第28話
次の日も、そのまた次の日も、相変わらず【用務員生】の朝は早い。
日が昇るのと同時に親方に叩き起こされ、宣言通りやって来たネヴィーの朝食を食べ、午前中はひたすら本校舎内の掃除をする。
昼にネヴィーが作ってきた弁当を校舎の屋上で頂き、午後の仕事は魔術ゴミとの格闘から敷地内清掃(高確率で魔物退治含む)やその他依頼で終わる。
こんな具合に、俺の一日の行動パターンが大体決まってきた。
それに伴い、親方は勿論、朝食と昼食を共にするネヴィー、午後の校内清掃中に大体遭遇するイズとトリスタン、という感じで、俺の中での「いつもの面々」もなんとなく定まってきた。
人間とは存外に図太いもので、俺は既にこの生活に慣れ始めている自分がいることを感じ、なんだか複雑な気分だった。
この生活から抜け出そうというのに、慣れてどうするのか。
まぁ、何だかんだ言ってもこの調子なら、俺が一般生徒になるまではこの忙しい日々をどうにか乗り切れそうだ。
決して平穏とは言えないが、そこまで厄介な事態も今のところは無い。
そういうわけなので、強いて一つ気になる点を挙げるとするならば……、
「……だから何なんだよ、このぬいぐるみは」
ここ数日、俺の目の前で起こっている、ちょっとした「怪奇現象」くらいだろうか。
俺はまたまた自室の机の上に置いてあった白ウサギのぬいぐるみを持って部屋を出て、二階廊下のゴミ箱に投げ込んだ。
あの晩。俺が初めてあのぬいぐるみを見つけた、あの晩からだ。
俺が朝起きた時と、夜部屋に帰って来た時、決まってあの白ウサギが部屋の机の上に置かれているのだ。
最初は、親方が間違えて俺の机に置いたという可能性も考えたが、当然親方は知らないと言うし、そもそも俺の部屋には鍵が掛かっているから誰にもそんなことはできない筈だ。
落とし物預り所に持って行っても、処分しても、このぬいぐるみはどういうわけか必ず俺の部屋に戻って来る。
どちらかと言えば余り魑魅魍魎の類を信じないタイプの俺ですら、事ここに至ると流石に不気味に感じざるを得ない。
まさか、本当にそういう……?
じりじりと心に忍び寄って来た恐怖の感情を追い払うように、無造作にベッドに倒れ込む。
だが、やっぱり俺は今晩も、なんとなく机に背を向けて眠りに就いた。
※ ※ ※
翌日の夕方。
今日は学園が管理している野菜畑での雑用依頼が入ったということで、俺は午後の敷地内清掃が終わったのち、学生寮から道を挟んで北側に広がる畑へと足を運んでいた。
学園内の食堂で使われている野菜は、基本的には学園外で作られた物を使っているそうなのだが、一部の食堂と学生寮で出される食事はこの畑の作物で賄われているらしい。
そこまで広い畑でもないので生産数は少ないものの、魔力の豊富な環境で育ったここの作物達の品質は、他所から仕入れた物のソレよりも一段優れているという話だ。
「〈ラピッドアクア〉!」
『ギシャァァァァァ!』
そしてそれは同時に、この豊富な魔力やその影響を受けた作物を狙う「害虫」もいることを意味していた。
――詰まるところ、今日の依頼は畑の害虫駆除という名の魔物退治なのである。
俺の放った水流に吹っ飛ばされ、畑で飛び回っていた虫型の魔物がまた一匹、紫色の靄に変わる。
これで十匹目くらいだろうか。汗を拭って、ざっと畑を見渡してみる。
「ヒナツに群がる害虫は……私が、消す」
「いい調子っスよ、トリスタン! ちょっとした魔物相手なら、もう実戦もいけそうっスね!」
ネヴィーとイズの方もあらかた片付いたらしい。気付けば畑に潜んでいた魔物は全て駆除ないし畑から追い出されていた。
どうやら野菜畑の平和は、これで守られたようだ。
