第7話

「次はここだ」


 既に疲労困憊の俺とは対照的に息一つ切らしていない親方に連れられてやって来たのは、周りを鬱蒼とした雑木林とそれなりに角度のある土手に囲まれた、広いグラウンドだった。


 実習や模擬戦で使う物と思しき設備が、芝生に覆われたグラウンドの各所に設置されている。


「用務員の仕事には、当然だが学園敷地内の掃除も含まれている。これからは私とお前の二人体制で、この学園の敷地内を全て掃除していく」


「はっ? ちょ、ちょっと待って下さい! 俺達二人だけで、このだだっ広い学園内を全部?」


 思わず諸手を挙げて、頭を振りたい気分になった。


 そんなの無茶だと俺が憤慨すると、親方は落ち着けと言って俺の頭に手刀を食らわしてきた。


 タオルとグローブ越しだというのに、地味に痛い。


「話を最後まで聞け。私は何も一遍にやれと言っている訳じゃない。敷地内の掃除は、一週間かけてやるんだ。学園の敷地を六つに区分けして、一日一区画を片付けていく。今日は月の日だから、このグラウンドと周辺の雑木林の掃除だ」


「そ、そうですか……」


 俺は頭を押さえながら、グラウンド脇の小さな倉庫に向かって歩き出す親方を追いかける。


 倉庫の中には大きな麻袋や竹ぼうき、火ばさみなどが収納されていた。


「さて、グラウンドの方は私がやる。お前は周囲の雑木林のゴミ拾いだ。麻袋が満杯になったら、ここに戻って来て替えの物を使え。三袋分くらい溜まったら、そこで引き上げていい」


「このでかい麻袋三袋分って……そんなにゴミが無かった場合はどうするんですか?」


「そんなことはありえないから心配するな。この区画に一週間でどのくらいゴミが溜まるかは、経験上私が把握している」


 つまり手抜きはすぐバレる、と。


 ……ああ、まったくもって面倒だ。


「……行ってきます」


「ああ。『ゴミ』の掃除、しっかりな」


 どこか含みのある言い方が少し気になったが、親方はさっさとグラウンドに向かっていってしまったので、それ以上訊くことはできなかった。


 今日何度目とも知れない深い溜息を吐き、背中には竹ぼうきを、両手には麻袋と火ばさみを携えて、俺も雑木林へと入って行った。


※ ※ ※


 林というよりは、ちょっとした森の様相を呈している雑木林を徘徊しながら、俺はひたすらゴミを拾っては、それを麻袋に放り込んでいく。


 親方の言っていた通り、よく見れば雑木林の中には結構な数のゴミが落ちていた。


 破けたノートの切れ端や、先が潰れたペン、陶器の破片、割れた瓶、片方だけの長靴。


 外から眺めていた時は全然気付かなかったが……。


「こりゃ酷いな」


 地面に落ちている物が大多数だが、中には茂みに突っ込んでいたり枝に引っ掛かっていたりする物もあって、集めるのに中々骨が折れる。


 何のかので小一時間ほどゴミを拾い続け、そろそろ肩に担がないと運び辛くなるくらい麻袋が重くなってきたところで、俺はその辺にあった座るのに丁度良い塩梅の切り株に腰掛けた。


 両手を支えにしながら上体を傾け、生い茂る枝葉の隙間から覗く、晴れ渡った青空を見上げる。


 風が吹き、そこかしこからザザァ、と木の葉が揺れる音が聞こえて来た。


 ふと、家の近所にあった裏山の景色を思い出す。


 あそこにも、こんな感じの切り株があったっけ。こんな風に空を見上げたことも、何度かあったような気がする。


「『次に帰って来る時は、大魔術士になった時』、か……」


 リマの町を発った時の、皆の期待に満ちた眼差しが脳裏をよぎった。


 今頃あっちでは、俺が無事に合格したと、皆喜んでいる頃だろうか。


 母さんも親父も、そしてマイリも、俺が魔術士への華々しい第一歩を踏み出したと、そう喜んでいる頃だろうか。


 ――親父、母さん、マイリ。お元気ですか? 俺は今、魔術士になる為にやって来た学園で、色々あって用務員をやることになりました……。


「なんて、言えるわけないよなぁ…………ん?」


 なんだか変な疲れがどっと押し寄せて来て、俺は溜息と共に目を瞑る。


 ……その時だった。


 ガサッ、ガサガサガサ、ガササ!


 突然林の向こうの方から、何かが草木を掻き分ける音が聞こえて来た。


「何だ?」


 俺は切り株から素早く立ち上がり、音のする方に振り向いて目を凝らす。


 少し離れた場所にある茂み、その一角が、大きく揺れているのが見えた。


 明らかに風に吹かれた感じの自然の揺れではない。


 あそこに、何か潜んでいるのだろうか?


