第37話

 確かに俺は、とても嫌だった。


 冗談じゃないと思った。


 魔術士を目指してこの学園に来たのに、なんで用務員なんかやらなければいけないんだと思った。


 何故、同じく魔術士を目指す者同士である筈の者達に蔑まれてまで、そいつらの為にこんなことをしなければいけないのかと。


 その思いは、正直な話、まだ俺の心の中にある。


 ――けれど、今はそれだけでもない。


【用務員生】になって、色々なことを経験した。


 ネヴィーやイズ、親方、イキモノ小屋のおやっさんやクラネスさんをはじめ、学園の『裏方』の人々。


 色々な人と出会った。


『学生』という光を支える為の、『用務員』という影の存在がいること。


 そんな影の中に身を置かれたとしても、ただそれを嘆くだけが道では無いということ。


 何より、今までは見向きもしなかった自分自身の『弱さ』。


そしてそれと向き合った先にあった――自分自身の『可能性』。


【用務員生】になっていなければわからなかった、色々なことを――『学ぶ』ことができた。


 妙な話だが、【用務員生】になって良かったのかもしれないと思う気持ちも、今の俺には確かにあるのだ。


「……半分半分、って感じですかね」


 たっぷりと溜めてから口に出した俺のそんな答えに、学園長は満足そうに目を細めた。


「……今の君になら、もうわかるんじゃない? あの時私がした『質問』の意味が、ね?」


「『スープを飲む時にスプーンが無かったらどうするか?』……ってやつですか?」


「そう、それ」


 学園長が愉快そうに微笑むのに比例して、俺の心が不愉快の色で染め上げられていく。


 はぁ……今になって思えば、あの時から既に、全部見透かされていたってわけか。


「……スプーンが無かったら、スプーンを調達してくるだけじゃなく『そのまま皿から飲む』のもまた方法の一つ。俺が魔術士になる為には、何も普通の学生になるだけが方法じゃない。要は『手段は一つじゃない』ってこと、だったんでしょ? 考えてみれば、単純な話でしたね」


 素直に答えるのは少しだけ癪だったので、俺は苦々しさが八割を占める苦笑いをしながら、精々何でもないことのようにそう強がってみせた。


「はい、大正解! 良くできました! ご褒美に、あなたにはこの飲みかけをあげるわ」


 ……まぁ、その強がりも学園長にはあまり効果は無かったが。


「いりませんよ。もう酔っ払ったんですか?」


「んもう、ノリが悪いわね。まぁいいわ。それにしても……強力な魔術を扱う天才少女に、ゴーレムに関してプロ顔負けの才能を持つ少女、そして《ワンドレス》魔術を使う少年、ね……」


「学園長?」


「フフ、まぁこれくらいのカードがあれば……充分、分が良い『賭け』にはなるかしらね?」


 不意に悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて何かブツブツと言っていた学園長が、瓶に残っていた酒を一気にあおり、プハッ、と息を吐いて立ち上がった。


「よしっ、皆、注目して頂戴!」


 学園長の一声に、俺を含めた全員がそちらに顔を向けた。


 ネヴィーもイズも何事なのかときょとんとしている中、親方だけは何やら訳知り顔で腕を組んでいる。


「あなた達、来週の太陽の日に講堂で行われる、『新入生歓迎ゼミ紹介』は知ってるわよね?」


 イズが頷き、ネヴィーもコクコクと首を縦に振る。逆に、俺は眉をひそめて小首を傾げた。



「なぁ、ネヴィー。『新入生歓迎ゼミ紹介』って何だ?」


 小声で隣に尋ねると、ネヴィーがそっと耳打ちしてくる。


「えと、中等部新入生と、高等部新入生の為に開かれる、学園の各ゼミの説明会だよ」


「お、おう、そうか。『ゼミ』っていうのは何のことだ?」


「簡単に言えば、『研究室』だよ。授業の中で興味を持った分野を更に研究したい人が、その分野のゼミに入ることが多い、かな。『魔術薬学ゼミ』とか『魔術史ゼミ』とか、色々あるみたい」


