【ver.1】Parts:006「つぐみの想い・Qualiaの葛藤」


 学園前駅。イチョウ並木がとても美しく彩っていた。秋の風が過ぎゆく季節の哀愁を感じさせる。つぐみは、普段付けている赤縁の眼鏡を、コンタクトレンズに変え、髪の毛をシニヨンスタイルのお団子に纏めていた。普段使っている肩掛けのバッグも少しグレーの光沢の良い物をあしらっていた。服装はカジュアル系で、ニットを基調としたスタイル。足回りはドット柄のスカートにナチュラルピンクのヒールを履いていた。


 興造は一瞬ぎょっとしてしまったが、頬を掻きながらそっぽを向いた。


 「今日はたまたま予定が空いてて良かったよ。急に何かと思った」


 「教授こそ。いつも白衣だから、ちょっぴり新鮮に見えます」


 「ぐ、ぐみちゃんこそ。眼鏡付けてないから、びっくりした」


 「もー、教授は他に褒めるとこ、無いんですか?それじゃ、女性にモテませんよ!」


 「すまん。慣れてないものでな」


 くすくす笑いながら、つぐみは空を見上げて伸びをした。


 「……何だか……クオリアちゃんに申し訳ないです」


 「何か言ったか?」


 「いえ、何でもないです」




**




 土曜日に興造は、つぐみにせがまれて霧前市に向かうことになった。「レポートの成績が優秀だったら、どっかに連れて行くと言う約束」を先延ばしにして、忙しさの中で忘れてしまっていた。彼女の中で時効になるかと思いきや、先日の帰りにいきなりぶり返したように言われたから、興造は驚いてしまったのだ。


 今朝から、何となく挙動不審でクオリアに申し訳なかった。クオリアは「自分の子どものよう」でもあり、婚約者は他界しているのに、「どうして僕は、今更ロボットに気を使うのだろうか」と疑問に思ったし、「自分でも笑ってしまう程に、滑稽な姿だ」と興造は思っていた。


 そして、クローゼットを散らかしながら若い頃の服を引っ掻き回していると、クオリアが眠そうな様子で興造の背後に立っていた。思わず興造は、驚いて黄色い声を上げてしまった。


 「ひゃっ?!」


 「マスター、こんな朝早くに珍しいですね。普段はお寝坊さんなのに。……服なんか引っ張り出して、どこかに出掛けるんですか?」


 ミリタリージャケットと浅黒いジーンズを両手に持って鏡の前に立っている興造。服のセンスはインテリ系の彼にはイマイチなチョイスだった。クオリアにわざとらしく言い訳をした。


 「きょ、今日はいい天気だしさ。朝早くから、出掛けてこよっかなぁって思ってさ。ちょっと図書館まで行ってくるから。もうすぐ出掛けるから、留守番宜しく頼むよー」


 「お気を付けて。……私はマスターが起きたので、朝食の準備をしますね。早めに支度を済ませるので」




 興造はこの時はっきりと、胸の中にある違和感をクオリアの去り際に感じていた。クオリアがロボットであるにも関わらず、興造は「浮気をしているような後ろめたさに」襲われ、少し胸が締め付けられた。そして頭を掻きながら、溜め息を吐き、静かに呟いた。


 「……こんな十五歳も歳上のおっさんと遊びに行きたいなんて。ぐみちゃんは、何を考えているんだ?訳が分からん」




 そしてキッチンに降り、クオリアが作ってくれた朝食を摂っていた。今朝はサラダとハムエッグ、カフェオレにトーストだった。クオリアは慣れた手つきで、興造の為に焼いたパンにバターを塗りながら、寂しそうな表情で呟いた。


 「……マスター、今日は早く帰って来てください。この前みたいなことは、もう嫌なんです」


 「分かったって。お前も無理なことするなよ。最近色んなこと出来るようになってきたのを、僕は知ってるんだから。特に火を使う時は、注意すること」




 先日の急なクオリアの不調で、クオリアの身体に入れざるを得なかった「ソクラテスのネジ」。それははっきりとクオリアに「感情」を生み出していた。人のように、判断能力と情緒が豊かになる反面、同居人としての面倒臭さや、異性としての立ち振る舞いが出てきて、ときどき興造が驚かせられることも度々あったのだ。


