【ver.3】Parts:017「不穏な空気」

 外の夕日が山あいにゆっくりと落ちようとしていた。つぐみは黙って、ただ黙って興造の話に耳を傾けていた。


 興造は買ってあった、甘すぎる缶コーヒーのプルタブを開けて一気に飲み干すと、再び話を再開した。




 「……それから僕は澪を亡くしてから、お酒を呑んで不摂生を極めながら、二週間くらい家に籠もっていたんだ。髭も剃らない。天然パーマの髪の毛は、すっかりぼさぼさに肩まで伸び切って、かなりウェーブが掛かっててね。外に出たら相当変な奴だと思われたと思う。それくらい当時は荒れてたんだよ」


 「クオリアちゃんが出来たのは、その時期くらいなんですか?」


 「……そう、だね。実家の親父から、鬼のような電話が入ってたし、澪の両親も荒れる僕のことを心配してて、相当ヤバい状態だった。……大学の単位もギリギリでね。もう、がむしゃらだったよ。お酒呑んでも、気晴らしにゲームをやっていても、澪がいないって分かってたから。今でも馬鹿な奴だったって思うよ。だって、『澪の姿のロボット』を作ってんだからさ。……正気じゃないよな」


 それを聞いていたつぐみは、込み上げてくる感情を抑えきれなかった。頬を伝う涙は、拭いても拭いても、止めどなく溢れて止まらなかった。それ以上に、興造は見ていて辛そうで、話をするたびにかなり疲れ切っていた。




 「……わがりまず(分かります)!」


 「へ?」


 「わがりまず!!教授がどれだけ、つらいおぼい(想い)をじできだか!!」


 興造が助手席にいるつぐみを見ると、泣き腫らし、ハンカチを握りしめて泣きじゃくっているつぐみの姿が見えた。興造はその言葉に少し慰められていた。


 「ぐみちゃん……ありがとう」


 「このざき、だれかが、きょうじゅのごと、ばかにするなら……わだじがゆるじまぜん!!」


 つぐみはハンカチをぎゅーっと握りしめていた。




**




 「すっかり暗くなっちゃったね。それじゃまた」


 「ありがとうございました。はぁ……メイク落ちちゃったなぁ」


 「なんか言ったかい?」


 「あ、いえ。何でもないです」


 興造は、つぐみを大学の女子寮の近くのコンビニに下ろした。彼女はそのまま振り向かずに、興造に背を向けて、女子寮の方へ走り去って行ってしまった。


 「さて。僕も帰るか」




 家に帰ってくると、クオリアがプラグから充電をしていた。興造の目には眠っている少女のように見え、とても愛おしく感じて、興造はクオリアをぎゅっと抱きしめた。


 「あっ……。マスターお帰りなさい。……ちょっと暑苦しい」


 「クオリア、いつもありがとう」


 「へ??……私は何にもしていませんが」




 それから興造はゆっくりと風呂に浸かった。風呂から上がるとクオリアにビールをお酌して貰いながら、クオリアから妙な話を聞いていた。


 「マスター。聞いてください。最近眠るたびに夢を見るんです。私の『記憶機能』がおかしいんでしょうか?」


 「例えば、どんな夢?」


 「私が黒髪の肌の白い女性になって、マスターに似た二十代の男性のことを、『こうちゃん』って呼んでるんです。その女性は田舎の小さな町で生まれ育って、『こうちゃん』と同じ大学に進学するんです……」


 「ちょ、ちょっと待て!それ、いつくらいの話だ?」


 「……そうですねぇ。マスターがこの前、修理してくれた時からでしょうか。その時からなんだか、胸の中にもやもやがあるんです。マスターが、他の女性と出掛けてるのが、ちょっと嫌なんです」


