第21話

「で、こんな朝早くから何しに来たのかっていうのは、聞いたら答えて貰えるものなのか?」


 ネヴィーとのやり取りで変に汗を掻いてしまい、再び顔を洗いに行ってから控室に戻って来た俺は、調理場で鼻歌交じりに料理に勤しむネヴィーの背中にそう投げ掛けた。


 制服の上にウサギの柄のエプロン、という可愛らしい格好のネヴィーが振り返らずに答える。


「うん! ヒナツに、会いに来た。ついでに朝ご飯も作ってあげようと思ったの」


「なんでだよ。理由を述べろ」


「え? だって昨日約束したよ? 『絶対行くから待っててね』って」



「それは放課後に、湖でって話だ」


「私は『放課後から行く』なんて一言も言ってないもん。……よし、できた!」


 あっけらかんとした顔でそうのたまって、ネヴィーが三人分の料理をテーブルに運んで来た。


 メニューは予想していた通り、オムレツだった。卵の黄色に、ケチャップの赤がよく映える。


「さぁ、召し上がれ!」


 まだまだ言いたいことはあったが、まぁ、折角作ってくれた料理を冷ますのも寝覚めが悪い。


 諸々の文句は一旦保留にして、俺は取り敢えず食べることにした。


「いただきます」


 まずはケチャップの付いていない部分を一口。さて、お味のほどはどうか。


「…………美味い」


「ホント? 良かった!」


 普通に、いや、かなり美味い。


 フワフワに仕上がった卵の甘さと、ほんのり広がるバターの香ばしさが絶妙だ。これだけでも十分美味いが、中には更にチーズを混ぜ込んでいるようで、これがまた更に美味い。


 こいつ、料理もできるのか。ますます反則だろ。


「……ふむ、美味いな。まさかネヴィーにこれほどの腕があるとはね」


 斜向かいでは親方も美味そうに、だがどこか悔しそうにオムレツを口に運んでいた。


「フフフ、嬉しいな」


「ん? 何がだよ?」


「私の料理を食べてくれる人が、また、できたのが。……前は、もう少しいたんだけどな」


 自分の皿にはまだ手を付けず、俺がオムレツを食べるのを微笑ましそうに眺めていたネヴィーが、少しだけ声のトーンを落とす。聞き流すのも憚られて、俺は一旦食事の手を休めた。


「前の……友達とかのことか?」


「うん。結構、評判良かったんだよ? 皆……『美味しいよ』って…………」


 自分で言いながら、自分でシュンとなるネヴィー。


 ……あーもう、鼻歌歌っていたかと思ったら急にしょぼくれたりと、本当に忙しい奴だな。


 俺は止めていたスプーンの動きを再開させ、今度はケチャップの付いている部分を掬い取る。


「あー、わかったわかった。もういいからお前も早く食べろよ。折角、美味いんだからさ」


「…………うんっ、ありがとう。ヒナツは、優しいね」


 俯いていた顔を上げて、ネヴィーが再び嬉しそうに笑った。


 大袈裟な奴だな、と思いながら、掬ったオムレツを頬張ろうとして、俺はふと気付いた。


「あれ? お前、どうしたんだ? その指」


 顔の前で組まれていたネヴィーの指には、絆創膏が数ヵ所に渡り貼られている。


「あ、これ? ううん、別に大したことじゃないよ。どうせ作るならうんと美味しく作ってあげようと思って、それで夢中になってたら、ちょっと火傷しちゃったの」


 絆創膏の上から指を擦りながらちょろっと舌を出すネヴィー。


 おいおい、危なっかしいな。


「でも……心配してくれるんだ? やっぱり、ヒナツは優しいね」


「……そんなんじゃない」


 クスクスと笑い掛けてくるネヴィーに、俺はぶっきらぼうにそう返すしかなかった。


 くそ、こいつと話していると、どうも調子が狂ってしまうきらいがあるな。

 

 内心そんなことを考えつつ、俺はオムレツを口にねじ込んだ。


 うん、やっぱりオムレツはケチャップがあると美味さ倍増…………ん?


「どうしたの、ヒナツ? ……やっぱり、あんまり美味しくなかった?」


 俺の様子を正面からジーッと見つめていたネヴィーが、不安そうに小首を傾げる。


「いや、美味いことには変わりないんだけど、なんかちょっと、変な味がした気が……」


 作って貰っている分際で文句を言うのも気が引けたので、俺は遠慮がちにそう告げる。


けれどネヴィーは不機嫌な素振りを見せるどころか、何故か嬉しそうに目を細めた。


「……フフフ、『愛情』たっぷり込めたから、ね」


「愛情?」


「うん、『愛情』! 料理を美味しくする、一番の調味料だよ」


「ああ、よく言うな、それ」


 まぁいいや。別にそこまで気になるほどでもないしな。


 スプーンの背でケチャップを延ばしながら、俺はオムレツを平らげていった。


 しかしなるほど。いわゆる「愛情」という調味料は、どうにも鉄臭い味がするらしい。


  ※  ※  ※


 午前七時。用務員にとってはいつも通りの、俺にとっては初の午前の仕事が始まった。


「授業の準備があるから」と言って、まるで今生の別れでもあるかの如くやたら悲しそうな顔をしながら寮に帰って行ったネヴィーを見送ったのち、俺達が向かったのは学園本校舎。


