第15話
「イキモノ小屋」は、一見して普通の建物に見えた。
別館と同じか、それより少し大きいくらいか。
外壁にはいくつか小窓もあり、そこから光が漏れているが、どれもこれも屋根の近くにあって中の様子を覗くことはできなさそうだ。そして前面には、馬車二台分くらいは通れそうな幅を持つ扉がどっしりと構えている。
ここは一体何の施設なんだろうか。
両側で灯るランプの炎に照らされた重々しい鉄扉を前にして、俺が首を捻っていると、
「待たせたね」
既に薄暗い空の下、手を振りながら親方が歩いて来る。つられて俺も手を振り返した。
「こっちも今来たところです」
「そうか。今度はちゃんと時間通りに…………何やってるんだ、そいつは?」
訝し気な顔で俺の隣に視線をずらす親方。
その先には、満足そうな笑顔を浮かべて俺の腕を拘束しているネヴィーの姿があった。
俺はポリポリと頬を掻く。
「何度も『帰れ』って言ったんですけど、さっきからずっとこの調子で」
「ここに何か用事でもあったのか?」
「それが特に何も。『君が行くなら私も行く』とかよくわからないこと言って、付いて来ました」
「何だそれは? ……まぁいい。そんなことより、早く仕事に取り掛かるぞ」
親方はさして興味を持たなかったようで、俺の説明を軽く聞き流し、眼前の扉に手を掛けた。
「……おい、ネヴィー。何してるんだ? お前はもう寮に帰れ」
付いて来ようとしたネヴィーにそう言って、親方は学生寮の方角を指差す。
「でも……私、まだここにいたい」
「もうすぐ寮の門限だ。時間を守らないと、寮長に叱られるんじゃないのか?」
「…………」
「どうした?」
「……帰りたく、ない」
俺の腕の拘束を解き、途端にネヴィーが寂しそうな顔をする。 俯いたまま、動こうとしない。
親方が、諭すようにネヴィーの肩に手を置いた。
「……気持ちはわかるが、そういうわけにもいかないだろ? こんなつまらないことで悪目立ちはしたくない筈だ。お前の場合は、特にな」
尚も口を噤んだままのネヴィーに、親方は仕方ないなという風に息を吐く。
「……明日は湖の辺りで作業をする予定だ。放課後に時間を取れるなら、お前も手伝え」
弾かれたようにネヴィーが顔を上げる。
空色の瞳がキラキラと輝いているのは、「いいの? いいの⁉」といったところか。
親方が苦笑し、軽く頷く。
「ああ。だから、今夜はもう大人しく帰るんだ」
ネヴィーもコクコクと頷き、それから今度は俺の方をチラリと見る。
「……ヒナツは?」
「ん?」
「ヒナツは、湖に来る?」
「いや、俺は遠慮しておくよ……って言いたいところだけど、生憎俺は今、自分の行動を自分で決められない立場にいるんだ。だから、その質問は俺じゃなくて親方に頼む」
ネヴィーが再度同じ質問を投げかけると、親方が無造作に俺の肩に手を回す。
「当然だ。こいつは用務員見習いなんだ、嫌だと言っても力づくで連れて行く」
力づくで連れて行くんだ……。
「……そっか……そっか!」
何がそんなに嬉しいのやら、親方の返事を聞いたネヴィーがぱあっと表情を明るくする。
そしてやにわに杖を取り出したかと思うと、そのまま魔力を練り出した。
おいおいおい、一体何しようって言うんだ?
「――〈テスカト・ルポカ〉」
ネヴィーの詠唱が終わると同時、透明な杖が薄闇の中で淡く光り始め、その先端から一筋の細い光が伸びる。
それを筆代わりに、まるで空中に絵を描くようにして、ネヴィーが鼻歌交じりに杖の先を走らせた。
と、本当に空中に絵が出来上がっていく。
やがて俺の身長くらいの長方形の図が完成したと思ったら、次にはその図は大きな鏡になっていた。
「また鏡か……」
「やれやれ。相変わらず、随分と簡単そうにやってのけてくれるね」
呟く俺達の目の前で、完成した鏡の中がぼやけていく。
数秒もしない内に、そこだけぽっかりと切り取られたみたいに別の景色が映った。
覗いてみると、机やベッド、クローゼットやぬいぐるみなどの家具が置かれた、やけに生活感溢れる空間が鏡の向こうに広がっている。
「わかった、今日は帰る。でも、約束だからね? 明日、絶対行くから待っててね?」
「それじゃあ、お休みなさい」と手を振って、ネヴィーはスタスタと鏡に近付き、遂には吸い込まれるようにして鏡の中へと入って行ってしまった。
「あっ」
俺が声を上げた時には鏡は煙の如く消えてしまい、後には何事も無かったかのような宵闇の風景が広がるばかりだった。
なんだか狐につままれたような気分だ。
「な、何だったんだ? 今のも魔術、ですよね?」
「空間移動の魔術、つまり『ワープ』だよ。予め術を施しておいた鏡と繋がって、一瞬で移動できるんだそうだ。『ほぼどこにでも行ける魔法の鏡』なんて、あいつは言っていたけどね」
ワープだって? そんな魔術があるなんて……全然知らなかった。
「ま、誰にでも使えるわけじゃないがな。あいつは正真正銘、掛け値なしの『天才』なんだよ」
俺は夕方のグラウンドでのことを思い起こす。
ネヴィーが最後にロザラインにぶつけようとしたあの魔術。
ほんの片鱗しか覗かせていなかったが、あれは明らかに尋常じゃないものだった。
親方が止めに入っていなければ、今頃どうなっていたか。今更ながら、背筋が冷える。
「天才、か……」
まったく…………正直悔しいが、改めて世界の広さを実感させられるな。
「ま、それだけに色々苦労もしているみたいだがな。それにしても……」
と、親方が唐突に話を切り出す。
「お前、随分とあいつに懐かれたみたいだな」
「はい?」
「あいつがあんな風に人懐っこくなっている姿なんて珍しいんだよ。一体何があったらああなるんだ? お前達、知り合いってわけでもないだろ?」
不思議そうな顔の親方にそう尋ねられるが、俺だって何がどうなったらあんな風に馴れ馴れしくくっつかれるのかわからない。むしろ俺が知りたいくらいだ。
「はぁ、いや、特に何かした覚えは無いんですけどね。ただあいつの身の上話を聞かされただけっていうか、聞き流しただけっていうか。それだけですよ」
俺がネヴィーとの会話を一通り告げると、親方が今度は心底驚いたといった表情を見せる。
「あいつが、話したのか? 自分のことを?」
「はい、そうですね。この学園で、自分がどういう目で見られているかとか、そうなった原因とか、まぁそんな感じのことをつらつらと」
「あの一件のことまで……それで、お前はそれを聞いて何て言ったんだ?」
「別に、大したことは言ってませんよ。そんなの全然怖くない、むしろ凄いだろ、って」
「……ほぉ…………なるほど。『だから』か」
親方は何やら思案顔で顎に手を当て何事かを呟くと、その仏頂面に少しだけ苦笑を浮かべた。
「親方?」
「いや、何でもない。……まぁ、確かに少し変わってることは否定しないが、少なくとも悪い奴じゃないんだ。だから、お前さえ良ければ、これからも時々あいつの相手をしてやってくれ」
それだけ言うと、親方はすぐにまたいつもの仏頂面に戻り、再び「イキモノ小屋」の扉に手を掛けた。
振り返り、こっちに向かって手招きをする。
「少し話し込み過ぎたな。さぁ、今日最後の仕事だ。行くぞ」
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