Ⅲ—瑞希

 街までは歩けない距離じゃないけれど、それにしたってやっぱり遠い。スマホで調べたらバスは普通に運行しているようだったので、それに乗ってあたしたちは街に向かった。


 車中では、誰もメッセージを送ることはしなかった。

 それは、揺れるから、とか、そういう理由もあったかもしれないけれど、だけど多分、それだけではなくて。

 そして、あたしもそうだった。


 歌えなくなって、会が中断して、あたしは空っぽになってしまっていた。

 ずっと前から温め続けていた決意、それが失われてしまった。もう、同じような機会はきっとやってこない。

 それに、もし、同じような機会ができたとしても、成功できる自信なんてなかった。……きっと、また、今日の恐怖を思い出してしまうから。


 二人のことが、二人と過ごした時間が、大切だ、ってこと。ずっと目を逸らしているつもりでいたけれど、本当はそんなもの考えるまでもなくわかっていた。あたりまえのことだった。

 だけど、だからこそ、それは幸せな思い出、ただそれだけのもので。だから二人との距離なんて関係なくて、離れていても傍にいても、ずっと大事に胸に抱いて、先に進んでいけると思っていた。


 だけどあたしは多分、自分で思っているよりも、ずっと弱かった。

 誰よりも、二人とのこれからを失ってしまうのを恐れていたのは、あたし自身だった。

 そのせいで――進めなくなってしまった。


 つまるところ、あたしはやり方を間違えていたのだ。

 あたしたちの関係に、変化が必要だということ、それ自体は多分、正しい。

 だけど、あたしがそれに耐えられるかどうか、ということを考えなかった。歌えなくなってしまったのは、きっとそのせい。


 どうすればよかったんだろう。そんなことをずっと考えて、それでも答えは出なくて。だからどうしようもなく、一人ただ動けずにいて。


 そんなとき、ポケットの中で、スマホが震えた。

 通知が、届いていた。あたしたちが普段使っている、メッセージのグループから。


 ステージの上から飛び降りていった冬哉、それを追いかけた晃生。二人が、状況を確かめるために動いていた。声が出ない、という異常、それが一体、どうして起こったのか、と。


 そしてふと、思った。

 こんな、わけがわからないことが起きて、演奏だって滅茶苦茶になって。それでも、二人は動けるんだ、と思った。立ち止まっているあたしとは違って。

 そう思ったときには、自然と体が動いていた。その結果として、今あたしたちは、紗千の問題を解決するために動いている。


 こうして、少し考える時間ができて、ふと、あたしたちはこれからどうなるんだろう、と考えた。

 ステージ上で起きたこと、あたしの、半端なまま終わってしまった覚悟。前のままには戻れない、と思うのは、あたしの心の問題で、だけど、そんな変化は、あたしが望んでいたものではなくて。

 でも、じゃぁどうすればいいのか。その答えがまだ見つからないことは、十分にわかりきってしまっていて。


 だから今は、動く。そうしていれば、とりあえず出口のない疑問に悩み続けることだけは避けられる気がして。

 そして同時に、ほんの少しだけ、不純な期待をしている。

 まだ出会ったばかりの紗千。あたしと同じように、やり方を間違えてしまった彼女に力を貸すことで、何かを見つけ出すことができないだろうか、と。




 数日前と同じ位置、同じ街灯に手を当てて、見上げて、紗千がそのまま付近をぺたぺたと触ったり、目を閉じてみたりして。

 だけどすぐ、諦めた様子で、待機していたあたし達の方へと戻ってくる。


『ごめんなさい、ここもダメでした』


『やっぱりか…』


 魔法をかけた場所を探る。そうすることで、紗千になら何かを感じられるかもしれない、という思いつき。

 けれど、それは失敗だったらしい。……それも、考えてみれば当然のことなのかもしれない。紗千は、魔法を「教わった」と言った。それも、かけかただけを教わる、という不完全な形で。

