Ⅴ—冬哉

 最後の練習が終わって、寝て、起きて。それで、当然ながら『残念会』の日がやってきた。

 正直な話、睡眠時間が足りていない。

 別に全く眠れなかった、というわけではないのだけれど、それでも少し考え事をしたり、後はやっぱり少しギターを触っていたり、そうしているうちについ、思った以上の時間が過ぎてしまった。

 晃生にでも話したら『お前は遠足前の小学生か』なんて言われそうだな、と思う。


 これで本番に何かミスをしないだろうか、なんて、ちょっとだけ不安になる。

 まぁ、そこら辺は気持ちで何とかするしかないか、と、らしくないことを考えつつ、僕はコートとギターケースを携えて玄関へと向かった。




 会場になっている、大学のちょっとした広間へと赴くと、既にそこには晃生がいて、目立つ色の上着を羽織った運営の人と何やら話しこんでいる。

 少し待っていると、会話がひと段落した晃生が、僕に気付いた。


「お、冬哉、来たな」

「ん、晃生、おはよう。……運営の人と話してたけど、僕も聞いておいた方が良いことかな」

「ん、あぁ」


 晃生は、ステージ横のテントに戻ろうとしていたその人を指して。


「ほら、こいつだよ、運営の知り合い。この前チラシ押し付けてきたやつ」

「押し付けたとは何だ、参加者なんだから協力してくれたって良いだろ」

「そうかもしれないけど、あの量は明らかに過剰かじょうじゃねぇか」


 何やら言い合っている、それを僕は仲がいいなぁ、と思いながらぼんやり眺めている。触らぬ神にたたりなし。

 そのうちに彼は別の人に呼ばれて、今度こそ本当に戻っていった。


「ったく、知り合いだからって仕事押し付けるのもほどほどにしろって」

「まぁまぁ。……あれ、そういえば瑞希は?」

「ん、あぁ、まだ来てないっぽいんだよな」


 晃生はそう言って、視線を僕の来た方へと向ける。つられて僕もそっちを向くけれど、やっぱり瑞希の姿はない。


「珍しいね、瑞希ってこういうとき、大体早く来るのに」

「だな……まぁ、何かあったら連絡来るだろうし、時間もまだあるから別にいいんだけど」

「あれ、でももうすぐ打ち合わせじゃ」

「俺ら二人がいればとりあえずいいだろ」


 それもそうか、と思い直す。打ち合わせと言ったって、どうせ順番の確認やら出欠やら、その辺りの確認をするくらいで、まぁ各組一人もいれば事足りるだろう。

 そもそも早くから集合することにしたのだって、一人だけ早く来るのも不公平だから、というのと、どうせ参加するのだから他の団体のものも少し見たい、という話になったから。実際の僕らの出番は、だいぶあとの方に予定されている。


 それでも一応、ちょっとしたメッセージだけは瑞希に送っておく。まぁ、流石に出番が来るまでには合流すると思うけど。


 それからふと、顔を上げて晃生の方を見ると、なんだか少し顔がこわばっている。

 理由は、なんとなく察しがついた。


「上手くいくといいね」

「……ああ」


 晃生にとって今日は、それはもう一世一代の、とまで言うとちょっと言い過ぎかもしれないけれど、しかしとにかく勝負の日なのだ。

 勿論、僕だって、演奏に関しては勝負だと思っているけれど、晃生には告白の件だってあるのだから。


 そのまま二人で打ち合わせに参加して、そのタイミングで音響だとか配線だとか、その辺りのことを少し相談する。一部の設備に関しては軽音部のものを借りることになっていたので、そっちとも少し話をしたりして。


 そうした諸々もろもろがひと段落して、会が始まるまでの空白の時間に、ようやく瑞希がやってきた。……眠そうに眼を擦りながら。


「ん、おはよう、晃生、冬哉」

「おはよう。……どうしたの、寝不足?」

「んー、ちょっと、昨日、寝付けなくて」

「遠足前の小学生かよ」


 晃生がつっこむ。まさか言われるのが僕ではなく瑞希になるとは、珍しいこともあるものだ。

 うるさいなー、と言いながらも、瑞希は手で口を隠しつつ欠伸あくびを一つ。それから、


「ところで、コレ置いとける場所ってない?流石にちょっと重いんだけど」


 と、背負った自分のキーボードを示した。




 それからは、特に何事もなく。

 僕のギターと、瑞希のキーボードを運営の人に預けて、僕らはしばらく『残念会』を観る側にてっした。


 クリスマスとなれば、結構雰囲気のある演目ばっかりが並ぶのだろうか、なんて思っていたけれど、いざ始まってみると、雰囲気云々というよりもむしろ、笑いだとか、純粋な楽しさとか、まぁ一部悪ふざけに近いものもあったりと、どちらかと言えば正月のテレビ番組を思わせるものが多かった。


 まぁ、考えてみれば『残念会』なのだ。となれば聖夜の雰囲気、みたいなものよりもむしろ「余り者同士で楽しむ」というノリが自然なのかもしれない。……などと考えると、なんだか時々ステージ上の人たちから何とも言えない哀愁あいしゅうを感じるような気もしたけれど、まぁそれも含めて、思ったほどには居心地は悪くなかった。


 観客の方も、さすがに朝のうちは多くなかったけれど、誰かの応援に来た人、用事ついでに立ち寄る人なんかが加わって、そのうちにだんだんと増えていった。


 その中で、瑞希や晃生と話しながら過ごし、そのうちに時間は昼を回り、少しずつ陽が傾き始め――それに伴って、僕らの出番もまた、近づいてきていた。




 控え室代わりになっている、舞台裏のスペース、そこに僕らは居た。


 ステージの方からは、マイク越しに前の組のトークと、大勢の笑い声。けれど、その内容までを聞いている余裕はない。

 僕は、ケースからギターを取り出して、スタンドに立てかける。まだ時間はあるのだけれど、今日は常の僕らしくもなく、どうにも気合が入ってしまっていた。


 横では、イヤホンをした晃生が椅子に腰かけている。多分、改めて曲の確認をしているんだと思う。反対では瑞希が、軽く声を出したりして調子を確認している。


 練習の前とあまり変わらないような光景と、しかしそれとは明らかに違う、本番前の、緊張と高揚に満たされた空気。どこか引き延ばされたような時間の中で、僕は確かめるように一度、掌を開いて、閉じる。


 既に、決心はついていた。

 今日を境に、きっと変化してしまう僕らの関係。けれど、たとえどうなるにしても、僕のやることはただ一つ、今日の本番を成功させること。

 晃生を応援するために。三人の思い出にするために。そして――僕自身が成長するために。


「晃生、瑞希」


 名前を呼ぶ。顔をこっちに向ける瑞希と、気づいてイヤホンを片方外した晃生。そんな二人の前で、僕は改めて、その決意を口にする。


「……えっと、頑張ろう」


 それはどうにも締まりのない、ありふれた言葉にはなってしまったけれど。

 瑞希が笑う。


「どうしたの、冬哉らしくもない」

「でもまぁ、そうだな、頑張ろうぜ」


 その横で、気合を入れたように、膝を叩いて立ち上がる晃生。


 丁度その時、ステージの向こうで拍手の音。

 さぁ、いよいよ、僕らの番だ。


「うっし、行くか!」


 晃生が発破をかけるようにそう言う、それを合図にして、僕らはステージの方へと向かうのだった。

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