-Qualia days- 試作品彼女
雪原のキリン
【ver.1】Parts:zero 賢者の贈り物
皆さんは「賢者の贈り物」と言う話を知っているでしょうか。ある貧しい夫婦がお互いのクリスマスプレゼントを買う為に、夫は妻の為に先祖代々受け継がれてきた大切な懐中時計を、質に入れて妻の為に櫛を買い、妻は美しい髪を売って、夫の為に懐中時計を吊るす鎖を買ったというお話です。二人ともお互いの為を想ってやったことでしたが、意味の無いことをしてしまったのですが、とても幸せだったそうです――。
**
――夏のひぐらしの鳴く、残暑の厳しい季節。青々とした木々の葉が風に吹かれ、葉を激しく波打たせていた。ここは、鏑木市にある大学病院。婚約を決めた二十代後半の男女が暗い表情で病室に佇んでいた。男性は女性の手を握りながら、泣きそうな顔をして女性に質問をした。
「なぁ、澪(みお)。具合はどうだ?」
黙って首を振る女性。その顔はとても苦しそうだった。彼女の髪は薬の副作用ですっかりと抜け落ちていた。肌も白く、顔はすっかりやつれていた。彼女はほっそりとした手で、撫でるように男性の頬を触った。
「こうちゃん……わたし、死にたくないよ……」
「大丈夫、大丈夫だから。無事退院したら、一緒に挙式を挙げような」
「……うん」
それから数ヶ月後、婚約者は息を引き取った。若い彼にとって、辛すぎる出来事だったのだ。彼は彼女のことを愛していた。それはもう心が痛むほどに。彼女が最期に残した「愛している」の言葉が呪いの言葉のように、彼の心の中を抉り取っていった。
彼はすっかりお酒に溺れ、無精ひげが生えて、髪の毛はぼさぼさに伸び切っていた。泣き崩れる毎日を送っていたのだ。そんな彼の取り柄は、手先が器用で機械工学が得意なことだったのだ。
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僕は人とは脆いものだと知った。僕が苦しみも悲しみも分かち合って生きてきた、最愛の幼馴染で、婚約者の澪が目の前で息を引き取ったからだ。
病名は急性リンパ性白血病。血液の癌(がん)と呼ばれるものだ。かつての日本において、結核は不治の病と呼ばれていたらしい。しかし、治療法が開発され、結核で死ぬ人は見なくなった、現代の病といえば癌。まさかその癌に目の前で掛かって死んだ奴がいるなんて。しかも僕の最愛の女性なんて。それが信じられなかった。
この手で抱きしめていた感覚。あの肌と肌の温もり。そして、辛き日も悲しき日も互いに励ましあい、何よりもずっと傍に居て、当たり前のように感じていた「そいつ」がぱったりと居なくなるなんて。
勝気で、健気で明るかった澪。それがある日を境目に病気に掛かり、日に日に気持ちは感じ取れぬくらいに、暗く弱く滅入って行った。僕を悲しい気持ちにさせまいと、自分のみに悲しみを仕舞い込み、明るく気丈に振舞う澪。しかし、僕の居なくなった病室でいつも「死にたくない」と言っていたのを知っている。澪が見せる二度目の弱い部分。しかし、僕は力になっても、その痛みを拭うことが出来なかった。
「くっそ、ただ単にタンパク質と無機質と脂肪とリンと、炭素と鉄と水分で構成された『肉の塊』じゃないか!!!!」
僕は自販機の備え付けのゴミ箱を蹴り飛ばした。深夜の誰も居ない病棟。家族は帰ってしまい、僕と澪を残した物寂しい空間に、ゴミ箱の跳ねる音が虚しく響いた。僕は「大切なものを無価値な物に置き換えること」で悲しみを忘れ去ろうと必死だった。
しかし、今言った言葉を一つ一つ噛み締める度に心が疼く。
「……人ってどうして脆いんだよ……」
僕は病院を出て呟くように言った。冷える晩秋の秋風に、白い息が乗って、言葉は虚しく消えていった。僕はタバコに火を付けて自らを落ち着かせようと考えた。
もう一度、神の禁忌に触れ、その髪に、その肌に触れ、愛を感じることが出来たら。
もう一度、その唇に思うままに口付けが出来たなら。
せめてもう一度、強く抱きしめられたなら。
しかし、思い返してももう遅い。せめてもう一度……。
「一目で良いから会いたかった」
気が滅入りそうになる。そして、手に持った鞄。気を取られて忘れていたが、大学からそのまま直行して病院に向かって来たんだった。
その鞄の中にある参考書。
「大学で研究している機械工学も何にも役に立たないじゃないか!」
僕は参考書を乱暴に床に叩き付けた。
「ロボットか。澪の身体もロボットだったら病気に掛からなかったのに。」
そう思った。そして、急に寒気がし、だんだんと気が重くなっていった。強がりか分からないが、悲しい、胸が苦しい。
「心が重い。しばらく生きる気がしない」
僕は、澪に心を持って行かれそうで必死だった。
「もう僕は金輪際、誰とも付き合いたくない。……澪、どうして?どうして急に居なくなっちゃったんだ。僕はもう……」
**
がむしゃらで必死に機械工学の勉強をしていた彼は、魔が差したのか、恋人を失った隙間を埋める為に「愛する彼女を模した」ヒューマノイドロボットを造った。それはそれはとても素晴らしい出来だったそうだ。
――ピーピーピー……プラグに繋がれた、ヒューマノイドロボットのエネルギーを充電する音と機械音が、研究室に響いていた。
「……出来た。かなりの歳月を費やしたけれど、完璧にあの頃の澪(みお)にそっくりだ。髪の毛も肌の質感も人に近くしてあるし、出来るだけ、たくさんの物を感じ取れるようにしたんだ。君は僕の失った心の隙間を埋めてくれるかい?ふふふ」
男性は腕を組みながら不気味な笑いを浮かべた。
「……プログラムインストール完了しました。……起動いたします……」
ロボットの瞳が電気信号と共に明るく点灯し、少しずつ挙動を始めた。
「……オハヨウゴザイマス、マスター。……御用件をお話しください」
「君の名前は『Qualia(クオリア)』。僕と一緒に生きてくれるかい?」
「……検索内容に……一致しませんでした……ピピピピー」
こうして、男性とヒューマノイドロボットの奇妙で不思議な共同生活は幕を開けたのだった。それはそれは十年も二十年も続いて、男性はすっかり女性と付き合うこともなく、寂しいような、怪しいような噂が立ちながらゆっくりと過ぎて行ったのでした――。
――「ばいばい……こうちゃん……愛してる」――。
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