第三章 決壊
Ⅰ—瑞希
十二月も半ばを過ぎたある日のこと。
その日、特にこれといった用事はなくて、あたしはいつも通り大学で講義を受けていたのだけれど――その合間に、ふと、冬哉と晃生が二人して歩いているのに遭遇した。
とはいえ、それ自体は珍しくない。ついでに言えば、冬哉が渋い顔をしているのだって珍しくない、というか晃生に捕まっている時の冬哉は大体そうだ。
だけど、晃生まで微妙な表情を浮かべているのはどういう訳だろうか。
などと思っていると、晃生がこっちに気付く。そのまま晃生はこっちに近づいてきて、それに引っ張られてきた冬哉もあたしに気付く。
「よ、瑞希」
片手を上げてそう声をかけてくる晃生。いつもはあたしも同じようにして、それでお互い通り過ぎてしまうのだけれども。
「えっと、お疲れ……? どうしたの、なんだからしくない顔して」
そう聞くと、晃生は苦虫を噛み潰したような顔をして。
「あー、いや、友達にどやされた」
「ついでに僕も巻き添えでね」
冬哉が恨めしそうに言って、横目で晃生を睨む、のだけれど晃生は肩をすくめるだけで相手にしない。
「それはお前がノルマ達成できなかったからだろ」
「もともと晃生に任された分だろ、大体僕の分を配り切れないくらい多くしたのは晃生のくせに……!」
珍しく冬哉が声を荒げているけれど、晃生はどこ吹く風といった様子でそれを聞き流している。
「何の話してんの、二人とも」
「ん、ほら、この前瑞希にも渡したチラシあっただろ」
言われて、そこでやっと合点がいく。そういえば、そんなものもあった。
冬哉は配る人の当てとかあるのかな、なんて冗談で言っていたけど、どうやらそれが本当になっていたらしかった。……というか、アレは晃生と話してたときじゃなかったっけ。冬哉が苦労するのわかってるんだから、そのへん手加減してあげればいいのに。
「……で、アレなんだけど、その、俺がそのことをすっかり忘れてて。で、運営の友達にチラシのこと聞かれて正直に答えたら、いい笑顔で、当然配ってくれるんだよな、って言われてな……」
「で、冬哉が巻き込まれた、と」
「だからそれは晃生が――」
食ってかかる冬哉だけど、やっぱりまったく相手にされない。流石に少しかわいそうだな、と思う。
「と、まぁ、そういう経緯で、この後講義もない俺らは街に駆り出される運びになったわけなんだが……そういえば、瑞希はアレ、全部配り終えたか?」
そう聞かれて、一瞬ドキッとしてしまう。
「ん、うん、何とか。それにあたし、この後もまだ講義あるから、付き合えないかな、ごめん」
「そうか、それは残念」
晃生はすんなり引き下がった。どうやらあたしの動揺は気づかれなかったらしい。まぁ講義があるのは本当なのでどのみちついてはいけないのだけれど。
そうして晃生はそのまま、冬哉の手を強引に引っ張って去って行ってしまうのだった。
その姿を見送ってから、あたしはため息を一つ。ここのところため息が多すぎて幸せが手元に残っているかすら怪しいところなのだけれど、これは最近だと珍しい、安堵からくる方だった。
というのは、実はあたしも、自分の分を配り終えていないのだ。……というか、実は、言われるまでその存在すら忘れていた。まぁ、ここ最近は考えることが多すぎるので、無理もないんじゃないかなぁ、なんて言い訳はしてみるけど。
それにしても。
あたしは鞄の中に入れっぱなしだったブツをちらっと取り出して眺めてみる。ざっと二十部くらい。絶望的、と言うほどではないけど、それでも結構な量だった。
さて、一体誰に手渡そうか。二十人ちょっと、となると、まぁ大学内で知り合いを当たっていけば何とかなるかなぁ、とは思うのだけど。
ただ、そこでちょっと迷う。
こういった、いわゆるイベント系の『お誘い』は、大学にいると時々あるのだけれど、大抵は友達のよしみでチラシだけ受け取って、よほど予定が合わなければ行かない……なんてのが普通だったりする。
特に今回の『残念会』はクリスマス。彼氏とデート行く~、なんて物凄く楽しみそうに語っていた友達も何人かいた。と、いうわけで、その辺には配っても来ないだろう。むしろカップルで『残念会』に来るとかどんな皮肉だという話だ。
けれど――まぁ、その、いかに花の女子大生とはいえ、時々は暇を持て余した人もいるわけで。そして、今あたしが思い浮かべている中に数人ほど、いるのだ、そういうヤツらが。
大学時代をバイトと趣味に費やしている人とか、そもそもクリスマスの予定なんて入るわけがないとハナから諦めている人とか、彼氏欲しい~といつも
そして更に悪いことに、揃いも揃って野次馬根性丸出し、というか。
そんなところに「あたしこれに出るんだけど」なんて言ったらどうなるか……うん、簡単に想像できる。
別に、何か恥ずかしいことをしているわけではないのだし、見に来られたところで大した問題ではないのかもしれない。けれどだからといってあんまり知り合いが多いとやりにくい感じはあるし、特にあの子たちだと、ちょっと変な風に冷やかされそうな気もするし。
それに、いたずらに観客を増やしてしまうと、こう、冬哉が委縮しそうというか。冬哉、ああいう賑やかなタイプって苦手だろうなぁ、とも思ったりして。
かといって避けようとしても多分、上手くはいかないだろうな、と思う。具体的には、どうせ勝手にバレる。友達の情報ってあっという間に流れるというか、人の口には戸が立てられないというか。
そうなってしまうと今度は「なんで教えてくれなかったの」とかまたウザ絡みされそうな気もするし。
まぁ、こうなったら仕方がない。それにほら、彼氏ができてその日予定が、とか、バイト入れてて、とか。誘ったって来ない可能性も十分にあると思うのだ。
丁度次の講義で、何人か一緒になる予定だし、その時に渡してみよう。あたしはそう決めて、講義室に向かっていった。
結果から言うと。
あたしの願いは儚くも砕け散り、チラシを手渡した時点で、早くも数人が見に来ることが確定した。
ごめん、冬哉、と謝りたい気分になったけれど、流石に自分のせいで観客が増えました、なんて正直に言う気もないので、謝罪は心のうちにとどめておくことにした。
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