 あたしたちはもちろん、その魔法抜きでは紗千だってただの人間、言ってみれば素人だ。その程度の人がちょっと見ただけでなんとかできるようなものは、魔法なんて呼ばれはしないだろう。


『このあとどうする』

『場所がだめなら、教えた本人を探すか?』


『この人混みの中で、だとちょっと厳しいんじゃないかな』

『それに、紗千の話だと、その人?の特徴もよくわからないみたいだし』


 紗千が、申し訳なさそうに頷く。私は、少し周りを見渡してみる。


 日の暮れた、声のない街。それでも、いつもと、人の流れは変わらない、いや、少し多いくらい。

 街路樹に様々な色のイルミネーションが巻きついていたり、所々に赤や緑の色づかいが見られたり。

 けれどその下で、サンタの格好をした人や、手を握り合って歩くカップル、そこに本来満ち溢れているはずの幸せそうな雰囲気が欠けている、そのことがなんとなくわかってしまって。


 紗千が、街についてから、時々辛そうな表情をしている。

 それはきっと、そのことに気付いているからだろう。


 やっぱり、なんとかしたい、と思う。

 だけど、その思いとは裏腹に、手がかり探しは、早くも行き詰ってしまっていて。


 茫然とたたずむあたしたち。

 と、そこで冬哉が。


『紗千、魔法を解く方法については、本当に何も聞いてない?』

『それか、解ける条件、とか』


『ごめんなさい。やっぱり、聞いていないと思います』


『時間経過、とかだったらお手上げだな』

『待てよ、そもそも解けないでずっとこのまま、ってことも』


 晃生の指摘。永久に、世界から声が失われる。それを想像して、背筋に寒気が走るような感覚。魔法、というものの恐ろしさを感じて。

 だけど。


『いや、少し奪って、とか言うくらいだから、流石にそれはないと思うんだけど』


 冬哉は、その想像を否定してくれて。


『だけどそれ、そいつの言葉を信じれば、だろ』

『そんな悪い魔法を教えるような奴の言葉、信用できるのか?』


『嘘を吐くと魔法の力が弱まるから、なんて話はあるし』

『今は手がかりがそこしかないんだから』


 だから、の先は、送られてこなかった。

 顔を上げた先で、冬哉が固まっている。何かを考えるように。

 やがて、冬哉は紗千の方を見て。


『紗千、君に魔法を教えた相手は、周りから幸せを分けてもらおう、って言ったんだよね』


 その問いかけに、紗千は肯いて。


『冬哉、何か思いついたのか?』


『えっと』

『それが条件なんじゃないかな、って思いつきなんだけど』


 その言葉に、あたしたちは揃って息を呑む。

 冬哉は、半信半疑といった様子で。


『周りの人が不幸せになる、ってことは達成してるんだから、あとは紗千が幸せになれば、それで魔法は解けるんじゃないかな、って』


 それは――もう、原理も、なにもかも滅茶苦茶で、だけど今の時点で導き出される案の中では、それが最良のようにも思われて。

 だけど。


『かも、しれないけど、どうやって?』


 つい、そう聞いてしまう。そんなあたしの視線は、今も傷ついたような表情をして俯いたままの紗千を向いてしまって。


 多分、紗千は、すごく優しい女の子なんだと思う。

 周りから声を奪う。それは自分勝手で、けれど手段を選ばないのなら、彼女の目的を果たすためにはそう悪くない選択肢。見知らぬ誰かの幸せなんて気にしないで、割り切って、楽しんでしまえばいい。


 だけど、彼女にはきっと、それができない。

 今だって、邪魔をしてしまったあたし達と一緒にいることに、街の光景を見ることに対して、辛そうな顔をしながら、罪悪感に苦しみながら、それでも自分のしたことの責任を取ろうとしている。


 だから、彼女が、この状況をそのまま謳歌おうかできる、なんて、あたしには思えなくて。


 同じことを多分理解している冬哉は、そこからまた少し考え込むように間を置く。




 ——そして、再び顔を上げたとき。

 あたしたちに向けられた冬哉の視線には、確かな意思がこもっているように感じた。

 

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