第4話

  俺達が住んでいるこの国――アリュバ王国は、大陸北西部の海岸沿いに位置する、それなりにでかい王国だ。


  北と西は海に、東は険しい山脈に、南は広大な砂漠にと四方を大自然に囲まれている、言わば天然の要塞みたいな国だと言う。


  そういった背景もあり、中央王都から広がる東西南北の地域は、それぞれ特色ごとに四つの地域、「クラン」に分けられている。


 北方ボレアスクラン、西方ゼピュロスクラン、南方ノトスクラン。そして俺の故郷がある、東方エウロスクランだ。


 それぞれのクランの中も、またいくつかの「氏族領」によって分けられているそうだが、詳しい話は俺も知らない。


 とにかく、そんな大小様々な氏族領の集まりがクランであり、四つのクランと中心にある王都が一丸となって、他国との戦争や小競り合いなどといったいくつもの苦難を乗り越えてきた。


  そうしてこの国は、長い間それなりに平和な日々を送っていたそうだ。


「──その平穏は三十年前、南方の砂漠からやって来た蛮族達により、一時的とはいえ脅かされました。ノトスクランのほぼ全ての地域が戦火に見舞われたこの『南方戦争』は、我がアリュバ王国に多大な被害をもたらし、その影響は王都にも及んだのです。二十五年の長きに渡り永遠に続くかのように思われた戦いは、しかし、かねてより研究開発や試験運用が重ねられていた『展開機』が完全な物となったことにより、五年前にその終止符を打ちました。魔術の大幅な進歩は戦況を一変させ、その圧倒的な力は砂漠の蛮族達を次々と打ち倒していったのです」


 そこで一旦言葉を切り、学園長は一つ咳払いをする。


「けれども、その爪痕は今でも至る所に残っており、南方復興事業をはじめとした様々な場面で、王都では現在、魔術士の人材不足が度々問題となっています。そんな状況だからこそ、我がアーガイル魔術学園では優秀な魔術士を育成することを――」


 しかし、尚も長々と続く学園長の話は、ほとんど俺の耳に入ることはなかった。


 そんな話よりも、俺にはもっと知りたいことがあった。


 眉根を寄せて、壇上に立つ学園長に視線を向ける俺は現在、真新しい制服に身を包んだ、数百人はいるであろう少年少女の群衆の中にいた。


 場所は講堂。学園の中でも一際大きいこの石造りの建物の中に、期待と不安を織り交ぜたような表情を浮かべる新入生達が、ズラリと並んで座っている。


 そんな彼らの視線を一身に受けて演説をする学園長の頭上では、「第四十五回アーガイル魔術学園 入学式」と書かれた垂れ幕が揺れていた。


 どうして、こんなことになっているんだっけ……?


※ ※ ※


 数十分前――


「わ、わけがわからない! どうしてそうなるんですか?」


 俺はベッドから降り立ち、学園長に詰め寄った。


「あら、嬉しくないの? ウチに入学したかったんでしょ、あなた?」


「そ、そりゃそうですけど! なんでいきなり入学になるんですか! 話が読めなさ過ぎる!」


 あんた何言ってるんだと言わんばかりに捲し立てる俺の言葉を、けれど学園長は柳の如く受け流し、ツカツカとこっちに歩み寄って来て、俺の肩をポンポンと叩く。


「とにかく、学園長室に乗り込んで来て、私と賭けをして、ロザラインに負けて、そして今ここに立っているあなた。そんなあなたを見ていて、私は決めたの。この子を入学させよう、と」


「……どうして、そう決めたんですか?」


「そんなの決まっているじゃない! あなたのことを『面白い』と思ったからよ!」


 ……わからない。全然わからない。


 面白いと思ったから? そんなの、まるで子供みたいな理由じゃないか。


 いや、というか理由にすらなっていないような気がする。


「……そのアホに目を付けられたのは災難だと思うが、同情はしないぞ」


 突如医務室の扉が開き、俺の背後から何者かの声が掛かった。


「ああ、丁度良かったわ、モルガン。これから彼を紹介しに行こうと思っていたところなの。入学式まで時間も無いし、そっちから来てくれて助かったわ」


 肩越しに会話をし始めた学園長につられて、俺も後ろを振り返る。


 立っていたのは作業着風の服装の若い女性。


 少し日焼けした肌と、後ろで一本に縛っている紅色の髪が特徴的なその女性は、医務室に入って来るなりジロジロと俺を眺め回してきた。


「え、えっと、あなたは?」


「『あなた』じゃない、モルガン。そしてこれからはお前の上司。私のことは『親方』と呼べ」


 何が何やらさっぱりわからない俺が「は、はぁ……」と首を傾げると、紅髪の女性――モルガンさんも、俺の真似をするように首を傾げた。


「おい、エーレイン。まだこいつに説明してないのか?」


 モルガンさんの問いに、学園長はそうだったという風にポンと手を打った。


「説明、って何のことですか?」


「ええ、さっき君に言い渡した命令には、ちょっと補足があるのよ。ヒナツ君、君は我が学園に、【用務員生】として入学することを命じます」


 は? 用務員生?


