【ver.2】Parts:013「……私は、どうしたらいいの?」



 白血病の告知から三ヶ月目。雪が解けて春になった。梅のつぼみを見に行ったり、体調が優れない時には、ベッドで横になりながら、こうちゃんに「滝口教授の著書」を読み聞かせて貰ったりした。




 私の体調には波があったけれど、神様は私の命を繋ぎ止めていてくれていた。けれど、抗がん剤投与も激しさを増していた。


 桑畑先生のお話では「地固め療法」を行うとのことで、今は「完全寛解」の状態なので、抗がん剤のキロサイドを一週間掛けて持続点滴するとのこと。初めの二日目はダウノマイシン。一日目だけ、静脈からフィルデシンを注射した。それから、プレドニゾロン錠(副腎皮質ホルモン)を一日二回服用。これは一週間飲んだ。それから、白血球を増やす点滴でグランかノイトロジンって薬も使った。




**


 投薬治療が少し落ち着いた頃、両親といとこが「HLAを調べる為の血液検査」をしていたらしく、桑畑先生から、結果を聞いた。お母さんの不安の入り混じった表情を見ていたら、何となく残念な結果が見えてしまった。


 


 「……HLA(ヒト白血球抗原)が合わない?!それってどういうことですか?!」


 「はい、私もとても残念だと思っています。採血結果を調べたのですが、ご両親といとこの方でしょうか。検査結果が一致しなかったんですよ。……しかし、多くの方もこうして悩まれて、ドナーを探す選択をしております……こんなことを言うのも、酷かも知れませんが、このようなパターンは虹ヶ崎さんだけではありませんよ」


 お母さんは込み上げる怒りと悔しさで胸がいっぱいだった。私もどうしたらいいか分からなかった。




**


 造血幹細胞移植では、血液型の他に、HLA型(ヒト白血球抗原)A座、B座、C座、DR座の四座(八抗原)を一致させることが重要だと言われているの。そして、HLA型は、両親からそれぞれ半分ずつ受け継ぐ為、兄弟姉妹の場合では、HAL型が完全に一致している確率が四分の一だと言われているの。多くの家族が、型が合わずに苦しんでいるらしく、そして、非血縁者間では数百から数万分の一らしい。この時に、私の両親はドナー探しの難しさを、改めて痛感していたの……。


 ショックを隠し切れなかったけれど、それでも懸命に生きようと思っていた。けれど、数日後。私の心をどん底に突き落とすようなことが起こった。




**


 その日は、私は一人だった。窓から桜を見ながら過ごしていると、向かいの白血病患者の奥さんからショックな話を聞いてしまった。奥さんが呼吸器を付けた旦那さんの腕を擦りながら話しかけてきた。


 「澪ちゃん、彼氏さんといつも一緒にいるけど、結婚は考えてるの?」


 「……そのつもりですが、急にどうしたんですか?」


 「あのね、その……言いにくいのだけれど、うちの主人も白血病の治療の真っ最中で抗がん剤使ってるじゃない?あれ、精子が死んじゃうらしいのよ、強すぎちゃって」


 「そ、そうなんですか?!」


 掠れる声で私は驚いた。そう言えば、最近「月のもの」も来ていないような……。話によると「生理不順」は抗がん剤の副作用のようで、身体に影響がかなり出ているのを身をもって感じていた。


 「私達夫婦は歳も取ってるし、もう子供も作らないのだけれど、若い男性の白血病患者は『精子バンク』に行って保存してくる人も多いらしいわよ。……身内に女の人が居ないから、女の人はどうかはどうか分からないけれど、彼氏さんに話しておいた方がいいんじゃないかしら……」


 子どもが出来ない。それはつまり「母親になれない」と言うことだった。そうだよね、これだけ投薬治療をしているのだから、当たり前だよね。私はどうして気が付かなかったんだろう。


 最近、顔の神経の麻痺も出てきて本当に辛い。抜けた髪の毛と、こうちゃんの前で笑顔になれない、強張った顔。そして月経が来ないこと。これは女性としてかなりショックだった。私はあまりのショックに、死んでしまいたくなった。無言で放心状態になっていると、奥さんが心配そうに顔を覗き込んでいた?


