第11話

 長さにして五、六十センチ、大きめのコインほどの直径の数十本の針が、ドネルが振り下ろした腕と連動するかの如く、俺目掛けて一斉に飛んできた。


「――ッ! 防御魔術を!」


 ……ダメだ! 今から魔力を練り上げたって間に合わない! 


 かといって、一本だけならまだしも相手は数十本の針の雨、避けようがない。


 くそ、どうすれば!


 ふと視線を横にずらすと、ロザラインの姿が目に映った。


 さぞかし俺を嘲笑っているのだろうと、彼女の顔をちらと見やる。


「ちょ、ちょっとドネル、さすがにこれは……」


 ところがどっこい、さにあらず。


 お嬢様の顔に笑みはなく、柄にもなくオロオロとしていた。


 さしもの彼女もこれは予想外だったのか、慌てた様子でドネルに制止の声を掛けている。


「はっははー! 何とかしないとヤバいぞ、当たったら痛いじゃ済まねぇぜ? そら、お前が雑魚じゃないと証明するチャンスだ! 防げるもんなら防いで見せろよ雑用ォォ!」


 だが興奮していて周りの声が聞こえていないのか、ドネルの耳にはロザラインの言葉は届いていないようだ。


 歯をむき出しにして、やたらと目を血走らせている。


「おい! 聞こえないのか! ロザラインが――」


「うるせぇ! 軽々しくロザライン様の名を呼ぶんじゃねえ! お前がっ……お前なんかが!」


 俺の言葉なんかまるで意に介さず、髪を振り乱して喚き散らすドネル。


 無数の土の針は、もう目前まで迫って来ている。


 数秒先、全身を刺し貫かれ、青い作業着を血の紅に染めて地面に倒れ伏している自分の姿が、ふと脳裏に浮かんだ。


 ……やられる!


「――〈ニトクリス〉」


 思わず目を瞑った、その瞬間。


 悔恨と、それから少しの絶望で塗りつぶされていた俺の頭に、そのガラス製の鈴の音のような声が微かに響いた。


  透き通るようで、氷の如く冷たい、けれどどこか落ち着くような……。


「…………え?」


 全身を強張らせて目を瞑っていた俺は、やがて縮こまらせていた自分の体に何の痛みも無いことに気付いた。

 

 恐る恐る目を開け、慌ててあちこち見回してみる。


 ……うん、やっぱり何ともない。


 体のどこかに風穴が空いている様子もないし、作業着とグローブが趣味の悪い前衛芸術よろしく奇抜な赤に染まっている、ということもなかった。


「……大人数で弱い者いじめ? 私、そういうの嫌いだな」


 ハッとして視線を上げる。


 すぐ目の前。


 俺の吐息が、その幻想的な銀髪を揺らすほどの距離。


 ――そこには、こちらに背を向けて真っ直ぐに立つ、一人の少女の姿があった。


※ ※ ※


「は……え……?」


 あまりに唐突な少女の登場に俺が唖然としていると、やおらこちらを振り返った少女は心配そうに、そして何故か、どこか恐る恐るといった感じで俺の顔を覗き込んで来る。


 空色の瞳に、髪と同じく銀色の長いまつ毛。まるで良くできた人形みたいだ。


「えっと……びっくり、させちゃっ……た?」


 その整った顔立ちには見覚えがあった。


 はて、一体どこで……ああ、そうだ。確か入学式の時、壇上で演説していた「新入生代表」、今年の首席合格者だとかいう少女だ。


 名前は確か……。


「あ…………本当に……本当に、君はあの『目』を、しないんだ……!」


 少女が、更に半歩ほど近付いて来た。


 どっちかが少しでも躓こうものならそのまま鼻が当たりそうな近さだ。


 段々と鼓動が激しくなる。


 くそ、今は女子に見蕩れている場合じゃ……!


