【ver.1】Parts:002「孫の顔も、百歳までに」



 開け放たれたカーテンから、焼けつくような日差しが差し込んで来た。興造は思わず布団を頭に被る。可愛らしいロボットガールがそんな興造を起こそうと、身体を揺すっていた。


 身長は百五十センチ。ピンクとパープルのツートンパステルカラー。セルリアンブルーの透き通るような髪の毛。欧米人と日本人の顔をミックスしたような童顔のロボットガール。その名も「Qualia(クオリア)」。正式に言えば「プロトタイプ型Type-one」。二十年の興造の改造で、立ち振る舞いは人間と大差ない位に「AI機能(人工知能)」が備わっていた。




 「う、ううん……」


 「マスター、起きて下さい。今日は大学の講義の他に、地元工業高校に行って、金属加工の指導をするってスケジューリングされてますよ!スヌーズ機能が五分間隔で五回セットされていて、その後にチクリと、電撃が走りますが……」


 興造はぞわぞわと背筋が寒くなり、布団から跳ね起きた。頭は天然パーマにさらにうねりが掛かり、寝起きの顔は見ていられない程に不細工だった。興造は両手を上げ、甘えるような眼でクオリアを見た。


 「服を持ってきて、僕に着させて下さい」


 「……それはプログラムされてません。マスターのお母様から、甘えないようにと『厳しくお叱りスイッチ』をプログラミングされましたので。よく分かりませんが『飴と鞭を使い分けてあげて』と、丁寧に、丁寧に言われております」


 「……あんの、くそばばぁ。僕の大切な私生活に介入してくるなって」




 興造は怒りに拳を震わせていた。そして渋々立ち上がって、のそのそと肩を落としながら、タンスにワイシャツを取りに行った。クオリアは興造が動いたのを見て、朝食の準備をする為に台所に向かって行った。二人は分かれた――と見せかけて、興造はクオリアの背後から抱き付いて、クオリアの頬に尖らせた唇を近づけた。


 「クオリアー、ちゅー」


 「痴漢迎撃用……高圧電流がナガレマス!」


 興造はクオリアの身体から「目が覚める程ホットな電流」を全身に浴びた。絶叫と共に骨が透けて見える。そして、髪の毛が電流の方向に逆立った。興造は口から黒い煙を吐きながら背中から倒れ、白目を剥いて気絶した。


 「もー、なんなんですかー。朝食作りをして送り出すって、私のプログラミングを邪魔しないで下さいよー」




**


 やっと朝食にありつけたのは、一時間経ってからだった。興造はシャワーを浴び直し、逆立って黒焦げになった髪の毛を整え直した。そして、仕事用のスーツを着てリビングに来た。机の上にはクオリアが作った朝食が並んでいた。彼女のプログラムでは、今日の朝食は和食だった。焼き鮭と味噌汁と納豆ご飯で、四十代に差し掛かる興造の栄養バランスを考えた、献立構成によるものだった。興造は黙々と朝食を摂りながら呟いた。


 「……うん。悪くない。十年前は、内蔵してある塩分計や糖度計の設定が甘くて、凄く塩辛い味噌汁になっちゃったけれど、最近は腕も上がったな」


 「マスターのプログラムですから」


 「……はぁ、これで『私の腕も上がったかしら?』って言ってくれるような、可愛い女の子だったらいいのに。そこは人間に負けるよねー」


 「機械ですから。私も朝食を済ませてきます。三十分くらいで終わりますので」




 クオリアは興造に食事提供を済ませると、自分も充電をする為に、廊下にあるプラグの方に向かって歩いて行った。会話機能もあるのだが、二十年生活を共にしているとパターン化してしまっているので、興造は話しているだけで、心が痛くなってくるらしい。興造は少しネットニュースを見てから、朝食をかっ込むと、ビジネスバッグを持ちながら、玄関に立った。その時、甘えた表情でクオリアが充電を終え、見送ろうと玄関まで来た。興造の目を液晶画面の目からじっと見ていた。


 「マスター、出掛けの『ナデナデ』して下さい」


 興造は静かに頷いた。そしてクオリアの頭に手を置き、優しく撫でてから、小さく「行ってくるよ」と言ってそのまま背を向けて、玄関を押し開けて出て行った。見送るクオリアの小さな背中がとても印象的だった。




