閑話―紗千
昼間は人で溢れかえり、賑やかで活気のある場所となる街も、夜になればすっかり姿を変えてしまう。
街を照らすのはただ点々と存在する街灯の光だけ。そしていくら普段人の多い場所だとしても、この時間に、ほんの少し奥まったところに入れば――ほら。
私は足を止めて、ゆっくりと顔を上げて、辺りを見渡す。そして、周囲に人影が殆どないのを確認して、私は恐る恐る耳当てを外す。
建物の隙間を吹き抜ける冷たい風が、耳から熱を奪っていく。そのことに身震いしながらも、遠くからかすかに聞こえるものを除いて人の声がしないことに、わたしはひそかに安心していた。
どうして、こうなっちゃったんだろう。
まだ一年も経っていないのに、それだけの期間で何もかもが変わってしまった。
周囲と違う、そのことに気付いていないわけじゃなかった。
瞳の色が、他の人と違う。ただそれだけのことなのに、無遠慮に質問をされたり、嫌がらせを受けたり、周囲の視線が突き刺さったり、そういった体験はそれなりにあった。
だけど、わたしのことをそのままに受け入れてくれる人はごく普通にいて、そして歳を重ねるにつれてそんな人の割合は少しずつ増えて行って。おかげで、引っ込み思案な私も、変にトラウマを作ったり、ねじ曲がったりすることなく、ごく当たり前に人を信じていられた。
だから、転校が決まった時も、私はそんなに悲観をしていなかった。
仲良くしていた友達と離れ離れになるのは辛かったけど、だからって連絡を取れなくなるわけじゃない。それに、きっと行った先でも、わたしを受け入れてくれる人がいる、と考えていた。
だけど。
何がいけなかったのかはわからない。
だけど、わたしは多分、何かを失敗したのだと思う。
転入先の学校で、わたしはうまく学校に溶け込むことができなかった。
改めて思い返してみても、努力をしていなかったわけじゃない、はずだった。
転校生として話しかけられたり、勇気を出して人に話しかけてみたり。コミュニケーションはちゃんとしていたはずなのに、少し時間が経つと、わたしは一人でいることが多くなった。
廊下を歩いていると、視線を感じることが多くなった。そして、わたしがそっちを向くと、視線の主は大抵、気まずそうに目を逸らした。そんなことが何度も続いて、次第にわたしには、うつむいて歩く癖がついていった。
続いていく孤独な日々。元々本を読むのは好きだったけど、それでも図書室にいる時間は転校する前と比べて倍くらいになった。
少しずつ、他人を信じている純粋なわたしが、削り取られていく感じがしていた。
そしてある日、すれ違った二人組が口にした一言が――わたしの心を、完全に壊してしまった。
『……なぁ、今の女子の目ってさ』
そこから先は聞こえなかった。怖くて聞けなかった、というべきかもしれないけど、どっちでも変わらなかった。とにかく、ただその一言で、わたしの中で少しずつ芽生え始めていた人間不信が、ついに表に出てきたのを感じた。
――瞳の色が違うから、わたしは周りに受け入れてもらえなかったんだ。
違う、と頭ではわかっていた。わたしの努力が足りなかったか、周りと合わなかっただけか、それだけのはずのこと。
だけど、芽生えてしまった恐怖心は、自分ではどうすることもできなかった。
みんながわたしの目を見ている。みんながわたしのことを噂している。
そんなの妄想だとわかっているけれど、それでも誰かの喋り声を聞くたびに、すれ違った二人に言われた、あの言葉が何度も頭の中で響いた。
人の声がする場所にいるのが辛かった。学校にいても、帰り道でも。
本当は、学校になんていたくなかった。だけど、学校に行かなかったら両親が悲しむかもしれない、と思うと、ずる休みをする勇気はどうしても出なかった。
本当は誰かに話して、こんな気持ちを笑い飛ばしてしまいたかった。前の学校の友達に頼ろう、と思ったことも何度かあった。
だけど、みんなが覚えているわたしは、無邪気に人を信じていられた頃のわたしなのだ。そう思うと、今の自分のことを打ち明けるのが怖くなって、結局誰かから連絡が来ても、わたしは他愛ないメッセージのやりとりをするだけだった。
代わりに、わたしは、共働きの両親が家にいない時間を見計らって、一人で外出するようになった。
はじめは、ただの出来心だった。誰とも触れ合わないままに、一人で家にいることに堪えられなくなって、わたしは家を飛び出した。
夕方になっても、人の流れはそれなりに多くて、ときどき聞こえる人の話し声は、やっぱりわたしに目のことを思い出させた。怖かったけど、お小遣いで買った耳あてをつけると、その声も遮断されて、それで少しだけ歩くのが楽になった。
俯いたまま人の多い通りを歩いて、人のいない場所で少し休んで、家に帰る。
時間にすると一時間にも満たない、ただの散歩。だけど、それだけでもわたしは、少しだけ周りと繋がっている感じを得ることができて。
そのときはそれきりにしようと思っていたのに、気付くとわたしは、どうしても辛い気分になった時、同じように一人で外を出歩くようになった。
ふと、わたしの中で、『人魚姫』のことが思い出された。
憧れのために、いろんなものを犠牲にして、願いを叶えることができなくて悲しんで、それなのに誰かを傷つけることを嫌がって、自分が消える選択をした、そんな憐れで純粋な、人魚の少女のこと。
少し前までのわたしはきっと、それなりに満たされていて、だから、何かを失ってまで叶えたい願いなんてものができるなんてこと、想像することさえできなかった。
だけど今のわたしは違う。
あの頃に戻りたい。少しくらいなら何かを失ってもいい。それであの幸せだった日々を取り戻せるのなら。
それができないのなら、せめて――声なんて、聞こえなくなってしまえばいいのに。世界中から声が消えてしまえばいいのに。そうすればわたしは、きっとあの頃の自分を、ほんの少しだったとしても取り戻すことができるのに。
だから。
わたしは、深呼吸を一つして、人混みの中へと分け入っていく。
そして。
空を見上げて、祈るようにそっと、この街に『魔法』をかける。
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