第20話

「イキモノ小屋」での作業を終え、すっかり夜の帳に包まれた遊歩道を通り抜けて別館に辿り着いた頃には、俺はもうヘトヘトに疲れ果てていた。


 背中がとても痛い。あと腰も。


「お前の寝床は二階、東の角部屋だ。鍵はこれしか無いから落とすなよ。晩飯は控室の食糧庫にあるものから自分で適当に作れ。明日以降は午前からも仕事をして貰う。夜更かしはしても構わんが、私は寝坊する奴には容赦はしないとだけ言っておこう。以上、解散」


 帰って来て早々、矢継ぎ早にそう言うと、親方は用具やグローブを片付けてから再びどこかへと出かけていった。


 今日一日の疲れを微塵も感じさせないフットワークの軽さだ。


「……あの人、絶対人間じゃないだろ。どんな体力してるんだ」


 まぁいい。とにかく今日の仕事はこれで終わりなのだ。


 腹は減ったし体中ダルいし、言われた通りさっさと飯を食って風呂に入って寝てしまおう。明日もどうやら激務のようだしな。


「はぁ、これから毎日こんな生活なんて、冗談じゃないぞまったく……」


 あのアホ学園長め、今に見てろよ? 俺は絶対、こんな泥沼から抜け出してやるからな!


 ブツブツと愚痴をこぼしながら、俺は控室の食糧庫を漁り適当な食材を手に取った。


 なんだか絵面的にコソ泥みたいだな、などと下らないことを考えつつ干し肉とパンとチーズの簡単な夕食を済ませ、置いておいた自分の荷物を持って二階へと上がる。


 廊下に面していくつか扉があり、「洗面所」や「浴室」などと書かれたプレートが付いていた。


「角部屋って言ってたよな……っと、ここだな」


 廊下を突き当りまで歩いていき、プレートも文字もない扉の前で立ち止まって、一つ深呼吸をしてから押し開ける。


 そこには用務員控室と同じぐらいの広さの部屋があった。


 家具らしい家具はベッドと机、掛け時計、姿見、クローゼットくらいという随分と殺風景な部屋だが、一応掃除はしてあるようで特におかしな点はない。


 住み心地は、悪くなさそうだ。


 担いでいた荷物を机に置き、取り敢えず作業着から部屋着に着替えてから、俺はベッドの上で仰向けになった。


 見慣れない天井を眺めながら、今日一日を振り返る。


 不合格者の烙印を押され、服とプライドをズタボロにされ、魔術士どころか用務員をするハメになり、その過酷過ぎる用務で心身ともにすり減らされた。


 まったく散々な一日だった。


「さて、どうしたものか……」


 いっそ最悪と言っても過言ではないこんな状況下にあって、俺はこれから、一体どうすれば良いのだろうか。


 そんな疑問が、頭の中をウロウロと動き回る。


 この学園の俺に対する処遇を改めさせ、きちんと実力に見合った評価をさせる、という当面の目標を定めたまでは良い。


 だがこうして改めて冷静に現状を見つめ返してみると、そうする為には一体何をどうすれば良いのやら、どうにもわからなくなってしまった。


 これで俺がただの繰り上げ合格者だったなら、まだ話は変わっていた筈だ。違うのは肩書きと周囲からの視線くらいのもので、基本的な学生生活は他の生徒と何ら変わりは無いのだ。授業や実習など、俺の実力を見せつける機会には事欠かなかったに違いない。


 しかし悲しいかな、俺はただの繰り上げではなく更に「用務員見習い」という余計な枷まではめられてしまっている。一日の大半をゴミ拾いや掃除に費やさねばならない。そんな機会はまず無いだろう。


 よしんばあったとしても、見せつける相手がゴミや魔物じゃ何にもならない。


「はぁ……どうしたもんかな、本当に」


 ゴロンと寝返りをうって、反対側の壁に掛けられた時計に目をやる。


 カチコチと規則正しく音を鳴らす針は、そろそろ十一時に差し掛かろうかという頃だった。


「ホント、最悪のスタートだな。変な奴らとも、知り、合って……」


 あ、マズい。横になったら、どっと眠気が……。


 鉛のように重くなる瞼を開こうと必死に抵抗するが、既に体は言うことを聞かない。


(……風呂、入らな、い、と……)


 そこまで考えたところで意識は途切れ、俺はそのまま、泥のように眠った。


※ ※ ※


 学園生活二日目。【用務員生】の朝は早い。


「ヒナツ、起きろ。もう日の出だぞ」


 ドンドンドンドンドンドンドン!