 「…………」


 「一度、点検して貰えますか?」


 クオリアの不安そうな表情を見ながら、興造は黙っていた。そして、興造はコップに注がれたビールを飲み干すと、クオリアの頭を撫でてから自室に戻って行った。


 「細かいことは気にするな。何かあったら、僕が見てやるから。もう寝なさい」




**


 翌朝のこと。興造が大学に出勤し、校内を歩いていると学生達から、なんとなく冷ややかな目線を感じていた。


 「……おはようございます」


 「ひっ!」


 事務室でタイムカードを切ると、隣に立った女性講師が引きつった顔をして、少し身を引いたように走り去っていった。興造は、何となく嫌な予感がして頭を掻いていた。




 しかし、興造は何事もなかったかのように、いつも通り授業に取り掛かった。


 「……今日は、機械工学における『キモ』の部分、材料についての話をしようと思う。ロボットに使われている材料のメインは、プラスチック材料や鉄、アルミニウム等で、君らが加工で使いやすいのは、プラスチックだと思う。プラスチックでも強度がある材料は『繊維強化プラスチック(FPR)』で、代表的なものに『ガラス繊維強化プラスチック(GFRP)』や『炭素繊維強化プラスチック(CFRP)』があるんだ。金属よりも軽く、強度があり、様々な場面で使われているんだよ。……因みに、『CFRP』は飛行機の主翼にも使われているんだ」


 学生の顔を見ると、何となく授業に集中出来ていない気がした。しかし、興造は必死に教鞭を取り続け、授業を終えると静かに教室を出ていった。後ろ手に扉を閉めた瞬間に、わっと後ろから噂話が聞こえた。それは「つぐみが話していた噂話」だった。




 「見たか?久保田教授を。何にもなかったように見えて、実は隠れロリコンなんだな!!隅にも置けないよな!!」


 「ついに本性を現したか。……ずっと尊敬してたのになぁ」


 「でも、ちょっと引くわ」


 興造は聞いていて胸が苦しくなった。つぐみの口から聞いた噂話が、すでに大学の構内に広まっていた。そしてもうじき「ワーテック・ロボコン」が始まると言うのに。しかも、運悪く……職員会議が午後にあると言うのだ。興造は身震いをしていた。




 昼食を人目に付かぬように校外で済ませると、職員会議をする為に、興造は思い詰めた表情で会議室に入っていった。ずらっと並ぶ白髪交じりの大学教員達。綺麗にホチキス止めされた会議資料と、お茶が机の上に置かれていた。張り詰めた空気が部屋の中に漂っていた。


会議の内容は、授業の見直しや就職口斡旋や、経営の話。それから新しい機材導入……二時間近くパワーポイントとスクリーンを利用し、新しいキャンパスの設置も見直されていった。大学の主事が淡々と仕切り、興造は欠伸を噛み殺しながら、必死に話を聞いていた。




 議題が一通り終わった頃だった。最後の議題である、冬に行われる「ワーテック・ロボコン」に関する話が取り上げられた。


 「さて最後の議題である、今期のワーテック・ロボコン(略称)ですが、『提携企業が出資を取りやめたい』とのことで、実行が困難になり、行えない可能性が大きくなりました」


……巻き起こるざわつき。職員達は顔を見合わせていた。


 「おかしい、今まで出資を切られたことなんて無かったのに……」


 「……どういうことだ?」


 「お静まりください。引き続き、私から説明させて頂きます。そちらにおられます『機械総合学部・機械デザイン科』の現講師である、『久保田 興造(くぼた こうぞう)教授』の素行が良くないと、学生達から伺っております。噂によれば、赤石文芸大学の女子学生と、不埒(ふらち)な交際関係に陥り、著しく本校の名誉を棄損したとのこと。教授、ご説明頂けますでしょうか?」


 「…………ははっ」


 興造は、思わず笑ってしまった。何故ならここまで話が発展すると思っていなかったからだ。自分の目が見ている光景は幻なのか?そう疑ってしまう程に、自分を見る周囲の目線は、冷たいものだった。




