【ver.2】Parts:008「澪の夢」



 ――それから冬が明け、春になり、本格的に勉強が始まった。


 「……お前、馬鹿じゃねえの?流石に、僕は呆れちゃったよ!今になって進路変更するなんてさぁ!しかも、僕の行く大学に来るのか?」


 「もー、馬鹿って言い方は無いじゃん!私のこと、何にも知らないくせに!嬉しくないならそう言えばいいでしょ?」


 しばらく会わなかった衝動と、お互いを思いやった言葉が裏目に出て、お互いの言葉がナイフのように心を抉っていた。私のことが嫌いならそう言えばいいのに。きっとこんな女の子は重いよね。……私はそう思っていた。無論、私の成績は理系向きでは無く、明らかに文系だったし、評定もかなり低く、今から「あの学校」を目指すには絶望的だった。


 「僕は、澪のことを思って言ってるんだ!あの学校は、はっきり言って男子生徒が多い。僕は澪のことが本気で心配なんだ。それに文系の学校に行けば、一番好きなことが出来たんじゃないか?はっきり言って合格は確実だから、それに澪は、手先があまり器用じゃないんだよ」


 「一言余計です!うるさいなぁ。やってみないと分からないでしょ?さっきから何様よ!あなたは。全く、久し振りに会ったと思ったら、私のこと馬鹿にしちゃってさ。偉そうなことを言いたいなら、合格してから言いなさいよ!!」


 「……そうだな。お前の言う通りだった」


 付き合いの長さと容赦の無さが相俟って、私は言い過ぎるくらいに、辛辣な言葉をこうちゃんにぶつけてしまった。こうちゃんは寂しそうに呟いて、私の前から去って行った。




**


 そして、会わない日が過ぎ、季節は高校三年生の六月になった。ゴールデンウイークを過ぎ、ジメジメした梅雨の真っただ中。夏休み目前の一番大切な時期に差し掛かっていた。理想ではこの時期までに勉強の基礎固めをして、夏休みに過去問を解くことを目標にしていたのだけれど、私は数学が特に苦手で、頭を抱えながら酷く悩んでいた。


 私は図書館の中で勉強をしていた。頭を掻きむしり、机に伏したりしたり、欠伸を噛み殺して頬を叩いたり。弱音を吐いて、背もたれに仰向けになって唸っていた。


 「うう……難しい……私はこうちゃんの言う通り、高望みしすぎたんだよ」


その時、額を誰かから教科書で叩かれた。見上げるとさかさまに映るこうちゃんの姿が見えた。


 「……進んでるか?ごめんな。あんなこと言って」


 「あ、こうちゃん。ううん、私も悪かった」


 ノートを見たこうちゃんは、私の青くなった顔を見ながら溜め息を吐いた。


 「……二時間粘ってて、全然進んでないじゃんか。教科書をしっかり出来るようにしないと、まず無理だぞ」


 「だって、授業中でなかなか理解出来てなくって。微分積分とか、二次関数とかグラフとか、命題とか全然ダメで……公式が全然頭に入ってこないんだよ」


 「原理を理解しないとダメだ。いいかい?まずセンター試験に備えて、必須科目の『数Ⅰ・A』と『数Ⅱ・B』を抑えよう。理科科目は選択だけど、『鏑木工業大学』は地学も選択できるんだ。足りない所は『英語』で補おう。リスニング科目も逃さないようにしないとね」


 「こうちゃん、教えてくれるの?」


 「当たり前じゃん。頑張ってる澪を見てたら、僕もやる気が出たんだよ。一緒の大学に行こうぜ?」


 「う、うん!」




 それから、私はこうちゃんと一緒に勉強をすることになった。こうちゃんが教える数学はとても分かりやすく、代わりに文系の苦手分野を、私がこうちゃんに教える形で、お互いの弱点をフォローし合った。夏の模試が終わり、秋のオープンキャンパス。それから、冬のセンター試験。本試検……田舎の高校は進学校向きでは無く、十分に勉強の施設は整っていなかったけれど、私は暗くなるまでこうちゃんと、木造校舎で勉強に励んでいた。マーカーと書き込みでボロボロになった参考書。何枚も破って捨てた英単語帳や紙の辞書。書き重ねたノートの数々。本当に、私は一生分勉強したと、この時を思うと懐かしくなるのだ。




