第5話
入学式に行く前、俺はモルガンさんに、式が終わり次第「別館」に来るようにと言われていた。
別館は施設案内図を見る限り、本校舎から少し離れた場所にぽつんと建っているらしい。
地図を頼りに、早速学生寮へと向かう大勢の学生達とは反対方向に歩を進め、俺は一人、別館へと通じる石畳の遊歩道を通り抜ける。
しばらく遊歩道を歩いて行くと、やがてレンガ造りの建物が見えてきた。
二階建てくらいの、赤いレンガの建物。壁には所々に植物のツタや蔓が張り付いていて、中々趣がある、というか……。
「ボロいな」
ざっと見渡しただけでも、変色していたり崩れてしまっていたりする箇所がちらほらとあり、この建物がそれなりに古い歴史を有していることを物語っていた。
「失礼しまーす……」
軋む扉を押し開けて中に入り、取り敢えず挨拶してみる。
外見とは裏腹に中は意外と綺麗で、掃除が行き届いている様子だ。
何も返事がないまま数分が経ち、俺がもう一度挨拶をしようと口を開けた時、どこからか扉の開く音がした。
廊下の角から、モルガンさんが姿を現す。
「来たね。まぁ取り敢えず上がりなよ。こっちだ」
相変わらず作業着に身を包み、丈夫そうなグローブに覆われた右手で手招きをしてくるモルガンさん。
言われるまま、俺は彼女の後に付いて行く。
「あの、モルガンさん」
「私のことは『親方』と呼べって言った筈だよ」
即座にそう指摘された。
いや、さっきも思ったけど『親方』って何だよ……。
何やら腑に落ちないが、そう呼ばない限りお前と話すことは無いと言わんばかりの雰囲気なので、大人しく言われた通りにしてみる。
「……親方」
「なんだ、ヒナツ」
今度はちゃんと反応してくれた。
いきなり呼び捨てにされたのには少し驚いたが、どうやらこれで俺の話は聞いて貰えそうだ。
「あの、訊きたいことは山ほどあるんですが、取り敢えずこの建物は何ですか? 本校舎の別館という話ですが、見た感じ授業に使われているようにも見えないし、かといって図書館や魔術実験室のような学園施設にも見えないし」
そもそも人の出入りが頻繁にあるようにも見えないし。
「ここは詰め所だよ」
「詰め所?」
「ああ、学園職員の詰め所。と言っても教授連中はまず使わないし、それ以外の職員も、ほとんどの奴が新設された持ち場ごとの別の建物を使っている。だからここに常駐しているのは私くらいのものだった……昨日まではね」
何か引っかかる言い方をして前を歩いていたモルガンさん改め親方は、ややあって一つの部屋の前で立ち止まった。
部屋の扉には白い文字で「用務員控室」と書かれている。
「この部屋の場所を覚えておきなよ。これから毎日ここに来るんだから。……まぁ、詳しいことはこの扉の向こうにいる奴が説明してくれると思うけどね。さ、入って」
促されて、恐る恐る部屋の中へと進んでいく。
中には六人掛けくらいの木製のテーブルとイス、簡単な調理場、その他最低限の日用品が備わっているだけの手狭な空間が広がっていた。
「スゥゥゥピィィィィ…………え? 名演説? んふふー、いやまぁそれほどでもありますけどぉ……ムニャムニャ…………」
そして…………テーブルに突っ伏し、幸せそうな顔をして眠りこけている学園長がいた。
俺が困惑気味に振り返ると、親方は深く溜息を吐いて近くの壁に立てかけてあったモップを手に取り、ツカツカとテーブルに歩み寄る。
と、唐突にモップの毛先を学園長の鼻に近付けた。
「…………ゔっ! ゴホッ、ゴホッ!」
数秒もしない内に、学園長はがばっと飛び起きて、鼻を押さえながら咳き込み始める。
「うう、臭いわ! 酷いわよ、モルガン! もっと普通に起こして頂戴! そのモップ、昨日ゴミ処理室の床を磨いたやつでしょう? やめてよ、匂いが付いちゃうじゃない!」
「何度も普通に起こそうとした。でもその度に殴られたり蹴られたりしたよ。相変わらずわざとやってるんじゃないかってくらい、見事な寝相の悪さだね」
「うっ? そ、それは……」
「何度も言ってるけど、用務員控室は用務員が控える部屋なんだ。お前が昼寝をする部屋じゃないし、お前がお菓子を食べる部屋でもないし、ましてやお前が仕事の愚痴を言いながらヤケ酒あおる部屋でも断じてない。来るな」
