第23話
食堂に現れたのは、恰幅の良い初老の男。
おそらくこの学園の教授か職員だろう。身に着けている装飾品などからそれなりに高い位の人物であることは窺えるので、ただの職員というわけでもなさそうだが。
「……また君か、ブランシュフロー。無闇に周囲を怯えさせるのは、止めて貰いたいのだがね」
男は俺達のテーブルから数歩離れた位置で立ち止まり、ネヴィーを見て大仰に溜息を吐いた。
「まったく……君は自分の危険性を、きちんと自覚しているのかね、【氷鏡の戦女神】?」
金縁のモノクルの奥で、男の目が意地悪く細められる。
「…………危険なのは、私も、わかって」
「わかっていたら、こんな人気のある場所に堂々と現れようとはしない筈だがねぇ?」
零れ落ちたネヴィーのセリフは、男の芝居がかった口調に遮られた。
男の向こう側で静観を決め込んでいた学生達の何人かからも、「そうだそうだ」と野次が飛ぶ。
――はっきり言って、居心地も気分も最悪だった。
「あの。その辺にして貰えませんかね? いい加減、飯が不味くて敵わない」
どいつもこいつも、ことごとく人の貴重な休み時間を邪魔してくれる。
さすがに我慢も限界に来た俺は席を立ち、男とネヴィーの間に割って入る形で立ち塞がった。
「……フン、お前が例の【用務員生】か。なるほど、見るからに粗野な顔付きをしている。あの小娘……キルバータ学園長も何を考えているのか。こんな問題児を我が校に入学させるなど」
「知っていただけているとは幸甚の至りですね。どちら様かは存じませんが」
名前も名乗らずいきなりお前呼ばわりか、という非難の意を多分に含んだ俺の返しに、男は眉をピクリと動かし顔をしかめた。
口に出さないだけで、目は「クソガキめ」と言っている。
「……出来損ないのくせに、学園の理事会に名を連ねるこの私、ケルヴィン・トーリーに向かってそのような不遜な態度を取るとは身の程知らずな。弁えろ、落ちこぼれめが」
ああ、なるほど! これがあいつの父親か。道理で人を見下す時の雰囲気が似ていると思った。
……うーむ、でも顔は全然似てないな。どうやらロザラインは母親似らしい。
名前を聞いて怖気づくどころか、妙に納得したような顔を浮かべる俺のそんな態度が気にくわなかったのか、トーリー氏はいよいよ遠慮のない物言いになってきた。
「貴様、私を馬鹿にしているのか! いいか、例え学園長に拾い上げられたからと言っても、お前達『繰り上げ組』が所詮落ちこぼれであることには変わりはない。とりわけ貴様のような例外は、それどころか獅子身中の虫にもなりかねんのだ! 学園長の意向さえなければ、栄光ある我が王立アーガイル魔術学園に舞い込んだゴミ、すぐに掃除してやるところだ!」
いやいや、学園内のゴミを掃除するのは俺達なんですけど、と思わず突っ込みそうになったところで、それまで黙って座っていたネヴィーが俺の隣に立ち、トーリー氏と対峙する。
「ネ、ネヴィー?」
今度は間に合わなかった。
俺が止める暇も無く、スカートの下から取り出した杖を真っ直ぐトーリー氏に向けている。
ネヴィーは、静かに激怒していた。
「……虫? ゴミ? さっきから、ヒナツに向かって言いたい放題……」
「お、おい、落ち着け! こんな所で暴れたら……!」
俺の制止の声も聞かず、ネヴィーが杖に魔力を込め始めた。
学生達から悲鳴にも似た声が上がり、食堂内は騒然となる。
マズい! ネヴィーの奴、本気でやるつもりだ!
「……おっと、そうやって『また』、人を傷つけるのかね?」
「……ッ!」
杖を向けられたトーリー氏は、一瞬額に汗を滲ませるも、すぐにその顔に嘲笑を纏う。
ネヴィーの意識が揺さぶられ、杖に集められた魔力が散っていくのを見計らい、捲し立てた。
「別に私は構わんよ? ここで君が私を病院送りにする。それも良いだろう。いつかの事件の時のようにな。だが、その後は? その後君に待ち受けているものは、一体何だ? フフフフ、優秀な君のことだ。言わなくてもわかるのではないか?」
トーリー氏の言葉に、ネヴィーは口を噤んでしまった。
「……い、嫌…………」
「もともと君を忌諱している者は更に君を遠ざけ」
「や、やめて……」
ネヴィーは、震えていた。
声を、肩を震わせて、自分自身を抱きしめるように、守るように、両腕を交差させる。
その綺麗な空色の瞳は、明らかな恐怖の色によりどんよりと曇ってしまっていた。
「学園長の座で踏ん反り返っているあの小娘や、奴が引き入れた得体の知れない用務員。いまだ君を遠ざけることのない数少ない者達の、君を見る目もさすがに変わるだろう」
「止めて…………聞きたくない……聞きたく……」
耳を塞ぎ、頭を振るネヴィーの反応を楽しむかのように、トーリー氏が口端を上げた。
「そして最後は、君の周りには本当に――」
「──ネヴィー、頼みがある! 王都の料理でも良いから、明日からは俺に弁当を作ってくれっ」
トーリー氏のセリフを皆まで言わせず、俺は震えるネヴィーの肩に手を置いた。
「…………え?」
俺の突拍子もない行動に驚いたのは、ネヴィーだけではなかった。
一拍置いて、食堂内のあちこちから、「あいつは一体何を言っているんだ」とでも言いたげな視線が俺に降り注いだ。
……あーあ、言っちまったよ。
勢いで取り返しのつかないことを言ってしまった。
この学園の充実した施設での昼食とは、これで完全に縁が切れてしまっただろうな。
「俺の地元の料理は……まぁ、その内なんとか習得してくれ。だから、頼めるか?」
けどまぁ、これから昼休みの度にネヴィーのこんな顔を見せられるよりはマシだよな。
「〜〜〜〜〜!」
途端にネヴィーが瞳を輝かせ、何がそこまで嬉しいのか、声にならない声を上げながら物凄い勢いで首を縦に振り出した。
「よし。なら、とっととこんな所からおいとましよう。皆の『迷惑』になっても悪いしな」
「う、うん!」
唖然とするトーリー氏や学生達の合間を縫って、俺達は悠然と第二食堂を後にした。
背後から聞こえてきた理事殿の舌打ちも、俺達の歩みを止めるには至らなかった。
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