「な、なるほどな。ありがとう。参考になったよ」


 耳にかかるネヴィーの吐息がむず痒くて若干気が散ってしまったが、大体はわかった。


 要するに、授業もまともに受けられていない俺にはあまり関係無い行事ということか。


「知っての通り、このゼミ紹介は自由参加制なんだけど、毎年新入生の半数は顔を出すそれなりに大きな行事よ。必然、各ゼミが説明に使う道具の搬入や座席誘導の為の会場スタッフなんかもそれなりに必要なんだけど、例年その役割を生徒の中からボランティアとして募集しているの。そこで今回、私はそのボランティアを、あなた達三人にもお願いしたいと思っているわ」


「はい、二つ質問が」


「聞きましょう」


 学園長からの許可を得て、俺は右手を挙げたまま発言する。


「じゃあ一つ目です。そのボランティアって、つまり当日の運営補佐ってことですよね? そういうのって普通、教授とかの仕事だと思うんですけど。学生だけに任せてもいいんですか?」


「うーん、それを言われると弱いんだけど……ほら、その、魔術学園の教授達って、教授であると同時に、いやそれ以前に『自分は魔術を探求する者だ』って自覚が強いのよ。だから……」


「そんな雑務をしている暇があったら少しでも自分の研究をしたい、と考える奴が多いんだよ。当日に顔を出すとすれば、良いとこエーレインと、そのお付きが二人くらいだろうね」


 言い渋る学園長の言葉を引き継いで、親方がズバッと核心を突いた。


 なんて身勝手な。ま、そんなことだろうとは思っていたし、それについてとやかく言うつもりもないけど。


 学生の自主性を重んじる為云々とでも言われてしまえば、それまでだろうしな。


「なんか自分、ここ最近学園の裏事情にかなり詳しくなった気がするっスよ……」


「別に嬉しくはないけどな……えっと、それじゃあ二つ目。そのボランティアはまぁ学生でやるものとして、それを任せるには俺達――特にネヴィーでは、少々目立ち過ぎませんか?」


 複雑な面持ちのイズにそう言って、俺は質問を本命の二つ目に移した。


 言わんとしていることは汲んだのか、全てわかっているとばかりに学園長は大きく頷く。


「その点は問題無いわ。あなた達には座席誘導みたいな表の仕事じゃなくて、搬入なんかの裏方の仕事をして貰うつもりだから、あなた達が心配しているような事態にはならないはずよ」


 そこは安心して頂戴、と言って、学園長がもう一度俺達を見回した。


「さて、どうする? 勿論、あなた達も新入生なんだし、当日は参加者に回ってもいいけど」


「どうするんだ? お前らは」


 学園長に倣うようにして、俺もネヴィーとイズを交互に見やる。


「『お前らは』って、ヒナツ君はもう決めてるんスか?」


「……『決まってる』んだよ」


 溜息と共にそうぼやくと、背中から「当然だ」という親方の声が飛んだ。


「学園行事に関する雑務の依頼も、私達用務員の仕事の範疇。勿論、ヒナツは強制参加だ」


「あ、アハハ……ヒナツ君も本当に大変っスねぇ」


「手伝うよっ。ヒナツがやるなら、私、何でもするっ。絶対やるっ……!」


「はいはい、ありがとう、ネヴィー。わかったから落ち着こうな。で、イズはどうする?」


 俺の雑な対応にも何故か頬を緩めるネヴィーを横目に、イズも快く首肯する。


「自分も構わないっスよ。どうせ入りたいゼミも無いし、そもそも参加したところで、説明の途中で寝ちゃうのがオチっスからね! 十回は座席から転げ落ちる自信があるっスよ!」


 そんな自信満々に言うことでもないだろ、と俺が突っ込みを入れたところで、学園長がうんうんと頷き、パンと手を合わせて場を締める。話はまとまったとみなしたようだ。


「全員、参加ってことで良いわね。はい決まり! それじゃ皆、来週はお願いね?」


 やれやれ、今度の休みも、俺はやっぱり休めそうにはないらしい……。


 休憩を終えて再び特訓へと戻りつつ、俺は少しだけ、休日という言葉への信用を捨てた。

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