 「ホントに、この前クオリアが『いきなりお風呂に入りたい』って言うから、僕はびっくりしたよ」


 「もう恥ずかしいから言わないでください。『私はロボットだ。漏電するから水は良くない』って、自覚してますし、何度も私の内臓プログラムにも言い聞かせました。マスターも『クリエイター』らしく、しっかりして下さいね?お願いしますよ?」


 「お叱り」。これも前に無かった反応だった。愛情が籠もった叱咤は、むず痒くも心地良かった。






**


 玄関に立ちクオリアを撫でようと、手を差し出した。すると一瞬ドキッとした。クオリアの頭と澪の頭が重なって見えたのだ。クオリアは興造がためらっているので、拗ねてしまい、文句を言いながら部屋に引っ込んで行ってしまった。


 「……ん?疲れてるのか?澪の陰が見えるなんて」




 それから車を駅に停めて、つぐみと合流したと言う訳だ。きょろきょろ辺りを見回しながら待ちぼうけをするつぐみの姿が、興造の目には愛らしく映った。興造は頬を叩き、肩を回して、つぐみに声を掛けたのだった。






**


 高速に乗って二時間。コンパクトカーの助手席でつぐみがワクワクしながら周りに見える景色を見渡していた。興造は女性と出掛けるのは、澪が生きていた時以来で、会話の切り出し方も何となく思いあぐねていた。


 「教授、見てください!!もうすっかり秋真っ盛りなんですね。山がとっても綺麗ですよ!」


 「あ、ああ」


 緊張感でぐるぐると目が回りそうになる興造。肘を張ってハンドルを構え、睨むようにしてフロントガラスを見ていた興造に対し、つぐみは可笑しくなって、つい笑ってしまった。


 「そんなに緊張しなくてもいいですよ。いつも通りに接してください」


 「で、でも……」


 興造の緊張をほぐすように、つぐみはポツリと「これから会う人」の話をし始めた。


 「教授、今日は私が大好きな作家さんに会うんです。まだマイナーなんですが、実は、彼女は私よりもずっと年下なんです。彼女は凄く勇気溢れる人でした。彼女は高校生の時に、いじめに遭っていたそうです。そんな中、帰宅途中に『現実と夢の狭間でうなされてきた、数日間のおかしな夢物語』から、溢れるほどの勇気を貰ったそうです。『その夢の残り香』が覚めないうちに、文章として書き留めたそうです。彼女は自己満足でしたが、ネットで公開したその小説が、若い女性達に勇気を与え、私もそのファンの一人になりました」


 「……『アルバーン聖戦記』の話か?」


 「そうです。その小説の前ちょっと前の話です」


 「ふぅん。想像力豊かな人も居るものだな。僕はあまり本を読まないが、君は好きなんだな」


 「はい。小さい頃から大好きで、目が悪くなるほど読んでました。この作品を書いた『ジャンヌ・ダ・ショコラ』先生は、栄養士を目指す普通の女子大生なんです。チョコレートが大好きで、物語の端々に出て来る料理の数々がとても細かく書かれているので、とっても魅力があるんです。作品名は『ショコラトル戦記 -Black&Bitter-』。そしてその小説の『前日譚』を、彼女は想像の中で書き進めたのです。それが『アルバーン聖戦記』です」


 淡々と嬉しそうに話すつぐみを見ていると、なんだか興造の緊張も少しほぐれてきた。


 「僕は、本は読まないけれど、文章を読むことは良いことだね。ふぅー……ちょっと読んでみようかなぁ」


 「ほ、本当ですか?!嬉しいです。教授も是非読んでみて下さい。ちょっと難しいかも知れないけど……男性でも読めると思いますし。ファンの層は女性が圧倒的に多いと思いますが、好きになると思いますよ」






**


 霧前市に入り、インターチェンジを降りてすぐ、オレンジ色の大型ショッピングモールが顔を出した。時計ブランドが出資して出来た、お洒落なショッピングモール「TOYO」。既にこの商業施設は創立三十年以上を過ぎており、霧前市の商業施設の中で不動の地位を誇るブランドと化していた。興造とつぐみはかなり大きなモールを見上げながら息を呑んでいた。