まだ授業が始まっていない為か、学生の姿はほとんど見えない。


「午前は校内清掃と、ゴミの回収や設備点検などの雑務が主な仕事だ。清掃は教授や学生達の邪魔にならないよう授業時間中に、ゴミの回収やその他雑務は授業間休憩などで行う。お前は高等部校舎を担当しろ。午後二時半頃に校舎前広場に集合だ。さぁ、行け」


 そんな親方のお達しの下、俺は静かな校舎内を徘徊し始めた。


 まずは廊下や壁の拭き掃除。この学園における本校舎とは、厳密に言えば一つではない。主に高等部の教室がある通称赤レンガ棟と、中等部の教室がある通称白レンガ棟。そして教授陣の研究室や職員室などがある通称黒レンガ棟。この三棟の総称を、本校舎と呼ぶそうだ。


 その三階建ての広い校舎の廊下や壁を、雑巾とモップでひたすら磨いていく。


 そして掃除開始から一時間弱、まだ赤レンガ棟一階部分の半分が終わっただけだが、俺は既にへこたれていた。


 床を拭き、壁を拭き、モップと雑巾を洗って、ゴミを集めて一ヵ所にまとめる。この作業工程をあと五回だ。今すぐモップをへし折りたい衝動に駆られる。


 しかしサボるわけにもいかない。掃除が始まる前、俺は絶対にどこかで手を抜いてやろうと密かに画策していたのだが、別れる前に親方に「後で隅々まで確認する」と言われてしまったのだ。


 サボりや手抜きがバレれば最後、俺の頭が豚の預金箱と同じ末路を辿ること請け合いだ。


 やるしか、ないのだ…………。


 挫けそうになる心を強引に奮い立たせ、俺は再びモップを手に次の廊下へと向かった。


「おはよう~」


「おはよう、今日から新学期だね!」


 いつの間にか登校時間になっていたようだ。校舎の一階入り口から、続々と学生が入って来て、掃除をしている俺の横を通り過ぎていく。にわかに校舎内が賑やかになった。


「よう! 俺達、また同じクラスだってよ」


「担任の教授誰だろう?」


 親し気な会話が飛び交いながら、俺のすぐそばを流れていく人の波。


 しかし、その群衆の中で俺の方に目を向ける者は一人もいない。文字通り目もくれず、まるで俺の姿なんか見えていないと言わんばかりだ。別に注目されても迷惑だしいいけれど、流石に少し気分が悪くなった。


 まったく癪に障る。


お前らが今何も考えずに踏みつけているその床は、馬鹿みたいな顔で寄りかかっているその壁は、一体誰が掃除したと思っているんだ。なにをさも当たり前みたいな態度をしているんだ。「僕達私達学生の為に用務員が掃除をするのは当然」ってわけかよ?


 ふとそんな風に怒鳴り散らしてやろうとも思ったが……止めた。


 ここでそんなこと言ったって、仕方ない。どうせ笑われるか無視されるのがオチだ。


「ったく、なんでこんな奴らの為に俺が……」


 ……でも、でももし俺が最初から「向こう側」だったら、違う対応ができていただろうか?


 例えばどんな言葉でもいいから、感謝や労いの一つくらい、言えただろうか?


「…………鐘だ」


 どこからともなく荘厳な鐘の音が響いて来た。一時限目の授業が始まる合図だ。


 うろついていた生徒達がワラワラと教室に入っていき、やがて廊下には俺一人だけになった。


「……畜生」


 床に吐き捨てたその言葉ごと拭き取るように、俺が再びモップを押し出した、その時。


「うわぁぁ! 寝坊したぁぁ! ヤバいっス! 初日から遅刻はさすがにヤバいっスよぉぉ!」


 聞き覚えのある叫び声と共に、一人の女子生徒が校舎に飛び込んで来た。


 栗色の髪を振り乱し、半泣きで頭を抱えて騒ぐのは、昨日とは違い制服姿に身を包んだイズだった。意外と似合っていて可愛らしいのがなんとなくムカつく。ゴーレム馬鹿のくせに。


「……何をやってるんだお前は」


「ふぇ? あ、ヒナツ君! おはようございまス!」


 俺が声を掛けると、イズがぶんぶんと手を振ってきた。


「おお! 廊下のお掃除中っスか? いやぁ、朝から精が出るっスね! お疲れ様っス!」


「そっちは朝から騒がしいな。それに初日から重役出勤とは、お前も肝が据わってるよな」


「はっ! そうだった! 只今絶賛遅刻中だったっスよ!」


 イズは挨拶もそこそこに、教室目指して再び走り出した。俺は遠ざかる背中に声を掛ける。


「おい、慌ててすっ転ぶんじゃないぞー」


「ありがとうございまス! ヒナツ君も、大変だと思うけどお掃除頑張って下さいっスー!」


 振り返りながらそう言って、早速転びそうになっているイズを見送り、


「やれやれ…………お疲れ様、か」


 三度モップを押し出しながら、俺は無意識にそう呟いていた。

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