第35話
既に玄関灯に虫達が集まり始めるくらいの時間。
建物内からの光と月光によってぼんやりと照らされる別館前の小広場に、俺達は立っていた。
「お、親方……? 今、何て……?」
まだ少し痛む体を引きずって別館前まで来た俺は、親方が示したその『仮説』に目を剝いた。
「だから、言ってるだろ。お前も多分、私と同じく『展開機』無しで魔術を扱える、と」
一番だ。
この波乱万丈な――と言ってもまだ一週間程度の間だが――【用務員生】生活の中で、一番驚いたセリフだった。
まさか、そんな。とてもじゃないが、信じられない。
「まぁ、百聞は一見に如かずだ。取り敢えず、なんでもいいからそのまま魔術を使ってみろ」
「はいっ? む、無理ですよ! 暴走するか失敗するのがオチだ!」
「その時は私が責任を持って暴走を止める。つべこべ言わずに、やれ」
「えぇ……」
有無を言わせぬ親方の迫力に押されて、仕方なく右手を『展開機』代わりに構えてみる。
「ヒナツ、頑張って」
隣で声援を送って来るネヴィーを横目に、俺はおっかなびっくり魔力を練り始めた。
やがて『展開機』と同じように、俺の右手がオレンジ色に発光する。
うわ……なんだろう、これ。途轍もなく嫌な感じがする。
まるで自分の手じゃないみたいだ。
このまま魔術が暴発して腕が消し飛ぶとか、そんなことになって……しまうのだろうか?
「こ……怖い! これめちゃくちゃ怖いんですけど!」
「アホか。何をビクついてるんだ」
「だ、だって! このまま暴走とかしたら!」
「男なら度胸だ。腹をくくって、そのまま撃て」
「大丈夫だよ、ヒナツ。もし腕が無くなっても、私が一生、介護してあげるからねっ」
「ネヴィーまでなんてこと言うんだ! ……ああもう! 本当に無くなったら恨むからな!」
いつまでもこうして突っ立っていたって仕方がない。
……ええい、ままよ!
「――〈ラピッドフレア〉!」
次の瞬間、天空に向けた俺の右手から凄まじい勢いで火柱が噴き出した。
が、
「う、おぉぉぉぉぉぉ!」
放たれた火柱は、威力も、スピードも、飛距離も、ともすれば今まで俺が撃ってきた〈ラピッドフレア〉が不発弾にすら見えるほどの、段違いの性能だった。
冗談抜きで、ロザラインのあの〈クラウ・ソラス〉にも見劣りしない一撃と言っても過言では無いくらいだ。
約十数秒もの間、別館の周りを真昼のように照らしていた火柱が、徐々に掻き消えていった。
あれほどの爆炎の中、火傷一つない自分の右手を、俺はまじまじと見下ろす。
直後、激しい倦怠感と疲労感に襲われて、思わず後ろ向きによろけてしまった。
「ヒナツっ」
「おっ……とっと、わ、悪い……はぁ、はぁ……た、助かったよ、ネヴィー」
すかさず背中を支えにかかったネヴィーに礼を言ってから、俺はにわかに荒くなった呼吸をどうにか落ち着かせて、親方に目で説明を促した。
正直、喋るのもしんどい。
「安心しろ。いきなりどえらい量の魔力を使って体が驚いているだけだ。しかしまぁ、あれだけの魔術を撃っても意識を保つとは、やっぱりお前の魔力量は相当多いんだな」
「あ、あの……はぁ……はぁ……これは、どういうことか……」
「わかってる。ちゃんと順を追って説明してやるから、ひとまず控室に戻るぞ。話はそこでだ」
親方の言葉に力なく頷き、俺はネヴィーに肩を貸して貰いながら歩き出した。
※ ※ ※
「ほら、偶にいるだろ? 筆じゃなくて指を使った方が良い絵が描けるって言う奴とか、網じゃなくて素手の方が上手く魚を獲れるって言う奴とか。これもつまりはそういう話なんだよ」
淹れたてのコーヒーを一口啜ってから、親方が空いている方の手のひらを机に向ける。
「〈フロスト・メイク〉」
あっという間に、机の上で一体の小さな雪だるまが完成した。
「とまぁ、慣れればこんな芸当だってコーヒーを飲みながらでもできる。だけど……」
親方は控室の壁際にある棚から何かを取り出す。
埃だらけで所々傷が付いているが、それは汎用型の『練習機』だった。