「ふぅ、終わった終わった。二人とも、手伝ってくれて助かったよ」
「いえいえ、礼には及ばないっスよ! 自分もトリスタンも、良い特訓になったっスから」
「気にしないで。私、ヒナツの為なら何だってするし、誰だって消すよ? フフフ!」
余裕そうな顔のイズと笑顔で穏やかじゃないことを言うネヴィーを見ている内に、なんだか魔物の方に同情してしまいそうになった。
ただ魔力や作物を頂こうと飛んできただけで、凍らされたり串刺しにされたりゴーレムにぶん殴られたり叩き潰されたり、とんだ災難だったろう。
「ヒナツ、そっちは終わったのか?」
三人で話していたところに、別の畑での害虫駆除を終わらせた親方も戻って来た。
「はい。結構な数が蔓延っていましたけど、イズとネヴィーのお陰でなんとか」
「そうか。……ふむ、雑木林の時と言い、お前はやはり、魔物に好かれやすい性質らしいな?」
アハハハ…………全然嬉しくないです。
「まぁいい。終わったならさっさと引き上げるぞ。もう空も暗くなり始めた」
親方の言う通り、俺達の影は既に限界まで伸びきっている。道沿いに設置されたランプが灯り、間もなく夜を迎えることを伝えていた。
やれやれ、今日も今日とて過酷な一日だったな。
「お、生徒の皆も続々と寮に帰って来たっスね」
イズが指差す方に目を向けると、グラウンドで魔術の演習をしていたらしい学生達が、ぞろぞろと坂道を登って来る姿が見えた。
皆そのまま流れるようにして学生寮へと入っていく。
と、向こうの何人かの生徒もこちらに気付いたらしく、畑に佇んでいる俺達の姿を時折盗み見ながら、なにやら含み笑いでひそひそやり始めた。
「……おい見ろよ。例の【用務員生】と【氷鏡の戦女神】だぜ」
「それにほら、ウチのクラスのゴーレム女までいるわよ? こんな所で何してるのかしらね」
「ハハッ、やっぱ問題児は問題児同士、気が合うのかねぇ?」
中には、明らかにこっちにも聞こえるほどの声量で喋る奴もいる。
お陰で俺は、俯いたイズに気にするなと声を掛けるのと、今にもここら一体を永久凍土と化さんとする勢いのネヴィーの首根っこを掴むのを、同時進行でやらねばならなかった。
まったく、こっちは疲れているんだから余計な仕事は増やさないで欲しいものだ。
「ほぉ、お前も少しは大人になったようだな?」
親方が感心したという風に顎に手を当てるが、それはちょっと違う。
ただ単に、俺が怒るのに先んじて暴れ出そうとする危ない奴がいるから、逆にこっちが冷静になっているだけなのだ。
……まぁ、結果的にはそれのお陰で気にならなくもなったんだけど。
だが厄介なことに、そんな俺達の姿を見て「言い返すこともできない」などとでも考えたアホもいたらしい。
「……そういやあの【用務員生】って、あの紅髪の用務員の部下なんだってさ」
調子に乗って、しまいには親方の陰口も言い出す始末だ。
「噂じゃ、あの用務員も相当ヤバい奴らしいぞ。とても表には出せない経歴なんだと」
「俺は前科持ちだって聞いたぜ?」
「私は元殺し屋だって……何にしても怖いよね~」
次々と飛び出す突拍子も無い憶測に、つくづく噂や風説に振り回されるのが好きな奴らだ、と、俺は内心鼻で笑いながらも、さすがに少し鬱陶しく思わずにはいられなかった。
だが、当の親方は全く気にも留めていない様子で、毅然とした態度は少しも崩れない。学生たちには一瞥もくれず、黙って野菜畑を後にした。
親方の背中に降りかかる学生達の醜聞は、その傷と埃だらけの作業着を汚すことすら、到底できはしなかった。
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