第8話

「やっと戻って来た。一袋分集めるのに、随分時間が掛かったね。昼寝でもしてたのか?」


「はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」


 色々と反論したいことはあるのだが、まだ息が整っていない為に上手く喋れない。


 俺は手のひらで「少し待ってくれ」というジェスチャーをすると、それからゆっくりと深呼吸をして息を整えた。


 …………よし、抗議開始。


「魔物がいるならいるって、最初に言っといて下さいよ!」


「なんだ、奴らに手こずっていたのか。いやなに、俺には実力があるだ何だとあんなに自信満々に言っていたお前のことだからね。あれくらいの魔物、事前に説明が無くても対処できるだろうと思ったんだけど……どうやら私の判断ミスだったようだ。 すまない、お前の実力とやらを信頼し過ぎていた私が浅はかだったよ。本当に申し訳ない」


 おい! それ謝罪に見せかけて俺のことを馬鹿にしてないか?


「お前も入ってみて分かったと思うけど、あの雑木林には良質な魔力が溢れている。更に学園内と言っても、わざわざあんな所をうろつく物好きなんてほとんどいない。魔物からしてみれば、これ以上ないくらいの優良物件だろうさ。まぁ、幸い奴らが雑木林の中から出てくることはまずないから、そこまで脅威では無いけどね…………きちんと駆除さえすれば、だけど」


「……つまり、あの魔物達が増え過ぎないようにするのも、用務員の仕事ってことですか?」


「その通りだ。学園内を荒らす『ゴミ』を掃除する、それが私達用務員だ。学園敷地内には、他にもこういった『魔物スポット』がいくつかある。ゴミ拾いや掃除と並行して、増え過ぎた魔物を駆除するのも、私達の仕事だよ」


 なんてこった。七面倒臭いにもほどがある。


「露骨に嫌そうな顔をするね」


「実際嫌なんですからしょうがないです」


「そんなの皆同じだよ。でも、誰かがやらなければいけないことだ」


「! それは……そうなんでしょうけど」


 だからって、別に俺じゃなくてもいいじゃないか――そう言おうとした俺の目に、ふと親方の着ている、薄汚れた作業着が映る。


 過酷な用務の中で色褪せてしまったのか、元々青かったのだろう親方の作業着はほとんど水色に近い色になっている。おまけにあっちこっちが継ぎ接ぎだらけ。


 そんなボロボロの作業着を着て竹ぼうきを肩に担ぐ親方は、さながら傷だらけの鎧兜を身に纏った歴戦の勇士のようにも見えた。


 そう言えば、親方って……。


「……あの、親方はどうして、用務員なんてやっているんですか?」


 俺の唐突な質問に、親方は表情を変えないまま、しばらくの間じっとこっちを見つめていた。


 訊いてはいけないことだったのだろうかと焦る一方で、格好や言動はともかく、外見だけで言えば間違いなく美人の部類に入る彼女に見つめられ、さすがに少しドキッとしてしまう。


「そうだね……」


 やがて親方はおもむろに口を開くと、そのまま後ろを振り返る。


 その視線の先には、天に向かって聳え立つ、あの高い尖塔があった。


「『スープを飲む時、スプーンが無かったらどうするか?』」


「え?」


「さっき、エーレインが言ってたろ? 普段は適当が服を着て歩いているような奴だけどね、あいつはあれで、色々と考えている奴なんだよな」


 親方は土埃で汚れた自分の頬を拭い、何かを懐かしむような、穏やかな表情を浮かべる。


 いつの間にか傾き始めた陽の光を受けて輝くレンガ造りの塔を、彼女はじっと見つめていた。


「この学園で用務員として働くように私に言ってきた時も、あいつは似たようなことを口にしていたよ。あの時のことは、今でも昨日のことのように思い出せる」


「えっ? それじゃあ親方が用務員になったのって、学園長に言われたからなんですか?」


「ん。まぁ、そうだね……何だ? 意外そうな顔だな」


 あのいい加減な学園長の言うことを、親方が素直に聞いたっていうのか? 


 逆ならともかく、それはちょっと考え辛いんだが。


「……親方、学園長に一体どんな弱みを握られているんですか?」


「アホ。脅迫されてやってるわけじゃないよ」


「いてっ」


 至って真剣にそう尋ねた途端に、親方の手刀が飛ぶ。俺の頭頂部に、再び鈍い痛みが走った。


 頭を押さえる俺に構わず、親方は俺の手にあった火ばさみと竹ぼうきを取り上げた。


「もういい。それより、このままお前にゴミ拾いをさせていたら日が暮れてしまう。雑木林の方は今日のところは私が片付けて来るから、お前はグラウンドと倉庫の後片付けだ。まったく、これだけ時間が掛かって一袋分しか集められないとはね。手際が悪過ぎる」