それを左手で持って机に向け、親方が魔力を込め始める。
「……〈フロスト・メイク〉」
先ほどよりも発動に時間が掛かった上に、出来上がった物は……、
「……これ、何です?」
「……一応、雪だるまをイメージしたんだが」
一体目の雪だるまとは似ても似つかない、ただ素材が雪なだけのどろどろのナニカだった。
「なんてこった。『展開機』無しの方が、ちゃんと魔術が発動するなんて……」
「ああ。前に私は、『展開機』無しでも安定して魔術を使える、なんて言っていたが、それは少し違う。『無しでも』じゃなくて、正確には『無い方が』使えるんだよ。私の様な奴は、な」
「……ってことは、俺が今まで『展開機』を使って発動していた魔術って……?」
机の上の雪だるまと、雪だるまでは無いナニカを見比べながら動揺する俺に、含み笑いで親方が言った。
「そうだな。言うなれば、あれは魔術と言うより、このドロだるまと同じ『失敗作』だ」
途端に全身の力が一気に抜けていき、俺はがっくりと首を折って膝から崩れ落ちた。
そんな……俺が今まで使っていたのが、ちゃんとした魔術ですら無かったなんて。
つまり俺は、わざわざ自分で自分を弱体化させておいて、それに気付かないまま「俺の実力はこんなものじゃない」などとほざいていた、と?
…………アホ丸出しじゃないか。
「…………泣けるぜ」
「まぁ、そう落ち込むこともないだろ? 逆を言えば、お前にはまだ伸び代があるってことだ」
「い、いつから? いつから俺が『そう』だって、わかっていたんですか?」
「最初に可能性を考えたのは、入学式の日の魔術戦を見た時からだ。魔力の練り込み方や細かい癖なんかが、昔の私とそっくりだったからな。それは、ネヴィーも薄々感じていたようだが」
「え? そうなの?」
親方に振られ、次いで俺に視線を向けられたネヴィーがコクリと頷く。
「うん。前に何度か、用務員さんが魔術を使うところ、見てたから。でも、本当に何となくで、ヒナツが魔術を使うのを何度も見ている内に、やっと『もしかしたら』って思ったくらいで」
だから今まで言い出せなかったの、と締め括り、ネヴィーは軽く頭を下げた。
そうか。ネヴィーも親方の「才能」のこと、知っていたんだな。
「で。あの時点でほぼ間違いないと思っていたんだが、それが確信に変わったのは、お前が学園内の魔物に異様に好かれている様子を見た時だな。あの時は、私もちょっと驚いたけどね」
「魔物? それが、なんで確信に繋がったんですか?」
俺の疑問に、親方がまたコーヒーを一口啜ってから事も無げに種明かしをした。
「魔物ってのは、豊富な魔力を好むだろ? つまり魔物によく群がられる奴っていうのは、裏を返せばそれだけ潜在魔力量が多い奴ってことだ。魔物達のあの集まり様から推測できる魔力量に対して、お前が競技場とかで放っていた魔術はあまりにも貧弱でお粗末だったからな」
的確に心を抉ってくる親方の毒舌を堪えながら、俺は納得した。
あれって、そんな理由があったのか……正直、ただ俺の運が悪すぎるだけだと思っていた。
そういえば親方、前にロザライン戦での俺の戦いぶりを「舐め腐ってる」とか言ってたけど、今思えばあれも『専用機』相手に『練習機』で挑んだことでは無く、わざわざ『展開機』を使って弱体化させた魔術を使っていたことに対しての評価だったのだろう。
……そりゃあ、確かに舐め腐ってるよなぁ。
兎にも角にも、要するに親方は、俺ですら気付いていなかった俺の魔術の性質にかなり最初の方から気付いていて、なのに敢えてそれを言わなかったということか。
「…………もうちょっと、早く言って下さいよ」
「アホか。今のお前ならまだしも、ちょっと前の自信過剰なクソガキだったお前にこんなことを教えたら余計自惚れるだろうが。なにを眠たいことを言ってるんだ。甘えるんじゃない」
机に突っ伏しながら漏らした俺の不平を厳しく切り捨て、親方が人差し指をピンと立てた。