**


 一月の本試験を終え、二月の試験発表を控える冬の寒い時期のことだった。去年もこうして駅のストーブを利用して進路について話していたことがあったっけ。私は震えながら手を擦っていた。


 「……澪、ずっと聞いてなかったんだけど、どうしてあの大学に行こうと思ったの?」


 「え?どうして急に聞くの?」


 私達は今までずっと勉強に熱中していた。しかし本試験がやっと終わって、肩の荷が下りたのか、こうちゃんは私に尋ねてきた。そう言えば、こうちゃんにずっと話してなかったんだっけ。


 「……滝口 英彦(たきぐち ひでひこ)名誉教授って、からくりの歴史を研究している教授と一年前に大学のキャンパスで会ったの。私はね、江戸時代を中心にした庶民生活や文明の変化が好きなんだけど、その中でからくり人形が特に面白いなぁって思うの。それでこの前、大学に行った時にね、からくり人形が展示してあったの。教授に声を掛けられて、話を聞いて本当に嬉しくって、たくさんの驚きと喜びに包まれたんだよ!」


 「そうなんだ。ってことは、僕よりもハッキリとした目標を見つけたんだね。あー、こんなことなら、あの時に早く聞いとくんだった!!喧嘩してないでさっさと聞けば良かったんだよ」


こうちゃんは、私が進路変更を決心して、喧嘩した日のことを酷く後悔していたようだった。私もあの苦い思い出は反省しているけれど、こうちゃんは「私のことを軽く見ていたこと」に対して、深く反省したとか。


 「あ、もちろん、こうちゃんと一緒の大学に行きたいってのもあるんだよ。勉強していくうちにね、やっぱり子どもが好きだから『おもちゃを将来的に作りたい』って思ったんだよね。からくりの勉強が何かと役に立つかも知れないし、子ども達が喜ぶって本当にいいことだよね」




 目を輝かせながら情熱的に話す私に対し、こうちゃんは黙って考え込み、そして言った。


 「……澪。ワーテックロボコンの話を聞いたかい?大学設立当初、伝統的に続けられている、機械工業大学や機械高専を盛り上げる為の活動の一環なんだけれど、ワーテックロボコンの優勝校には、企業斡旋があるって話があるらしいんだ」


 「そうなの?」


 「僕も親父から聞いた話なんだけどね、で、『純真堂(じゅんしんどう)』って、ずっと手作りのおもちゃを作り続けているシニア受けのいい企業が、最近参加しているみたいなんだ。すっごく惹かれる話だろ?」


 「うん!本当にそう思う。でも、まだ合格発表出てないよね。夢ばっか膨らませてても、これから受からないと後が無いよね」


 「勉強して来たんだ。自分を信じようよ。それに、神様はきっと、僕たちの後押しをしてくれるはずだよ」


 私とこうちゃんは、手を握り合ってお互いを励まし合った。




**


 その日は、雪の降るとても寒い朝だった。二月下旬で、今みたいにインターネットが十分に発達していなかったから、私はこうちゃんと待ち合わせて、大学の前まで電車を乗り継いでいくことにした。


 電車の中で、私はずっと勉強してきた英単語帳をお守りに握りしめながらドキドキしていると、こうちゃんが私に尋ねてきた。


 「そう言えば、澪は鏑木市出身なんだっけ?」


 「そうだよ。小学校三年生までね。九歳まで居たって思うと、今十八歳だから、同じくらい森城町で過ごしてることになるのかなぁ……」


 「生まれ育ったところに戻るって、なんか変な感じだよな」


 「そうそう。懐かしいんだけど、十年経ってすっかり変わっちゃってさ。私の住んでたアパートなんかも更地になってたよ。ちょっぴり寂しいかなぁ」




**


 それから一時間程うとうとして、こうちゃんに起こされて、駅に着いた。それから少し歩いて大学の構内に入った。大学の建物は赤レンガに白く積もった雪のコントラストがとても美しかった。女性は少なめで、眼鏡を掛けたやぼったい感じの男性が寒そうに掲示板を見ていた。