**


 電車のラッシュはいつも激しい。「お偉い教授なのだから、大学側も少しくらい交通費を支給してくれればいいに」といつも思うのだが、流石に文句は言えなかった。そして吊り看板の広告を見ていると、スペースを占領するように、原色を基調とした、目にうるさい大きな広告がババンと目に入って来た。


 「……夢と希望と玩具をあなたに提供する、トイトイ・マーベラス!!愛犬ロボット『ロビィ』好評発売中。可愛すぎて、売り切れ御免!」


 読み上げただけで気持ちが重くなる。興造は溜め息を吐きながら、窓の外を見ていた。季節はこれから夏のピークを迎えようとしていた。




 興造は押し出されるように駅に着くと、そのまま歩いて大学に直行。着いたのち、少し金属加工の作業もあるので、ツナギの作業着に着替え、ボーっと一日の講義内容を考えていた。「エンジンの仕組み」「アクチュエーター」「熱量と物理学」「機械部品構造」等々、今日の講義は盛りだくさんだ。高校生に向けた授業もあったり、オープンキャンパスも近いうちにある。何かと毎日が忙しい。スマートフォンでタスクリストを確認してから、画面を切ってロッカーに投げ込もうとした。すると、二回くらいバイブレーターが鳴り、画面が点灯して、母親からのメールが着信したことを告げた。興造はやや嫌な予感がして、メールを恐る恐る開いてみた。




――


送信元:久保田 富花(くぼた とみか)


件名:元気なの?


本文:孫の顔がそろそろ見たいです。ロボットじゃなくて、可愛い花嫁さんを見せて下さい。


大酒呑みのあなたのお父さんも、早く孫が見たいと催促していますよ。死ぬ前によろしくお願いします。




近いうちにあなたの所に行くつもりです。部屋は綺麗にしておくこと。以上。




――




 興造はそのメールを見て、とても憂鬱な気分になってしまった。


 「……これは面倒なことになった」




**


 十時の講義では自動車業者がエコカーの試乗車を持ってきて、それを見ながら学生達がエンジンの作りを調べていた。興造は隣でホワイトボードに板書をし、エンジンの構造説明をしていた。しかし何となく元気がない。悟られないように、必死に作り笑いをして誤魔化していたのだが。


 「……自動車のエンジンは、『四サイクルエンジン機関』が使われています。四サイクルエンジンは『吸気』『圧縮』『膨張』『排気』の手順を繰り返しています。この内部のクランク軸が二回転する時に、一回爆発をする仕組みになっています。因みにエコカーのエンジンは、このガソリンエンジンと電気式のモーターを併用した『ハイブリッドカー』。完全に電気で動く『電気自動車』が最近の主流になっています。エンジン性能を表す数値には『排気量』があり、シリンダーの内径とピストンの行程……つまり、ストロークの積から排気量を割り出すことが出来ます。四サイクルエンジンはシリンダーが四本あるので……」


 


 つぐみは友人と一緒に、自動車業者が持ってきたエコカーを見ていたが、それよりも興造が教鞭を取り、話し終える度にそっぽを向いて溜め息をしているのが、とても気になっていた。友人もその変化に気が付いたらしい。


 「ねぇ、つぐつぐ。なんかあんたんとこの教授様、元気が無いね。昨日研究室で会った時なんかあったの?」


 「えっ?!い、いや。……疲れてるんじゃない?」


 つぐみは教授に見入っていたのを悟られぬように、必死に笑って誤魔化しながら、友人の話に対応した。


 「そうかなぁ。久保田教授は、私のお父さんよりまだ若いけど、あんなに溜め息吐いてるのはかえって珍しいよねー。ホントに疲れてんのかしら。まさか柄にも合わず、女遊びしてたりして」


