、もう、誰に当たったらいいんだよ!!」


 「お父さん、お母さん、落ち着いてよ。私はまだ元気だからさぁ……」


 泣きそうになる両親を見ていると私まで落ち込みそうだった。お父さんは、恐る恐る私に尋ねてきた。


 「その……なんだ、血液検査はしたのか?」


「……うん。午前中にこうちゃんが大学を休んで、付きっきりで看てくれたの。お、おしっこと、血液と、骨髄を採ったよ。で、念の為に『脳の中の内出血を防ぐ為に』って、血小板を輸血して貰ったの。検査の結果は、明日の十時に出ると思う」


両親は私の話を聞いて黙っていた。二時間以上、森城町から雪道を走り、高速も飛ばしてきたのもあるけれど、二人とも仕事を切り上げて来たのだろう。私には、二人がかなり疲れているように見えた。眠れていないようで、二人とも目の下に隈が出来ていた。




 「あなた……こうちゃんには、いっぱいお礼をしなきゃね」


 「そうだな。本当に……娘が大変な時に何度助けられたか。高校の時も色々あったもんな」


 私は、棒立ちになって話している二人を見て、傍の椅子に座るようにけしかけた。


 「お父さん、お母さんもほら、座ってよ!疲れてるんじゃない?ぐったりしてるよ!!」


 私は気丈に振る舞って見せた。二人は椅子に座ったが、お母さんは私の腕のあざと注射痕を見て、更に気落ちしてしまった。


 「私が丈夫に産んであげられたら……ごめんね、澪」


 お父さんも黙っていた。私はどう励まそうかと悩んでいたけれど、何も言わずに黙っていた。




**


 午後三時過ぎまで、私は両親とテレビを観ながら、雑談をしつつゆっくりと過ごしていた。お母さんは持ってきたリンゴを果物ナイフで剥くと、それをすりおろして、私に食べさせてくれた。


 「澪は小さい頃に風邪ひいた時は、すりおろしたリンゴを食べてたんだよねぇ」


 「まさかこうして、また食べる時が来るとはねぇ」


 少し会話に笑顔が戻った。お父さんは再びテレビで報道された「ワーテックロボコン」の話を皮切りにして、私の大学生活について尋ねてきた。


 「……澪、その、なんだ、からくりだっけか?色々と勉強できたか?」


 「うん。とっても楽しくやってるよ。私が入学を決めたきっかけの先生だった、滝口 英彦(たきぐち ひでひこ)名誉教授が未だに教鞭を取っててね、機械の歴史とかも、授業で挟みつつ話してくれるの。こうちゃんは……苦手みたいだけどね」


 「そうか。なら良かった」


 お父さんも少しほっとしたような表情だった。




 明日の主治医の説明の為にお母さんが残り、お父さんは一旦帰宅することになった。外は少し雪が積もっていた。


 「じゃあ、俺は帰るから。お母さん、結果が出たら連絡してくれ」


 「分かったわ。……澪、お母さんは少し泊まっていくから、何かあったら、いつでも連絡しなさいね」


 「……分かった」


 私はこれから始まる長い入院生活に絶望感を抱き始めていた。




**


 翌日十時くらいに、私はがんセンターの診察室にてお母さんの付き添いで話を聞いていた。担当医師の「桑畑 宣史(くわはた のぶふみ)」先生から、血液検査の結果表とカルテを見せられながら、治療の進め方の説明を受けた。淡々と説明する白髪の老人医師はベテランの風格をしながら、どこか冷めた雰囲気が漂っていた。


 「……そうですね。澪さんの場合、通常なら一万弱ある白血球が十五万個に増えてます。骨髄液の白血球細胞(がん細胞)が九十五%を占めていて、正常な血液を作り出せる状態にありません」


 「そ、そんなに増えてるんですか?一体、何が原因なんですか?!食事が悪かったのですか?!」


 「分かりません。白血病の原因は不明で、未だに原因は解明されていません。放射性物質を受けすぎるとなると言う場合もありますが、それはごく一部の話です。澪さんの罹られている『急性リンパ性白血病』は、ウイルスを攻撃するリンパ球が何らかの原因でがん細胞化してしまい、発病したのではないかと思います。しかしそれもごく一部の見解で、ハッキリしていないんです」


更にお母さんは、矢継ぎ早に医師に問い詰めた。


 「娘は……助かるんですか?」


 「はっきり言ってしまうと、分かりません。白血病の完治率は七〇パーセント~八〇パーセントです。抗がん剤治療を進めたら、造血細胞が異常を来たしてしまいますので、抗がん剤で造血細胞を破壊して、骨髄移植をしなければ、再発してしまうんです。骨髄にも提供者(ドナー)と患者の相性があって、『血縁関係であっても二十五%の適合率』なんです。『非血縁者ならさらに確率は低く、数百万から数千万分の一』と言われています。そして移植した後に、適合して血液を作り出してくれるか。これも問題なんです。白血球数が十五万個なら、恐らく再発してしまいます。……選択の余地はありませんが、治療は進めますか?」


