Ⅳ―晃生

 明日を本番に控えた、最後の練習。


 初めの頃は、俺が少し走ってしまったり、音が上手く合わなかったり、まぁ色々とあった。

 それでも、何度も回数を重ねていくうちに、少しずつ完成へと近づいてきていて。そして、あとはこの練習で確認を済ませ、本番を待つばかり。


 の、筈だった。


 スタジオについて、取り敢えずいつもの流れとして、一曲ずつの通し。

 けれど、そこで何か違和感があるような気がして、それを確かめるためにもう一回、同じことを繰り返す。


 詰まることも、引っかかることもなく、三曲が無事に終了する。


 けれど。


 俺は、叩き終えたその姿勢のまま、一つため息を吐いた。


「一旦、休憩にするか」


 そう告げると、冬哉は頷いてギターをスタンドに立て、置いてあった自分のペットボトルを手に取る。

 そして瑞希は、と見れば、なぜか鍵盤に手を置いたまま固まっている。


「瑞希?」


 名前を呼ぶと、瑞希の肩が跳ねる。


「え、あぁ、えっと、ごめん晃生、何だっけ」

「いや、休憩にしよう、って言ってただけなんだけど」

「あ、そっか、了解」


 そこでようやく、瑞希は構えを解いて、それから近くに置かれている椅子に座る。

 けれどその動作は、どうにもぎこちないように感じてしまう。


「……なぁ、何かあったのか?」


 つい、そう尋ねてしまう。


 瑞希は、ペットボトルに伸ばしかけていた手を止め、座ったまま俺の方を見上げる。その目が、驚いたように少しだけ見開かれる。

 けど、それ以上は何もなく、ただ、首を傾げながら微笑して、「ん、何でもないけど」と、そう答えただけだった。


 ならいいんだが、と答える。けれど、そんなわけないだろ、と、内心では思う。

 そしてそれは……多分あいつも。

 

 俺は改めて、冬哉に視線をやる。あいつはこっちの視線には気付かないで、再びギターを持って、適当に弄んでいる。


 別に、演奏の出来そのものに、何か文句があるわけじゃない。ミスらしいミスというものもほとんどないし、変に走ったり遅れたりすることもない。前回の練習と比べても、むしろ上達している。それこそこれ以上はないんじゃないかと思うくらいに。


 それなのに、何故か、どうしようもない違和感がある。

 それは、今だって。スマホに目を落としたり、各々の楽器を少し弄ったり、二言三言と適当な言葉を交わし合ったり、……そんな、いつも通りの光景でさえも、何故だか歯に物が挟まったような感じがしてしまう。


 けれど多分、瑞希も、冬哉も、お互いそれには気づいていない。そして俺自身も、この違和感が何なのか、はっきりと感じ取ることはできなくて、だからそれがとにかくもどかしい。


 あーもう、と、一人小さくうめく。そのまま脇に置いてあった水に手を伸ばして喉を潤す。とりあえず、疲れた後に冷たい水を飲むのはいい。こう、身体に沁みる、と言えば少しオッサン臭いかもしれないけれど。


 ふう、と一息。それで少し頭が切り替わる。

 考えたらキリがない。今だってまだ頭の中でもやもやとしたものがわだかまっているのを感じている。だけどここで練習していられる時間にも限りがあるのだし、今はそっちの方が優先だ。


「瑞希、冬哉、そろそろ行けるか?」


 俺が声をかけると、既にそれぞれの場所に戻っていた二人はこっちに視線を向けて頷いた。


「うし、じゃぁ次どうする?もう一回通すか?」

「あ、それならその前に、ちょっと気になったところがあるんだけど」


 と瑞希。この曲のここが、と瑞希が口に出すと、冬哉が、そこもだけど、と付け足す。

 その様子に、ひとまず二人もちゃんと演奏に集中できてはいるらしい、と安心するとともに、俺自身はあまり気になった個所を見つけられていなかった事を少し反省する。


 それ込みで俺は気合を入れて、置いてあったスティックを再び拾い上げる。


「おっけ。それじゃ、その場所に、えっと……じゃぁカウント四つで」


 了解、と二人が頷いて、真剣な表情で構える。

 俺はそれを確認してから、スティックを四回打ち鳴らし、それを合図としてまた練習が始まった。




 けれど。

 それから、細かなミスの修正をして、それからまた何度か通しをしてみても、俺の心内で違和感は、消えるどころかむしろ増えていく一方で。


 そして、そうこうしているうちに、練習時間の方が先に終わりを迎えてしまう。

 表面上は完璧に近く、けれどどこかなままに。




 ありがとうございました、と店員に声をかけてスタジオを出る。

 真っ暗になってしまった外では、既に二人が待っている。冬哉は手袋をはめた手をポケットに入れていて、かと思えば瑞希は片手の手袋を外してスマホで何か文字を打っている。

 指先の寒さで言えば瑞希の方が辛そうなのに、実際に震えているのは冬哉というのが面白いと思う。


 そのまま、三人で並んで歩き出す。

 なんだか、こうして一緒に帰るのは珍しい気がする、とふと思う。


 別に、一緒に帰ろう、と約束をしているわけではないのだが、それでも下宿の方向は一緒だ。

 となれば同じバスに乗るのが自然――なのだけれど、街の方に出てきているせいか、用事や寄り道で誰かが抜ける、ということが、ここのところは多かった。


 明日が本番で、演奏に関して言えばさっきの練習も好感触だった。だからこそ明日に向けて抑えられない気持ちを語り合ったり、三人揃ってする久々の無駄話を楽しんだりするのが普通だと思う。

 けれど、練習を終えても、やっぱりどこか引っかかる感じがずっと俺の中で残っていて、それが俺の口を重くしていた。


「あ」


 ただよ静寂せいじゃくを破ったのは、珍しく冬哉だった。

 振り返ったが、冬哉は俺には気づかないまま空を見上げていた。そして、その視線を辿たどっていくと、そこには。


「……オリオン」


 俺がひょっとして、と思ったことを、冬哉が先に言葉にした。


 街灯の光に邪魔されていても、まだ見えるほどにはっきりと星の映る晴れた夜空。そういえば、星を見るのはだいぶ久しぶりな気がする。


 星座、といえば、覚えないとそうそう見つけられないモノだけど、オリオン座だけは見つけやすい、という話は、以前冬哉がしていた。

 冬の空を見上げればすぐにわかる、短い距離で隣り合って星座の中央で輝く、三つの星。


 ふと気になって、視線を横に向ける。あっちも冬哉の言葉につられたのか、空を見上げている瑞希。そして星に目を向けながら何かを考えている様子の冬哉。


 俺もまた視線を戻しながら、バカらしいと分かっていてもついつい、遠く光るそれを、俺らのようだな、と考えてしまう。

 三つ並んで、それでひとつの。


 すぐにその考えを追い払う。そのあたりのことは以前散々考えて覚悟を決めたのに、なんだかまた覚悟が揺らいでしまいそうになる。


 いまはただ、明日のことだけを考えていたい。

 バンドのこと、そして――瑞希への告白のことだけを。

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