Ⅲ—冬哉
課題を、昼休みと、いつも遅めに講義室にやって来る教授が来るまでの時間でなんとかやり遂げて提出したほかに、その日の講義には特筆するようなことはなかった。あとはただただ教授の回りくどく長ったらしい解説ばかりが繰り返され、そのうちに意識が遠のいて――
誰かに強く体を揺すられて僕は目を覚ました。眠い目を擦りつつ顔を上げて振り返ると、そこには晃生の姿。
「……あれ、晃生」
寝起きの回らない頭のまま、なんでここにいるんだ、という意味でそう聞くけれど、晃生はそれはもう呆れた顔をして。
「あれ、じゃねぇよ、ってかいつまで寝てんだ。とっくに講義終わってるぞ」
そう言われて時計を見ると、さっきの講義はとっくに終わっている時間で、教授の姿も教室内にはなかった。
「……時々、僕ってなんで大学にいるんだろう、って思う時があるよ」
「こっちのセリフだからなそれ」
これ見よがしにため息をつく晃生。流石にちょっと悔しい気もするけれど、かといって反論できる要素もない。
「とりあえずどいたどいた、次俺らの講義なんだよ。つーか冬哉も次あんじゃないのか」
「いや、次は空きコマだから別にゆっくりしてていいんだけれど……まぁ、ここにいるわけにはいかないしね」
適当に購買で何か買って休もうか、と思いながら立ち上がると、入れ替わるように、晃生が僕のいたところに座る。じゃ、と手を振って去ろうとして、はたと気づく。
晃生が座っている席は、僕が昼休みの早いうちから座っていた、後ろの方かつ少し入ったところ、つまり教授から見えにくいベストプレイス。
周囲を見渡すと、後ろの方の席はすでにほどんど埋まりかけていて、そんな中でわざわざここに座るということは。
「……もしかして、晃生もまともに講義受ける気ないんじゃないのか」
そう尋ねると、晃生は気まずそうな表情を浮かべて、露骨に目をそらす。
「……この講義苦手なんだよ。あ、それと今日の練習、忘れんなよ」
その言葉に、僕は答える代わりに軽く右手をあげて、講義室を後にした。
疲れた頭には糖分が必要だ、と思う。眠っていただけじゃないか、と言われるとツッコまれると言い返せる自信はないのだけれど、それでもとにかくそういった瞬間がある。まぁ要するに、今僕は甘いものが食べたいと思っているということだ。
購買に残っていたロールケーキを購入し、外に設置されたベンチに腰掛ける。本当は暖房のきいた室内にいたいのだけど、そう言う場所は既に先客がいる場合が多いし、仮に空いていたとしても、談笑している人たちの中、一人でいる、というのも居心地が悪い。
やっぱり、休憩するときくらいは落ち着ける場所にいたい。
包装を開いて、プラスチックケースに収められた中身を取り出す。セロハンをはがして、スポンジ生地を噛み締めると、とふわふわした触感とともに、卵と砂糖の甘味が口の中で広がっていく。
なんとなく、冬と甘いものって合うな、と思う。そういう意味では冬は好きだ。そうはいっても身に染み入るような寒さは何というか、容赦してほしい、と思うところだけれど。
何の気なしに時計を見上げる。当たり前だけれど、さっき晃生と別れてからまだ十分も経っていない。次の講義までにはまだ一時間以上。何もすることがないと暇だな、と思いつつ、その暇つぶしの一環で食べ始めたロールケーキも既に半分ほど食べてしまっていた。
どうしようかな、とか考えながら、ぼんやりと人の往来を眺めている。そろそろ講義も始まる時間だし、流石に人もあんまり通らず、人間観察と言うにも足らないような時間が過ぎていく。……と、そこで不意に、何人かの集団が近くを通りかかった。……というか、その中に瑞希が居た。
声を掛けようかな、と思ったけれど、向こうはこっちに気付いていない様子だったので、わざわざ呼び止めるのもな、とそのままただ通り過ぎていくのを見送った。
ふう、と一つため息を吐いた。
それは安堵から来るもので。
交友関係は狭く深く派の僕や、その辺りわりと適当な晃生と違って、瑞希は結構、色々な人と一緒にいるイメージがある。
だから昼にあった時は、一人でいるのが珍しいな、と思ったし、そう思うとなんだか様子も少しおかしかったように感じるし、だからって何かを聞いたわけではなかったけれど、少しその辺りが気になっていた。
けれどさっき通りかかった瑞希は、普段通り友達と談笑していた。のでまぁ、僕の思い過ごしか、あるいは抱えていた問題が落ち着いたんだろうな、と思う。
大体のことは、僕より瑞希や晃生の方がずっと器用にできるので、そう言う意味では僕が心配するのも変な話だったのかもしれないし。
それにしても。
いつも思っていることだけれど、改めて、僕も晃生も瑞希も、何となく正反対というか、似た者同士感がないというか。
案外その方が上手くいくものだ、なんて話もあるけれど、当人からするとやっぱり、不思議だなぁ、という感想が先に立つというか。
偶然僕らは出会って、偶然一緒にいるわけだけれど、それでもそれが無かったら、僕らが順当に巡り合う、なんてことはなかったような気がして。
そして、それがここまで続いたことも、きっと奇跡のようなもので。
たまたま凹凸が噛み合って、隣り合って組み合わさったパズルのピース。
けれど、その絵柄が合っているかどうかは離れてみないとわからないし、この先どこにどれが噛み合うのかは、埋めてみるまで分からない。
そんな風に、これから僕らの関係に訪れるだろう変化だって、結局はその時になってみないとどう転ぶかわからない。そこには楽観的になれる要素だってきっとあるのだろうけれど。
それなのに。
残っていたロールケーキを強引に口に放り込んで、
いつもはそれでささやかな幸福感を味わっていられるのに、今日だけは、舌の上に残ったホイップクリームの後味が、どこか不快ささえ伴って、長く残り続けているように感じた。
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