「いいかヒナツ。お前も含めて、私達には確かに他の奴には真似できない特殊な『才能』がある。だが、大きな力には、得てしてそれ相応の危険と責任が伴うものだ。今のお前なら――嫌というほど自分の『弱さ』を知ったお前ならわかると思うが、くれぐれも、この『才能』に溺れるようなことがあってはならないことを、よく肝に銘じておけ。わかったな?」
親方の目は、いつになく鋭く、厳しかった。
返答次第ではただじゃおかん、と言わんばかりだ。
「……わ、わかりましたっ」
多分、知っているからだろう。
力や才能に溺れることの、己を過信することの危うさをよくよく知っているからこそ、親方はこんな目をするのかも知れない。
まだまだ世界を知らない一人の未熟なクソガキが、決して、道を間違えないように。
「いいだろう。素直な男は、私は好きだよ」
俺が緊張気味に即答すると、親方は途端に優しい目付きになり、それからぐしゃぐしゃと俺の頭を撫で回して破顔する。
不覚にも、俺はあからさまに顔を赤らめてしまった。
本当に……適わないな、この人には。
「……あれ? ダメだよ、ヒナツ? 用務員さんは、あくまでヒナツの親方さんなんだよ?」
「……ッ! ま、待て! 落ち着け、ネヴィー。これは別にその手のアレじゃ……!」
「なんでそんなに赤くなってるの? なんで? ねぇなんで? なんでかなぁ? 私に対しては、そこまで赤くなったこと、無いよね? ……ヒナツ、私を置いて、どこかに行っちゃうの?」
「お、おい? ネヴィー? お前また情緒不安定になってるぞ! 戻って来い! おい!」
「……フフ、フフフ、そっか。私、また一人ぼっちに……フフフ、フフフフフフ……」
「ハハハ、ネヴィーの奴、本当にお前に懐いているようだな。こんなに心を許す相手など、お前くらいじゃないか? こりゃもう本格的にお前無しじゃダメかもわからんな、こいつは」
「恐ろしいこと言わないで下さいよ……それに、それを言うなら親方だってそうじゃないですか。ネヴィーに対して怖がったりしないし、ネヴィーの方だって普通に接してるし」
放心状態のネヴィーの肩を揺すりながらそう指摘するが、親方はゆっくりと首を横に振る。
「……私だって、少なからず恐怖はしている。そいつの魔術の才もまた、強力で危険なものだからね。ただ私は、こいつのような強大で恐ろしい『力』を持っている奴を人よりも少し多く見てきたから……だから、必要以上に意識したりしないって、ただそれだけのことだよ」
既に宵闇に包まれた外の景色を見やり、親方の目が細められる。
その視線の先にあるのは、遠い過去の戦場か、はたまたかつての仲間達なのか。
「それを、見抜かれているんだろうさ。偶にこうして話したりはしてくれても、それは『他の人よりはマシだから』ってだけだろう。ネヴィーはまだ、私に心を許し切ってはいないよ」
少し残念だけどね、と続けて、親方が今度はネヴィーの頭を軽く撫でた。
「ま、お前を介してではあるが、最近はイズとも少しずつ話せるようになってきたしな。前と比べれば、結構な進歩だよ。これもお前のお陰だな。……これからも、こいつのことを頼むよ」
そう言って、親方はちょっとだけ寂しそうに微笑んだ。
俺は少しの間考えてから、苦笑交じりに頷く。
ちょっとばかし面倒ではあるが、断る理由も、別段思いつかなかった。
それに、どうせこの寂しがりは、いくら俺が嫌だと言ったところで勝手に付いてくるだろうしな。
「さて、と。これで説明するべきことは全て説明したな。なら、後は明日からの方針の発表だ」
方針? 一体何の方針だ?
首を傾げる俺の目の前で、親方は一瞬の内に、机の上にあった二体の雪だるま(と雪だるまでは以下略)を炎の魔術で跡形も無く器用に溶かし、ニヤリと笑った。
「決まっているだろ。お前がやりたくて仕方無かった――『魔術の特訓』の話だよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます