第24話
「あの狸ジジイか。私もあいつは大嫌いだな」
「自分もっス! 少しでも気に入らない生徒は皆『出来損ない』って決め付けてる感じで!」
俺が昼休みの食堂での一件を話し終えると、親方とイズが揃って苦々しい顔をする。
午後三時過ぎ。
午前中に校内から集めた一般ゴミを収集室に放り込み、魔術ゴミの分類を済ませた俺は、親方に連れられて湖にやって来ていた。
湖は、丁度別館から北に向かった所に位置している。
人の出入りはあまりないらしく、湖畔は不思議な静けさに包まれていた。水は綺麗だし魔力も満ちているし、また随分と居心地がいい所だ。
外周をぐるりと一周すれば、早くても三十分は掛かりそうなほどの広さを持つそんな湖の一角で、俺達は「意地悪な理事殿」の陰口に花を咲かせていた。
「ケルヴィン・トーリー。この学園の理事の一人で、他にも複数の事業を手掛けるトーリー家当主、そしてロザラインの父親でもある。まぁ、はっきり言って典型的な『上流階級様』だよ」
棘のある親方の口調に、俺は昔読んだ絵本に出ていた悪役貴族の絵を思い出す。
これは俺の偏見かも知れないが、現実でも物語でも、金持ちで太った奴が善人だった試しがない気がする。
「悪い噂なら沢山あるさ。内申点を餌に何人かの生徒を抱き込み、学園に相応しくないとみなした生徒を執拗に追い詰め、最後には学園を自ら去るよう仕向けている、なんて話もある。どれも確たる証拠は無いし、奴もそうそう尻尾を掴ませたりはしないけどね」
「うひゃぁ……学園の闇ってやつっスね」
眉をひそめるイズとは逆に、俺はさして驚かなかった。まぁやりそうだな、という感じだ。
「エーレインが学園長職を務めていることも、快く思っていないしね。あいつの仕事にも事あるごとに苦言を呈してくるそうだ。おくびにも出しはしないが、いずれはエーレインを排して、自分の息のかかった者とでもすげ替える腹なんだろうさ」
反射的に「え? それって良いことなんじゃないんですか?」と言いそうになった口を閉じ、俺は言葉を呑み込んだ。
俺も、そこまで空気が読めないわけではない。
「とにかく、奴に目を点けられたのはご愁傷様としか言いようがないが、今すぐに何かして来るということもないだろう。ま、精々これ以上の騒ぎを起こさんことだな」
この話はこれで終わりだと言う代わりに、親方は湖にせり出した小さな桟橋に止めてあるボートを指差すと、手に持っていたピッチフォークを俺に寄越した。
「私は湖の北側を片付ける。お前は南側だ、しっかりやれよ?」
例によって手短に説明を済ませると、親方はさっさと自分の持ち場に向かっていった。
今日、火の日は湖での清掃作業だ。
ボートで湖を巡回し、増え過ぎた藻や水草を刈り取るというのが主な仕事内容だそうだ。魔力が豊富な水質の所為で、成長が異常に早いらしい。
魔力が豊富な環境というのは魔術士や動植物にとっては万々歳なのだろうが、掃除をする立場から言わせて貰えればはた迷惑も良いところなんだなと、俺は初めて知った。
「いやぁ、なんだか色々大変そうっスねぇ。ヒナツ君、ファイトっス!」
両の拳をぎゅっと握り締めるイズに、他人事だと思って気楽に言ってくれる、と心の中で悪態を吐きながら、俺は今更ながらに尋ねる。
「そういやお前、なんでここにいるんだよ? 今はまだ授業時間中の筈だろ?」
この学園の授業は一時限五十分の七時限制。今なら七時限目の終わりに差し掛かる頃だ。
「ああ、自分、七限の自由選択授業は履修してないっスから。特に深めたい専攻も無いでスし」
俺の指摘に、イズは悪びれる風もなく答えた。
ま、確かにこいつには教室で専門分野について研究している姿よりも、ゴーレム達と戯れている姿の方が似合っているだろうな。
「だからこの時間は、いつも『あの子』のお散歩をしているっスよ」
「……あいつか。やっぱり『あれ』はお前のお友達だったんだな」
軽く溜息を吐いてから、俺は湖の周りの林を歩き回る人間の子どもくらいの大きさのゴーレムに視線を移した。
イズが湖に来た時から、ちょくちょく視界の隅には入っていたのだが……。
イズが手招きをすると、小型のゴーレムは主人に呼ばれた犬の如く、真っ直ぐこちらに向かって走って来た。
イキモノ小屋にいたゴーレム達と違い、小さい分動きも軽やかだ。
「紹介するっス! この子は小型多目的作業用ゴーレム、『IH7‐トリスタン』君! 気軽にトリスタンって呼んであげて下さいっス!」
トリスタンが、シュバッと片手を挙げる。今にも「よろしく!」と言い出しそうだ。
「そのゴーレム……いや、トリスタンか。そいつもこの学園で管理されているのか?」
「いえいえ! トリスタンは自分が一から作った、オリジナルのゴーレムっス!」
「一からって……まさか、ゴーレムを個人で自作したってことか? そんなことできるのか?」
確かに普通のゴーレムより小さいとは言え、魔導生物は魔導生物。たった一体作り出すのにもそれ相応に整った設備や材料、そして何より優れた知識と技術が不可欠な筈だ。
よしんばそれら全てに恵まれていたとしても、だ。
魔導生物の制作は、魔術がある程度身近なものになった今でも、まだまだ不明瞭かつ潜在的な危険性を無視できない分野だ。
事実、年間で十数件程度ではあるものの、魔導生物制作に関する失敗報告や事故のニュースが紙面を飾り、市井の人々の世間話で取り上げられることもそれほど珍しいことではない。
早い話が、難しいのだ。
それを学生が、しかも一人でやってのけるとは……。
「勿論っス! 設備は学園の物を借りたりもしたっスけど、素材集めから設計、コアの魔術式の書き込みまで、全て自分がやったっス! フフン、どうっスか? さすがに驚いたっスか?」
わかってはいたことだが、やっぱりこいつは筋金入りのゴーレム狂らしい。
得意満面の笑みを浮かべるイズを前に、俺も思わず笑ってしまった。
「……はは。ああ、驚いた。まさかゴーレム好きが高じて、ここまでやるとはな」
「はい! 今はまだこれくらいの大きさが限界っスけど、これからどんどんこの子の改良を重ねていって、いずれはブランジャン達にも負けない立派な巨大ゴーレムにして見せるっスよ! その時は、同じ『繰り上げ組』のよしみでヒナツ君も一緒にトリスタンに乗せてあげるっス!」
それは一体いつになるのやら、と俺が苦笑し、すぐに実現するっスよ、とイズも笑う。
二人(と一体)で他愛もない話をしている内に、俺はいつの間にか、あの嫌味な学園理事のことなどすっかり気にならなくなっていた。
「さてと、それじゃぼちぼち始めるか、水草刈り」
切りの良いところで話を中断し、俺は桟橋からボートに飛び乗り繋いであったロープを解く。
作業をしたまま、振り返らずにイズに声を掛けた。
「じゃあ俺は行くから、お前はトリスタンと一緒にその辺散歩でもしてろよ」
「…………」
「いつ終わるかは分からないから、帰る時はわざわざ言わなくていいからな」
「…………」
「……? おいイズ、どうしたんだ、急に黙り込んで」
しかし、一向に返事が無い。
不思議に思って、俺は解き終わったロープをボートの中に放ってから後ろを振り返る。
と、次の瞬間、思わずギョッとして尻餅をついてしまった。
「……ア、アア………ヒ、ヒニャ……ツ、ク…………」
――イズが、氷漬けになっていた。
振り返った俺の視界に飛び込んできたのは、傍らのトリスタンに心配そうに見上げられる、古代なんとか遺跡の壁画みたいな恰好で全身隈なく凍らされたイズの姿だった。
そして――
「…………ねぇ、ヒナツ」
――例えば、死神というものがもし現実に存在して、それが人の姿をしてこの世界に現れたとしたならば、おそらくはこんな声をしているのだろう。
ともすればそんなことを考えずにはいられないほどの凄まじい殺気を伴った低い声が、凍らされたイズの後方から聞こえてきた。
おそるおそる、声のする方に視線を向ける。
そこにはいた…………穏やかな午後のひと時を、物理的に凍り付かせる妖怪が。
「――その子、誰?」
不気味なほどの満面の笑みとは裏腹に虚ろな目をしたその妖怪――ネヴィーの背後に、俺は所々赤黒い液体がこびりついた、黒光りする大きな鎌を見た気がした。
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