Ⅱ―瑞希

「……ねぇ、冬哉」


 冬哉が手にしたおにぎりを食べ終わったタイミングで、なんとなく声をかける。別に返事は返ってこなくてもいいかな……というくらいの気持ちだった。


 結果として冬哉は、律儀に口の中に残ったものを飲み込んでから、


「ん、何かな」


 と、こちらに視線を向けつつ聞いてくる。

 別に、改まって聞きたいことがあったわけじゃなかった。頭の中にあるのは、まだちゃんと形になっていないもやもやした思いだけ。

 それを口にすることはまだできそうになくて、だからあたしの口からは別の言葉が飛び出してくる。


「冬哉さ、……正直なところ、どう?」

「どう、って何がさ」

「ほら、バンドのこと。やっぱやめたい、とか思ってたりする?」


 聞いた途端、心なしか冬哉の目が冷たくなったような気がした。あたしは、そんな顔をされるほど意外なことを聞いたかなぁ、なんて思う。


「まだ疑われてたのか」

「だって冬哉、ああいうイベントって嫌いでしょ」


 言うと、冬哉はそこで言葉に詰まった。

 それから、ふと目を逸らした。


「まぁ、その、色々あるんだよ」


 小さくそう言って言葉を濁す冬哉。

 あたしはそれだけで、なんとなくその理由を察してしまう。


 はぁ、と一つため息を吐いて。


「やっぱ、晃生に何か言われたんだ。……いつもそんなんじゃん、たまにはちゃんと断ればいいのに」

「それは」


 何かを言いかける冬哉だけど、そこから後の言葉は続かない。

 まぁ、今のはちょっと意地悪な聞き方だったかもしれないな、とは思う。何だかんだで冬哉も、誰かと何かをすることについては結構楽しむタイプだ、ということはこれまでの付き合いで薄々察しはついている。

 まぁ、かといって人前に出る、とか、大勢の人の中に放り込まれる、とかそういうことが苦手なのも本当で、やっぱり色々と葛藤はあるのだろうけど。


 つまるところ。


「……まぁ、だから」


 と。


 冬哉は、多分さっきまであたしが考えていたようなことを言葉にすべく、そんなことを言ったのだろうけれど。

 だけど、それを聞いて、あたしの胸中にあるもやもやが大きくなったのがわかった。


 友達。最近のあたしは、ついその言葉に過剰に反応してしまう。


 そして、純粋な疑問として。


「そういう瑞希こそ、こういうの面倒だって言うタイプじゃないか。どうして今回はそんなに乗り気なんだよ」


 なんて、そんなことを、半ば愚痴でも言うように聞いてくるのだけれど――本人にそんな自覚はないのだろうけれど、あたしは追い撃ちを食らったような気分になってしまう。


 できるだけ、それを表に出さないように努めながら。


「……まぁ、色々と、ね」


 つい言葉を濁してしまって、これじゃさっきの冬哉と同じだな、と思う。冬哉の方もそれに気付いたようで、ちょっと不満そうな顔をする。

 さっきの冬哉と同じく、あたしにも濁したいものがある、それが伝わってしまうことは、あまり考えなくてもわかった。

 ここで何か言い足してしまえば、余計に怪しまれてしまう。そうは思っていても。


「……ほら、大学入ってからもう一年くらい経つけど、あんまり三人で何かやることなかったでしょ? だからいい機会かな、って」

「まぁ、それは……そうかもしれないけど」

「それに、ほら、あたしは冬哉ほど人前に出るのとか苦手じゃないし」


 半ば茶化すように言って、それで誤魔化すつもりだった。

 だけど、何でもない風を装ってうかがった冬哉の様子は、なんだか予想と少し違っていた。

 それが少し気になって――だけど、あたしが疑問を口にするよりも先に、冬哉はビニール袋にゴミを纏め始めていた。


「あれ、もう行くの?」


 スマホで時間を確認してみるけれど、次の講義が始まるまでにまだ三十分くらいの余裕があった。教室の後ろの方の席を取ろうと思ったら早く行く方が良いのかもしれないけれど、それにしたってちょっと早くないだろうか。


「いや、次の講義、教室が遠いから。それと」


 そこで冬哉は一旦言葉を切って立ち上がる。それからちょっと困り顔で、


「……実は、課題やるのをすっかり忘れてて、早く行ってやっとかないとマズい」


 などと言ってあたしから視線をそらした。

 多分、その時のあたしはものすごい呆れ顔をしていたと思う。


「……いつもそんなんじゃん冬哉。少しは計画性を身に着けたら?」


 ついつい思ったことを口にしてしまう。こんな感じの説教臭いことを言うのは別に今日が初めてのことじゃないのだけれど……冬哉は、何やら神妙な顔をして。


「それ、晃生にも言われた。……じゃ、また後で」


 と、苦々しげに行って、そのまま逃げるように去って行ってしまった。




 冬哉が去って、それでもあたしはなんとなく、その場に残っていた。

 あーあ、という声がつい口を突いて出た。これは、自分自身に対して。


 色々と、あたしなりに思い悩んでいたつもりだった。実際、自然に振る舞えていたような気はしない。それでも、誰かと顔を合わせることすら耐えられないような、変にこじらせたような感覚は、いつの間にか消えてしまっていた。


 またいつもみたいに空回りしてたのかな、と気づく。


 あたしは時々、無自覚に空回りしてるときがある、というのは、だいぶ前に誰かに言われたことだった。

 悩むことは人生に必要なことだと思う。だけど考えないでもいいようなことまで一緒に考えて、それで動けなくなる、なんてことも時々ある。あたしは他の人よりずっと簡単にそうなるクセにそれに気付かないらしくて。


 そしてそういうとき、あたしは大体、冬哉の平熱さ加減とか、晃生のやたら強引で大胆なところとかに触れて、そこでやっと我に返るのだった。


 腐れ縁。それは自他ともに認めることだけれど、それでもやっぱり、長く続いているからにはそれ相応の、相性とかそういうものはあるんだと思う。

 それを実感して――けれどあたしは、だからこそ不安になってしまう。


 こんな調子で、大丈夫なのかな。


 口の中で転がした言葉は、余計にあたしの心を揺らがせて、それに呼応するように強く風が吹く。あたしはそれから逃れるように、ぎゅっと左腕を掴んで少し身を丸めた。


 早く講義室に行こう、と思った。それは、寒さをしのぐ意味でも、気持ちを切り替えるためにも。


 まだ時間はある。だから、決意も覚悟も、ゆっくりと固めていこう。




 クリスマス当日、『残念会』、あたしたちの行う、多分最初で最後のライブ。

 あたしはその日を、『腐れ縁トリオ』最後の日にするつもりだった。

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