「まぁ、詳しい話は後で後で! 取り敢えず講堂に向かいなさい。そろそろ入学式が始まっちゃうわよ? この日の為に私、三日間も徹夜してスピーチ原稿仕上げてきたのよ! もう死ぬかと思ったわ。これが終わったら、私、好きなだけ寝てやるんだから!」


 言うが早いか、馬鹿みたいに口を開けてぽかんとしている俺を残し、学園長は嵐の如く去って行ってしまった。


※ ※ ※


 そして今、どうも入学を認められたらしいということしかわからないまま、俺は入学式の場に居合わせているというわけだが。


  ……やっぱり、今考えたところで何もわからないな。大人しく式が終わるのを待つしかなさそうだ。


「――そしていつの日か、この学園から巣立った君達が王国を支える優秀な魔術士として活躍することを、心より祈っています。王立アーガイル魔術学園学園長、エーレイン・キルバータ」


 いつの間にか学園長の話が終わったらしい。周りの生徒達が次々と軽い拍手をし始める。


 俺も一応しておいた方が良いかと手を叩きながら壇上を眺めていると、


「あ……」


 学園長と入れ替わるようにして、一人の少女が壇上に上がって来るのが見えた。


 雪のように白い肌、肩の辺りで前下がりに切り揃えられた白銀の髪、スラリとした体形に長いまつ毛が印象的な整った顔立ちの、凛とした雰囲気の美しい少女。


 思わず、声が出てしまった。


「続きまして、新入生代表の挨拶です」


 脇に控えていた進行役の声に、白銀の少女は軽く頭を下げてから、ゆっくりと一歩前に出る。


「……穏やかな春の光が降り注ぐ中、本日、この栄光ある王立アーガイル魔術学園高等部への入学が叶いましたことを、我らがアリュバ王国を見守る神々に、深く感謝致します――」


 ガラスを打つような澄んだ声が広い講堂内に響き渡ると同時に、張り詰めていた講堂の空気が変わったように感じた。


「演説をしている」と言うよりも、「歌を歌っている」と表現した方がより正確であるようにも見える彼女の姿に、皆一様に見蕩れている。


「おい、あの子、滅茶苦茶可愛いくないか?」


「新入生代表って、要するに入学試験の成績トップってことでしょ? 良いなあ、才能もあってその上あんなに美人なんて、反則だよ」


 へぇ、あの子が今年の入学試験のトップなのか。


 確かにあんな美少女が学年トップだなんて反則だ。「天は二物を与えず」なんて教訓もあるが、ひょっとするとあれは嘘かも知れないな。


「…………ん?」


 にわかにざわつき始めた周りの新入生達の話に聞き耳を立てていると、妙なことに気が付いた。


 壇上で演説をする白銀の美少女に見蕩れているのは、どうやら全員ではなかったらしい。


 よくよく観察してみると、惚けたりにやけたりしている生徒に混じって、口を噤んで固い表情をしている者や、何か嫌な物でも見るような目でひそひそと内緒話をし合う者などの姿が見て取れた。


 それも結構な数だ。ざっと見回しても、新入生の約半数がそんな反応をしている。


 どういうことなのかと不思議に思っている内に、演説もそろそろ締めに差し掛かっていた。


「……そして、これからの学園生活を有意義なものとするべく、日々研鑽を積んでいくことをここに誓います。新入生代表、グィネヴィア・ブランシュフロー」


 型通りの言葉にも関わらず、群衆から、先ほど学園長に向けられたものよりも大きな拍手が上がる中、白銀の少女は壇上から下りてスタスタと新入生の列へと戻っていった。


 俺は目を瞑って頭を振る。


 何があるのかは知らないが、俺が気にしても仕方ないことだ。


 大方やっかみとか嫉妬とか、そんな類のことだろう。どこの世界でも、優秀な奴には付き物だ。


 ふと教授陣が座っている席がある場所に目を向けると、学園長が口を尖らせて不機嫌そうにそっぽを向いているのが見えた。


 新入生達の反応の差に、不満たらたらといった様子だ。


 お、大人げない……。本当に子供みたいな人だな、あの学園長は。


「これにて、第四十五回アーガイル魔術学園入学式を閉式とさせて頂きます。新入生の皆さんは教授陣の指示に従って、順番に講堂から退出して下さい」


 ぞろぞろと動き出す人の波に流されるまま、俺も講堂の入り口へと歩いて行った。

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