第12話
同じだ。
昼間に競技場で見た光景とまったく同じだった。
あの時も、俺はこんな風になす術なく立ち尽くしていたんだ……。
「…………くっ!」
こうなってしまっては最早逃げるほかない、と脱兎の如く駆け出そうとした俺を、
「──大丈夫だよ」
けれどネヴィーが、至って冷静な声音でやんわりと止める。
「冗談じゃない! この状況の、一体どこが大丈夫なんだ! 馬鹿なこと言ってないで、お前もほら、早いとこ逃げろ! 『気付いたらベッドの上』っていうのはそう良いものでもないぞ!」
「む! 『お前』じゃなくて『ネヴィー』って呼んで欲しいんだけどな……」
「ええっ? おまっ……お前! 今はそんなこと言ってる場合じゃないだろうに!」
頬をぷくっと膨らませ、少し不機嫌そうな顔をするネヴィー。
緊張感などはそこらのゴミ箱にでも捨てましたと言わんばかりのその態度に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「むー、また『お前』って言った……そんなに慌てなくても大丈夫だって」
「だから何がむごがっ!」
「っと、ほら来たよ。まぁ見てて。――〈ニトクリス〉」
ネヴィーの左手が唐突に俺の口を塞ぐ。
驚いて口をもごもごさせる俺をよそにネヴィーは小さく何事かを呟き、次には宙に向かって右手を突き出した。
その手には、銀細工の施された透明な杖のような物が握られている。
すると、さっきまで俺達の目の前にあった円形の氷壁がいきなり消え、今度は俺達の頭上、丁度振り下ろされる炎剣の行く手を阻む位置に現れた。
…………まさか、あんなもので受け止めようって言うのか?
動揺も束の間、大気を切り裂きながら迫り来る炎の大剣が、夕陽に照らされ宝石の様に煌く氷の壁と激突した。
案の定、氷壁は音を立てて真っ二つに――
「…………え?」
――なると思っていた俺は、思わず自分の目を疑った。
氷壁と衝突した炎剣は、次の瞬間、なんとそのまま飲み込まれるようにして氷壁の中へと消えていった。
貫通したわけではない。文字通り『飲み込まれた』のだ。
これは、一体……?
「ね? 大丈夫でしょ?」
「だ、大丈夫って、お前一体何をしたんだ? あの氷の魔術は何だ?」
「〈ニトクリス〉――なんでもかんでも飲み込んじゃう、『魔法の鏡』だよ」
「魔法の、鏡……」
あれだけの衝撃を受けて傷の一つも付いていない氷壁を見上げ、俺は嘆息した。
確かロザラインのあの魔術、〈クラウ・ソラス〉と言ったか? あれは強化、錬成、指向の三つの型を組み合わせたかなり高度な魔術という話だ。
それをあっさり完封してしまった辺り、あの『魔法の鏡』とやらもまた然り、ということなんだろうか。
「いや、そうか……よく考えてみればお前は」
「ネ、ヴィ、イ!」
「……ネヴィーは、今年の首席合格者だったな」
語気を強めながらにじり寄って来るネヴィーに気圧されつつ、俺は溜息を吐く。
確かに、ロザラインの魔術の腕はかなりのものだ。 親方の言う通り、この学園の中でも、彼女と渡り合える生徒はそう多くはいないのだろう。
だがネヴィーは今年の首席合格者、つまりは現時点での学年トップだ。ロザラインと同等以上の実力を備えていたとて、何ら不思議はない。
「まったく、相変わらず忌々しくて腹立たしいですわね。その氷の鏡も、あなたも。いつもいつも、このわたくしの一歩先を行ってはそうして取り澄ました顔をする、実に不愉快ですわ」
上空に浮かぶ氷の鏡を、ロザラインが鬱陶しそうに見上げた。
「ねぇ、私、君の役に立てた? 立てたでしょ? 立てたよね?」
「ちょっと! わたくしを無視するとはどういう了見でして!」
が、彼女のそんな恨み節は綺麗に聞き流し、ネヴィーが俺に期待の眼差しを向けてくる。
……な、なんだこいつ、さっきから随分と馴れ馴れしい奴だな。
というか、何か話しているんだからちょっとは聞いてやれよ……なんだか段々とあのお嬢様が不憫にすら思えてきたぞ。今日だけで何回叫んだことか。いい加減、彼女の喉が心配だ。
さすがに少しいたたまれなくなり、何気なくロザラインの方に視線を向けると――なんとお嬢様は扇子に魔力を込め始めているではありませんか!
「……ホホ、オホホ……もう良いですわ。やはりあなたには、口よりも魔術で言って聞かせるしかありませんわね。次はもっと激しい炎を燃え上がらせて見せますわ。わたくしのこの――抑え難い怒りのような炎を!」
完全に堪忍袋の緒がブチっといったらしい。
ロザラインが再び扇子を構える。さっきよりも魔力の練り上げに時間を要していることが、次に打ち出される魔術の強大さを物語っていた。
対するネヴィーも再び杖を構え、最前よりも高度な魔術を放つべく、膨大な魔力を集中させていた。いっそ冷徹と言ってもいいほど冷ややかな空色の瞳が、ほんの少しだけ大きくなる。
一触即発。
学年一位と学年二位の、おそらく本気の魔術勝負。
少しでも突けば爆発してしまいそうに張り詰めた空気の中、俺を含めた周囲の生徒達は固唾を飲んで二人を見守っていた。
数秒後、二人の『展開機』がほぼ同時に光を帯び始めた。
…………始まるっ!
「――掃除の邪魔だ」
次の瞬間、夕焼け色に染まるグラウンドに出現したのは、業火を纏う巨剣でも、凍てつく氷の鏡でもなく……なんの変哲もない、麻袋だった。
放り投げられたそれが、丁度向かい合っていた両者の真ん中辺りにドサッと落ちる。
「お、親方?」
麻袋が飛んで来た方に視線を走らせると、そこには親方がいた。
グラウンドを見下ろす格好で、土手の上に腕を組んで立っている。
「悪いけど、そこはさっき綺麗に掃除したばかりなんだ。あまり派手に汚すのは――止めろ」
思わず竦み上がってしまいそうなほど低い声で、親方は静かにそう言った。
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