第46話

 一連の騒動は幕を閉じた。


 事件の首謀者と認められたトーリー氏は理事会によって徹底的に身辺調査がなされ、ドネルをはじめ「協力者」達からの証言で、これまでの悪行が芋づる式に発覚。


 ケルヴィン・トーリーの名前は、理事会の椅子から消えることとなった。


 直接の実行犯だったロザラインの方はというと、トーリー氏から半ば強要されていた事実がわかったことなどから、学園長の『デキる女の粋な計らい』とやらで、しばらくの自宅謹慎という形に落ち着いたようだ。


 彼女に気持ちの整理をさせる為の時間、でもあるらしい。


 俺やネヴィー、イズや親方も、事件の事情聴取や後片付けなど――甚だ解せないが、俺は半壊した講堂の修繕作業に連日連夜駆り出された――で、しばらくは忙しない日々を送っていた。


 ──そして二週間ほどが経った頃。


 またまた休みにも関わらず、俺は学園長に呼び出されていた。


「今日の午後、私が主導で学園前広場の大掃除をするのよ。何人かボランティアを募集しているから、是非参加して頂戴。あなた、今日の午後は暇よね?」


「あのですね! 俺が今日暇なのは、偶の休日だからなんですが?」


「そんなつれないこと言わないで頂戴よぅ。折角良い話も持って来てあげたのに」


「は? 良い話?」


 俺が訊き返すと、学園長が含み笑いで机の上に両手を組み、咳払いをしてから俺に告げた。


「ヒナツ・ウィルムトー君。あなたには、【用務員生】から一般生徒への転入権が与えられます」


「……!」


 青天の霹靂、とは正にこのことだろう。


 あまりの驚きに、一瞬声の出し方を忘れてしまった。


 一般生徒への、転入? 


 そ、それってつまり、この泥臭くて汗臭くて、毎日が過酷な用務の連続なのに休日もなんだかんだ休めない、この辛い用務員生活から脱却できる、ってことか⁉


「ど、どうして急に、そんな話が?」


「ほら、この間の暴走事件の時、あなたの戦いが事件解決の一翼を担ったじゃない? あの時のあなたの実力が教授陣の何人かに認められてね。職員会議で、あなたをちゃんと一魔術学園生として認めてあげてはどうか? ってことになったのよ」


 言って、学園長が席を立つ。


「既にあなたの席は用意されているわ。転入するなら明日からにでもそうできるわよ?」


 どうする? と言って、学園長が少し意地の悪い笑顔を浮かべた。


「良かったわね、ヒナツ君! これでやっと、あなたが散々嫌がっていた【用務員生】という肩書きと、おさらばできるわね! 故郷に送る手紙も、筆が進むんじゃないかしら?」


 そうですね、と俺が即答できないのは、学園長もちゃんとわかっていたらしい。


 意地悪な表情はすぐに引っ込み、申し訳なさそうに呟いた。


「……ごめんなさい、少し意地悪な言い方だったわね。まぁ、決めるのはあなた自身だからね。あぁ、でも手続きの関係上、できれば今日中にはどうするか決めて欲しいわ」


「今日中って……随分と急ですね、また」


「悪いとは思ってるわ。でもなるべく早く決めないと、授業進度とかクラス人数の変更とか、細かい部分で色々と不便なのよ。だから、そうねぇ……」


 しばし物思いに耽っていた学園長が、また、何か悪戯を思いついたように笑って言った。


「――今日の午後、校門前広場に来た時の服装を、あなたの答えということにするわね」


 ※ ※ ※


 学園長室からの帰り道、俺は悶々とした気分で、朝の中庭を通り抜けていた。


「転入、ね……」


 それはあの日、俺が学園前広場で校門をよじ登り、紆余曲折を経て【用務員生】になったあの日からの、俺の一番の目標だった。


 それが今、ようやく達成できるというのだ。


 迷うことなんか、本当はない筈だ。


 願っても無い申し出だ。


 首を縦に振る以外、ありえない。


「なのに……なーんで迷ってるんだろうな、俺……」


 中庭を抜け、本校舎前広場へ。丁度何人かの学生が、道沿いの芝生やベンチで談笑していた。


「……おい、見ろよ。【用務員生】だ」


「……相変わらず汚い格好で、休日もお仕事かしら?」


「……惨めだよなぁ。俺だったら絶対あんなの御免だね」


 学生達は俺の姿を認めるや、お喋りの内容を俺への陰口へと変えた。


 だが、こんなのはもう慣れっこだ。


 今までも散々そうされてきた。


 散々、馬鹿にされてきたんだ。


 でも、実際彼らの言う通りだ。【用務員生】なんてロクなもんじゃない。


 魔術学園生とは名ばかりで、授業も受けられない、実質ただの雑用だ。


 頼まれたってやらない方が本当だ。


 止められるのなら、止めるべきなのが……本当だ。


「――およしなさい、みっともない」


 出し抜けに響いた甲高い声に、俺を含めたその場の全員がそちらに顔を向けた。


「用務員だからという理由だけで自分達より格下だと決めつけていると、あなた達、いつか彼に足元をすくわれますわよ? 良く知りもしないくせに、見た目や噂だけで彼を侮辱することは、この【炎剣女帝】――ロザライン・トーリーが許しませんわ! よく覚えておきなさいな!」


