【ver.2】Parts:014「弱くって、弱くって」



 少しずつ周囲の環境も夏へと変化を遂げている。看護師さんの服装が夏服になるのを見て、夏の訪れを感じていた。白血病の告知から半年。じめっとした梅雨時の環境を抜け、青々とした入道雲とセミの鳴き声が印象的だった。


 頭痛が酷くて血管の詰まりが疑われたので、MRIを撮ってみたけれど、異常は無かったようだ。それから、髄液に直接抗がん剤を注入したりもした。骨髄バンクのドナーもこの半年で辛うじて見つかったのだけれど、私の病状は、一向に良くならなかった。特に顔面神経をがん細胞が攻撃して、顔が強張ったように、表情を作ることが出来なかった。回復の兆しが見えてこない。死にたくなるよ……。




 一時退院を何度か許可してもらい、実家で食事を摂ったり、合間を縫って本を読んだりもした。けれど、一番辛かったのは「私が決断したこと」でありながら、愛する人に会うことの出来ない心の寂しさだったのかも知れない。




**


 桑畑先生の骨髄移植の説明文には、このように書かれていた。


 ――成人の急性リンパ性白血病(ALL)は、科学治療に関しては非常に良好なのですが、一度良くなっても、半数以上の患者様が再発する可能性を秘めています。発病時の白血球細胞数が多い場合は、特に再発の危険性が高いです。病気の治療で最も効果を発揮するのは、骨髄移植療法です。


 骨髄移植療法とは、全身放射線照射を四日間掛けて、六回に分けて行い、最終日に無菌室に入室し、メルファランと言う抗がん剤を通常の五倍量使用して、体内の骨髄を白血病細胞もろとも破壊します。骨髄が失われた患者様は造血細胞が失われている為、血液を作り出すことが出来ません。そこで、ドナー様から頂いた骨髄を、患者様に移植します――。




 移植に関しては、血液型の一致も性別の一致も関係ありませんが、ヒト白血球抗原(HLA)が一致していることが、最も重要な条件の一つです。ドナーの骨髄を身体が異物と認識し、良い臓器まで攻撃してしまう可能性がある為、負担が大きい移植でもあります。




 私とお父さんとお母さんは、その話を真剣に聞いていた。どんなに丁寧に説明されても、百パーセント安全の保障がない以上、不安が拭えない。ここまで来たのに……ドナーも見つかったのに。苦しくて、息が詰まりそうだよ。どうして私は、こうちゃんを手放してしまったの?




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 なかなか体調が優れない日が続いた。白血球が六百台まで低下し、お腹を壊してしまった。熱もかなり出た。朦朧とする意識の中で、お母さんが必死になって介抱しようとしてくれたのだけれど、神経が荒だって攻撃的な口調になる。そんな自分に嫌気が差した。




 それからひと月の間、熱がなかなか下がらなかったらしい。私は自分の行動を覚えていない。食事を摂ることも出来ないくらいに身体が震え、熱は四〇度を超えた。電気毛布の温度を最高にしてもらって、何とか体力を維持するように懸命にお母さんやお医者さんが処置してくれた。


 水分と抗生物質を処置しながら、熱が下がった頃、とても悲しい気持ちに襲われた。


 「みんな、楽しく過ごしてるんだろうなぁ……友達に会いたいよ」


 こうちゃんに。とは……言うことが出来なかった。お母さんは私を抱きしめてくれた。


 「澪、私達は……あなたのこと見捨てないからね」




**


 そして、本格的に夏の暑さが増してきた。テレビでは「水分補給と熱中症対策」が毎日のように報道されていた。骨髄移植の日程が決まりつつある中で、桑畑先生から長期の外泊許可が与えられた。お母さんと一緒に一時退院。それから、実家を起点にして静かに過ごしていた。告知から五ヶ月くらいの時だった。外出するときは体調を崩しやすい為に、かなり慎重になっていた。




 大学には休学届を出していたけれど、友達に会いたかったので顔を出すことにした。こうちゃんと会うこともあったけれど、お互いに目を合わせることもなかった。女の子の友達が、こうちゃんとすれ違い、今の関係を心配しているのが、何となく表情から感じ取れた。


 「澪、久し振りだね。……体調はどう?」


 「ん、まぁぼちぼちかな。いつもノートありがとね。助かってる」


 「いいって。気にしないで。澪はちょっと無理しちゃう所があるから、そう言う時は遠慮なく言ってね」


 「ありがと」


 「それより……幼馴染の興造くん、澪のこと聞いてるんだけど、全然教えてくれないんだよ。何かあったの?」


 「…………い、いやぁ、大丈夫だよ。こうちゃんのことだから、何かに夢中になってたんだよ」


 私はしらを切った。その後に友達に付き添ってもらって、滝口教授の所に行ってから、軽めにランチを摂ってその日はお母さんの送迎で実家に帰った。




 しかし、体調のいい日もそんな長くは続かない。実家で静かに過ごしている時のことだった。突如、強い寒気が私の身体を襲った。真夏の熱帯夜なのに、震えるくらいに身体が寒くて、意識が朦朧として。気が付いたら、廊下で倒れて動けなくなっていた。お母さんが血相を変えて熱を測ると、……四〇度を超えていた。