 「僕、こういう場所はあまり好きじゃないんだよ。早く用事済ませて帰ってきてくれ。……車にいるから」


「なにを言ってるんですか!教授も来ないと!あ、精密機械とか時計とかあるみたいですよ」


「……コホン。早くそれを言わないか!」






**


 一方、興造の部屋を守っているクオリアは、興造の部屋を掃除しながら溜め息を吐いていた。


 「……マスターの部屋は、気が付かなかったけれど、少し女の子のフィギュアが多すぎます!!帰ってきたら、しっかり叱らなくちゃ」


 古新聞や古雑誌を仕分けて縛りながら、クオリアはぶつぶつ言っていると、横目に留まる物を発見した。それはベッドの下にあり、丁寧に菓子折りの箱にしまわれ、バツ印で封印がされていた。


 「あらら、なんでしょうか?」


 クオリアはその箱を引っ張り出すと、丁寧にテープを剥がしながら蓋を開けてみた。その中には「いかがわしい物」が沢山入っていた。趣味のジャンルは、獣系少女(ケモナー)、エルフ等、ファンタジー寄りだったが、クオリアにとって最も許せなかったのは「機械系少女」がジャンルの中に入っていなかったことだったのかも知れない。彼女は雑誌を縛ってある紐を解き直すと、その雑誌の類をがさっと掴んで、丁寧に新聞の間にサンドイッチにして、ぎちぎちに縛り上げた。そしてドスンと床に置き、そのまま掃除を再開した。


 「もー、怒りますよ!これだから男の人は」


 クオリアは、プンプン怒りながら部屋の床に掃除機を掛けていた。




 その時、玄関のインターホンが鳴った。クオリアが玄関を開けると、そこには拓雄が居た。


 「……やあ、クオリアちゃん。ごきげんよう!きょうじゅさまはいるでござるか?」


 「マスターなら出掛けてますよ。もう少しで帰ってくると思いますが……」






**


 拓雄はリビングでクオリアの料理を食べながら、興造の帰りを待つことにした。クオリアの料理に舌鼓を打っていた。


 「クオリアちゃん、とっても美味しいでござる!僕、メイドカフェの『らぶらぶおむらいす』が好きなんでござるが、クオリアちゃんのオムライスはもっと美味しいでござるよ!」


 「本当ですか?!マスターから言われたんです。『拓雄氏が来たらこれを出せ』って。でも私、ロボットだから塩加減とか分からなくって。マスターに、もっと美味しい料理を出せたらいいんですが、最近帰りが遅くって」


 「たまの休日なのに何をやっているんでござるかねぇ。まさか、女の子と出掛けてたりして」


 「…………」


 「あれ?クオリアちゃん、怒っているでござるか?」


 俯き気味に黙るクオリア。拓雄はクオリアの顔をまじまじと見ながら、懸命に慰めていた。


 「私、ロボットだから……朝、マスターがオシャレして、出てくの見たんです。撫でてくれなかったし」


 むくれているクオリア。情緒が豊かになっていて、拓雄も少し驚いていた。


 「……学内で怪しい噂が出始めてるしなぁ」


 「何か言いましたか?」


 「ううん、何でもないでござるよ。少しゲームでも借りて、時間潰そうでござる」






**


 ショッピングモール内で、興造は精巧な時計を見ながら興奮していた。


 「お、見ろよ!この時計は二十年前に流行った『クロノス』の限定ウォッチだよ!ゼンマイ式でさ、この歯車を刻む音が、またいいんだよねー」


 「……教授、サイン会が一時から始まるんです、ちょっと急ぎましょう」


 「ちょっと待ってくれ。値段は……に、二十万円!?ちょっと悩むなぁ……」


 「教授!!行きますよ!!」


 「わ、分かったって怒るなよ」




 つぐみに引きずられるようにして、三階にある小コンサートホールに行くと、黒髪を縛った童顔の凛々しい女性が、机に座って待機していた。手を組みながらにっこりと笑っていた。ちょっと狙っているのか、会社側の意向で「聖騎士のコスプレ」をしていた。その気品のある表情を見て、つぐみはすっかり興奮してしまった。