「うわっ? 何だ何だ!」


 けたたましく鳴り響くノック(というか打撃)の音で目を覚まし、俺はガバっと飛び起きた。


 どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。部屋の窓からは既に陽の光が差し込んでいる。


「ヒナツ、起きてるか? 起きていないなら三つ数えた後にこの扉を蹴破るぞ。一つ……」


「起きてます! 起きてますよ!」


 寝起きで上手く回らなかった頭が、親方の物騒過ぎるカウントダウンによってフル回転し始める。朝っぱらから穏やかじゃない。


「うんうん。お前はエーレインみたいに寝起きの悪いタイプではなさそうで安心したよ」


「こんな起こし方されたら、誰だって飛び起きますよ!」


「だからお前は世界を知らないと言われるんだ。どっかのアホ女はこれでも起きないんだよ」


 扉越しに親方の盛大な溜息が聴こえる。


 学園長……逆に凄いよ、あんた……。


 ベッドから降り立ち、姿見の前で寝ぐせを直すのもそこそこに俺は部屋の扉を開けた。


「おはよう。よく眠れたか?」


「ええ、つい今しがたまではね」


 上はノースリーブの黒いシャツ、下は作業着というラフな出で立ちの親方と挨拶を交わす。


「……早起きなんですね」


 昨日より露出度の高い格好に若干目を奪われたのを誤魔化すように、俺は顔を逸らした。


「そうでもないよ。私も三十分ほど前に起きたばかりだからな」


 いや、それは充分に早起きだろ。それでなんでそんなシャキッとした顔ができるんだ。


 こっちはまだまだ寝ていたいところだというのに。


「部屋着のままでもいいから、顔を洗ったら下に来い。朝飯にするぞ」


「朝飯って、もしかして親方が作るんですか?」


「ああ。不満か?」


 俺はフルフルと首を横に振った。


 こう言っては失礼かも知れないが、正直料理をするタイプには見えなかったから意外だ。


「心外だな。私だって女だ、料理くらい普通にするよ。むしろ好きなくらいだ」


「あの、当たり前のように心を読むの止めて貰えます?」


「とにかく、さっさと控室に来い。先に行ってるからな」


 はぁ……はいはい行きます、行きますよ。あんたが上司だ。


 階下に向かう親方に続き、俺もいそいそと部屋を出る。


 鍵は……まぁどうせすぐ着替えに戻るし、掛けなくてもいいか。


 そのまま洗面所で顔を洗い、しぶとい寝ぐせとしばらく格闘した後、一階へ。


「お? なんか良い匂いが……」


 控室の扉に手を掛けたところで、バターの焦げる香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。


 ふむ、ベーコンエッグか目玉焼きか。はたまたオムレツという線もある。


「美味そうな匂いですね。今朝はもしかしてオムレツとか……あれ?」


 だが扉の向こうにいた親方は調理場には立っておらず、テーブルの端っこに座っていた。


 何やら不機嫌なような困ったような複雑な顔で、コーヒーを啜っている。


「どうかしたんですか?」


「ああ、ヒナツか……どうもこうもあるか。調理場が占領されている、なんとかしろ」


 お前の所為だからな、と言って、親方は背後の調理場を指差した。


 なんのこっちゃ、と俺もそっちに視線を走らせると――


「…………あ?」


 そこにはいた…………朝の和やかなひと時を、一瞬で凍り付かせる妖怪が。


「……あ! おはよう、ヒナツ!」


 調理場に立っていた妖怪は、俺の姿を認めるや否や満面の笑みでこっちに突進して来た。


 咄嗟に右手を伸ばし、そいつの頭をがっしり掴んでそれ以上の進撃を阻止する。


「えへへ、来ちゃったっ」


 だが妖怪はまったく意に介さない。


 笑顔を崩さないまま、とんでもない膂力で俺の右手を押し返しじりじりとにじり寄って来る。


 畜生、一体どこからそんな力が……。


 というか、なんでそんな満面の笑顔なのに相変わらず目は虚ろなんだよ! 引くわ!


「どうして朝っぱらからお前がここにいるんだよ、ネヴィー!」


「『どうして』って……寂しかったから?」


「そんな理由で来るな! こちとらこれから過酷な用務が控えているんだ! 今はお前の相手に体力を使う余裕は無いんだよ!」


「私、寂し過ぎると死んじゃう」


「ウサギかお前は! すぐバレる嘘を吐くんじゃない!」


「うん、嘘。本当はヒナツに会えないと死んじゃう」


「やかましい! 適当なことばっかり言ってるんじゃない!」


 はぁ……なんだって朝からこんなに疲れなきゃいけないんだ。


 突如湧いて出た妖怪、もといネヴィーを突き放し、俺はがっくりと肩を落とした。

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