 「……お父さん、救急車、救急車呼んで!!」




**


 「私は大丈夫なの?ねぇ?」


 「大丈夫だから。安心して寝ていなさい」


 私は吐き気と頭痛、目まいに襲われながら、お母さんに手を握られていた。




 救急搬送先は森城町の病院。そして鏑木市のがんセンターに再搬送された。簡易ベッドの上で看護師さんに処置されながら、抗生物質の点滴を打たれた。血液検査で白血球数が三万、血小板が一万だったから、何となく嫌な予感がしていたんだよね……。


 そして桑畑先生から「再発」の告知を受けた。




 桑畑先生の病状説明はこうだった。


 ――急性リンパ性白血病の再発。そしてDIC(播種性血管内凝固症候群)について。血液中の白血病細胞の再出現と、LDH(乳酸脱水素酵素)などの著しい数値上昇から、現在の虹ヶ崎 澪さんの身体の状態は「再発の状態」と考えられます。科学療法により白血病細胞の減量を図り、DICの改善を期待してください。そして寛解状態になったら、骨髄移植へと進むのが理想的です。以前行った一週間の科学治療を、五週に渡って行っていきます――。




 白血病の影響で私の身体は、血栓(血の塊)が作られやすい状態になっているのだけれど、その影響で血液循環に支障を来たすことをDICと言うらしい。


 お母さんは見るからに、私の顔を見て心配していた。


 「やっぱり無理させ過ぎたのかしら……顔色が優れないわね」


 「動きたくない。……気持ち悪い」


 目の下の隈(くま)は、私の身体が内出血を引き起こしていることを象徴していた。血液細胞もなかなか数値が良くならない。白血球数が二万と六千の間を変動していた。かなりしんどくて死んでしまいたい。




**


 お母さんは骨髄バンクの方に書類を送ったり、仕事を休んだりととても忙しそうだった。抗がん剤治療が功を奏したのだろうか。唇や鼻からの血か出て止まらない中で、がん細胞の数値が落ち着いたと言うことを聞いた。しかし、痛みがとっても苦しくって睡眠薬を処方して貰っても、ぐっすりと眠れることが無かった。そして舌が白くなったり、口内炎も酷い。食事がなかなか摂れない。辛い……辛いよ。




 その頃の私は、口の中を麻痺させないと食事が摂れないくらいにボロボロになっていた。うがい薬に麻酔を混ぜて口の痛みを麻痺させて食事をする。そうでもしないとご飯が食べられない。流し込んででも食べないと。でも、少し口を切っただけで大量出血してしまう。血小板が減っているせいだった。お母さんは取り乱しながらも、私を支えてくれた。甘いケーキとかスイーツが恋しいよ……。




**


 そして、二ヶ月後に骨髄移植の日取りが決まった。やっとドナーが見つかったのだ。しかし、私の顔は目の周りが落ち窪んでげっそりとしていた。がん細胞が抗がん剤に対して耐性を持つようになったらしく、ソリタT3とメイロンを一日掛けて。デカドロンを一時間、パラプラチンを二時間、ラステットを二時間、イホマイドを二時間、ウロミテキサン、必要があればグランかノイトロジンを投与した。


 がん細胞とのいたちごっこは続き、見たことのない薬を山のように積まれながら生活をしていた。私の身体はボロボロだった。




 夏の暑さは一段と激しさを増し、告知から七ヶ月が過ぎていた。口から大量出血をして、意識が朦朧としていた。お母さんが泣きそうになりながら、私の口に止血剤の付いたガーゼを押し込んでいた。


 「澪!!しっかりして!!大丈夫だから!!」


 遠のく意識の中、腕も上がらない。両手の感覚が無くて、全身が痺れて不安で痛くて……。心電図のモニターとか、いろんな機械が見える……。


 「澪!!気力を保って!!ファイトよ!!」


 「…………」




 「……山は乗り切りました。輸血をし始めたところですから、もう大丈夫ですよ」


 桑畑先生の声がした。視線も焦点もなかなか合わない。そっか、最近痛み止めでモルヒネを打っているからだろうな。


 「ねぇ、澪……お母さんがあなたのお願いごと、聞いてあげる。何がいい?」


 お母さんは「失血によるショック」から立ち直った私の顔を覗き込むように言った。


 「……こうちゃんに会いたい。こんなにボロボロでもいいんだったら」


 私は、声が聞きたかったのかも知れない。顔がすっかりやつれてしまって、可愛くないし、それでも会ってくれるのだろうか……ごめんね、こうちゃん。私、我がままだよね。涙が止まらなかった。


 「……分かったわ。お母さん、頑張るね」


 骨髄移植まで二週間。……私もここまで生きられて良かった。でも本当のことを言うと、これ以上生きていたくない。最期にこうちゃんの顔を見られたら、もういいやって思うんだよね……。


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