 十時になり、幕が取られて番号を確認した。


 「10112……10113……」


 私とこうちゃんは、自分の番号を目で追った。こうちゃんは五千番代、私は一万番代でだった。周囲の歓喜の声と肩を落として帰る人の姿がちらっと見え始めた。こうちゃんは自分の番号を発見したのか、探すのをやめて、私が番号を探し終えるまで待っていてくれた。


 


 「……11220!!あったよ!こうちゃん!!」


 「おめでとう、澪。僕も合格してた!!」


 私はこうちゃんと喜びを分かち合った。そして人前で抱き合って喜んだが、ちょっと恥ずかしくなって、離れたのだった。


 大学構内を出るまで、私とこうちゃんは手を繋ぐのを控えていた。嬉しくて嬉しくて泣きそうだったんだけど、ちょっと周りの人の目も気になったし、そっとこうちゃんのコートの裾を引っ張って、後ろについて行く形で歩いて行った。


 「転ぶなよ。雪で濡れてるし、こういう時本当に浮かれてるんだから」


 「こうちゃんこそ。私は平気だから!」


 ……嬉しいなぁ。こうちゃんと同じ大学に行かれるなんて。これからよろしくね。そう思って、私は頬が緩むのを悟られないようにちらちらと、こうちゃんの後姿を見ていたのだった――。




**


 三月の少し暖かくなる時期。卒業を間近にして、私とこうちゃんは森城町にお別れする為に、緑の丘に来ていた。「有名な猫又にまつわる石碑」が森城町にあるらしく、ちょっとミステリアスで興味があったのもある。




 かつて名文豪を世に輩出したこの田舎町は、閑散として緑の濃い匂いが充満していた。雪解けの柔らかな川のせせらぎと、まだ抜けきらぬ、ちょっと寒さの残る気候。私は軽くなる足取りで、こうちゃんに笑い掛けながら

丘の上を登って行った。




 高く青々とした丘の上からは、羨望の景色が広がっていた。足も無く、電車で出掛けることもあったけれど、遠くには行けなかった。けれど、改めて見慣れた場所で過ごすのも悪くないと思ったし、こうしてデートに出られるのが嬉しかった。


 「綺麗だね。こうちゃん。私もこの場所で十年育ったのかぁ……長かったなぁ」


 「澪が来なかったら、僕の人生は多分真っ暗だったよ。電子工作とアニメとゲームが友達の根暗な男子だからさ」


 「なに言ってるのよー!誰がなんと言おうが、こうちゃんはこうちゃんだからね!」


 私も女子と一緒に、こうちゃんのことを馬鹿にしていた。けれど、どんなにカッコいい男子よりも、こうちゃんが一番だと思ったし、これからもそれは変わることは無いと思う。


少し激しく風が吹いた。帽子を吹き飛ばされそうになって、身体がよろけて、崖の際まで歩きかけた時にこうちゃんは私の右手首を掴んで、近くに抱き寄せた。男性に触れられる恐怖心よりも安心感の方が勝り、いつの間にか、私はこうちゃんの腕の中にいた。


 「澪、危ない!」


 「……ありがとう。でも、不思議と怖くなかった」


 私が俯いて帽子を胸に抱えていると、こうちゃんは、静かに私を抱きしめながら首元で囁くように言った。


 「ありがとう。僕に元気をくれて。……君のことが大好きだ」


 「こうちゃん……」


 こうちゃんは優しく私の髪の毛を掻き分け、そっと私に口づけをした。ガサガサと木の葉が風になびいていた一分間だろうか……そんな時間がとても長く感じられた。……脈拍がとても早く打っていて、身体が火照るのを感じた。この瞬間から、私の青春は再スタートしたのかも知れない――。


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