 「見てください!!ジャンヌ・ダ・ショコラ先生です!!」


 「む?かなり若いなぁ。ぐみちゃんよりも年下じゃないか。と言うよりも、女子高生にも見えるぞ?」


 「生で見るとカッコいいです!!会えるとは思わなかったー!!」




 人がぞろぞろと集まりだし、サイン会が始まった。つぐみはドキドキしながら興造と共に行列に並び、封を切っていない「アルバーン聖戦記」を取り出した。そしてサインの番が、自分に来ると興奮のあまり卒倒して倒れそうになった。


 「初めまして。読んで下さってありがとうございます」


 「くあっ、たまりません」


 「ぐみちゃん!!しっかりしろ」


 興造が肩を掴んで何とか立たせた。そして三分間と言う短い時間の間、つぐみは「ジャンヌ・ダ・ショコラ」と名乗る女性作家と熱く談義し、握手を交わした。




 「……そうなんですか。今、機械工学の勉強を?」


 「もー、めっちゃ頭を使っちゃって。私、元々文系なんですけど。だからついて行くのに本当に必死なんですよ。だから、私も『ショコラ先生』に負けないくらいにチョコレート、食べてますよ!!」


 「あはは。でも、私の普段買ってるストックを聞いたら驚きますよ。高校生の時は必ずバッグに十枚は常備してたんですもん」


 「嘘ですよね?!」


 「ホントの話です。かなりの量ですよね!……それから『アルバーン聖戦記』を書いてから、いつの間にか、常備二十枚に増えましたもん。いやー、ホントにチョコレートはたまらないですね……あ、書けました」


 「ありがとうございます!!」


 サインされた本を受け取り、感謝を告げてぎゅっと抱きしめるつぐみ。嬉しそうに後ろで興造が見ていると、つぐみはバッグから「黒いケットシーを模した、手縫いのぬいぐるみ」を取り出し、机に置いた。


 「……今度作品を書くときは、Ⅻ(ザイシェ)の国に出てきた、男の子を主人公にして下さい。私、ケットシーが大好きなんです!」


 「え?これ、くれるんですか?」


 「……あ、ごめんなさい。もう少し話したかったけれど、時間だから、行きますね」


 後ろで待機していた女性が、痺れを切らしていたので、つぐみは申し訳なさそうに謝りながら、その場を後にした。女性作家は一瞬あっけに取られていたが、我に返ってサインの作業を再開したのだった。






 イタリアンレストランでパスタを巻きながら、興造はつぐみを見ていた。サイン色紙を窓辺に置きながら満面の笑みを浮かべ、はち切れそうなばかりに頬を抑えていた。食事の手が止まっているので、興造は食事を摂るように促した。


 「ぐみちゃん、バジルソースのパスタ、冷めちゃうよ」


 「だって、教授がわざわざ連れて来てくれたんですもん。はぁ、嬉しいなぁ。私ももう少し頑張らないと」


 「……なぁ。ぐみちゃん」


 「はい?」


 つぐみはパスタを口に入れようとし、興造の質問が投げかけられたので手を止めた。


 「どうして僕を誘ったんだい?友達もたくさんいるだろうに……こんなおっさんと出かけて楽しいか?」


 「……教授は何にも分かってないですね。朴念仁って言うんですよ。教授みたいな人のこと」


 「??」


 理系の興造にとって、つぐみの言葉の意味は分からなかった。つぐみは噂の真意を確かめるのは、もう少し先にしようと思って、しばらく食事を楽しむことにしたのだった。






**


 夕方頃。クオリアと拓雄は、三時間以上テレビゲームで対戦していたのだが、格ゲーも、レーシングもボードゲーム系もまさかの拓雄が惨敗だった。流石ロボットだけあって隙が無かった。


