第38話

 相変わらず過酷な用務とそれに加えての《ワンドレス》の特訓により、最近一日一日がとても短く感じる。


 その所為なのかどうかはわからないが、気付けばあっという間に一週間後のゼミ紹介当日、つまり今日を迎えていた。


 迎えていたのだが……、


「…………騙された」


 既に中等部高等部合わせ新入生の役半数は集まったであろう、入学式でも使用した例の講堂内。


 ズラリと座席が並べられている部分の後方非常口付近で、俺は疲れ果てた声を絞り出す。


「あのブロンドめ……『あなた達にも』って言うもんだから、てっきり俺達以外にも何人かボランティアがいるのかと思っていたらこれだよ! 俺達しかいないじゃないか!」


 俺は作業着の上から付けている「ボランティアスタッフ」と書かれた腕章を睨みつけ、眉根を寄せた。


 今朝、俺が二度寝の誘惑をなんとか跳ね除け、学園長に指定された搬入スタッフの集合場所に来てみれば、この腕章を付けて立っていたのは結局いつもの面々だけだったのだ。


 おまけにその内の一人が、今朝も今朝とて遅刻常習犯の本領を発揮してくれたものだから、俺は親方とネヴィーとの三人で――別口の仕事があるとかで親方も途中で抜けたから実質俺とネヴィーの二人だ――二十近いゼミの分の実演道具やら何やらを搬入するハメになった。