 興造は冷や汗を掻きながら立ち上がった。そして静かに言った。


 「……仰る通りです。謹んで、深くお詫び申し上げます」


 頭を深々と下げた瞬間、男性講師を中心に、興造に対してのひんしゅくの声が上がり始めた。


 「……やはりか」


 「泥を塗ったな」


 「退学処分しかないだろうな」


 必死に歯を喰いしばって耐えていた。しかし、興造には抑えきれぬ悔しさが込み上げてきた。




 「……しかし!!私一人が原因でワーテック・ロボコンが中止になるなどとは、考えたくはないんです!!どうか、妥協案を提示させては頂けないでしょうか?」


 「甘えるな!!この外道がっ!」


 「ふざけるんじゃない!!誰のせいでこうなったと思ってるんだ!!」


 興造に大量の筆記用具が投げ付けられた。興造は打ち当たる筆記用具の痛みに耐え、ただただ必死に頭を下げて、涙を呑んでいた。


 


 ……その時だった。柔らかなベージュ色のスーツを着た高齢の男性が、よろよろと杖を突きながら、部屋に入ってきた。周囲のヤジがぴたりと静まった。


 「興造くん……頭を上げなさい」


 「滝口 英彦(たきぐち ひでひこ)大学理事?!どうしてここに?!」


 「今日、職員会議があると思ってね。私も顔を出してみたんだ。するとどうだ、君が頭を下げているじゃないか。何があったんだい?」


 「……実は」


 主事が話を始めようとした時に、滝口理事は言葉を制し、興造からの言葉を求めた。




 「……今は言えません。ただ、皆様にご迷惑をお掛けしてしまったことを、お詫びしていました」


 「そうか。……ただ君はまだ若い。過ちは誰も犯すものだ。けれど『失敗を叩いて叩いて、若い芽を摘んで立ち上がれないように潰してしまうこと』。これも日本の悪い文化の一つだと、僕は思うんだ。……君はどうしたい?」


 「僕は学生が好きです。だから、せめて『ワーテック・ロボコンの出場権』だけでも、得させてくれませんか?その後は、僕はどうなっても構いませんから」


 興造の苦しそうな表情を見て、滝口理事は興造の肩を叩き、慰めるように言った。


 「その言葉が聞けて嬉しかったよ。……頑張りなさい。私が何とかしよう」


 「ほ、ほんとうですか?」


 「ただし、猶予を与えよう。……今から一年間。現学生が卒業するまでに、この大学の名誉を回復させ、利益を出すことが出来れば、君の退学も取り消そう。だがもしも君が結果を出せなかったら、……その時は分かっているね?」


 「……分かりました」


 興造がこくりと頷くと、興造のことを良く思わない講師陣が、滝口理事に対して文句を言った。


 「理事!!それでいいのでしょうか!!私達は納得できません!!」


 「そうです!!」


 「……君らの目は節穴か?耳はあるだろう。彼の顔を見たまえ。こんなに苦しい表情をして、言い訳一つしない若者の傷に、塩を塗り込むつもりか?それとも、噂に聞いている赤石文芸大学の女性を突き留めて、事実確認でもしてみるのか?」


 「…………」


 「少し昔話をしよう。……彼はね、大学の時に、虹ヶ崎くんと言う恋人を亡くしているんだ。彼女は、私の可愛いゼミ生だったんだよ。彼は、彼女の車椅子を必死に押しながら介助をしていてね、その姿がとても麗しかった。教職についても学生に対してとても熱心で、愛情がある。そんな彼に、何があったのかは分からないが、僕は実際見たものでなければ、信用出来ないんだよ。少し頭を冷やして、何がいいのかをよく考えなさい」


 滝口理事はそう言って扉を押し開け、出て行った。興造は皮一枚繋がったことに感謝を覚えつつ、悔し涙を流していた。


 そして、主事が会議を終え、周囲の突き刺さるような冷たい目線に晒されながら、興造は会議室を後にしたのだった――。




**


 会議と一日の授業が終わり、興造は研究室の椅子に座りながら悩んでいると、スマートフォンに一通の着信が入った。それは「トイトイ・マーベラスカンパニー」社長令嬢の「豊田 雲雀(とよだ ひばり)」からの着信だった。


 「……お久し振りね。元気にしてたかしら?」


 「何の様だ?」


 「話したいことがあるの。うちの会社に来てくれないかしら?」


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