 と、思った瞬間。


『キシキシキシキシキシキシッッッ!』


 不気味な音と共に、何かが茂みから飛び出して来た。


 それは人間ほどの大きさの、異様に長い脚を軋ませる、全身黒と黄色の水玉模様をした――クモ、だった。


 ガサガサガサガサガサガサガサッ!


 クモは俺の姿を見るや否や、気色悪い八本の脚を巧みに操り、なんとこっちに向かって走って来た。


 全身に鳥肌が立つのを感じ、俺は麻袋と火ばさみを引っ掴むと、一目散に逃げ出した。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ?」


 き、気持ち悪すぎる! 何だあのクモ! 滅茶苦茶でかいし、おまけに素早い!


 走りながら、チラリと背後を振り返ってみる。


『キシキシキシキシッッ!』


「な、なんで追っかけて来るんだよ!」


 時には地面を駆け、時には木から木へ飛び移り、クモはどんどん俺に近づいて来る。


 こっちも必死になって走り続けるが、なにしろ重い麻袋を担いでいるのだ。


 思うようにスピードを出せず、クモとの距離は縮まる一方だ。


 こ、このままじゃ追いつかれる! 


「 ……やるしかない!」


 俺は意を決して振り返り、腰のホルスターから『展開機』を取り出して魔力を集中させる。


 クモはもう目と鼻の先にいた。


 あと数秒と経たず、組み付かれてしまうだろう。


 間に合え、間に合え、間に合え!


『ギシギシギシギシッッ!』


「――〈ラピッドウィンド〉!」


『展開機』をぐっと前方に突き出し、練り上げた魔術を一気に放出させる。


 次の瞬間、緑色の光に包まれた『展開機』から、凄まじい旋風が巻き起こった。


 もう少しで俺の体に脚が届くというところで、クモはその体を宙に浮かされ、次には後方に向かって思いっきり吹き飛ばされる。


 体のあちこちが葉や枝にぶち当たり、最後は一本の木の幹に背中から激突して地面に落ちると、そのままピクリとも動かなくなった。


「はぁ、はぁ、はぁ…………た、倒した、のか?」


 いつでも次弾を撃てるようにしつつ、恐る恐るクモに近づいて、火ばさみで軽く突いてみる。


 クモは全く動く気配がない。


 良かった、ちゃんと息絶えているようだ。


 頭に巻いていたタオルで汗を拭い、ほっと胸を撫で下ろす。


 あーびっくりした。冗談じゃないぞ、まったく。なんでこんな馬鹿でかいクモがいるんだ。


 こんなのがいるんじゃ、とてもゴミ拾いどころじゃないじゃないか。


「……お?」


 突如、俺の横で仰向けになって倒れていたクモが、紫色の靄に包まれ始めた。


 靄は段々と濃くなっていき、やがてクモの体全体を覆うと、「ポワン」という不思議な音と共に掻き消えた。


「あのクモ……『魔物』だったのか」


 既に何も無い空間を見つめながら、俺は呟く。


 魔物――要するに、生物(但し人間は除く)の中でも、何らかの理由で高い魔力を持っている奴。


 そういう奴らのことを、この国では総じて「魔物」と呼ぶ。


 奴らは普通の生物とは見た目も生態も全然違うし、中には危険な特性を持っている個体も存在するらしい。


 とはいえ、別段好んで人間を襲うということも無く、普段は魔力の豊富な洞窟や森の奥などの人里離れた場所に縄張りを作っている為、魔物による人的被害は例年数える程度しか報告されていない。


 こっちが何かしない限りは向こうも何もして来ない、そのぐらいの関係だ。


「けど、そうか。この雑木林、魔物の住処になっていたのか」


 足を踏み入れた時から感じてはいたが、このアーガイル魔術学園の敷地内には、至る所に魔力が豊富に存在している。


 中でもこの雑木林のソレは、より良質なもののようだ。魔物が住み着いてしまっていても、なんら不思議ではない。


 そして、縄張りに侵入した外敵を追い払おうとするのもまた、生物としてごく自然なことだ。道理で俺を追い回して来たわけだ。


 それにしても、学園内に魔物の巣があるっていうのは穏やかじゃないな。生徒がうっかり立ち入ったりしたら大変じゃないか。今までよく問題にならなかったものだ。


 こんなの、誰かが定期的に駆除しない限りどんどん繁殖して、その内森から…………。


 ──誰かが、定期的に、駆除?


 ガサガサガサガサ、ガサガサ、ガササッ!


 そこはかとなく嫌な予感がした瞬間、さっきのような不自然な茂みの揺れが方々で始まった。


 …………そこで俺は理解した。


 別れ際に、親方が言っていた言葉の意味を。


「――『ゴミ』の掃除って、こういうことなのかっ?」


 茂みの中から飛び出して来たクモの大群に、俺は一心不乱に魔術を放ちまくった。

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