 予想はしていたけれど、突き付けられた残酷な結果に絶句する私とお母さん。……こうちゃんになんて連絡したらいいの?私、死ぬかも知れないんだよ?淡々と説明をする白髪の医師。刻々と時間が過ぎていた。この目の前に突き付けられた絶望的な完治率に、戸惑いを隠せなかった。お母さんは泣きそうになりながら、私の手を握っていた。


 「澪、頑張ろ?お母さんが一緒にいるから。辛くても、こうちゃんがいてくれるよね?大丈夫。あなたは強い子だから」


 「お母さん……」


 桑畑先生は黙って見守っていた。私は唇を噛んで、涙を拭くとお母さんに手を握られながら言った。


 「私、どんな辛い治療も受けます!」


 「分かりました……では、説明を始めます。」




 そして、桑畑先生はホワイトボードにグラフや図を書き込んで、化学治療の説明をし始めた。


 「これから始める治療過程を簡単に説明しましょう。治療の目的は白血病細胞を死滅させ、正常な血液細胞を増やすのが目的です。……まず、第一段階として『寛解導入療法』を行います。『寛解(かんかい)』とは、白血病細胞数を減らし、数を無くすことです。方法は身体に大量の抗がん剤を投与し、血液細胞を死滅させます。そして、骨髄の中を完全に空の状態にし、四週間かけて正常に血液が作れるように、完全寛解を目指します。ただ、ここで注意して欲しいのは、数が減ったからと言って、油断していると再発してしまう恐れがあるので、治療を継続して下さい」


 「続いての治療方法は『地固め療法』を行います。五パーセント以下になった白血病細胞を更に減らすのが目的です。複数の抗がん剤を投与し、数か月間治療を行います。この際に『骨髄を移植するかの選択』をして貰います。弱った血液細胞が元気になってくれるよう、経過を見ながら、治療を進めていきます」


 「最後に『完全寛解』した状態の身体に、少量の抗がん剤を二年以上掛けて、再発しないように維持していきます。五年再発が無ければ、治癒したと考えます」


説明を受けた私とお母さんは長い治療期間に対して、驚きを隠し切れなかった。「完全に元気になるまで五年以上掛かる」と言うこと。その上に「生きられるリスク」がかなり低いと言うこと。先生は更に、釘を刺すような一言を言った。


 「ご存知かと思いますが、抗がん剤の副作用で『髪の毛が抜け落ちる』ことがあります。他にも、食欲不振や吐き気が強くなったり、かなりの苦痛を強いられるでしょう……」


お母さんは黙っていられずに、桑畑先生に掴みかかるように言った。


 「ねえ、先生!!どうして、嫁入り前の娘にそこまで強いるの?あまりにも残酷過ぎませんか?」


 桑畑先生はお母さんの手を優しく振り解くと、目を見つめながら言った。


 「……では、治療をやめますか?娘さんは、それを願っているのでしょうか?」




 私は、気怠い意識の中で静かに言った。


 「お母さん……生きたいの。わがままかも知れないけど、私にはまだまだやりたいことが沢山あるの。それにこうちゃんも……」


お母さんは耐え切れずに言った。


 「もし骨髄移植するようなことがあったら、私の髄液を全部抜いて下さい!!娘が助かるならいくらでも差し出しますから!!先生、お願いします!!」


 縋りつくように、先生に訴えるお母さんを見ていると、私はとても胸が苦しくなった。ねぇ、神様。どうして私を白血病にしたの?助けてよ。お願いだから……。




 桑畑先生はお母さんを落ち着かせると、静かに言った。


 「いいですか?お母さん。お気持ちは分かります。これから娘さんが向き合おうとしている治療も、とても過酷で、リスクを負うものです。しかしどうか取り乱さずに、ただ側にいてあげて下さい。それだけでいいんです。私はこの目で、『がんに罹った家族を持つ方』を何人も見てきました。そして、がんの告知もしてきました。死の宣告をしているようで、とても苦しいのです。お母様、少しお辛い言い方になるかも知れませんが、娘さんに『与えられた命を、一生懸命に生きることに専念出来るように』励ましてみませんか?」


 「……すみません、かなり取り乱してしまって。私、母親としてしっかりしないと」


 「よく分かります。私にも娘が一人いるんです。……私も医師として精一杯尽力させて頂きます」




 そして桑畑先生は、骨髄移植についての説明をし、励ましの言葉をもって往診を終えた。


 「……骨髄移植は、提供者もリスクを負って提供して下さっています。感染症や肝炎ウイルスのリスクを顧みて、腰に太い注射針で刺し、抜き取られた貴重な髄液をあなたの身体に入れるのです。決して無駄には出来ない貴重な髄液です。どうか希望を持って受け取ってください……。最後に再三言いますが、最善は尽くします。娘さんの生きる力を信じてあげて下さい」


 私とお母さんはぐったりと疲れていた。三十分に渡る往診は終わり、私はくたくたになって、病室に戻って行った――。


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