 「いやいや、あの教授が?そんなことないって!!」


 「男は嘘を吐く生き物だからねぇ……分からないわよー」




**


 そして昼も過ぎ、興造が受け持つ午後の講義が始まった。午前中のエコカーの視察から「アクチュエーターの仕組み」を学ぶ為に、興造は小教室を利用して説明をしていた。


 「いやー、今日は本当に暑い。眠くなる時間だが、僕が一番好きな話をしようと思う。『アクチュエーター』とは、『機械の動力源を外部からのエネルギーを利用して取り出すもの』だ。午前中にガソリンエンジンのピストンを見てもらったと思うんだけれど、機械の動力運動は『電気モーター』か『油圧式』か『空気圧』か。いろいろあるんだ。これからギアにエネルギーを移して、機械の動きに連動させているわけだね。因みに……ロボットとか、君らの好きな話はもう少し追って話すから、もう少しお耳を貸してくれ」




 つぐみは「午前中の懸念は嘘だったのだろうか」と、饒舌に話す興造の講義を聞いていた。そしてうとうとするような昼過ぎの長い授業が終わり、興造が教壇で書類を整えていると、つぐみは思い詰めた表情で駆け寄って興造に話しかけた。


 「教授。あのつかぬことをお伺いします。私、友人と一緒に『教授が朝から元気無いね』って話してたんです。もしかして昨日、勝手に電気を消して帰ったこと……怒ってます?」


 もじもじするつぐみ。しかし興造は顎に手を当てて考え込むようにしていた。そして何事も無かったかのように答えを返した。つぐみからは話を聞いていないようにも見えた。


 「そっ、そんな大したことじゃあないよ。うんうん。気にしないで。あ、僕、ちょっとこれから高校に行かなきゃいけないから行くね!!」


 「あ、教授!!待ってください!!」


 「レポートは期日までに出すんだぞー!!それじゃ」


 「行っちゃった……」


 つぐみは眉間に皺(しわ)を寄せながら、腕を組み、興造の元気がどうして無いのかが、気になって仕方がなかった。




**


 すっかり八時を回り、九時に差し掛かる頃。興造はやっと研究室に帰ってくることが出来た。定例会の為の会議資料をまとめ終わり、「医療機器における最先端ロボット開発」の論文作成を一時間程打ってから、切りの良い所でやめた。そしてパソコンをシャットダウンして欠伸をしていた。


 「……ふわぁああ。今日も疲れたよ」


 興造は机の端に置いてある「銀髪の凛々しき女性エルフ」のフィギュアを、ちらりと見ながら溜め息を吐いた。


 「オンラインゲーム、今日もやれなかったなぁ。約束が全然守れてないなぁ」




 興造は、拓雄と約束していたオンラインゲームのタッグマッチのことをすっかり忘れていた。因みにフィギュアのキャラクターは「剣と魔人とロボットの死都」のメインキャラクター「アリューシャ」である。彼女は八分丈ある氷の剣を背負い、「コンピューターウイルスがパンデミックした、機械の死都」を旅すると言う大人気の課金式のオンラインゲームである。




 すっかり仕事に追われて、息つく暇も無い。頭の中にパンパンに入ったスケジュールに、しばらく悩まされそうだ。溜め息を吐いていた時、実家の母親から着信が入った。


 「……はい。もしもし」


 激しく急かしたてるような声で、電話口から酒飲み親父とお節介な母親の声がした。


 「やっとでやがった!!おい、興造っ!!メールを返せ」


 「あんたねぇ。私達は、もうじき七十代を迎えようとしてるのよぉ。早く結婚しなさい」


 「俺が生きてるうちに、可愛い孫の顔が見たい。どこの馬の骨でもいいから捕まえてこないか!!」


 相当二人ともうっぷんが溜まっていたのだろうか。興造に対する、辛辣な言葉を十分近く投げかけていた。それから、急に弱気になってめそめそと泣き脅す。興造は電話をスピーカーモードにし、「自分の声を入れた電話応対ロボット」を受話器にくっつけて、帰り支度をしていた。




 「興造!!聞いてるのか?」


 「……はい。……はい」


 等間隔で返事をする録音音声に、電話口の父親は不信感を抱いていた。


 「ねぇ、お父さん。この声、ちょっとおかしくない?」


 「……はい。……はい」


 「…………」


 そして異変に気が付いたらしく、興造が焦りを感じて、電話応対ロボットを外し、スマートフォンを手に取った瞬間だった。父親から大声で宣戦布告するかのように、がなり声が聞こえてきた。