モップの柄をビシっと突き出す親方に、学園長はふてぶてしくも反抗する。
「あ、あらら、そんなこと言って良いのかしら? ほ、ほら、学園長! 私、学園ちょ――」
「次昼寝してたら、今度はこのモップの毛先とお前の髪を、三日間は解けないくらいに絡ませる。なぁに、心配するな。お前の安眠を妨害しないよう、精々慎重にやってやろう」
「ごめんなさいもうしません誠に申し訳ありませんでした許して下さいどうかお慈悲を」
学園長の動きは、俊敏だった。
親方の低い声を聞いた瞬間、一体どこで覚えたのか、俺の故郷に伝わる究極の謝罪法「土下座」を、それはそれは見事なまでの完成度でかましていた。
「わかれば良い」
「う、う、酷いわ……鬼だわ……髪は女の命じゃない」
先ほど数百人の新入生を前に堂々と演説をしていた時の凛々しい雰囲気はどこへやら、さながら母親に叱られた子供のように、学園長は大事そうに髪を撫でながらシュンとなる。
慰めれば良いのか笑えば良いのかわからなかったので、俺は黙って目を逸らしておくことにした。
「ほら、いい加減シャキッとしなよ。彼を連れて来たんだ、居眠りじゃなくて説明をしてくれ」
「へ? あ、ああ! それはご苦労様ね、ありがとう。……そうね、さっきは時間も無かったから、まともな説明も出来なくてごめんなさい、ヒナツ君」
我に返ったらしい学園長が一つ咳払いをして、それから自分の向かい側に座るようにと俺を促した。
言われるままに、俺は席に座る。
どうやらようやく、色々と説明して貰えそうだ。
「では改めて。ヒナツ君、あなたには我が学園に、【用務員生】として入学して貰います」
そう、まずはそれについて聞いておかねばならないだろう。
どうして俺を入学させるのか。そして【用務員生】とは何なのか、という話だ。
俺が難しい顔をしながら口を開こうとすると、学園長が待ったをかける。
「ええ、ええ、わかっているわ、あなたが訊きたいことは。まずはあれよね、何故あなたをこの学園に入学させるのかってこと。でも、これはぶっちゃけ簡単な話よ。今年は中等部から受験した内部生の数に対して、君みたいに外から受験しに来た子の数が多くてね、事前に合格者定数を増やしていたのよ」
そこまで話してから、学園長は「でも」と言って苦笑する。
「蓋を開けてみれば、実際の合格者数を定数が若干上回ってしまったのよね。そこで、残念ながら不合格になってしまった子達の内の何人かに、その余った席を与えようと考えて、その生徒達を私の独だ……職員会議で綿密に話し会って、厳正な精査の下に選ぶことになったの」
……おい、今この人、「私の独断で」って言いかけなかったか?
視線を横にずらすと、親方が眉間を指で押さえながら、首を左右に振っているのが見えた。
「つまり、その学園長の選んだ――」
「『職員会議で選んだ』」
「…………職員会議で選んだ拾い上げの中に、俺も入ったというわけですか?」
「最後の一席だったわ。良かったわね」
不自然なくらいに爽やかな笑顔で、何かを必死に誤魔化そうとしている学園長の説明に、俺は呆れながらも一応頷いた。
「なるほど、経緯はわかりましたよ。で、それがなんで俺へのペナルティになるんですか? 要は『繰り上げ合格』ってことでしょう、それ? この学園に入学して普通に魔術を学ぶっていうのは、俺にとってはなんの――」
「あらあら、『普通に魔術を学ばせてあげる』なんて、一体誰が言ったのかしら?」
俺の言葉を遮った学園長が、途端に悪戯っぽく微笑む。
……なんとなく、嫌な予感がした。
「確かに、君以外の繰り上げ合格者達にとっては、この話は罰でも何でもないかも知れないわね。学園長室に呼び出して、『おめでとう、君は繰り上げよ』って伝えた時の喜び様と言ったらなかったわ。でも、君はただの繰り上げ合格者じゃあない。さっきも言ったけど、君はウチに、【用務員生】として入学するのよ」
学園長の言葉に、ますます嫌な予感がする。
「つまりね、ヒナツ君。ウチに入学させてあげる代わりに、あなたにはこの学園で、用務員として働いてもらうわ」
――大穴の予想は、当たらずとも遠からずだった。
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