 お気に入りの赤い扇子をびしりと前方に向け、堂々とそう宣言するロザライン。


 彼女の言葉に気圧されて、広場にいた学生達はばつの悪そうな顔を浮かべて俯いてしまった。


「お前…………こりゃ一体、どういう風の吹き回しだ?」


 俺が溜息交じりにそう言うと、ロザラインは少し不機嫌そうにそっぽを向き、


「フ、フンッ! 大した意味はありませんわっ。ただ、件の暴走事件の時には、い、色々と助けて頂きましたし? その借りを、返しているだけでしてよ! そ、それだけですわっ!」


 それからほんのり頬を赤くすると、「ごきげんよう!」と言って逃げるように去っていった。


 やれやれ、相変わらず癖の強いお嬢様だな……まぁ、あいつもすっかりいつもの調子に戻ったようで、何よりだ。


 俺は遠ざかる彼女の背中を尻目に、再び歩き出した。


 と……、


「──そうだそうだ! 気にすんな! 【用務員生】!」


 広場にいた何人かの学生が、にわかに俺に向かって手を振り始めた。


「クレイマン達相手の大立ち回り、凄かったぜ! 胸を張れ、【用務員生】!」


「そうだよ! それに暴走事件の時だけじゃない。いつも私達の為に、お掃除やゴミ拾い頑張ってくれているじゃない! 本当に、いつもありがとう!」


 一人、また一人と、そんな励ましの言葉が飛んでくる。


「…………お、おいおい、何だよ、これ」


 段々と、段々と、胸の中に、何か熱いものが込み上げてきた。


 だから、俺はそういうのは……、


「――お前の頑張りは、見ている奴はちゃんと見ているからな!」


 瞬間、全身にありったけの力を込めた。


 歯を食いしばった。


 拳を握り締めた。


 目を見開いた。


 …………だって、そうでもしないと俺は、今にも泣いてしまいそうだったから。


 見開いた目で、周りを見回す。


 握り締めた拳で、胸に手を当てる。


 ……ああ、そうか。


 この光景を、この喜びを……清々しいほどの、この感動を手に入れられたのは…………。


「……まったく、勘弁してくれよ」


 小さな、本当に小さな、けれど確かに俺という「影の存在」に差したその「光」の中を歩きながら、俺は心底……、


 …………途方に暮れてしまっていた。


 ※ ※ ※


 遠目に見えるだけでも、案の定、学園前広場にはいつもの面々しかいなかった。


「学園長め、また適当な嘘を吐きやがって」などと愚痴を言いつつ、俺はつかつかと広場まで歩いて行った。近付くにつれ、皆の話し声が聞こえて来る。


「ヒナツ……遅いな」


「私が出る時は、後から行くと言っていたが……どこかでサボってるんじゃないだろうな?」


「……まさか、誰か私の知らない女と…………」


「さ、寒っ! お、落ち着くっスよネヴィーさん! 自分、また凍っちゃうっス!」


「まぁまぁ、彼にも色々と心の準備が必要なんでしょう。もう少し待ってあげましょ!」


「はぁ……にしても、ヒナツ君、一体どっちを選ぶんスかねぇ?」


「それはヒナツ君のみぞ知るって感じだけど……モルガンは? ねぇモルガンはどう思う?」


「な、なんで私に聞くんだ?」


「えぇ~? だってぇ、もし彼が用務員辞めちゃったら、あなたは寂しいんじゃないのぉ?」


「し、知らん! そんなこと、あるわけないだろ! 私は、別に……」


「んん? 聞こえないわねぇ? なんでそんな小声になっちゃうのかな――」


「引っこ抜くぞ?」


「止めて止めて! 髪を引っ張らないで頂戴! ごめんなさい、悪かったわよぅ!」


 はぁ……何をやってるんだあいつらは。


 相変わらず、変てこな奴ばっかりだ。


 無性に引き返したくなる気持ちをぐっと堪えて、俺はおもむろに片手を挙げて声を掛けた。


「お待たせしました」


 全員の目が、同時に俺の方を向く。


 ──正確には、俺の服装に、だが。


「……そう。それが、君の答えなのね」


「そうか……まぁ、お前がそう決めたのなら、私は何も言わん」


 学園長が静かに目を瞑って、次いで親方もぶっきらぼうに腕を組んだ。


「……ヒナツ君、決めたんスね」


 イズも複雑な面持ちで、トリスタンと共に俺を見上げて来る。


 そして――――


「私はどんなヒナツとでも、変わらずそばにいるよ。でも本当に……」


 ネヴィーが真っ直ぐ俺を見て、俺の右手を自分の両手で優しく包み込み、問い掛けてくる。


「本当に……で良いんだね?」


「ハハハ、そうだなぁ……まぁ……」


 いつになく真面目な顔をした皆に見つめられ。


 俺は苦笑しながら。


 不承不承といった感じで。


 それでもそれなりに満足そうに。


 はっきりと、こう言ったのだった。



「――朝が早いのは、辛いけどな」

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