「いやだって、魔物に邪魔されてたし……」


「フン、ヘタレめ」


「ヘタレって言うな! むしろあんな大群を相手にしながら一袋集めただけ御の字でしょ!」


「大袈裟な奴だな。なにが大群だ。少し体がでかいクモが四、五匹いるだけだろうに」


 やれやれといった感じで肩を竦める親方に、俺は食って掛かった。


「四、五匹! 四、五匹だって? 冗談じゃない! ざっと数えただけでも二十匹以上には出くわした! もう本当死ぬかと思いましたよ!」


「……二十匹以上? 本当にそんなに出くわしたのか?」


「本当ですって! どうにか何匹かは退治しましたけど、まぁあの数相手じゃ数匹倒したところで焼け石に水でしたけどね」


「ふむ……そうか」


 俺の話を一通り聞いた親方が一瞬驚きの表情を浮かべ、それから何やら妙に納得したような顔をしながら顎に手を当て、二、三度小さく頷いた。


「親方? どうしたんですか?」


「いや、何でもない。こっちの話だ…………はぁ、『面白い』ってのはこういうことか……」


 親方はフルフルと首を横に振ると、何事かぶつくさと呟きながら再び歩き出した。


 ……って、待て待て待て、話を聞いていなかったのかこの人は?


「あの、大丈夫なんですか? 多分まだうじゃうじゃいますよ、魔物。素人の俺が言うのもなんですけど、あの雑木林の掃除はいささかハード過ぎると思うんですが?」


「おいおい、『リマの町一の実力者』様ともあろう者が、随分と弱気なことを言うもんだね。競技場での威勢はどこに行ったんだ?」


「なっ? なんで親方が競技場での俺の様子を知ってるんですか!」


「私も見ていたからに決まっているだろ? お前とロザラインの魔術戦」


 そ、そう言えば、観客席には学園長以外にも何人か見物人がいた気が……。


「やれやれ。それにしたってお前も馬鹿な奴だ。【炎剣女帝】――今年の入学試験で学年第二位のロザライン相手に、あんな『舐め腐った』戦い方をするなんてな」


 言外に、『専用機』相手に『練習機』で挑むなど舐めている、と言いたいのだろう。


 心底呆れたといった顔で、親方が今度は俺の額を軽く小突く。


「くそっ……にしてもあの金髪お嬢様、そんなに優秀な奴だったのか……」


「ロザライン・トーリー。学園理事会の一人、ケルヴィン・トーリーの娘で、家はかなりのお金持ち。いわゆるお嬢様って奴だ。その上中等部の頃から魔術の扱いに秀でていて、特に炎属性魔術に関してはその才能を遺憾なく発揮していたそうだ」


 親方の人差し指が、俺の眼前に突きつけられる。


「お前も見ただろ? 〈クラウ・ソラス〉――あの巨大な炎剣の魔術を。あれは錬成、指向、強化の三つの型を組み合わせた非常に高度な魔術だ。彼女が【炎剣女帝】と呼ばれる所以だね」


 三つの型の組み合わせ……そんなこと、今まで試そうとしたことさえなかった。


 一度身を以て経験しているとは言え、こうして改めて言葉で説明されると遅ればせながらさすがに実感する。


 ……認めてしまうのは少々癪だが、あいつ、やっぱり凄い奴だったんだな。


 どうやら、ただ偉そうにしていたわけでも無かったらしい。


「まぁ、それを差し引いたとしても、お前は弱いと言わざるを得ない、見事な負けっぷりだったけどね。あれだけ生意気なことを言うんだからもう少しやると思ったんだけど、全然ダメだ。お前は弱い。弱々だ。驚きの弱さだ。アリ以下だ。弱さにおいてお前の右に出る者はいないな」


「そこまで言うか! 確かにロザラインには負けたかも知れないけど、俺はそんなに弱くないです! 俺が弱いんじゃなくて、あいつが俺より少し強かっただけだ!」


「何より、そうやって自分の力を過信しているその性根が、もう充分過ぎるほどに弱者の証だ」


 ぐっ……! 言いたい放題言いやがって……。


 っていうか、親方の毒舌がさっきからどんどん酷くなっていってる気がするんだけど?


 俺が一体何をしたって言うんだ!


 一蹴され、俺が反論出来ず言葉に詰まっている内に、親方は足早に雑木林に向かっていく。


「いらん心配はするな。私が何年、魔術学院の用務員をやってると思っている。少なくとも、お前よりは慣れているし強いつもりだ。だからお前は自分のことだけ心配していろ。倉庫とグラウンドの片付け、私が戻って来るまでには済ませておけよ?」


 それだけ言って、声をかける間もなくさっさと雑木林の中に入って行ってしまった。


「…………畜生」


 一人グラウンドに残された俺のそんな呟きは、風に揺すられる芝生の騒めきにかき消された。

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