「フフフッ! 私はヒナツと二人きりの共同作業、楽しかったけどな!」


「ああ、そう。そいつは上々だ。俺は何一つ楽しくなんてなかったけどな……」


 そりゃ、お前は魔術で荷物を軽々と運んでいたから良いかも知れないが、いくら魔力があったとて、所詮俺には物体の浮遊と移動を同時にいくつもこなせる器用さは無い。


 結果、日々の用務のお陰か人より少しはあるだけの体力と忍耐力でひたすら肉体労働だ。


 楽しいわけがない。


「はぁ、せめてトリスタンがいてくれれば……まったくイズの奴はどこで油を売ってるんだ?」


 あの馬鹿は後でどうしてくれようかと、いまだ姿を見せない遅刻常習犯に対しての処罰を俺が心中で模索していると、


「……おはようございまス」


 噂をすれば何とやら。


 何やら浮かない顔をしたイズが、非常口から入ってきた。


「……イズ? どうしたんだお前?」


 その似合わない様子に、俺は文句を言おうと開いた口で思わずそう尋ねていた。


 俺の横ではネヴィーも、何があったのか気になるといった様子でイズの返事を待っている。


「あ、ヒナツ君、ネヴィーさん。遅れちゃってすいませんっス。作業の方は……?」


「今さっき終わったところだよ。それよりなんだよ、その浮かない表情は? 何かあったのか?」


 少しだけ逡巡する素振りを見せてから、イズがおもむろに口を開いた。


「……はいっス。実は――」


 ※ ※ ※


 俺達スタッフ陣を除いて最終的に講堂に集まったのは、新入生が百数十名、ゼミ紹介に駆り出された上級生が十数名、そして学園長を含め教授が三人。


 既にゼミの紹介が始まり、会場内を時折何事か相談し合う声が飛び交っている中、俺達もまた、ゼミ紹介とは全く関係無い話でひそひそと言葉を交わしていた。


「……ブランジャンとペリニスが動かない?」


「そうっス……。今朝、講堂に来る前にちょっと様子を見ようと、トリスタンと一緒にイキモノ小屋に寄ったんスけど、いくら呼び掛けても叩いても反応が無くて……」


「単に魔力切れなだけなんじゃないのか?」


「昨日の夜にフル補充したばっかりっス。念のためどこからか魔力が漏れていないか、首元まではしごで登ってもう一度コアを確認したっスけど、満タンだったっスよ」


 イズの表情がますます暗くなる。


「ふーむ。こういうことって、今までにもあったのか?」


 俺の指摘に、イズは無言で首を横に振った。


 そりゃそうだ。前にもこんなことがあったのなら、当然その解決方法もわかっている筈だ。こいつがこんなに落ち込むことだってないだろう。



「他にも色々試してみたっスけど、全然ダメで……本当どうしちゃったんスかねぇ……」


「おやっさんには相談したのか? あの人なら、何か知ってるんじゃないかと思うけど」


「そうなんスけど、おやっさん、今日は午後のクレイマン達の定期テスト作動までは『イキモノ小屋』に来ないんスよ。だから今朝は相談もできなくて……それで、待ち合わせの時間も過ぎちゃってたっスから、仕方なくそのままにして、こっちに来たんス……はふぅ…………」


 遂には膝を抱えて壁際に座り込んでしまったイズの周りでは、どんよりとした空気が漂っていた。


 よほどショックな出来事だったのだろう。


 こりゃ、遅刻を責めるわけにもいかないか。


「なるほどな。事情はわかったよ。そういうことなら遅刻した件は…………ん?」


 突如、俺の右腕にはめられた銀製の腕輪が光を帯びる。


 今朝仕事が始まる前に、親方から「身に着けていろ」と渡された物だ。


 聞くならく、組み込まれた音属性魔術の効果で、離れた所にいる者同士で会話ができるという代物らしい。


 操作に若干手こずりながらも、俺は事前の説明通りに腕輪に向かって話し掛けた。


『――あー、こちらモルガン。搬入は無事に終わったか、ヒナツ?』


 ゆっくりと明滅を繰り返す腕輪から、親方の声が返ってくる。


「はい、特に問題はありませんでした。今はネヴィーと、あとついさっき来たイズも一緒です」


『そうか。ゼミ紹介の方はどんな感じだ?』


「え? 親方、講堂にいないんですか?」


『ああ。私の方の仕事は講堂の外でしているんだが、まだ終わらなくてね』


「そう、ですか……それで、俺達はこの後どうすればいいんですか?」


 間髪入れず、腕輪からなかなか穏やかじゃない指示が飛び出した。


『その場で待機だ。但し、ヒナツとネヴィーは魔術を、イズはトリスタンを、それぞれいつでも使えるように準備しておけ。講堂内での警戒を怠らず、不審な動きがあればすぐに報告しろ』


「は? 警戒? 不審な動きって……随分と物々しいな。一体何が始まるって言うんです?」


 まるで軍隊指揮官のようなその口調に茶化し半分で返すも、親方の声は至って真剣なままだ。


『いいから、今は言う通りにしておけ。連絡だけは、常に取れるようにな』


 最後にそう言い残し、親方の声が消えると同時、腕輪の光も消えていった。


 ……何だったんだ、今のは。


 まるで、本当にこれから何かが起こるとでも言わんばかりじゃないか。


 よくわからないが、なんだか妙な胸騒ぎというか、嫌な予感がする。


「ヒナツ? 〈コール〉、用務員さんから?」


「ああ、そうなんだけど……」


 俺はネヴィーとイズに、親方からの指示を伝える。案の定、二人も俺と同様の反応だった。


「な、なんか物騒な話っスね。テロリストの犯行予告でもあったみたいじゃないっスか」


「まさか。演劇や小説じゃあるまいし、そんな突拍子もないことある筈ないだろ」


 かといって、あの親方に意味も無く俺達を脅かすほどの茶目っ気があるとも思えない。


 さすがにテロリストはないにしても、魔術を使わなくてはいけない何らかの「状況」になる可能性は、考えていた方がいいかも知れない。


 それにしたって、一体何が……?


「取り敢えず、言われた通りにしておこうか。何も無ければ、それでいいんだから」


「……うん、わかった」


「了解っス」


 頷く二人を前に、俺は左右の手を二、三度ぎゅっと握る。


 何も起こらないことを祈るばかりだが、いざ何か起こってもいいように、俺も心の準備くらいはしておくか。


 ――そんな俺の考えを見透かしたわけではないだろうが、親方からの忠告と、それによって俺の中に生まれた一抹の不安は、それからすぐに現実のものとなった。

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