「な、なんだよお前! いきなりどこから現れたんだ?」


「私? 私は、グィネヴィア。……あ、でも、言い辛いから、ネヴィーでいいよ」


「…………えっと、いや、別に自己紹介をして欲しかったわけじゃなくてさ」


「え? じゃあ、どういうわけなの?」

 

 心底不思議そうな顔で、少女――ネヴィーは俺の返答を待っている。


「……どういうつもりで何しに出て来たんだよ、お前は」


 どうも話が噛み合わない気がしたので、俺は質問の仕方を変えてみた。


「何って……君を助けるつもりで、君を助けに来たんだよ?」


 さも当たり前だという風にそう言いつつ彼女が向けた視線の先には、俺達の前に立ち塞がるようにして浮かんでいる、円形の巨大なガラスの壁があった。

 

 いや、ガラスじゃない。よく見るとそれは氷でできているようだ。


 人一人は余裕ですっぽり入ってしまうほどの大きさのその氷の壁をコンコンと叩きながら、ネヴィーが微笑む。


「あの針はね、ぜーんぶこの子が飲み込んじゃった」


「は? 飲み込んだ?」


「うん、飲み込んだ」


 肩までのサラサラな銀髪を波打たせ、ネヴィーはクスクスと笑う。


 さっきから言っていることはいまいち要領を得ないが、そんな何気ない仕草一つとっても美少女然としていて、またもや目を逸らすのが難しくなる。

 

 が……、


「ア、ア、【氷鏡の戦女神(アンドラステ)】!」


「ウ、ウソでしょ? どうして、こんな所に……」


 氷の壁越しにこっちを見ているドネルや取り巻きの生徒達の表情は、お世辞にも「見蕩れている」とは言い難い。


 どちらかと言えば「畏怖」とか「恐怖」とか、そんな類に近い気がする。


 一体どうしたと言うのだろうか。俺が言えた義理でもないが、登場しただけでそんな顔をしてやるのはさすがに可哀想ではなかろうか。


 本当に、俺が言えた義理でもないのだが。


「お、おい、何のつもりだ! なんであんたが、【氷鏡の戦女神】がそんな雑用を庇うんだ!」


「……弱い者いじめしかできないような人と話す口はない」


「なっ? ち、違う! 俺達はただそいつに教育をっ」


「教育? 『いじめ』の間違いでしょう? ……ううん、あなたの場合は『妬み』、かな? 何にせよ、都合の良いように事実を捻じ曲げないで」


 さっきまでの穏やかな雰囲気はどこへやら、肌を突き刺す吹雪のように冷淡な声で、ネヴィーはドネルの口舌をばっさりと切り捨てた。


 やばい、こいつ目が据わっている。


「一、このまま大人しく引き下がって彼に謝る。二、ズタボロに切り刻まれてから彼に謝る。どっちか好きな方、選んで」


 追い打ちをかけるようにして、ネヴィーは自分の細い指をピンと二本立ててみせる。


 言葉の端々から滲み出る威圧感と殺気に、ドネルはごくりと唾を飲み込んだ。


「……どうするの?」


 ネヴィーが更に問い詰める。


 と、その時。


「──三、あなたがわたくし達に跪く、ですわ!」


 じりじりと後退していたドネル達とは対照的に、彼らの後方からロザラインがツカツカと歩いて来た。


 道を開けるドネル達の間を通り抜け、やがてネヴィーと対峙するようにして仁王立ち。


 右手に持った赤い扇子で口元を覆い、もはや聞き慣れてしまった例の高笑いを響かせた。


「こんな所で会うなんて奇遇ですわね! あなたもお散歩かしら、グィネヴィアさん?」


「…………」


「ホホホ、どういう風の吹き回しかは知りませんけれど、これはわたくし達とそこの用務員見習いさんの問題ですわ。申し訳ありませんが、関係の無い人は引っ込んでいて欲しいですわね!」


 挑発的な口調でそう言い放つや否や、ロザラインは口元の扇子をパシンと閉じて振り上げる。


 高々と掲げられた扇子が燃えるように赤い光を帯び始めた。


 これは……まさか!


「わたくしは【炎剣女帝】! 誰かを跪かせることはあっても、誰かに跪くことなど決してない!それが女帝というものですわ!」


 轟音と共に、ロザラインの頭上に爆炎が立ち上る。


 まるで形を成していないその巨大な火の塊が、段々と一つに纏まっていき、やがてその姿を一振りの巨大な剣へと変えた。


「さぁ、わたくしとこの炎剣に畏れ、ひれ伏し、そして傅きなさい! ――〈クラウ・ソラス〉!」


「ちょっ、まっ――!」


 俺はダメ元で声を上げて制止を試みるが、時すでに遅し。


 叫び、ロザラインが扇子を振り下ろすと同時、彼女の頭上にあった炎剣もまた、無慈悲に振り下ろされた。

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