 「ごめんね。勝手に入って。私、余計なことを言っちゃったかしら?」


 「いえ、大丈夫です……ごめんなさい。一人にして貰えますか?」




**


 そして夜になり、仕事が終わった両親が、病室に訪れた。私は目に隈が出来て、食事も充分に摂れずにいた。日中悶々として、十分に眠れなかった


 「澪、調子はどうだ?何だか食事を摂ってないみたいだけど、大丈夫か?」


 「食欲は薬の影響じゃないの。ちょっと……ね」


 お父さんは不審な顔をしていた。ちらっと目線が泳いで、お母さんと目が合った。


 「お父さん、ちょっとごめん。しばらく……お母さんと話したいの。ダメかな?」


 無言で首を傾げながら、お父さんは病室を出ていった。少しタバコを吸いながら、時間を潰してくるみたいだ。お母さんは察したらしく、私に質問した。




 「……何があったの?」


 「私、子どもが出来ないかも知れないの」


 お母さんはそれを聞いて、無言で私を抱きしめた。ショックを隠せなかったのは、お母さんも一緒だったと思う。少し泣きながら、私の肩に顔を寄せていた。


 「まだ、ハッキリとは分からないけど、……確信は持てないけど、澪なら大丈夫よ」


 「…………」




 それから、私はこうちゃんのことをお母さんに話そうと思った。


 「あのね、お母さん。こうちゃんのことなんだけど……」


 「うん」


 「つい三ヶ月前に、私から『別れて欲しい』って言ったんだけれど、こうちゃん、優しいから別れてくれなかったの。あのね、私の口からは言いにくいんだけれど……『娘との結婚は諦めて欲しい』って『お父さんとお母さんの口』からこうちゃんに……言ってくれないかな?私、結婚できないよ」


 改めて口にすると、言葉の重みを感じて胸が苦しかった。抉られるような苦みが口にあった。お母さんは黙っていた。




 「澪は……それで……後悔しない?」


 「お母さんなら、分かるでしょ?同じ女としてさ。顔もどんどんやつれていくし、筋肉が麻痺して笑い掛けられないし。ましてや、子どもが出来ないんだよ?……お父さんが知ったら、どうなるんだろう。私……もう……死にたいよ……」


 語気が荒ぐ。息が激しくなる。


 「そんなこと言わないでよね!お願いだから。澪、こうちゃんと本当に……別れて後悔しない?」


 「後悔するに決まってるじゃんか!!私よりも『いい人見つけて幸せになって欲しい』ってずっと言ってるんだよ?それなのに……こうちゃん、優しいから……」


 私は決断を覆さずに、苛立っているとお父さんが帰って来た。少しカーテンの向こうから聞いていたのだろう。察したような表情で、お母さんに言った。


 「母さん、……帰ろう」


 「えっ、ああ。分かったわ。澪、また来るわね!」




**


 それから数日後。比較的体調のいい時期に、私はこうちゃんに買い物を頼んで、お見舞いに来て貰った。そして、両親と鉢合わせにする形でこうちゃんと会うことにした。


 「澪、桃の缶詰買ってきたよ。これなら口の中が荒れていても、食べられるはずだよ」


 「こうちゃん……ありがとう。ちょっと待ってて……お父さん、お母さん、こうちゃんが来たよ」


 お父さんの訝(いぶか)しい表情を見て、こうちゃんは少したじろいでいた。無理もない。久し振りの対面でお互いに緊張していたから。お母さんは堪え切れずに、お父さんとこうちゃん、そして私を残し、顔を覆ってそのまま病室を去って行った。


 「おじさん、お久し振りです」


 「興造くん……ちょっとカフェテラスまで行こうか。……話があるんだよ」




 ここからは、両親から聞いた話だ。新緑の鮮やかな病院のカフェテラス。赤く塗られた木製のテーブルに対面して、二人は座った。


 「好きなものを頼んでいいよ。……何がいい?」


 「コーヒーで。ミルクはいりません」


 こうちゃんとお父さんは頼んだコーヒーが届くと、お父さんから口を開いて静かに語り始めた。


 「澪がいつもお世話になってる。本当にありがとう。君には、二度も澪を助けてもらったね」


 「いえ、大したことはしてないです」


 天然パーマの髪の毛を恥ずかしそうに掻きむしりながら、こうちゃんは呟くように言った。


 「澪と付き合って……どれくらいになるんだ?」


 「そうですねぇ。高校二年くらいだから、三年と少しでしょうか。小学校三年から友人関係は続いてるので、十年以上、友人としては交際させて頂いておりますが」


 「そうか……」


 お父さんは苦しい表情でそっぽを向きながら、言葉を絞り出すように選びながら言った。


 「唐突で申し訳ない。澪のことは……結婚は……諦めて欲しい」


 「……どうしてですか?!僕の、何がいけなかったんでしょうか?!」


 こうちゃんは取り乱して立ち上がった。お父さんは「座りなさい」と言いながら、こうちゃんを宥め、そして静かに言った。




 「別に君が悪いんじゃないんだ。むしろ、俺に娘がもう一人いたら紹介してあげたいくらい、君はとても素敵な青年だよ。純粋で熱心で。そしてとても優しい。けれどね、あの子はもう……長くないんだ。あの子は子どもが……出来ない身体になり始めてる……親としても、辛いんだよ」


 お父さんは涙を零(こぼ)しながら、苦しそうに言った。


 「……覚悟はしてました。でも、僕は澪がどんな身体でも、大切にしたいと思っているんです」


 「……本当に、君がそう言ってくれて、嬉しい。……感謝してるよ。でもね、君は未来のある若者だ。もっと幸せな家庭を持つべきだ。こんな所で……こんなことを言うのも、本当に辛いのだけれど、……私の娘の為に、時間を浪費して欲しくないんだよ」


 お父さんは、それ以上言葉を口にすることが出来なかった。こうちゃんも取り乱していて。二人は冷めたコーヒーを片手に、俯いて黙り込んでいた。


 


 「……し、しかし、それが理由だからと言って、僕は諦められません。おじさん、僕は澪じゃないとダメなんです。こんなカッコ悪いの、誰も相手にしてくれませんって」


 「興造くん。これはね、澪から言われたんだ。娘は『女性としてこれ以上、愛する人に無様な姿を晒したくない』って言ってるんだよ。……俺も君も男だ。女性の気持ちなんて、一ミリも分からないと思う。けれどね『女性はいつまでも愛する人の為を想って、綺麗なままでいたい』って気持ちがあるんだと思うんだ。うちの奥さんを見ていると、そう感じるんだよ。君も澪を見ていると、それは何となく感じるだろう。……あんな娘かも知れないが」


「……分かりません」


「そうか」


「…………」


「取りあえず、今日は帰りなさい。……澪に伝えておくことはあるかい?」


「…………」


こうちゃんは何も言わずに、お父さんに会釈をすると、ゆっくりとカフェテラスを後にした。




**


 それからこうちゃんからの連絡は途絶え、お見舞いに来ることがなくなってしまった。五月の中旬の出来事だった。私の身体から白血球が激減した、そして私は熱を出し、「セミクリーンルーム(準無菌室)」へと移された。天井から綺麗な空気が出て、部屋中を循環していて、無菌水の出る洗面台が部屋に据え付けられ、衣類を入れる棚には消毒の為の赤外線が付いていた。テレビも周りの人を気にせずに見ることも出来る。「私だけの為に用意された、特別な空間」に気持ちも高まった。……けれど、私自身どこか虚しい気持ちになっていた。


 「これで良かったのかなぁ。何だかどんどん、いろんなものを失っていく気がするの……私は、どうしたらいいの?」


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