 「ま、まずいっ。もしもし!!」


 「興造。お前は両親を馬鹿にしているのか?よーくわかったよ。近いうちに、そのお顔を拝ませて貰いに行こう。膝を突き合わせて、しっかりと話をしようじゃないか。俺の方でお見合い相手探しておくから、首を洗って待っておくように」


 「お父さん、こんなこと言ってるけど、あなたと会うのとっても楽しみにしてるのよ。じゃ、また会いましょうね!」


 そう言って両親は一方的に切ってしまった。「なんて勝手な人達」だと興造は思い、溜め息を吐いた。昨日、床に落としてしまった「今は亡き婚約者の写真」を見ながら、重い気分で呟いた。


 「十年前に、お袋にクオリアが見つかった時もえらく大変な目に遭ったんだよなぁ……。なぁ、澪。僕はどうしたらいいんだ?」


 興造は気が付くと、弱音を吐きながら、肩を落としていた。誰もいない薄暗い研究室に嗚咽が混じった泣き声が響き始めた。


 「僕は……女性が怖いんだ。誰かを愛すると、目の前から消えてしまうような気がして……」




 その時、後ろからカタンと物音がして、興造は泣き腫らした目で後ろを振り向いた。そこには、びっくりした表情をしたつぐみがいた。つぐみは「見ていなかったふり」をしながら、すっと居なくなろうとして、一言言った。


 「あっ、教授。お疲れ様です。忘れ物取りに来ようと思ったんですが、また明日にしますね。おつかれさまでしたー」


 しかし興造は、必死に叫んで呼び止めた。


 「待ってくれ!頼む」


 「…………何があったんですか?目の周りが酷いことになってますよ」




**


 興造はつぐみにコーヒーを淹れてもらい、二人で向き合って訥々(とつとつ)と事情を話し始めた。「クオリアのこと」と「澪に関すること」は触れずに、心のうちを話していたのだが、いつも饒舌だった「教授としての興造の姿」は、つぐみの前ではまるで「姉に話を聞いてもらう弟」のようだった。


 お節介な両親の重荷。それから結婚に対する怯えや恐怖心。そして、何よりも現状が楽しいと思い始めていることや、誰かに縛られたくないこと。一方で無性に襲う孤独感。重くならないように気遣いつつも、ありのままをつぐみに打ち明けた。つぐみは黙って話を聞いていた。


 「なかなか大変なんですね。教授のご実家の方も。私も二十代半ばに差し掛かったくらいですが、実家に帰ると『女は仕事に就くな』ってお父さんがうるさくって。私はもう少し機械デザインの勉強して、教授の作ってる医療ロボットのこと知りたいのに、帰って来いって急かしている気がするんです」


 そっぽを向いて舌を出すつぐみ。興造は少し表情が和らいだ。そしてつぐみは咳払いをしてから、興造に質問をした。


 「あ、あの……つかぬことを聞きますが、教授は誰かを好きになったことって、あるんですか?」


 少し間が空いて、興造はコーヒーを一口呑み、息を吐きながら言った。


 「……僕はすごく臆病で、傷つくのが怖い。君くらいの歳の時は、本当に怖いもの知らずだったんだ。愛することって何なんだろうね」


 「私も分かりません。でもいずれ答えは見つかるかも知れませんね」


 興造は落ち着いたようだ。そして荷物を持ち、つぐみを外に出してから、研究室の施錠をしていた。つぐみは後ろで顎に手を当てて考えていた。そしてポツリと一言。


 「教授。ご両親は、いついらっしゃるんですか?」


 「へ?今度の週末の土曜だけど。それがどうかしたの?」


 「私、会ってみたいんです。一日だけでもいいから『彼女のふり』をしてもいいですか?もしかしたら教授の女性恐怖症、治るかも知れないですし!!」


 拳を握って詰め寄るつぐみ。目は半分、興味本位に満ちていた。興造は一メートルほど、つぐみから距離を取り頭を掻き、首を回しながら悩んで、そして静かに言った。


 「他に方法がないから、好きにしろ」


 「やったー!私、こういうの大好きなんです」


 「はぁ……先が思いやられる」


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