Ⅱ—冬哉

「バンド? 面白そうじゃん、やってみよっか」


 結論から言えば。


 晃生が、丁度講義がない時間帯だった、その『心当たり』の人物を捕まえて放った「なぁ、俺らでバンドやらないか?」という誘いに、はさして考えることもなく了承して。

 そしてその瞬間、僕は自分の淡い願望が、はかなく崩れ落ちていく音を耳にしたのだった。


「ちょ、ちょっと瑞希みずき、どういう風の吹き回しさ」


 いよっしゃ決まり、と、晃生が横で騒がしく声をあげる。その様子を横目で捉えつつも、僕は何とかしてこの状況を打開しようと考えを巡らせつつ、もうひとりの旧友へと、そう声をかける。

 しかし、彼女は、不思議がるように首を傾げて。


「冬哉、あたしがこういうの乗り気だと何か問題でもあるの?」


 そんな風に聞き返されてしまう。それだけで僕は、彼女が冗談や酔狂すいきょうではなく、本心で「やってみよう」と考えていることを理解してしまって。


 僕は焦りながら必死に理由を探す。

 問題は、ある。僕は心底、大人数の前でバンド演奏をする、なんてことと関わり合いになりたくないのだ。


 だけど、晃生に押し負けたことと、彼女なら断るだろう、そういう思い込みから成り行きに任せる形になってしまっていた僕が、正面から「僕は嫌だからやりたくない」なんてことを言うのはどうにもはばかられてしまって。

 だから、僕はできる限り濁した形で、彼女に言葉を返す。


「……えっと、ほら、瑞希って普段はあんまり、こういうお祭り騒ぎ的なのには乗ってこないだろ」


 結果として、出てきたのはそんな言葉。

 とはいえどそれも、晃生と同じように、彼女ともまた『腐れ縁』と言われる程度には長い、これまでの付き合いの中で何となく知っていることで。

 それが的外れ、なんてことはそうそうないだろう。そんな確信から出た言葉だったのだけれど――瑞希は僕の問いに、複雑そうな表情をして少し沈黙する。

 それから。


「えっと、うん。まぁ、あたしにも色々ある、っていうかさ」


 そんな風に、彼女もまた、言葉を濁した。


 言葉に詰まる。

 色々ある、と、そう言われてしまえばそれ以上の追求をすることは難しい。

 けれど、やっぱり僕は参加したくないのだ。まだ何か別のアプローチができないだろうか、と、ない頭を振り絞って考える。だけど、それがまとまるよりも先に――


「……あれ、そう言えば、俺ら、ってことは冬哉もやるの?」

「ん、ああ、もちろん冬哉も誘ったよ」


 瑞希から飛び出した、無邪気にして残酷な質問、そして、咄嗟とっさに僕が「違う」と答えるよりも先に晃生が放った答え。それによって、半ば強制的に僕の退路が完全に断たれてしまったことを、僕は瞬時しゅんじに悟ってしまう。


「へぇ……あ、そういえば冬哉、ギター弾けるんだっけ」

「そうそう、前になんか聞いた覚えあったし、それで誘ってみた」


 茫然ぼうぜんとたたずむ僕の前で、二人が勝手に話を進めていってしまう。


「あー、じゃぁあたし何すればいいのかな。三人だとまだ楽器足りなくない?」

「いや、無理に軽音っぽくしなくてもいいかなって。冬哉もアコギ専門らしいし、それにクリスマスだろ? ってことで瑞希にはキーボードとボーカルやってもらって、そこにアコギと俺のドラム、って感じで」

「え、あたしボーカルもやるの? 流石にそれはちょっと自信がないんだけど」

「それは大丈夫、って言うか俺の知り合いで瑞希より歌が上手い奴はいない」


 気付けば、僕が参加することを前提として、話はどんどんと先に進んでしまっていた。このままではもう、逃げられなくなってしまう。

 僕は思わず声をあげる。薄々、無駄な足掻きと気づきながら、それでも。


「ちょ、ちょっと待って、僕は参加するとはまだ一言も――」


 そうやって会話をさえぎると、二人の視線が僕に集中する。

 憚られる、というのは何だったのか、結果的に「やりたくない」と大声で叫んだようになってしまったことを僕は不意に自覚して。


 対して、瑞希からは、ごくごく自然に、不思議そうな様子で「やらないの?」という疑問の言葉が飛び出して。そして晃生は情けなくも声をあげた僕に、何やらよこしまなたくらみが潜んだ視線と、どこか恐ろしいような笑みを向けていた。


 そのまま晃生は僕の方ににじり寄ってきて、僕の腕を少々強引に取って、肩を組む。

 瑞希に背中を向ける形になる。そしてそこから、晃生は僕の耳に口を寄せて、小声で。


「まぁまぁ冬哉、ほら、俺らの長い付き合いじゃないか。ここはひとつ俺らを助けると思ってさ」

「さりげなく主語を大きくするな、やりたいって言いだしたのは晃生一人じゃないか。……それにやっぱり僕は」

「わかったわかった、うるさいから少し黙れ」

「いや、ここで黙ったらそれこそ勝手に――」

「冬哉」


 そこで急に晃生は真顔になる。その声が普段の彼のふざけた様子からあまりにもかけ離れていて、僕はつい出かかっていた言葉を止めてしまう。

 振り向いて瑞希の様子を窺う。けれど、瑞希は背を向けたままの僕らの様子には気づいていないらしく、ただいぶかるような視線を向けてくるだけだった。

 晃生もまた、それを確認して。それから、僕の目をじっと見つめて。


「……頼む、今回はどうしてもやりたいことなんだ。お前を完全に巻き込む形になるのは悪いと思う。けどそれしかないんだ」

「それしか、って。そう言われても、バンドでしかできないこと、って」


 そう戸惑う僕に、晃生はただ無言で首を振る。

 そして晃生は僕に、を告げた。


 その内容に、僕は目を見開く。それは全く予測もしていなかったことだったのだけれど――しかし、確かに、彼がというだけのことはある、と理解できてしまって。


 だけどそれにしたって、他にも方法があるんじゃないのか。何も僕を巻き込まなくたっていいだろう、と、そんな風に僕は食い下がろうとする。

 だけど晃生の計画は思ったよりもだいぶ具体的に練り込まれたもので。だから彼が一つ言葉を重ねるたび、僕の言い訳も一つずつ潰されて行って。

 なにより、彼の思いが大切なものだからこそ、それを聞かされてしまった僕は、強くそれを否定することができなくなってしまっていて。


 結果として。

 それから、ほんの数分後には、僕もバンドメンバーの一員として『残念会』に参加することが、半ばめられるような形で決定してしまったのだった。

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