 「はぁー、クオリアちゃん、激つよっす!!鬼っすか?!」


 「拓雄さんはパターンがあるんですよ。考えごとする時に、顎に必ず手を当てて、溜め息を吐くじゃないですか。手の内を読まれると良くないですよ」


 自分も知らなかった癖を読まれ、隙の無いコンピューター頭脳のクオリアにぼこぼこにされた拓雄。肩を落とし、傍に置いてあったコーラを一気に飲み干した。


 「ぷはっ!流石は『きょうじゅさまの愛娘』でござるよ。きっと『ゲーマーの遺伝子』が入ってるんじゃないでござろうか」


 茶化し気味に会話を交わし合い、ケタケタ笑っていた。そしてクオリアと拓雄は顔を見合わせて言った。


 「……はぁ、日が暮れても、きょうじゅさまが帰ってこないでござるなー」


 「ホントですねー。どうして今日に限って遅いんだろう。朝、催促したのに……私、拓雄さんがマスターだったら、少し生活変わってたのかも知れません」


 「な、なんと!」


 「……冗談ですよ。私の愛してるのは、マスターだけです」


 ドキッとする冗談に対し、拓雄は一瞬戸惑ってしまった。夕日に映る切なげなクオリアの横顔が、ちょっぴり寂しかった。拓雄はかくっと肩を落としていた。






**




 日が暮れ始め、ゆっくりと下道で帰ることにした興造とつぐみ。興奮を隠しきれぬ表情で熱く語り合っていた。興造のご所望で、「少年もののロボットアニメ映画」を見たらしく、最近のアニメーション技術の向上で、出来がとても良かった。少年少女に混じって、おっさんと女子大生がうるっとしたり、時に胸が熱くなったり。「何故この映画を今まで見なかったのか」だとか。「人生半分損してたのではないか」と言うことを、二人で、閉店時間いっぱいまで、語り合ってしまった。


 「教授、今日はありがとうございました。とっても楽しかったです」


 「俺もいろんなことを知れて良かったよ。いつもパソコンとコタツが友達だったからさ」




 しばし間が空いて、つぐみは何回も咳き込み、緊張しながら恐る恐る興造に問いかけた。


 「……あのっ、教授聞きたいことがあります。……聞いてくれませんか?」


いつになく真剣な口調で、つぐみが興造を見ていた。運転していた興造は、つぐみを見ることは出来なかったが、つぐみはためらいながら、しかし必死に話し始めた。




 「……この前、聞いちゃったんです。教授が、赤石文芸大学の女子大生とホテルに行ったって話。……本当なんですか?」


 興造は手に汗を滲ませ、渋るように静かに呟いた。


 「……参ったなぁ。誰からそんな話聞いたんだ?」


 「私の友人です。教授が鷲宮工業大学に連れて行ってくれた日。午前中にメッセンジャーを通して、聞いちゃったんです。……誰にも話しませんから、真相を……教えてくれませんか?」


泣きそうに、頼み込むように話すつぐみ。精一杯の勇気だった。そして、興造は静かに答えた。


 「……本当だよ」


 「……うそ、嘘でしょ?!」


 ショックを隠せないつぐみ。涙目になり、絶句していた。




 そして興造はちらりと脇を見、車をゆっくりと脇に寄せて、静かに話し始めた。


 「……ぐみちゃん。『誰にも言わない』って約束してくれるなら、僕の『大好きだった人の話』をしようと思う。……あの日、僕は『大好きだった人』を馬鹿にされてしまってね、彼女に酷く傷つけられたんだ。軽はずみなことをしたと思っているけれど、却って『事に及ばなかった』だけ良かったと思っているよ……」




 つぐみは涙を拭いながら、掠れる声で興造に尋ねた。


 「え、それってどういう……ことですか?」


 「馬鹿にしてくれたって構わないよ。僕は淫(みだ)らな男さ。……お酒でふらふらになって、気が付いたら、ホテルに居て……僕の大好きな澪を、彼女に馬鹿にされたんだ。僕はあの日のことをとても後悔しているんだよ……」


 「…………」






**


 「クオリアちゃん、君は誰をモデルにして作られたの?」


 「……おぼろげで覚えてません。ただ私は、澪(みお)さんって方に、よく似ている気がするんです。拓雄さんはご存じないですか?」


 静かに静かに、時が遡(さかのぼ)ろうとしていた。まだ主の帰宅しないアパートで、寂しく待ち続けるクオリア。そして、時同じくしてつぐみは息を呑み、興造の口から語られる「かつての婚約者の話」に耳を傾け始めたのだった――。






――【ver.2】に続く。


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